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春37:忘却の彼方から


 よくよく思い出してみれば、前に犬飼さんと会ったあの日、凛音さんと犬飼さんはちゃんと顔を合わせていなかった。


 不知火くんと一緒にいた彼女の姿が少しくらい見えたかもしれないけど、それも二ヶ月も前のコトだ。忘れていておかしくない、というか忘れていて当然だろう。


 なら、このまま忘れたままでいてもらおう!


「偶然だな! 夏希! それに凛音さん!」


 おれは椅子から立ち上がると、夏希と凛音さんの名前を、特に凛音さんの名前を犬飼さんにハッキリ聞こえるように大きな声で目の前に突然現れたふたりに向かって呼びかけた。


「凛音? ……あ」


 犬飼さんが口に両手をあてた。おれが凛音さんの名前を強調した理由に気づいたらしい。同じ学校の友だちと訳アリな関係のヤツが来たってコトに。


 頼む! 凛音さんには不知火くんとのコトとか黙っててくれ! おれは後ろをちらっと見て犬飼さんにアイコンタクトで合図を送った。


「声うっさ。目の前にいんのにそんな声出すコトなくない?」


 夏希がおれの座っていたとなりの席に深く腰掛けた。そして凛音さんがこの四人掛けテーブルのうち、最後に残った犬飼さんの隣の席に「失礼します」と言って座った。


「で、この人は? アタシらを仲間外れにして、この人からなんでも部の依頼を引き受けようとしてたってワケ? それともアタシらに言えないような、なんかやましいコトしようとしてたとか?」


「いや、えっと、この人は」


 問い詰めてくる夏希を前に、おれはうまいことゴマかせないかと頭を働かせようとした。


 ああ、もう、なんで夏希に犬飼さんのコトを話したり、ここに来るのを誘わなかったかな! ダンスの練習で失敗してちょっと気まずい感じになってたからって黙ってたままにしてなきゃ、凛音さんがここに踏み込んでくるコトもなかったのに!


 おれは解決策を出せないまま、ひたすら一時間前の自分を責めるコトしかできなかった。


 すると向かいの席で「あのっ」と犬飼さんが口を開いた。


「もしかして、ふたりは黛くんと同じなんでも部の人ですか」


「そうだけど」


 夏希はテーブルに肘をついて頬杖をつきながら、急に言葉を発した犬飼さんに目線を向けて答えた。


「アタシらなんでも部に頼みたいコトでも?」


「いや、依頼があるってワケじゃないんですけど、その、わたし、ファンなんです」


「ファン?」


 犬飼さんの隣にいる凛音さんが、ぽかんとしながら犬飼さんが言ったのと同じ言葉を発した。


「そう、わたし、あなたたちなんでも部のファンで!」


 犬飼さんは手をわしゃわしゃ振って大きな身振りと手振りをしながら、おれにアイコンタクトをした。さっきのおれのテレパシーは伝わったらしい。ありがとう! そのまま上手く続けてくれ!


「ほら! 先月西吾妻高で起こったスプリンクラー大量盗難事件をなんでも部が解決したって話あったでしょ。わたし、その話を聞いて痺れちゃって!」


「ああ、そういやあったね、そんなの」


 ちょっと引きつった笑顔で熱っぽく話してみせる犬飼さんに、さっきまで不機嫌そうな顔をしていた夏希は、少し表情を緩めた。


「それでアタシらのファンになったの?」


「そう! 西吾妻高のなんでも部はわたしたちの通ってる……学校でも有名で」


 学校、と口にする前に一瞬犬飼さんの言葉が詰まった。不知火くんも通ってる三ツ谷高専の名前を出すのはマズいって思ったんだろう。さっすがぁ! やるう!


