夏22:決着のためのレシピ
「どうぞ」
黒井川ハルさんが紅茶の入ったカップを、手に抱えていたトレーから物理準備室の中央に置かれている机の上に置いた。
カップが置かれた机の前には生徒会副会長の赤斎賀柚月先輩が座っていて、その向かい側には八尾乃月さんが椅子に腰掛けて二人が向き合う形になっている。
肩を縮こませて椅子に座る赤斎賀先輩は膨れっ面で、どこか不満げな顔つきをしながら八尾乃月さんに目を向けているのと対照的に、八尾乃月さんのほうは肩の力が抜けて落ち着いた様子で赤斎賀先輩に微笑みかけている。
赤斎賀先輩に紅茶を差し出した黒井川さんは、今度は部屋の端で佇んでいる生徒会長の小柳鏡鐘郎先輩に同じようにティーカップを渡した。
「会長さんもどうぞ」
「ありがとう、いただくよ」
小柳先輩は黒井川さんに軽く会釈すると、渡されたカップに口をつけた。
空になったトレーを胸に抱えると、黒井川さんは部屋の壁面に並んでいるわたしとなっちゃんと央士くんのところへ来て、央士くんの隣に立ってじっとりとした目線を彼に向けた。
「なぜこの場所を使うの? 貴方たちには貴方たちが使える部室が別にあるはずでしょう」
わたしたちにそう嘯く黒井川さんの眼差しは、明らかに不服そうな色が見えた。
「大目に見てよ。ここなら入り口のドアを閉め切って塞げるから、廊下から窓で丸見えの教室と違って内密に話ができるし、それにこんな小さくなってしょもしょも状態で晒されてる赤斎賀先輩を見られて先輩が恥をかかずに済むからさ」
「大きなお世話だっ」
黒井川さんに弁明をしながら軽口を叩くなっちゃんに、赤斎賀先輩が抗議の声をあげた。
ええと、どうしてわたしたちが生徒会の先輩たちと一緒に黒井川さんの物理準備室にいるのかだけど……
なっちゃんが言うには数時間前、八尾乃月さんと赤斎賀先輩の間でトラブルが起こったらしい。そしてその件に関して、先輩のほうから直接謝罪をしたいとの謝罪を申し入れがあり、保健室からここに場所を移すことになったという次第だ。
それと、本来この話とは全く無関係なはずのわたしも、気がついたら流れでなっちゃんと央士くんたちと一緒にこの場所に来ていた。なぜ? どうして……
「やめろよ柚月。非礼を詫びるために来たんだろ。その態度じゃ伝わる誠意も伝わらない」
小柳先輩が赤斎賀先輩を諌めると、彼女は決まりの悪そうな顔で向かいの席にいる八尾乃月さんを見た。
そして深いため息をつくと、膝に手をついて椅子に座る赤斎賀先輩は、向かいにいる後輩の女子中学生に深く頭を下げた。
「この度は怒りに身を任せて暴力を振るい、誠に申し訳ございませんでした」
頭を下げ、じっと静止する赤斎賀先輩を八尾乃月さんはじっと見つめる。今の赤斎賀先輩の態度に、いつもの彼女に見られる尊大さや不遜さはいっさい感じられなかった。
「みたいですけど、どうしましょうか? 央士センパイ?」
自分に首を垂れる赤斎賀先輩を前にして、八尾乃月さんは急にこちらに振り向くと、わたしたちと一緒にいる央士くんにそう尋ねた。
「いや、どうって、なんでおれに訊くの?」
いきなり話を振られた央士くんが困惑する。
「央士センパイ、散々このヒトに詰られたんでしょ。私は謝れようが謝れななかろうがどうでもいいんですけど、センパイの方はどう思ってるのかなーって。先輩は許せます? このヒトのコト」
八尾乃月さんの言葉に、央士くんは困った顔をする。
「いや、おれ、赤斎賀先輩に謝ってほしいとかいちいち思ってないし気にもしてないから、これでおしまいでも全然構わないんだけど……」
「えー、央士はそんなんでいいの?」
央士くんの態度になっちゃんが異を唱えた。
「考えてみなよ。いちいちアタシらケンカ売ってきた赤斎賀先輩がノコノコ顔出して謝りに来るなんて怪しいと思わない? 裏があるに決まってんじゃん」
「裏って何だよ」
「……後腐れないようにケリつけたかっただけだよ」
よそよそしい態度で赤斎賀先輩は八尾乃月さんとなっちゃんから目を逸らしながら言う。べつだん嘘をついているようではないけれど、それ以外にも何か隠しているようにも見えた。
「それだけじゃないでしょう? 先輩と八尾乃月が揉み合った時に撮られた動画。あれを広められたくないから八尾乃月のところに押しかけたんですよね?」
なっちゃんがそう言うと、椅子に座る八尾乃月さんと目を合わせた。
「どうせみんながあの現場を目撃して、携帯で撮らせるように仕向けたんでしょ。報復と脅しの材料にするためにさ」
「さあ? どーですかね?」
なっちゃんの言葉に、八尾乃月さんはすっとぼけたような態度で返す。どうやらわたしの知らないところで、得体の知れない調略が実行されていたらしい。
なんなの、この人たち? 将来の夢はスパイなの?
