春59:さようならまたいつか
『こちら西吾妻高校文化祭実行委員会です』
チャイムの音が鳴るのに続いて、廊下の天井に据え付けられたスピーカーから女子生徒の声が流れ始めた。
『十七時になりました。外部のお客様への校内開放は十七時三十分をもって終了いたします。お帰りの際は出口で入校許可証の返却をお願いいたします。本日はご来場いただき、誠にありがとうございました。お気をつけてお帰りください』
校内放送が終わると、最初に流れたのと同じチャイムの音が鳴り、スピーカーから微かに聞こえたノイズがブツッと途切れた。
「これでおしまい、だね」
廊下を歩きながら、わたしは隣にいる渚につぶやいた。
わたし、渚、胡桃の三人で並んで歩いているなかで、渚はわたしと胡桃の間に挟まって中央にいる。あちこちの教室では、もう撤収の準備に入って室内の装飾を外したり片付けを始めているみたいだった。
「帰りはどうするの? 犬飼さんと一緒に帰る?」
「かもね。うちと学校の寮は近いし、女子を一人で帰すのも心配だから」
「相変わらずモテるねえ、渚は」
胡桃が呆れながらからかうように言うと、渚は眉をひそめて不服そうな顔を浮かべた。
「犬飼さんはそういうんじゃない」
不満げな渚に胡桃は「判ってる」と言って肩をすくめた。
「照れ隠しで言ってるんじゃないってのは、本当にそうなんだろうね。もっと渚のそういうところに、早く気づければ良かったな」
「無理だよ。長い付き合いのわたしでも気づけなかったんだから、胡桃になんて絶対無理」
「そういうところ」がどんなところなのか、全くはっきりしない言いかただったけれど、わたしは胡桃に食ってかかってみせた。
「お、言うじゃん。あたしに渚が来たこと隠すなんてダーティプレイ仕掛けてきたくせにさ。自分よりあたしが上手だと思って、怖かったんじゃないの〜?」
「よせよ、ふたりとも」
渚はわたしたちに、くだらない小競り合いに巻き込むなとちょっぴりうんざりしているみたいだった。
「冗談だって! 本気のケンカなんかじゃないよ。ちょっとしたじゃれあいだって。でしょ、凛音?」
「え……うん」
胡桃がわたしに話を振ってきた。
ごめん。わたしは少し本気だった。
「凛音さ〜ん、助けてくれェ〜!」
わたしがぽかんとしていると、うしろのほうから男の子の情けない声が聞こえてきた。振り返ると、廊下の遠くの方からこちらに向かって走ってきているみたいだった。
「あれ、イチローくん、ジローくん、サブローくん、どうしたの」
わたしのもとに駆け寄ってきたのはなんでも部と顔馴染みの男の子三人だった。なっちゃんと央士君とは中学の頃からの友だちらしい。いろいろあって、わたしともなんでも部に入部する前から縁がある。
「凛音さん、聞いてくれよ。おれたち、ストーカーの変態だって疑われてるんだ」
「疑われているも何も事実だろっ」
顔を青くしながらわたしに訴えかけてきたイチローくんの後ろから、今度は央士くんが現れた。なっちゃんも一緒みたいで、さらに後ろのほうには琴音や琴音の友だちの南乃葉ちゃん、そして犬飼さんの姿もあった。
「琴音ちゃんと真波さんのことはともかく、犬飼さんを追いかけ回したのは言い逃れできないからな!」
イチローくんたちを追いかけてきた央士くんがイチローくんを羽交締めにして捕えると、今度はなっちゃんがジローくんを捕らえて「くるみん、そいつをお願い!」と胡桃に呼びかけた。
「え? う、うん」
胡桃は状況がよく判っていないまま、なっちゃんに言われた通りにサブローくんを床に組み伏せた。
「うぐあああああっ」
関節を絞められたサブローくんが絶叫した。
「信じてくれよお、マジで迷子になってるみたいだったから心配だったんだよお」
サブローくんに比べてまだマシな扱いを受けているイチローくんだけど、それでも顔には苦悶の表情が浮かんでいる。なっちゃんに壁に押さえつけられているジローくんも同じだ。
「やめて、央士くん。なっちゃんと胡桃も、離してあげて」
「いや、駄目だろ。なんでナンパなんかしたかちゃんと問い詰めないと」
「離して、って言ってるでしょ? なっちゃんも。早く」
わたしは央士くんとなっちゃんの顔を見つめた。
すると央士くんはしぶしぶとイチローくんの身体をほどいて、続いてなっちゃんもジローくんのことを離した。ふたりをみて胡桃も「あっ。あたしもか」と床で悶絶していたサブローくんを解放した。
「大丈夫、判ってる」
わたしは央士くんたちに痛めつけられた三人を安心させるように微笑みかけた。
話の全容はつかめていないけれど、みんながしていた話からして何が起こっていたのかなんとなく推測はできる。
イチローくんたちが校内で迷っている犬飼さんに道案内をしようと声をかけたら、ナンパだと勘違いされて、その結果逃げ出す犬飼さんと、見ず知らずの校内でさらに迷い込んでいく犬飼さんを追う三人とで、追いつ追われつの状態に陥ってしまったのだろう。
「誤解されやすいけど、三人とも本当は親切で優しいって人たちだってわたしは思ってる。いつもわたしたちのこと助けてくれるもの。だから信じるよ、三人のこと」
