春60:あいつの言うことを聞いてごらんよ
まだ間に合うみたいだ。
学校の正面玄関では帰る前に入校許可証を返却する人たちの列ができていて、不知火くんや犬飼さんもその列に並んでいるのが見えた。
おれは先回りして昇降口に向かってそこから正面玄関の外に出ると、不知火くんたちが玄関から出てくるのを待ち伏せた。
「お、来た来た」
校舎から出てきた不知火くんたちは、すぐに外にいたおれに気がついたみたいだった。
「どうしたの、黛くん」
不知火くんが正門の柱に寄りかかっていたおれのところまで歩み寄ってきた。
「僕か犬飼さんに何か用だった?」
「うん、そうなんだ。不知火くんとおれで、少し話がしたいんだ」
「僕と?」
「君とふたりで、男同士で話がしたい。いいかな」
おれが頼みこむと、不知火くんは困った顔をして後ろにいる犬飼さんや琴音ちゃん、真波さんがいるほうを振り向いた。
十分後、おれと不知火くんは大通りを挟んで学校の向かい側にあるびっくりドンキーの窓際にあるテーブル席に向かい合って座っていた。
おれたちがここにいる間、犬飼さんや琴音ちゃんと真波さんはこの店の隣にある大きい電気屋さんで待ってくれるコトになった。ドライヤーやヘアアイロンが置いてあるコーナーを見に行くらしい。
「……黛くんはまだその服を着てるんだね」
注文したアイスコーヒーが来るのを待ちながら、不知火くんはおれが着ているメイド服を見て言った。ちなみにおれは"いきいき乳酸菌ヨーデル"を注文した。
「周りからの視線にも慣れたし、着ていて馴染んじゃってさ。今度からは毎日これ着て学校行こうかな、なーんて。はははは」
そう言って小粋なジョークをカマしたおれに不知火くんはにこりともしなかった。スベったらしい。ザンネンだ。しょうがない。
「それじゃ、本題に入ろうか」
おれは手を組んで、テーブルの上にひじをついた。
「琴音ちゃんから聞いたんだ。不知火くんと凛音さんの、中学校の卒業式の日の話」
「それは僕からもしたはずだけど」
「そうだな。凛音さんは卒業式の日、学校を休んで家にいたって。でも、ひとつ聞いていないコトがあった」
おれはそう言って、目の前にいる不知火くんに人差し指を向けた。
「君があの日、凛音さんのところに行かなかったコトだ」
「……感心しないな。そうやって人に向かって指をさすなんて」
不知火くんがおれの指先に冷たい目線を向けると、おれたちの席に飲み物を乗せたお盆を持った店員のお姉さんが来た。
店員さんはおれの服を見て「ん!?」と一瞬目を丸くしたけれど、すぐに平静を装って「ご注文のお品です〜」と不知火くんの前にコーヒー、おれの前にヨーデルを置き、「ごゆっくりどうぞ〜」と席から離れていった。
「ずっと前、君と市駅で会った少し後くらいに胡桃さんから聞いたんだ。卒業式に出ないで、凛音さんのところに行くか悩んでいた君を止めて、代わりに胡桃さんが凛音さんのところに行ったって」
持ち手付きのグラスに入ったコーヒーに口をつける不知火くんに、おれは自分のヨーデルに手をつけずにさっきの話を続けた。
「不知火くんは、どうして凛音さんのところに行かなかったんだ」
「いま黛くんが言った通りだよ。胡桃に止められたからだ」
不知火くんはコーヒーを飲みながら、おれに目も向けずに言った。
「ただでさえ元生徒会副会長が欠席しているのに、会長まで卒業式で不在なんて前代未聞だ。そんな事態が起こっていいわけがない。それに凛音の気持ちを裏切った僕に、もう一度凛音に会う資格なんてないって思った。だから僕は胡桃に全部任せるコトを選んだ。それが一番いいって思ったから」
「ふうん、そういうコトか」
おれはテーブルについていたひじを下げて、そのまま胸の前で腕を組んだ。
「じゃあ、不知火くんの凛音さんに対する気持ちはそのくらいだったっていうんだな」
おれがそう言うと、不知火くんはちらりをおれの顔に視線を向けた。おれはそんな不知火くんの目を見つめ返した。
