春48:星々の衝突
「お疲れー。じゃ、胡桃の番ね」
「オッケー! あとは任せて」
あたしは運動場のグラウンドに出てバレー部が使っているスペースまで来ると、同じ部のユキと持ち場を交代して、運動場の砂の上に白いラインを引いて作られたバレーコートの中に入った。
コートのすぐそばではバレー部の出し物の看板を持っている部員がいて、さらに少し遠くにあるグラウンドの別のスペースでは他の運動部のブースや、小さいちょっとしたステージが建てられていて、漫才やコントが披露されていたりしている。
「お疲れー、スミレ」
「胡桃、お疲れー」
コートの中にはあたしと同じ一年生のバレー部員のスミレがいて、あたしはスミレと言葉を交わしてハイタッチした。
そしてコートにはスミレともうひとり、二年の先輩が腰に手を当てて立っていた。
「あ、ども、朝比奈センパイ」
「お疲れ様」
あたしと同じ、バレー部の部Tシャツを着ている朝比奈先輩があたしにちらっと目線を向けてぶっきらぼうな感じでいった。
バレー部であたしたち一年生の面倒を見ている朝比奈先輩は厳しいセンパイだ。
部活中にスクワットを五十回連続でやってる時にちょっと休憩しようとしたら、すぐ目をつけて「最初からやりなおし!」とか言ってくるし、学校の近くの枝下縁道で走り込みをしている時はヘトヘトになって周回遅れになっているあたし達を後ろからすんごい速さで追いかけてきてプレッシャーかけてくる。
だから先輩が見ているところでトレーニングをするのはもうタイヘンだ。
その上ちゃんと練習をこなせても「よくやったわね」と褒めてくれたりとか全然してくれないから、当然と言うか何というか、一年のみんなから苦手に思われてた。
足は早いし、バレーも上手いから優秀なヒトなのは判るけど、それはそれとして仲良くなれなさそうだよねー……みたいなのが入部して最初の一、二週間の朝比奈先輩に対するみんなの印象。
それがちょっと変わったキッカケは、ゴールデンウィークに入る前に起こった『朝比奈先輩ご乱心事件』だ。
そのころ朝比奈先輩があたしの友だちの凛音がいるなんでも部に恋愛相談を持ちかけていたらしい。
そしてなんでそんなコトになってしまったのかはよく判らないんだけど、大泣きしながら恋の悩みを凛音たちに打ち明ける先輩の声が、体育館のスピーカーから大音量で流れて体育館にいるみんなに聞かれてしまったんである。
で、先輩の知られざる内面が白日の下に晒されてからというものの、あたしたちの朝比奈先輩に対する、「コワいヒトだけど、けっこう乙女でカワイイところもあるセンパイ」に変わっていった。
「あの厳しい先輩が好きになった人ってどんな人?」
「同じクラスのセンパイ?」
「昔部にいた先輩とかだよ。憧れのお姉様みたいなさ」
「まさか、うちの顧問の藤堂先生とか?」
「まっさかー! あんなおじさん、悪趣味だよー!」
事件のあったあと同じ部の子たちとそんな内緒話をしてたら、近くを通りかかった先輩に聞かれて練習のメニュー増やされた。そんなところもカワイイと思う。練習のメニューはカワイくないけど。
でもダレなんだろうな。朝比奈先輩の好きな人って。
「何。私がどうかした?」
「え。いやっ、なんでもないです!」
先輩の顔をジロジロ見ていたのがバレたのか、あたしは慌てて両手を横に振った。
「今日は一緒に盛り上げていきましょうね、よろしくお願いしますっ!」
「そう。よろしく」
張り切るあたしに、朝比奈先輩は相変わらずそっけない雰囲気だ。
友だち、とまではいかなくっても、もう少しあたしたちにココロを許してほしいなーって、最近はよく思う。まあダメだったらダメで別にいいけどさ。
「どう? なんか面白い出し物あった?」
