夏6:役立たず
「──うん。黒井川ハルさんの転部届、しかと受け取ったよ」
学校の職員室で、なんでも部の顧問の梢先生は凛音から渡された黒井川さんの転部届に目を通すと、そのまま自分の仕事机に置いた。
梢先生の机の上にはパソコンとペン立て、あとはゴールデンレトリバーの写真が入った写真立てが並んでいる。写真に写っている犬は実家で飼っているペットらしい。
職員室にいる先生たちはみんな、学校見学会で外からの人が大勢来るせいか、普段ジャージとか軽い格好をしている先生でも全員ワイシャツだったりおめかししていたりで、よそ行きの格好をしていた。
目の前にいる梢先生もスカートスーツにボウタイを着けてバシッとした雰囲気を身に包んでいるけれど、よくよく考えればいつもこんな感じの格好している人だし、わざわざ説明するほどのコトでもないか……
「前に話し合った通り、部長は奥寺さんにやってもらうから。ふたりとも、それでいいね?」
梢先生がおれと夏希を見てそう言うと、おれは「はい」と返した。
「右に同じく」
夏希がおれに続けて言った。
「アタシも普通はこういうのやるタイプじゃないけど、央士も凛さんに負けず劣らず突っ走りがちなトコありますから」
そう話しながら、夏希はおれを横目で見て小さく笑った。……ちょっとムカついたけど、思い当たるフシはいくつもあったから言い返せなかった。
「凛音、本当にこうするしかないんですか」
おれは思わず両手を軽く握ると、目の前にいる梢先生に向かって言った。
「私だって校長先生の意見を全肯定してるわけじゃないよ」
梢先生が椅子の背もたれに軽くもたれかかると、それに合わせて背もたれの部分が後ろに傾いた。
「罪は裁かれるべきだ。でも、それと同じくらい罪を償うチャンスだって与えられるべきだって私は思う。だけど、それ以外の点では全部校長先生の言う通りだ」
梢先生が座ったまま凛音の顔を見上げる。先生と目が合った瞬間、凛音はびくっと身体を震わせて背筋を伸ばした。
「他人を思いやるコトができなくて、自分の欲望で人を傷つけるようなヤツになんでも部にいる資格は無い」
梢先生は怒るような素振りも見せずに、ただ淡々とナイフで心臓を抉り出すような調子で凛音に言い放った。
「ふーん。ずいぶん偉くなりましたね、梢先生」
先生の言葉に凍りつくおれの横で、夏希はスカートのポケットに手を突っ込みながら言葉を発した。
「たとえ顧問だろうとなんでも部の中じゃ、先生はアタシらよりずっと後輩みたいなモンですよ。そんな人がなんでも部のコト、軽々しく語らないで欲しいなあ」
「いいんだよ、なっちゃん」
梢先生に口答えしようとする夏希を、凛音が止めにかかった。
「先生の言うコト、その通りだと思います。わたしになんでも部にいる資格は無いって、わたし自身が一番よく判ってますから。何より──」
そこまで言うと、凛音は前にいる梢先生から、後ろにいるおれと夏希に向かって振り向いた。
「これ以上、ふたりの邪魔になるのだけは嫌だから」
凛音はそう言いながら、おれたちに明るい……そしてどこかムナしい調子で笑いかけた。
「お別れだね」
職員室を出ると、凛音はおれと夏希に背を向けながら言った。
「もしかしたら移動教室とか合同授業で会うコトはあるかもしれないけど、こうやって会ったり、わたしたちだけで一緒に何かするのは、もう二度と無いかもね」
廊下を歩いていく凛音を、おれはとぼとぼと追っていった。それでも、おれの目に見える凛音の姿は一気に遠くなっていっているように感じた。
「さっきの黒井川さんが言ってた予言、当たってたらいいね。央士くんがその子、コノハちゃんに会えるの、祈ってるから」
凛音はそこまで言うと「でもね」とおれに向かって振り向いた。
「いつまでも昔好きだった人のコト、追いかけてちゃダメだからね! 経験者からの言葉!」
そして「じゃあね!」と最後に言うと、凛音はおれたちにまた背を向けてそのままここから……おれたちのいるこの場所から、いなくなってしまった。
そんな凛音をおれは追いかけたり、引き留めるコトもできなかった。
結局おれは凛音に「ひとりにしたくない」なんて言っておきながら、何もするコトができなかったんだ……




