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春のフィナーレ:ラストダンスは私に


「長丁場だったな。もうとっくに閉会式は終わってるぞ」


 学校の体育館に戻ったおれを出迎えたのは、雅臣の言葉だった。


「閉会式にお前がいない理由を西御門先生に説明する身にもなれよ」


「ごめんごめん。あんまり長引かせるつもりはなかったんだけど、ヨーデルを残したまま帰るのも良くないって思ってさ」


 おれがびっくりドンキーに行ってヨーデルを飲み干している間に、体育館では閉会式のあとの後夜祭がもう始まっているみたいだった。


 さっきおれと夏希が立っていた舞台では、吹奏楽部員と軽音楽部によるコラボステージが行われていて、ブラスバンドの演奏と一緒にギタリストが泣きのギターをかき鳴らしていた。


 そしてステージの上のミュージシャンの演奏に乗りながら、体育館ではちょっとしたダンスパーティが開かれている。


 カップルがふたりで手を繋いで肩を揺らして自分たちの世界に入り込んでいるかと思ったら、そのいっぽうでひとりでブレイクダンスを披露して、クビの支えだけで逆さ立ちしてスピンしまくって周りの注目をひいている奴もいた。


 そんな踊り狂う人たちをよそに、まだコスプレ衣装を着ている雅臣は立ってステージの演奏を聴きながら、なぜか涙を潤ませていた。


「プリンスの『パープル・レイン』か……素晴らしい」


 そんな雅臣の隣には地べたに座りこんでいる夏希の姿があった。おれは夏希のそばにコシを下ろすと、スカートの中から出ている足を前に伸ばした。


「おかえり。やりたいコトは全部済ませられた?」


 おれが隣に座ると、夏希は目の前でダンスに明け暮れる人たちをぼんやりと見つめながらおれに訊いた。


「済ませられた……けど、逆にスッキリしなくなった」


「なんじゃそりゃ」


 おれの言葉に夏希は小さく笑って返した。


 最後の最後に不知火くんはおれに心に引っかかる一言を残した。


 君は間違えるなよ。


 不知火くんが何を思ってそんなコトを言ったのか、おれには判らなかった。ただ自分の後悔を誰かに打ち明けたかっただけなのか、それともおれが自分と同じような失敗をすると思ってアドバイスするつもりで言ったのか?


 まさか。おれが不知火くんのコトたいして知らないみたいに、不知火くんだっておれのことたいして知らないハズなのに。


 ……なのにおれの心に引っかかるのは、おれに心当たりがあるから、なんだろう。


「どしたん? またアタシと踊りたくなった?」


 急に夏希がおれの顔を見て言った。


「いや……別に、そういうんじゃないけど」


 おれは思わずこっちを見つめてくる夏希から目をそらした。

 

「……夏希はやりたい? ダンス」


「うーん、アタシはもういいかなあ」


 あぐらをかいて座っていた夏希が、床に手をついてもたれかかって、天井を見上げた。


「さっきので全部燃え尽きちゃった気もするし。向こう十年はダンスはもういいや」


 それは同感だ。おれもさっきのステージで体力切れでヘトヘトになっちゃったし、今日はもうこのままのんびりしてたい気分かな。


 ……それに。


「これからステージに立つ数分間だけは、アタシの恋人でいて。人生でたったひとりのパートナーにさせて。踊っている間だけでいいから」


 あの時と同じような気持ちに、もう一度なれるか判らなかった。


「十年? まさか十年後にここに来て踊るつもりか? 不審者だろ。大人が学生のパーティに乗り込むなんて」


 横で立っている雅臣の声が、頭の上から聞こえてきた。


「大人だってパーティに参加する権利はあるよ。ね、央士、あれ見てごらんよ」


 考え事をしていると、夏希がおれを呼ぶ声で、おれは現実に引き戻された。


「あれ? あれってどれ」


「ほら、あれよ」


 夏希が手を伸ばしてまっすぐ指をさした。


 おれは夏希のつま先からその先を目で追うと、そこにはバレー部のあやみ先輩と、女バレの顧問の藤堂先生がふたりで立っているのが見えた。


 あやみ先輩は遠くにいるおれたちでも判るくらい顔を赤くして恥ずかしそうにしながらも、恐る恐る藤堂先生の手をとってゆっくりと右へ左へとステップを踏み始めた。


 先生のほうも少しぎこちない感じで身体を揺らしながらも、自分より小柄なあやみ先輩のことを微笑みながら温かいまなざしで見下ろしていた。


「あやみー先輩やるじゃん」


 周囲からの目線を集めながらも、自分たちのペースでゆったりと踊るあやみ先輩と藤堂先生を見ながら、夏希はニヤリと笑った。


「凛さんにも見せてあげたいよね。一緒に先輩の恋路を見守ってる者としてはさ」


「うん、だよな……って、あれ? 凛音さんは?」


 おれはあたりを見回して、ここにいない凛音さんの姿を探した。


「凛音さんって、今どこにいるんだ?」


「さっきくるみんに訊いてみたけど、閉会式が終わってから見てないって」


 夏希がおれの言葉に返して言った。


「じゃあ、胡桃さんとも別行動か」


「先に家に帰っちゃったのかもね」


「ラインとかは?」


「来てない」


「先に帰るって連絡もなしか……ちょっと探してみる」


 おれは床から立ち上がると、そのままステージからの演奏が鳴り響く体育館を出て校舎に向かった。


 最初に自分のクラスの一年六組に向かった理由は特になかった。


 一年のクラスのある廊下を歩けばそれだけで凛音が見つかるかもしれないし、それにあの教室はなんでも部の部室としていつも使っている場所だ。とりあえず行くだけ行ってみようという軽い気持ちでおれは教室に向かった。