先輩と違ってあたしと仲のいいスミレが同じコートにいるあたしに話しかけてきた。
「二年の先輩の劇見てきたけど、めっちゃ良かったよー。白雪姫やってたけど、最後の目覚めのキスシーンでもう大盛り上がり」
「え、マジでキスしてた?」
「してたしてた。イケメンと美人の先輩だった」
「わー、それ見たかったなー!」
「お客さん来たよ。おしゃべりしてないで周り見る」
あたしとスミレが話していると、朝比奈先輩の声が横から飛んできて、あたしたちは「はーい」と返した。
あたしのいるバレー部はこの文化祭で『爽快! スパイク無限チャレンジ』というゲームを出している。
ここではまずあたしたちバレー部員がサーブ、レシーブ、トスでふわっとした感じのボールをプレイヤー、つまりお客さんに送り、お客さんはそのボールを目の前に立っている二本のポールの間にくくりつけて掲げてあるネットの向こう側へと、強烈なスパイクをおみまいしていく。
そしてあたしたちはプレイヤーに次々にボールを送り続け、プレイヤーはあたしたちから送り込まれるボールを何本連続でスパイクし続けられるかというスコアアタックに挑戦し、優勝を目指していくというゲームだ。
ちなみに優勝しても景品は特に何もありません。参加賞でクッピーラムネをあげるよ。
近くにあるランキングボードを見ると、最高記録は三年の山岸さんの32回みたいだ。すごいや。おめでとう、山岸さん。
「そういや副会長は来るの?」
お客さんが来る流れが落ち着いたところで、スミレがあたしに話しかけてきた。朝比奈先輩は近くに置いてある自分の水筒を取りに行って水分補給をしている。
スミレがしているのは凛音の話だ。同じ中学を出た子はみんな、生徒会で副会長をやってた凛音のコトを副会長って呼んでる。
あたしはバレーボールを地面から拾うと両手で持って、それをくるくる回した。
「凛音? どうかなあ。この時間にここにいるってハナシはしたけど、用事でもあった?」
「さっき聞いたんだけどさ、今日うちの学校に会長が来たんだって」
スミレの言葉を聞いた瞬間、あたしは手に持っていたボールを地面に落とした。
きーんと耳鳴りがして、周りの喧騒がかすれて、不自然でいびつな音になって聴こえてくる。スミレはそんなあたしの変化に気づかずに話を続けた。
「会長、副会長と一緒にデートしてたって。三年の教室でやってるプラネタリウムに行った子から聞いたんだ。そこでふたりを見たって」
「なんで」
「なんでって?」
「なんで、渚が来てるの」
あたしは久しぶりにその名前を口にした。もう二度と口にするつもりのなかったその名前を。
「いや、知らないけど。久しぶりに会いたくなったんじゃない? ほら、副会長、卒業式の日とかそのあたりのころ、お休みしてたからさ。しばらく会えなくって、お互い寂しかったんじゃないかな」
スミレはそう言ったけれど、あたしは納得なんてできなかった。
中学の時、あたしは生徒会に書記として入って、副会長だった凛音と会長の渚と知り合い、ふたりが一緒にいるところを近くでずっと見てきた。
そして中学校を卒業する直前、凛音は幼なじみで、ずっと大好きだった不知火渚に告白して、フラれた。
そのあと、凛音は学校に顔を出さなかった。卒業式にも出なかった。
小さい頃から固いキズナで結ばれていた相手との関係が壊れて、凛音の心も壊れてしまったんだろう。
そんなふたりが、いま、一緒にいるって?
「胡桃、どうしたの。ヒドい顔してるよ。どっかカラダでも壊したん?」
隣からスミレの声が聞こえてくる。
もし……もし凛音がここに来て、そしてその隣に渚がいる光景を目の当たりにした時、あたしはどんな顔をすればいいんだろう?
