春38:望み
「そう……あの日、渚と一緒にいたあの人だったの」
おれから犬飼さんの話を聞き出した凛音さんは、唇に手を当てながらつぶやいた。テーブルの上には、さっき凛音さんが注文したジンジャーエールがある。
「ごめんなさい、わたしたちの内輪揉めに巻き込んで」
犬飼さんは自分に謝ってきた凛音さんに対して、「いやいや、謝らないでよ!」と手を横にばたばたと振った。
「なんなら、むしろ首を突っ込んだのはわたしのほうだし」
「アタシらが来るまで、央士とはどんな話を?」
夏希は自分が買ったファンタの入った紙コップを手に持って、ストローに口をつけた。
「どんな話を……っていうと、西吾妻高にいる鵜野森さんと三ツ谷高専にいる不知火くんがそれぞれどうしてるか軽く報告し合ったくらいかな」
「そう。わたしと渚のコトを」
凛音さんはそれだけ言って、自分のジンジャーエールを一口飲んだ。
「あと、西吾妻高で今度文化祭があるって話をしたくらいかな。黛くん、さっきまで学校でダンスの練習をしてたって」
「あ、その相手アタシ」
夏希が飲んでいたファンタのストローから口を離した。
「今日の練習に身が入ってなかったワケが判った。凛さんやアタシに隠れて犬飼さんとデートする約束取り付けちゃってさ」
「デートじゃないって……」
おれは夏希に言い返そうとしたけど、夏希はそんなおれの言葉を「あ、そ」の二文字だけで流した。
「今日のコト、渚に話すつもりはある?」
凛音さんは、隣にいる犬飼さんに尋ねた。
犬飼さんは軽くうつむくと、「いや……」と首を横に振った。
「どうかな。さっき黛くんと話して、黛くんが言ってたんだけど、もうこれ以上お互い関わり合いになるのはやめようってコトになってさ。だから、不知火くんには知らせないままのほうがいいのかもしれないって」
「央士くんがそう言ったの?」
凛音さんは念を押すように犬飼さんに訊いた。
「え? うん」
「ふうん」
凛音さんは目線を犬飼さんからおれにちらっと向けた。
凛音さんと目があった瞬間、おれは肩がびくっと震えて思わず背筋を伸ばした。
「わたしを気遣ってくれたの? 親切だね、央士くんは」
「え? いやあ、まあ……」
おれは感謝されたのかと思って照れてもじもじすると、凛音さんはため息をついた。
「でもそれはわたしの望みじゃない」
凛音さんはおれの顔から目を離すと、吐き捨てるように言った。
「わたし、渚とあなた……犬飼さんには申し訳ないことをしたって思ってる」
そう言うと、凛音さんは両手をテーブルの上に置いて重ねた。
「わたしはあの日二人の前から逃げ出して、中学の卒業式を休んだ時みたいに、完全にダメになった幼馴染同士の関係に決着をつけるのを放棄した」
テーブルの上に重ねた手の指を、凛音さんは組んだり話したりを繰り返した。
「後悔した。結局わたしは同じ失敗を繰り返したって。だから望んでた。今度こそ逃げずに、きちんと決着をつけるチャンスが来る日を」
凛音さんはすうと息と吸うと、犬飼さんのほうを向いた。
「犬飼さん。再来週の土曜日だけど、予定は空いてる?」
「え、再来週の土曜日?」
犬飼さんは自分の携帯を出すと、カレンダーを開いて自分のスケジュールを確認した。
「今のところオフだけど、どうしていきなり?」
「その日、わたしたちの学校で文化祭があるの」
凛音さんはそう言うと、向かいのテーブルにいるおれと夏希に向かって微笑みを浮かべた。
「あなたを文化祭に招待しましょう。どうせなら、渚も一緒にね」
そのあと……犬飼さんと別れぎわにラインを交換したおれはその日の晩、家で犬飼さんからラインで彼女が西吾妻高の文化祭に行くコトと、そして不知火くんも一緒に文化祭に来るコトを知らされた。




