夏16:勝ち目のない戦い
「ここに来るあいだに、央士センパイから黒井川先輩は占い師だって聞きました。それもいい占い師だって」
「私はいい占い師なんかじゃないわ」
港が空になったアイスティーのカップを机の上のお盆に置くと、黒井川さんはそのお盆と港と夏希が使ったカップを丸ごと下げて片付けを始めた。
「私は単なる媒体。私の守護霊のセルヴィーラのね」
「えっと……守護霊?」
「そう。私はセルヴィーラの意思を代わりに伝えているだけ。彼女が私に伝える全てをね」
おれが黒井川さんが言った言葉を繰り返してつぶやくと、黒井川さんは準備室にあるシンクでポットとカップを洗いながらおれたちに背中を向けたまま答えた。
時々占いをする時に黒井川さんが「セルヴィーラ」とか「セルヴィー」とか言ってたのは覚えてるけど、ハリポタの「エクスペクト・パトローナム!」みたいな意味だったんだ、アレ……
「ね、ね、センパイ」
港がおれの肩を人差し指でちょんちょんと小突くと、小さく背伸びしておれの耳もとに顔を近づけて熱い息が混じった声でささやいた。
「中々ヤバヤバのヤバですね、このヒト。守護霊とかマジで言ってるんですか? そういうキャラ付けじゃなくて?」
「さ、さあ?」
おれと港がこそこそ話していると、おれたちの間に夏希の声が飛んできた。
「陰口なんてシュミ悪いなー、キミら」
そう言う夏希は壁にもたれかかりながら、部屋にある本棚から取った少女漫画をに目を向けていた。
……いまサラッと説明したけど、なんで学校の準備室にフツーに漫画が置いてあるんだ。完全に自分ちじゃん。
「構わないわ。白い目を向けられるのには慣れているから」
黒井川さんは洗い終わったカップやポットをふきんで拭くと、そのまま近くにある食器棚のもとあった場所にコトンと置いた。すごい、マジで自分ちみたいに学校の部屋使いこなしてるじゃん。
「マジのマジで言ってるんですか、守護霊が全部教えてくれるとかどうとか」
「私はセルヴィーを信じてる。私自身彼女の言葉に何度も助けられてきたし、彼女の力を以って人々を助けるのが私の使命だと思ってる」
半分からからかうような港の言葉に、黒井川さんはまっすぐな目つきで港を見返した。
「ま、疑ってかかってたら案外結構アテになると思うよ。何しろ今日あんたが来るコトも言い当てたんだから」
相変わらず夏希は視線を開いてる漫画のコマに向けたまま、港に言葉を飛ばした。
何だよ、アテになるって。文化祭の時にコノハの話を聞いて喜んでたおれにチクチク言ってきたクセに!
「貴女、彼のコトが好きなんでしょう」
黒井川さんが突然港とおれを交互に見てそう言った。その言葉におれは思わずぎょっとなったけど、真逆に港は何でもないような調子で腕を組んだ。
「そりゃあモチですけど、私とセンパイの相性占いでもやってくれるんですか?」
「そう。その通り。貴女と黛くんの今後を、セルヴィーの力を借りて少し覗いてみない? 」
黒井川さんが誘いの言葉を口にすると、港は腕を組んだままおれの顔をじっと見上げて、もう一度前にいる黒井川さんに視線を戻した。
「精霊ちゃんと一緒にやる人助けの一環としてですか?」
「いや? 単なる野次馬根性。私、恋バナ好きだから」
「何じゃそりゃ」
港がその場で軽くずっこけた。おれも同じ気持ちだ。そんなコトに守護霊のチカラを使っていいのか……?
「まあせっかくだし、やってみますけど」
「じゃあ、やってみましょう」
半ば呆れながら返事した港にそう言って微笑むと、黒井川さんは部屋のカーテンをさっと閉めて、壁のスイッチを押して照明を全部落としてしまった。
「あ! 今いいトコロだったのに!」
漫画を読んでいた夏希の文句が真っ暗になった部屋のなかで聞こえると、目の前に小さな光が現れた。火だった。
目の前で点いた火に照らされて暗闇の中から白いろうそくが出てくると、ろうそくの先端に火が移って部屋のなかがほのかに明るくなった。
「どうぞ、椅子にかけて」
黒井川さんが手に持ってるチャッカマンでろうそくに火を点けると、そのろうそくを刺した燭台を机の上に置いた。そして燭台のそばには、前におれが占いをしてもらった時に使っていた台座付きの天球儀があった。
「どう? こっちのほうが雰囲気あるでしょう?」
港が座った椅子の向かいに黒井川さんが座ると、今度は港の席の隣に立っているおれを見た。
「ところで、黛くんの誕生日はいつだったかしら?」
「十月二日です」
おれが答えるより先に返事をすると、港は座ったまま胸を張ってみせた。
「センパイの彼女志望として当然です」
「流石ね。次に黛くんとの思い出の品があったら、それをお借りしても? できれば小さいものがいいのだけど」
黒井川さんにそう訊かれると、港は椅子の横に置いた自分のカバンの中に手を入れて、そのなかをまさぐった。
「センパイからもらったものは大概とっておいてあるんですけど、小さいものといったら──」
そしてカバンから手を出すと、港の手には紺色のハンカチが握られていた。
「それって……」
おれは港がカバンから出したハンカチを指さすと、港はこっちを向いてニヤリと笑ってみせた。