 すると一発でそのアテは当たったみたいだった。


 電気がほとんど点いていないうす暗い廊下から教室の扉を開けると、そこには解体途中の大道具に囲まれてぽつんと置いてある椅子に座る凛音さんがいた。


「凛音さん」


 おれが凛音さんに声をかけると、凛音さんは座ったまま教室の入り口にいるおれに振り向いた。


 こっちに振り向いた凛音さんは、そのまま自分の手もとに視線を落とした。


 おれはそのまま教室の中に入っていって、凛音さんが座っている椅子のすぐそばまで来た。


 すると凛音さんは携帯を手に持っていて、横持ちにして動画を見ているみたいだった。


「これ……映ってるの、不知火くん?」


 おれが凛音さんの持っている携帯の画面を覗き込むと、携帯の画面には、どこかの学校の体育館で壇上に立つ不知火くんの姿があった。画面の中の学ランを着ていて、こちらに向かって背中を向けていた。


「さっき、琴音から送られてきたんだ」


 携帯の画面の中でスピーチをしている不知火くんを見つめながら、凛音さんが言った。


「中学の卒業式の卒業生答辞。渚、生徒会長だったから卒業生代表に選ばれてね。琴音が渚と胡桃に頼まれてわたしに見せるために録画していたんだけど、それからわたしに見せる気にも、だからって消去する気にもなれなかったみたい。そしてさっき渚と一緒に家に帰っている時にこの動画の存在を思い出して、わたしに送りつけてきたの」


 凛音さんがそう話している間にも、動画のなかで不知火くんはスピーチを続けていた。携帯の小さなスピーカーから流れる音でも、ふたりしかいないこの教室で聞くにはじゅうぶんな音量だった。


『今日、僕たちはこの三ツ谷中学校を卒業します。ここで出会った仲間たち、ここで出会う前から友だちだった人とも別れ、もしかしたらもう会えるコトはないのかもしれません』


 不知火くんは視線をあちこちに向けながら話している。画面の外側の席にいる人たちを見回しているんだろう。


『だけれど、今まで出会ってきたみなさんとの思い出はいつまでも僕たちの人生の一部となって生き続けて、決して消えるコトはないでしょう』


 そこまで話すと、不知火くんは手に持っていた原稿をたたんで、うつむいて少し黙り込んだ。そしてもう一度顔を上げると、不知火くんは口を開いた。


『こういった場で特定の個人に向けて話をするのは本来(はばか)られるのですが、それでもこれだけは話させてください。今ここにいない、僕にとって大事な人の話です』


 そう言うと、それまでいろんな人たちに目を向けながら話していた不知火くんは、どこかひとつの場所をまっすぐと見つめて話を続けた。


『凛音。君は僕の人生でたったひとりの存在だ。凛音がいなかったら、今の僕は今の僕と全く違う僕だった。だからこれから何が起ころうと、凛音がいたことを僕は絶対に忘れない。なぜなら、間違いなく君は僕の人生のなかの女性ひとだから』


 そのあと、不知火くんはよくある感じの締めくくりのあいさつと『卒業生代表、不知火渚』という言葉を残して、拍手を浴びながら壇上から降りていった。

 

 動画が終わって画面が停止すると、凛音さんはふっと笑い声を漏らした。


「ばか。言いたいコトがあるなら、わたしに直接言ってよ。こんな伝え方されて、気づけるワケないのに」


 そう言うと凛音さんは天井を見上げて深呼吸をして、顔を下ろして前を向くと、口を開いておれに話し始めた。


「わたし、渚のコト忘れようと思ってた。でも、渚ともう一度会えるチャンスがやってきて、まだ自分が渚を諦めてなかったって思い知らされた」


 おれが凛音さんの話す言葉を静かに聞いていると、凛音は「ふふっ」とまた笑い声を漏らした。


「これじゃ、いつまで経っても忘れられるワケないよね。やっとなんでも部で新しい日常を見つけて毎日過ごしていたのに、過去に引きずられてそこに囚われたまま。本当に不毛で無意味。自分でも何してるんだろうって思う。何でわたし、こんななのかな」


 手に持っていた携帯を膝の上に置いて、凛音さんは自分の髪をかきあげた。


「おれは判るよ」


 椅子に座る凛音さんの背中に向かって、おれはちいさく言葉を投げかけた。


「おれも、前に話したあの女の子のコト、忘れられないでいるから」


 おれは昔会った女の子……コノハのコトを思い浮かべて言った。


「記憶から薄れかかって完璧に忘れそうになるタイミングで、夜寝ている時夢の中で出てくるんだ。自分を忘れないでって言われてるみたいに。だから、諦めきれないままなんだ」