「それでね! もし良かったら、わたしと握手してほしいんだけど、いいかな」


「いいよ。どうぞ」


 犬飼さんが頼み込むと、夏希が犬飼さんに向かって右手を差し出した。


「そちらは部長の凛さん。彼女とも握手する?」


「もちろん! 握手、いいですか」


「ど、どうぞ」


 勢いで押し切ろうとする犬飼さんに凛音さんは押され気味になると、夏希と同じように素直に右手を差し出して犬飼さんと握手した。


「チームのブレイン的存在って聞いてる。いいなあ、頭脳派って感じでカッコよくって。わたし、憧れちゃう」


「ありがとう」


 凛音はベタ褒めしてくる犬飼さんに照れ笑いを浮かべると、こう言葉を続けた。


「でも、高専に通っているあなたほど頭は良くないと思うな」


「え?」


「え」


 おれと犬飼さんがほとんど同時に声を発した。そしておれは全身に流れる血が急に氷みたいに冷たくなったのを感じた。


 どうしてだ。犬飼さんが三ツ谷高専に通ってるって話はしてないし、むしろ隠していたのに、どうして凛音さんにそれが判ったんだ。


「……どうしてわたしが、三ツ谷高専に通ってるって思ったのかな」


 犬飼さんが恐る恐るぎこちなく口を動かしながら凛音さんに訊いた。さっきまでの引きつった笑顔がさらに引きつり始めている。


「ああ、別に大した理由じゃないです。あなたが今着ている服が気になって」


 凛音さんは目線を下げて犬飼さんの顔から、今彼女が着ている服に移した。テーブルから見える範囲だと犬飼さんはフリルのついたワイシャツを上に着ていて、下には黒のスキニーを履いている。


「今日は平日だから、普通の高校生は学校帰りや学校からバイトに行く道で制服を着ているはず。でもあなたが着ているのは学校の制服じゃなくて私服。私服で通える学校といったら、この近くでは三ツ谷高専くらいしか思いつかなかったから」


 凛音さんの推理をおれと犬飼さんが口をぽかんと開きながら聞いていると、凛音さんはさらに言葉を続けた。


「いちおうあなたが不登校の生徒という可能性もあったんだけど、わたしたちの話を、それも最近あったスプリンクラーの事件の話を学校で聞いていると言ったから、そういうセンでもないかなって思ったんだけど……あれ、違ったかな」


「えっと、いや……大正解」


 犬飼さんはあっけにとられたように、凛音さんの推理を素直に認めた。


「やるねえ。さすが凛さん」


 夏希ワトソンが凛音ホームズに向かって褒め言葉を口にすると、ホームズは参考人の犬飼さんに向かって質問をした。


「そういえばあなたのお名前と学年を聞いてませんでしたね。せっかくなので教えてもらえませんか」


「……犬飼千鶴です。学年は、一年生です」


「そう、一年生。わたしたちと同じ。あ、まだ手握ってましたね。ごめんなさい」


 凛音さんがずっと犬飼さんの手を握り続けていたコトに気がつくと、固まっていた犬飼さんの右手から、自分の右手を離した。


「ああそうだ。実はわたしの古い友人にいるんです。ちょうどこの春から高専に通っている一年の友人が。ちょうど犬飼さんと同じですね」


「わ、わーっ、確かに、すっごい奇遇! わたし知ってるかなー、そのヒトのこと」


 犬飼さんのオーバーな演技が、ここに来てだいぶ厳しくなってきた。


 凛音さんは微笑んだまま目をつむって首を横に小さく振ると、そんな犬飼さんにトドメの一撃をくらわせた。


「もう無理しないでいいですよ」


 凛音さんは犬飼さんにそう言うと、そのまま微笑みを浮かべながら向かいの席にいるおれのほうを見た。


 凛音さんと初めて会ってから二ヶ月。凛音さんがこんな顔してる時はどんな感じの時なのか、同じなんでも部員のおれは知ってる。


 今の凛音さんは、尋常じゃないぐらい怒ってる。


 ヤバい、もう完全にバレてる。どうしておれが凛音たちに黙って三ツ谷高専に通っている女子とこっそり会っていたのか、その理由が……


「央士くん、そろそろ白状してくれるかな? 犬飼さんとは、渚のコトで話してたんだよね? わたしの幼なじみで、わたしをフッた不知火渚のことで、何をコソコソ話してたのかな?」


 名探偵ホームズに追い詰められた犯罪者みたいに、おれはこの場から逃げることができないまま、ただ震えるコトしかできなかった。


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