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春53:君のなかの僕-中編


 あの日のことはいやにハッキリ覚えている。


 閉じたカーテンの隙間から部屋に漏れる日差しの生温かさ。ベッドの上でくるまっているブランケットの少し硬い手触り。胸の内側にこびりつくタールのようにべとついた倦怠感。


 もう四日もこうしている。熱を出して学校を休み、おとといの朝にはもう熱はひいていた。


 だけどわたしは家の外に出ないことを選んだ。いまさらズル休みをしたところで、内申点が下がったりはしないだろう。


 そしてそのズル休みは今日に至るまで続いて、わたしは人生で一度しかない中学の卒業式を欠席した。


 両親は「本当にいいの?」と何度もわたしに訊いたし、妹の琴音は「ばっかじゃないの」「まわりに説明するあたしの身にもなってよ」と嫌そうな顔をして完全に呆れていたけれど、最後はみんな根負けしたのか、わたしを放っておいてくれた。


 中学を最後にお別れする人たちは大勢いた。同じ高校に進学する人たちもいるけれど、半分以上、いや五分の四くらいの人たちとは別の進路に進み、さらにそのうちのいくらかとはもう二度と会うことはないのかもしれない。


 そんな彼ら、彼女たちと別れを告げるチャンスをわたしは自分の意思で踏みにじった。


 家族を振り回してクラスメイトや後輩たちを心配させた。


 そしてそんな暴挙に対して、わたしはある種の仄暗い心地よさを覚えていた。


 自分の手で自分の大切なものをぶち壊しているような快感。破滅願望ってこういうもののことをいうんだって初めて知ったような気がした。


 それにわたしはひとつ期待を抱えていた。


 みんなの前から姿を消して殻に閉じこもっているわたしを、渚が迎えに来てくれると。わたしのように全てを投げ出して、ここに来てくれると。


 わたしはその時を待っていた。勉強机の上にあるデジタル式の置き時計に目をやる。


 午前九時、教室に集合する時刻だ。そろそろわたしが現れないことにみんなが気づき始める頃合いだろう。先生にはもう親から連絡がいってるはずだ。先生が来て、ようやくみんながわたしの不在を事実として認めることになる。


 まだ携帯を買ってもらってなくてよかった。みんなから着信が溢れるほど入ってきただろうから。


 時計のパネルに表示される時間が淡々と進んでいき、式の開始時刻が近づいていく。今ごろ最後の学年集会が開かれ……そして午前十時、開始時刻になった。


 ベッドから立ち上がってそわそわしだす。意味もなく伸びをしたり、勉強机に座って突っ伏したりしながら何度も時計の表示に目をやる。


 不意に前触れもなく玄関からチャイムが鳴った。


 渚だ。やっぱり思った通りだ。来てくれたんだ。ひとりでいるわたしのために。


 わたしは椅子から飛び上がって大急ぎで部屋を出た。


 階段を駆け降りようとしたところで、大慌てで走る足音を渚に聞かれたくないと思ったわたしは、ゆったりとした足取りで静かに階段を降りていった。


 そしてリビングにあるドアホンの応答ボタンを押す前に、わたしはどうやって外にいる渚に返事しようかと思った。


 あっさりと渚を家に入れてしまうのも、わたしが来てくれるのを待ち望んでいたみたいで憚られる。最初は拒絶して、その上で改めて彼が入れてくれるよう頼んできたら、わたしが引き下がる体で部屋に招き入れる。これがいい。


「よし」


 そう口にしてわたしはドアホンのボタンを押し、外に設置してあるカメラの映像を画面に表示させた。


 だが画面に映し出されたのは、わたしの期待した人物の姿ではなく、眼鏡をかけた短髪の女子中学生だった。


「やっほー、お見舞いに来たよ。一緒にお茶でもどう?」


 ドアホンのマイク越しにわたしに呼びかけた胡桃は、持ってきたお菓子やジュースの入っているレジ袋をカメラに向かって持ち上げてみせた。


「式が始まる前に大急ぎでみんなで寄せ書き作ったんだ。書ききれなかった人のぶんはまた後日改めて送るって。愛されてるねえ」


 わたしの部屋でお菓子やジュースを広げながら、胡桃はわたしに様々な種類の筆跡で埋め尽くされた白いボードをベッドに腰掛けているわたしに渡した。


「みんなが凛音のお見舞いに立候補したけど、やっぱりここはあたしが行かなきゃね。『旅立ちの日に』の練習の成果が活かせないのは心残りだけど、行かないほうがもっと後悔すると思ってさ。凛音をひとりになんかさせたくないもん」


「渚はどうしたの」


 ボードを膝の上に置いたわたしは躊躇うことなく渚の名前を口にした。


「渚? 行かせるわけないじゃん」


 胡桃はスナックを口にしながらあっけらかんとした調子で言った。


「元生徒会副会長がいないのに生徒会長まで欠席させるワケにいかないし、だいいちあいつも向こうも凛音に合わせる顔がないってさ。当然だよね。あいつにそんなことする権利ないんだから」


 わたしは床に座ってそう話す胡桃を見下ろした。


 どうして? どうして渚にわたしのいるところに行けって言ってくれなかったの?


 あいつにそんなことする権利ない? 違う。胡桃が渚をわたしのところに行かせなかったのはそんな理由じゃない。


 胡桃はわたしと渚をふたりきりで会わせたくなかったんだ。


 すべてを投げ出したわたしたちを、二人きりにしたくなかったんだ。


 だって胡桃は、渚のことが──


 わたしは高校に入ってから、その考えにさらに確信を深めていった。


 わたしと渚の最後の繋がりを作るチャンスをぶち壊した胡桃は、それをさらに決定的なものにしようとわたしに央士くんを紹介して渚のことを忘れさせようとしたのだ。


 央士くんと出かけた時に渚と出くわしたのは幸運だったけれど、突然の再会にどうすればいいのか判らず思わず逃げ出してしまったのは失敗だった。


 でも幸運はもう一度訪れた。


 今度こそ失敗するわけにはいかない。そして胡桃に邪魔なんかさせない。もし胡桃と渚が再び出逢うようなことがあれば、次こそ全てが終わってしまう。


 なぜなら胡桃が密かに渚のことを想っていたように、渚も胡桃のことを──


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