わたしがイチローくん、ジローくん、サブローくんにそう語りかけると、三人は子犬のようなうるうるした目をわたしに向けてきた。
「ううっ、凛音さんだけが俺たちの味方だ。凛音さんマジで天使!」
ジローくんがそう言ってわたしに抱きついてきた。するとほかのふたりもわたしに抱きついてきて三人そろって「おうおう」とむせび泣き始めた。わたしはそんな三人の頭を撫でた。
「うんうん。でもね、三人に悪気はなかったかもしれないけど、犬飼さんを怖がらせたのは本当のことだから。だからちゃんと犬飼さんには一回謝ったほうがいいと思うな。できる?」
わたしが三人に向かって言うと、三人とも顔を上げて見てうなずいた。そして後ろに振り返ると、そこに立っている犬飼さんに向かって深く頭を下げた。
「この度は」
「ご迷惑をおかけし」
「大変申し訳ございませんでした」
自分にナンパしてきた……と思い込んでいた三人の男子高校生に深々とお辞儀されて、犬飼さんの顔には明らかに戸惑いの色が浮かんでいるみたいだった。
「え、えーっと、悪気がないのは判ったので、その、これからは気をつけてください……かな?」
「僕を見て言わないでくれる?」
犬飼さんに視線を向けられた渚がそう言うと、わたしのほうを見た。
「こうやって僕の知らない人と凛音が話しているのを見ると、本当に別の学校に進学したんだなって、改めて思う」
……また渚との距離が遠くなった。
渚のその言葉で、ただでさえ離れつつあるのを感じ取っていたわたしと渚の間の隔たりが、さらに広がっていくのを突きつけられるような気持ちになる。
「……だね。わたしも犬飼さんと初めて会った時、おんなじようなこと思った」
わたしは強がるように渚に言ったけれど、そうやって口にすることで認めたくなかった現実を本当に現実として受け入れてしまったことに気がつく。
「だからさ」
渚が口を開く。その一言だけで、わたしは何もかも全ての終わりが訪れるような予感がした。
「これからはお互いそれぞれの場所で頑張ろう、凛音」
渚がわたしにそう告げる。わたしはそれにどう答えるべきか逡巡した。
そして、こう答えた。
「……頑張ってね、渚。わたしも頑張るから」
わたしがそう言うと、わたしと渚はお互いにうなずき合った。
「そうだ。帰り、琴音たちを家の近くまで送ってくれないかな。もうじき暗くなる頃だし」
「えーっ、いいよ、お姉ちゃん。南乃葉もいるし」
わたしの提案をはねつける琴音だったけれど、わたしは首を横に振った。
「女子ふたりなのには変わりないでしょ。イチローくんたちみたいに、大勢の男の人たちに声をかけられないとも限らないし」
「じょ、冗談キツいっすよ、凛音さん!」
ジローくんたちが冷や汗をかきながら慌ててわたしにすりよってきた。
「なーんてね。冗談は置いておいて、心配なのは本当だから。どう、渚、頼めるかな」
「いいよ、犬飼さんのことも送っていくつもりだったし。まあもし琴ちゃんが良ければ、の話だけど」
困ったように渚が琴音に目線を向けると、琴音は「はあ〜」と大きくため息をついた。
「いいよ、どうせあたしがオーケーするまで食い下がってくるだろうし。そんじゃ、お願いしますよ、渚お兄ちゃん」
「ははは、琴ちゃんにそう呼ばれたの、何年ぶりかな」
渚が笑って琴音と南乃葉ちゃんのいるところまで行くと、わたしに向かって振り向いた。
「それじゃあ、またね、凛音」
「うん、またね」
わたしがそう言って渚に向かって小さく手を振ると、渚は「行こうか」と琴音や犬飼さんに声をかけてその場から歩き始めた。
「あ、待って、ひとつだけいい?」
犬飼さんが急にそう言って立ち止まった。すると、犬飼さんはわたしに向かって大きな声で呼びかけてきた。
「あたしがなんでも部のファンだってこと、あれ、本当のことだから!」
廊下中に響くような声で犬飼さんは大きく手を振りながらわたしにそう言った。
「だからファンをがっかりさせるようなことしないでよ、凛音さん! それじゃ、用件おしまい! じゃあね!」
わたしに言いたいことを言い終えると、犬飼さんはそのまま渚たちを連れて廊下の向こう側に去っていった。
そんな犬飼さんや渚たちの姿を見送りながら、なっちゃんがわたしの肩にひじを乗せてきた。
「だってさ。ああ言われちゃ、悪いこと出来ないねえ」
「……悪いことって、何の話?」
わたしがなっちゃんに向かってとぼけると、そばにいる胡桃が思わずくすくすと笑い声をあげて、それにつられてわたしとなっちゃんも思わず笑いだしてしまった。
「あのイケメン、いいなあ。女の子をたくさん連れてさあ。俺もあんなん、なれないかなあ」
イチローくんが犬飼さんや琴音、南乃葉ちゃんと一緒にいる渚を見てぼやいた。そんなイチローくんにジローくんとサブローくんは猛攻撃を喰らわせた。
「そう思ってるうちはぜってー無理だよ」
「ただでさえ道案内しようとしただけでナンパと間違われてるもんな」
「いいだろ! 夢くらい見たってさあ!」
そう叫んで小突き合う三人を見て、わたしと胡桃となっちゃんはさらに笑ってしまった。
だけれど、ここにいるなかでひとり、央士くんだけがここからいなくなる渚たちのことを、静かに見つめていた。




