春32:気まずい二人
次の日の放課後、梢先生に言われておれたちが来たのは学校の屋外プールだった。
「なんでも部の顧問になったって話したら、水泳部の顧問の田中先生に毎年この時期に水泳部がやってるプール掃除を手伝って欲しいって頼まれちゃってさ。みんな特に忙しいワケじゃないみたいだし、三人で手伝ってきなよ」
そんなワケでプールの男子更衣室で体操服とジャージに着替えたおれは、更衣室の出口のすぐ近くにある階段を登って二階部分にあるプールサイドに上がった。
プールサイドは風がびゅうびゅう吹いていて、おまけにプールには冷たい水がたまっているせいかすごく寒い。ジャージを上に着て正解だった。
「緑色ににごっててすごく汚いですね。まだ栓を抜いてないんですか」
おれは近くにいた先輩の水泳部員に訊いた。
「学校のプールは防火水槽、つまり学校や近所で火事が起こった時に消火に使う水として取っておいてあるんだ」
へえ、プールの授業がない冬場にもいつもプールに水がたまっていて不思議に思ってたけど、そういう理由があったのか。それと火事を消すのに使う水って、消防車の中に全部入ってるんじゃないんだ。
「このでかいプールの掃除をおれたちだけで全部やり切るには二週間くらいかかるし、その間ずっと水をカラにしておくわけにはいかない」
「たしかに、そんな時に火事が起こったりしたら大変ですね」
「だから毎日少しずつ水位を下げていって、それに合わせて少しずつプールの浅いところから深いところへ壁を磨いていく。これはあらかじめ消防署に毎日どれくらいのペースで水を抜くか計画を伝えてるんだ。そして最後の一日だけ完全にカラにして、その日は部のOBも集まって大勢で一気に床を磨く」
「いいなあ、みんなで集まってやるなんて楽しそう。おれも参加したいです」
「おう、ぜひ来てくれ。そのためには、とにかく今日のぶんを頑張ってくれないとな」
先輩はデッキブラシの握る棒の部分を外してブラシだけにしたものをおれに渡すと、「頼んだぞ」と言ってほかの部員のいるところに向かった。
「央士―っ、お待たせー!」
後ろから夏希の声が聞こえてきて、おれは女子更衣室につながる階段があるほうに振り向いた。
すると、おれと同じように体操服とジャージに着替えて来た夏希に続いて、その後ろから凛音さんの姿が現れた。
「……やあ」
おれは凛音さんに向かって軽く手をあげてあいさつした。
「お疲れ様」
凛音さんはおれから目線を外しながら返事した。
おれと夏希と凛音さんは近い場所に固まって、水泳部の人たちと同じようにブラシと粉状の洗剤を持ってプールの壁磨きを始めた。
プールの水面にはアメンボの死骸が浮いていた。掃除して水全部入れ替えるのは判ってるけど、こんなところで泳ぐの、イヤだな……
壁にこびりついた砂とか緑色のよくわかんない汚れを、おれたちは無言のままごしごしとブラシで削りとっていく。
掃除なんだから黙って集中してやるのは当然なんだけど、おれはそんな空気に居心地の悪さを感じずにはいられなかった。
とはいえ、おれから凛音さんになんて話かければいいのか、全く思いつかなかったけど。
夏希、なんとかしてよ、とおれは夏希に目線を送った。
だけど夏希はおれの視線なんか気づきもせずに、それの上けっこう楽しそうな顔をしながら壁をブラシで磨いていた。
……とほほ。
これじゃもう一生凛音さんと話をするのが無理そうな気がした。
だけどおれがそんなコトを思っていると、いきなり凛音さんのほうからおれに話しかけてきた。
「夏希さんから聞いたよ」
「え?」
おれは凛音さんのほうを向いた。凛音さんは壁を磨きながらおれに話を続けた、
「きのう夏希さんと一緒に、クラスメイトの兄弟の子守りに行ったんだってね」
「あ、ああ……そうだけど。それがどうかしたの」
「わたしに教えてくれなかったんだね。”なんでも部”として頼み事をされたコト」
ぎく、とおれはブラシを動かす手が止まった。
確かにおれはきのう、クラスメイトの智美さんから頼まれて真奈人くんの面倒を見るコトになったけど、それを凛音さんに伝えなかったし、伝えようともしなかった。
なんでも部として頼みごとをされたんだから、凛音さんには伝えなきゃいけないはずなのに、おれはそうしなかった。ただ会って話すのが気まずかったからって理由で……
「わたしも人のコト言えないけどね。図書室の仕事のことふたりに伝えずに、ひとりでやってたんだから。それを西御門先生に見られたワケだけど」
そういえば梢先生、きのうそんな話をしてたっけ。図書室に用事があって行ったら、ひとりで司書の先生の手伝いをしている凛音さんがいたって。
「黛くんと最後にちゃんと会ってから、わたしなりに少し考えたコトがあったんだ。聞いてくれる?」
「……どんなコト?」
「わたし、黛くんのコトよく知らないって気づいた」
凛音さんはブラシを動かす手を一度止めると、こっちを向いた。
「黛くんは中学の終わりのころにわたしに何があったのか知ってる。だから先輩を止めようとした理由が、わたしが中学で似たような経験をしたからだって思った。そうだよね?」
「まあ……うん」
われながらヒドい理由というか、決めつけだと思うけど、違うって言ってもしょうがないから、おれは正直にうなずいた。
「わたしが先輩を止めた理由は、実際は他の理由もあるんだけど、それも確かに考えなかったワケじゃないから否定はしないよ」
凛音さんはまた手を動かしはじめて、ブラシで壁を磨いた。
「でね、黛くんはわたしのことをある程度知っているから、そこまで思い至ったのかもしれない。だけど、わたしは黛くんにいままで恋愛とかでどんなコトがあったのか知らないし、だからどうしてあんなに先輩に告白させようとしたのか判らない。だからね──」
凛音さんは壁を磨きながらこっちを向いた。
「仲直りするために、まずはわたしに黛くんのコト、教えてほしいな」