◇◇◇
「あっ、いた! 渚くーん!」
校内の生徒や校外からの参観客が行き交う西吾妻高校の校舎の廊下で、ひとり立ち往生をしていた不知火渚の背中に向かって、ひとりの女性が手を挙げて大きく振った。
「ああ、犬飼さん」
自分を呼ぶ声に気がついて、渚はこちらに駆け寄ってくる犬飼千鶴のほうに振り向いた。廊下中に響く千鶴の声のせいか、周囲の人々が彼女たちに目線と意識を向けた。
「渚くん、ここにいたんだね! 探してたんだ」
「犬飼さん、ひとりで文化祭歩いて見てたの?」
「うん。ここは地元から離れているから知り合いはいないし、黛くんも奥寺さんとデートの約束があるからって」
「奥寺さん? ああ、凛音と一緒になんでも部にいる人だったかな。そうか、ふたりは恋人同士だったのか。とすると、その奥寺さんは懐の広い人だなあ」
「なんで?」
「僕と黛くんが最初に会ったキッカケは、黛くんがなんでも部の依頼として凛音とデートしたことだ。そういう依頼とはいえ、恋人がほかの女性とデートをするなんて、奥寺さんはよく許したなあ」
渚は両手をジーンズのポケットの中に入れると、その場から離れて歩き始めた。
「散策でもしようか。歩いていれば、古い知り合いに会えるかもしれないし」
先に歩き出した渚に追いつくと、千鶴はそのまま渚の隣で同じ速度でついていく。
「凛音さんはどうしたの? 一緒にいるんじゃなかった?」
「凛音は頼まれごとができて、そっちに行かなくちゃいけなくなったんだ。さすがなんでも部。頼りにされてるんだね」
「幼なじみと久しぶりに会えてどうだった? 変わってなかった?」
「いや、その逆だよ」
渚は歩みを止めないまま、千鶴に顔を向けて微笑んだ。
「凛音はもう、僕とは違う世界に行ったんだよ、きっと。だから、僕なんかに止める権利なんてないんだ」
微笑みながらそう口にする渚に千鶴は呆気の取られた顔をして、何も返さなかった。
「あれ、会長? 会長じゃないっすか」
渚と千鶴が歩いて向かっている方角から、私服姿の少年が三人現れてやってきた。
「ん? 君たちは……ああ、三ツ谷中の! 久しぶりだなあ」
渚はそう言って、少年たちにカラッとした笑顔を向けた。
「その子たちは、中学の友だち?」
千鶴がそう尋ねると、渚は「ああ」と頷いた。
「……会長、その女の人は?」
三人組のうちの一人が、少し言い淀んだ口調で渚に訊いた。
「彼女は僕の友だちだよ。同じ学校に通ってるんだ」
「犬飼千鶴です。不知火くんとは仲良くさせていただいてます」
千鶴は身体の前に両手を重ねると、少年たちに向かって軽く頭を下げた。
「そ、そっすか」
少年たちは千鶴の姿を見てどこか戸惑いの色を浮かべた。
すると三人はお互いに目線を合わせて、そわそわと落ち着かない調子で口を開いた。
「ええと、それじゃあオレら、他の先輩たちにも会いにいくんで、これで失礼します! それじゃ!」
「それじゃ!」
「ごゆっくり!」
彼らはそれだけ言い残すと、渚と千鶴の横を通り過ぎて、そのまま走り去ってしまった。
「あの後輩の子たち、どうしたのかな?」
「みんな、仲のいい先輩と会う用事があるのかも」
ちょっとした騒ぎが終わり、やや落ち着いて静かになった廊下に外からの声や音が聞こえてきた。
「校舎に入る前も少し見えたけど、外も色々やってるみたいだね」
渚が外からの音に気を引かれると、廊下に付いている窓に目をやった。窓の外には運動場のグラウンドが映っていて、そこでは様々なグループによる催しが繰り広げられていた。
「屋外ステージでは漫才のショーか。あれ、もしかして、あそこにいるのは……」
「友だちがいたの?」
窓の外を眺める渚の後ろから、千鶴も渚の肩越しに外の景色を見た。
「あそこのネットのかかったコートのあたり、あそこだ」
千鶴は渚の言っている場所に目線を向けた。
そこには白線で引かれた長方形の細長い枠と、スタンドで建てられたポールとそこに掲げられたネットで作られた簡易的なコートがあって、すぐそばには"バレー部 連続スパイクに挑戦!"と書かれた看板を持ったTシャツ姿の女子生徒がいた。
「あのコートの中にいるんだ。あの髪の短い人だよ、ほら」
コートには三人の生徒がいた。そしてそのなかには、渚の指している髪の短い生徒の姿があった。
「僕と同じ元生徒会役員なんだ。弁天橋胡桃だ。書記をやってたんだ。会いに行こう」
千鶴は渚の意見に賛同した。そしてふたりはすぐに、校舎の階段を降りて外へと出ていった。
「おーい! 胡桃ーっ!」
渚はグラウンドに出ると、すぐに胡桃の姿を見つけた。胡桃はバレーボールを手に持って、ボールを弄んでいるみたいだった。
数十メートル先にいる胡桃が自分に向かって呼びかける声に反応して、渚に顔を向けた。
渚の顔が目に入った瞬間、胡桃の顔が引き攣って、強張った。
だが続けて渚のすぐ近くにいる千鶴の姿に気がつくと、青白くなっていた胡桃の表情が、一気に地獄の釜で熱せられたかのように赤くなった。
「久しぶり、胡桃! こんなところにいた──」
渚が言葉を最後まで言い切る直前、胡桃が持っていたボールが渚のいるほうへ向かって凄まじい勢いで飛んできた。
「えっ?」
言葉を失った渚が身動きをする暇もなく、ボールは彼の顔面に激突した。