 当たっているかどうかも判らない占いにすがったり、贈られた指輪を捨てられないままお守りにしていたりするのも、そのせいなんだろう。


 本当はムダだって判っていても、コノハに対する気持ちが捨てられないから、ずっとそんなコトを続けているんだ。


「そう。じゃあ、わたしのほうはもう心配ないかもね」


 凛音さんは膝の上に置いていた携帯を服のポケットにしまうと、椅子から勢いよく立ち上がった。


「わたし、これ以上ないくらい完膚なきまでに失恋したんだから!」


 凛音さんはおれに向かってそう言うと、めいいっぱいの笑顔を浮かべた。


「あーあ、スッキリした! これでもう渚のコト思い出さずに済む!」


 誰かに向かって宣言するように凛音さんは自分の声を教室中に響かせると、そのまま笑顔で話を続けた。


「胡桃とは前みたいに戻れるし、いっそのこと新しい恋を探してみるのもいいかもね。やっぱりなんでも部にいるといろんな人に会うし、もしかしたらこれから会う人の中で、いい感じの人が見つかるかも──」


 凛音さんは晴々とした調子でそこまで言った。


 そこまでだった。凛音さんは言葉を突然途切らせると、しばらく黙ってそのままあたりを見回した。


 そして何もない空間を一通り見回した凛音さんはまた椅子に座ってうつむくと、こもった声で途切れた話の先を続けた。


「嘘。わたし、新しい恋なんて別にしたくない」


 椅子に座る凛音さんは、自分の顔をおさえながら話しはじめた。


「渚の思い出なんかになりたくなかった。渚の隣に今いる存在のままでいたかった。なっちゃんと央士くんみたいに、ステージの上に立ちたかった。渚と一緒に踊りたかった。それ以外、何も欲しくない」


 だんだん凛音さんの話す声にえづく声が混じってくる。途切れそうになりながらも、それでも凛音さんは自分の言葉を口から発するのを止められないみたいだった。


「なんで? なんで駄目だったの? なんで許してくれないの? ちょっと欲張ってみただけなのに」


 目もとが見えなくても、凛音さんが泣いているのは誰にでも明らかだった。


「イヤだよ、お別れなんてイヤ。ずっとそばにいてよ。わたしと一緒に踊ってよ」


 ひっく、ひっく、と息を詰まらせる凛音さんを見ながら、おれはずっと前に見た、ある光景を思い出していた。


 そう、しばらく忘れていたけれど、おれが初めて凛音さんの姿を見た時……この学校に入学する前の合格発表のあの日、凛音さんはひとりで静かに泣いていた。


 あの日、おれはひとりで悲しい思いをしている凛音さんのことを助けられないまま、あの場所からいなくなってしまった。


 じゃあおれはまた、こうやって泣いている凛音さんをただ黙って眺めているだけなのか?


 ……ダメに決まってるだろ、そんなの!


 おれは考えた。いまの凛音さんがいちばんして欲しいコトは、何だろう。


 そしてあれこれ考えると、おれは座っている凛音さんの前に立った。


「凛音さん」


 おれが名前を呼びかけると、凛音さんはゆっくりと顔を上げた。泣いて目の周りが赤く腫れていて、鼻から鼻水も少し流れていた。


 おれはそんな凛音さんに向かって、手を差し出した。


「おれと踊ろう、凛音さん。おれを不知火くんだと思ってさ」


 凛音はおれの顔を見上げると、そのまま視線を下げて、自分に向かって差し出してきたおれの手を見つめた。


「……ダメだよ。央士くんには、なっちゃんがいるもん」


「いまのおれは央士じゃない。渚だよ。凛音さんの幼なじみの不知火渚だ」


 おれがそう言うと、凛音さんは困った顔をして笑った。


「おれって……渚は自分のコト、僕って言うんだよ」


「じゃあ僕からのお願いだ」


 おれは凛音さんの手を取ると、そのまま凛音を立ち上がらせた。


「僕と一緒に踊って、凛音さん。いい?」


 おれを見上げる凛音さんの目をおれは覗き込む。目に映る男の顔は、どこからどう見たって不知火渚にちっとも似ていなかった。


 凛音さんはうつむくと、くすっと小さく笑った。


「……渚はわたしのこと呼び捨てで呼ぶんだよ」


 凛音さん……いや、凛音はそう言うと、おれの手を掴んだ。


 そして片方の手をつなぎ合ったおれたちは、もう片方の手を相手の背中に置き、ステップを踏み始めた。


 最初はステップがうまく噛み合わなかったけれど、少しずつお互いのテンポと息が合って、心地よいリズムがお互いに流れてくるのを感じる。


 遠くからブラスバンドとギターが混ざり合う音がかすかに聞こえてくる。体育館から鳴っている音だ。おれたちはその音に乗って、ふたりきりの月明かりだけが照らす教室で踊り続けた。


「渚……」


 凛音はそうつぶやくと、おれを……いや、不知火渚を抱きしめた。




 <夏編に続く>

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