「で、その動画が表に出ないよう、取り下げてもらうために謝罪を申し入れた。そのためにわざわざアタシたちのところへ来たんでしょ?」
「ご名答だね」
赤斎賀先輩の代わりに、生徒会長の小柳先輩がなっちゃんに言った。
「とはいえこうして柚月が謝りに来たのは、完全に打算だけじゃないってことは信じてほしいけどね。僕としても、君たちに迷惑をかけてすまないって思っているのは事実だから。だから君たちに直接謝るように言ったんだ。だろ、柚月?」
小柳先輩がにこやかな顔で赤斎賀先輩に呼びかけると、赤斎賀先輩は急に肩をびくっと震わせて、なぜか顔色がさっと青白くなった。
「気になるわね、この二人の関係性」
わたしの隣にいる黒井川さんが生徒会の先輩ふたりの顔を見比べながら、にやけた笑みを浮かべてわたしの耳もとでぼそっと言った。
どうだろう。知りたいというか、逆に知らないままでいたいというか……
「まあ、こうやってこちらの思惑を見抜かれた以上はどうしようにもない。切り札は好きに使うといいさ。柚月に生徒会を辞めてほしいんだったら、辞めてもらうように取り計らうし、靴を舐めろっていうんだったら、僕が跪いてキミたちの靴を舐めるから──」
「いいですから! そんなコトしなくても!」
央士くんが手を横にぶんぶんと振って小柳先輩を止めようとする。
「さっきも言ったけど別におれ、先輩たちに謝ってほしいなんて思ってないし、してほしいコトなんて何も……」
小柳先輩に向かってそこまで言った時、央士くんはいきなり言葉を止めて、ゆっくりと首を回すと、視線をわたしに向けた。
「え、なんでわたし?」
央士くんと目が合うと、わたしは自分を指さした。
それから央士くんは少し黙って何か考え込むそぶりを見せると、目線を再び小柳先輩に向けた。
「先輩。おれ、あの動画の使い道を思いついちゃったかもしれません」
央士くんはそう言うとその場から前に進んで、小柳先輩がいる前に歩み寄った。
「小柳先輩。港と赤斎賀先輩が映ったあの動画を広ませない代わりに、凛音がなんでも部に戻れるようにしてくれませんか」
「……はあ!?」
最初にリアクションをしたのはわたしではなく赤斎賀先輩だった。
央士くんの言ったことが理解できずに頭が混乱で埋め尽くされているわたしの代わりに、赤斎賀先輩は立ち上がって央士くんに問い質そうとした。
「いや、オメー、何言ってんだよ!」
「言ったでしょ、切り札は好きに使っていいって。」
「だからって、オメー」
赤斎賀先輩はそこまで言って言葉を失うと辺りをきょろきょろ見まわして、そして八尾乃月さんに視線を留めた。
「知ってんだろ、そいつはオメーに惚れてるって」
「……まあね」
「そいつの好意を他の女を助けるのに使うのかよ?」
「港には悪いけど、おれは赤斎賀先輩に仕返しをしてほしいなんて頼んでないし、そんな気持ちを押し付けられても、ちっとも嬉しくないですから」
央士くんは顔を向けずに目線だけを八尾乃月さんに向けた。八尾乃月さんは片手を反対側の腕に掴むと、ぎゅっと制服の裾を握った。
「でもこうやって切り札を渡された以上、おれの好きなように使わせてもらう」
「……キラわれるぞ、そいつに。愛想尽かされるんじゃねえか」
「自分がどう思われようがどうなろうが、人を助けるためなら平気で何でもやれるのがこの男ですよ」
腰に手を当ててぼやく赤斎賀先輩に、央士くんとの間に割り込むようになっちゃんが言った。
「そしてそれは八尾乃月がいちばんよく知ってますから。でしょ?」
なっちゃんが八尾乃月さんに問いかける。かつて央士くんに命懸けで助けられた八尾乃月さんは曇った顔をしながらも、なっちゃんの言葉に小さく頷いて返した。
「……となると、私がわざわざなんでも部に移ったのは、完全に無駄だったってことかしら?」
「それはどうかな?」
黒井川さんが疑問を口にすると、小柳先輩は肩をすくめて両手を軽く挙げた。
「僕としては構わないのだけどね。一度退部の手続きは踏んだのだし、あれこれ屁理屈をこねくり回せば鵜野森さんがなんでも部に返り咲くように計らうこともできなくもない。問題は当の鵜野森さんがどう思ってるかだ」
小柳先輩はそう言うと、わたしの顔を見た。
「どうだい? 君はなんでも部に戻りたいと思うかい? 僕としては君が戻るつもりなら、彼との約束通り復帰できるように根回しをするつもりだけどね」
「……わたしは」
わたしは小柳先輩と央士くんの顔を交互に見ると、目線をそらして足もとに目をやった。
「どうして? どうして央士くんはわたしになんでも部に戻ってほしいなんて思うの? 平気で友だちを裏切って」
「前に言ったろ。凛音をひとりにしたくないって」
そう言って「それだけだよ」と央士くんは続ける。わたしが足もとから顔をあげると、央士くんがわたしに微笑みかけるのが見えた。
わたしの頭のなかである人物の顔が浮かんだ。わたしは目を閉じると、その人物の顔をはっきりとイメージした。
「……戻る戻らないの話より前に、わたしにはやるべきことがあります」
わたしは目を開いて、央士くんと小柳先輩の隣に佇む赤斎賀先輩の顔を見た。
動機には不純なところもあったかもしれないけど、赤斎賀先輩は八尾乃月さんのところへ自分から出向いて、自分の非礼を詫びようとした。彼女の言う言葉を信じるなら、後腐れないようにケリをつけるために。
わたしにもケリをつけなければいけない過ちがある。それにまず目を向けるんだ。逃げて投げ出さずに、正面から向き合わなきゃいけないんだ。
「わたし、胡桃と……文化祭で迷惑をかけた弁天橋胡桃と、話をします」