「不知火くんが凛音さんのコトを、恋人として好きになれなかったのはしょうがない。それで気まずい気持ちになるのもね。だからって、それくらいで凛音さんと一緒にいた今までのこと全部がどうでも良くなったってのか」
話しながら、おれの胸の中に熱いものが膨らんでいくのを感じた。ドロドロしたマグマのようなものが、肺からのどまでこみあげてくる。
「大事な友だちだったんだろ。胡桃さんに止められても、君自身が行かなきゃいけなかったんだ。胡桃さんだろうと誰だろうと、君以外の誰も、凛音さんにとって不知火くんの代わりになんかなれなかったのに──」
「そんなの僕だって判ってるさっ」
おれが自分の思っているコトを全部吐き出そうとしたその瞬間、不知火くんが大きな声をあげた。それを聞いて、熱くなっていたおれの体温が一気に下がったような感じがした。
「あの時どうすれば良かったか、後からあれこれ考えてああすれば良かったって言うのはカンタンだ。さぞかし気分がいいだろうね。でも人が切羽詰まってる時に、落ち着いていちいちそんなコト考えられるワケがないんだ! 何も知らないくせに、偉そうな口きかないでくれ!」
一気に凄まじい勢いでおれにそう言うと、不知火くんは、はあ、はあと肩で息をし始めた。拳でぶん殴られた時のように頭が真っ白になったおれの耳には、不知火くんの荒い息遣いとスピーカーから有線放送で流れる洋楽だけがぼんやりと聞こえる。
そして不知火くんは息を整えると、うつむいたまま再びおれに言葉を発した。
「案外意地悪な奴なんだな、黛くんは。自分が悪いって自覚してる人間に対して、ここまで不必要に責め立てるコト、ないだろ」
不知火くんにそう言われて、おれは胸にナイフがぐさりと刺さったような感覚がした。
平気で傷ついた人のココロをさらに傷つけようとする自分のイヤなところを突きつけられて、おれはただ、ぽかんとバカみたいに口を開けているコトしかできなかった。
「いや、ごめん。今のは僕が悪かった。少しむしゃくしゃしてて八つ当たりしたくなったんだ。結局、余計嫌な気持ちになったけどね。八つ当たりなんてするもんじゃないな」
おれが呆然としていると不知火くんは小さく笑って、もう一度コーヒーに口をつけて窓の外の通りをぼんやりと眺めた。
「前に会った時も言ったと思うけど、あの卒業式の日から僕はずっと後悔し続けていたんだ。だからあの日駅前で君といる凛音と偶然会った時、ちゃんと凛音と話をして、あの日できなかったコトにちゃんとケリをつけようと思った。でも、遅すぎたんだ」
中身の少なくなったグラスに目線を落としながら、不知火くんはぽつり、ぽつりとおれに話を続けた。
「何度後悔しても、一度犯した間違いは取り消せないしやり直すコトはできない。僕にできるのはもう同じ間違いをしないようにするコトと、他の人が僕みたいな間違いを起こさないように祈るコトくらいだ」
不知火くんはそう言うと、グラスの中身からおれに目線を上げた。
「さっきの君たちのステージの感想、言ってなかったね。素晴らしかったよ。彼女と君、いいコンビネーションだった」
不知火くんに突然褒められて、おれは思わず身を縮こませた。
「……ありがとう」
「君は間違えるなよ。僕みたいにな」
そう言うと、不知火くんはポケットから自分の財布を出して、そこからコーヒーの金額と同じ額の小銭をテーブルの上に出して乗せた。
「僕は先に行くよ。悪いけど、お会計を頼むよ」
不知火くんは財布をポケットに戻すと、立ち上がって席に置いていた自分のショルダーバッグを肩にかけた。
「そうだ、これだけ最後に言っておこうか」
店の通路に出て出口に向かう前に、不知火くんはおれに振り向いて言った。
「君たちのコト、応援しているよ。本当にね。それと、凛音のコトもよろしく。それじゃ」
おれに向かって小さく手を振ると、不知火くんはそのままここからいなくなってしまった。
一口も飲んでいないヨーデルを前にひとり店にとり残されたおれの頭の中では、不知火くんが言った「君は間違えるなよ」という言葉が、何度も繰り返し響き続けていた。