「センパイから誕生日にもらったヤツです。こういうのでいいんですよね?」
港が黒井川さんにハンカチを差し出すと、黒井川さんは「拝借します」とそれを受け取る。そして銀色の皿を出すとそこにハンカチを乗せて、机の上にある天球儀の台座にある小さな扉を開け、その内側にハンカチを皿ごとしまった。
「始めましょう。このカードの中から二枚選んで、裏返して」
黒井川さんがそう言うと、今度は机の上にずらっとトランプのカードが並んだ。全部裏の模様が書いてある面が上になっていて、表に何が描かれているのかはめくらないと判らない。
「じゃあ、これとこれ」
港は並んでいるカードのなかから迷わずにさっさと二枚選んで裏返した。クローバーの3と、スペードのジャックだった。
「そう……判った。貴女の惑星はウーラノス、天王星ね」
「何がどうなってそうなるんすか?」
港がどう見ても納得してないって顔をした。黒井川さんはそれに対して特に返事しなかった。
黒井川さんは残ったトランプの札から何枚かカードを抜き取って表面を眺めると、目を閉じて天球儀にいくつもあるうちの一番外側のリングに指をかざす。
「セルヴィーラ、セルヴィーラ、わたしを星へと導いて。星よ星、わたしをコスモスへと導いて……」
目を閉じたまま呪文を唱えながら、黒井川さんは目盛りがついたリングをなぞっていく。そしてぴたりとその動きが止まると、黒井川さんはその指を置いたところを勢いよく弾いた。
一番外側のリングに合わせて、その内側にあるリングも全て回転しはじめると、おれたちは光景に思わず目が釘付けになった。そして次第にその勢いは落ちてゆっくりになっていき、そして緩やかにリングは止まった。
「……そう。これが貴女たちの宿命なのね」
黒井川さんが目を開くと、じっと港の目を見た。
「ウーラノスの貴女が恋するネプチューンは、非常に近いところにある。この宇宙の広さから考えれば、考えられないほど近い場所に」
「ネプチューン? ネプチューンって、央士センパイのコトですか」
港が前屈みになって訊くと、黒井川さんは小さく頷く。
「へえ……近い場所にいるなんて、けっこう望みアリってカンジですか?」
「なら良かったのだけどね」
港に黒井川さんが冷や水を浴びせかけるような言葉を発した。
「ふたつの惑星の間に過ぎ去った彗星がそれを阻んでいる」
黒井川さんがそう言って天球儀に視線を落とす。
「彗星は星しぶきを撒きながら宇宙を駆け巡り、そしてウーラノスとネプチューンの間に河の壁を作ってしまった。そしてその壁はいくらかき分けようとしても、決して消えるコトはない……」
「つまりどういうイミですか」
「黛くんが昔遭った"思い出の女の子"が貴女の恋路を妨げる。そしてそれに打ち勝つコトはできない。セルヴィーの言葉を信用するならね」
黒井川さんは天球儀の台座から銀の皿とそこに乗ったハンカチを取り出すと、それを港の前に差し出した。
「どうぞ、お返しします」
すると港は目の前に出されたハンカチを乱暴な手つきでがっと取ると、座っていた椅子から勢いよく立ち上がった。
「セルヴィーだかセルフィーだか知りませんけど、私は勝てるか負けるかで恋愛なんかしてませんから。守護霊サマにもそう伝えてください」
港は座っている黒井川さんを見下ろしながらそう言うと、そのままくるっと背を向けてその場から離れようとした。
「失礼します」
「待てよ、港! どこに……」
おれがこの部屋から出て行こうとする港を止めようとすると、突然扉のほうから「いてっ!」と港の声が聞こえた。
「港……? どうしたんだっ」
おれが港のほうに向かって、走って追いかけようとした。
だけどおれは忘れてた。この部屋にある明かりは机の上にあるろうそくの小さな火だけ。机の周りから離れたらそこは完全に真っ暗闇だ。
そしておれはその暗闇の中に突っ込んで、そしてそのまま壁に激突した。
「いでっ!」
壁に頭突きして、おれのアタマのなかがクラクラし始める。
「何やってんだか、ふたり揃って……」
「大丈夫? 黛くん」
気がつくと後ろから夏希と黒井川さんの声が聞こえてきた。そしていつの間にか部屋の引き戸が開けられていて、開いたところから部屋のなかにまっすぐに一筋の光が刺した。
「港? どこに行ったんだ?」
部屋から廊下に顔を出すと、右を見ても左を向いても港の姿はどこにもなかった。
「港っ」
おれは今いる場所から駆け出すと、消えた港の姿をあてもなく追い始めた……
◆◆◆
「偶然ね。いや……あるいは同じ惑星に惹かれた者同士、同じ宿命に立ち向かう運命を辿るのは、ある意味必然かもしれない」
八尾乃月港と黛央士のいなくなった物理準備室で黒井川ハルは外の光を全て遮っていた部屋の暗幕を開いた。
「同じね。後輩の彼女と、貴女にセルヴィーが下した予言」
明るくなった部屋のなかで、港と央士を追わずにその場に留まった奥寺夏希をハルは一瞥した。
粛々と机の上に並んでいた自分の"仕事道具"の片付けをするハルを夏希はスカートのポケットに手を入れたまま、無感情な瞳で見つめていた。




