春30:それじゃ、そういうことで
「手紙は今わたしが預かって、別の場所にあります。先輩を止めるにはこれしかなかったんです」
「話が違う」
あやみ先輩はおれから視線を外して、凛音さんと向き合った。
「手伝う、協力するって言ったでしょ。私に嘘をついたっていうの」
「あの時は本当に協力するつもりでいました。でも改めて考え直したんです。これは先輩のためにならないって」
「あんた、何様なの!? いいからどこに手紙があるのか教えなさいっ」
「それはできません」
凛音さんは目を閉じて、静かに首を横にふった。
「先輩にはまだ、バレー部でやらなきゃいけないコトがあります。それを成し遂げる時まで、手紙を返すことはできません」
「はあ!? わたしが何をしなきゃいけないっていうの!? 教えなさいっ」
「言えません。それは自分で気づかないと」
凛音さんがあやみ先輩に向かってきっぱりとそう言った時、何かがブツっと切れたような音がした。
「っ!」
そして次の瞬間、あやみ先輩は思い切り右手を挙げて、それを凛音さんの顔に向かって振りかざそうとした!
「やめろおっ」
そう声を発すると同時に、おれは思わず床を蹴って先輩と凛音さんの間に飛び込んだ。
先輩の手のひらが目の前を覆った次の瞬間、顔の左側に爆竹を投げつけられたような鋭いバチっとした衝撃が走った。
そしてその衝撃が頭の中に響くと、意識が少し薄くなってくらくらして足元がふらついて、そのままおれは膝が崩れ落ちてその場に尻餅をついてしまった。
「黛くんっ」
床に倒れたおれに凛音さんがしゃがんで、すぐそばに夏希が寄ってきた。
「黛くん、大丈夫?」
凛音さんがおれのすぐ近くで訊いてきた。
「ああ、平気だよ。誰かにウラ切られたツラさに比べたらさ……」
おれは凛音さんに目を向けずに、そのまま目の前にいる先輩のことを見上げた。
あやみ先輩は立ったまま荒い息を続けて、おれに叩きつけた自分の手のひらをぼーっと見つめていた。
「わ、私……」
ようやく目の前がはっきりと見えるようになって、おれは先輩に向かって口を開いた。
「いいですよ、悪いのは全部おれたちだから」
おれは落ち着いてゆっくり深呼吸を繰り返した。このほんの少しの間にいろんなコトが起こりすぎた。気持ちを落ち着かせないと、頭がパンクしてしまいそうだった。
「大丈夫ですよ。あのラブレターがなくたって、告白するならほかにやりようはいくらでもあります」
おれは夏希の肩を借りながら、その場からゆっくり立ち上がった。
「手紙がよかったらもう一度どんな手紙だったのか思い出しながら書けばいいし、直接口で言って告白するのもいい。いっそのこと、大勢がいる前で無理やりキスとかするってのもいいんじゃないですか?」
「黛くん」
後ろから声が飛んできたけどおれは無視した。
「おれは先輩に賛成ですよ。止めたりなんかしません。やっちゃいましょうよ、先輩。今から体育館に戻ってさ。おれたちも見て、証人になりますから──」
「黛くん!」
「よしなよ」
さっきとは別の声が飛んできた。
夏希の声だった。
「あやみ先輩、怖がってるよ」
夏希に言われて、おれはあやみ先輩の顔を見た。
さっきまで自分の熱で赤くなっていた顔が、いつの間にか黒板に使うチョークみたいに真っ白な顔になって、おびえていた。
「判らない」
あやみ先輩はがくがくと首を横にふった。
「私、どうしたらいいの?」
「アタシも判りません」
夏希がおれの前に出て先輩に言った。
「少なくとも、アタシはこれは先輩が自分で決めなきゃいけないコトだと思います。誰かに押し付けられるんじゃなくて、自分で決めないと」
夏希にそう言われて、先輩はおれたちから目をそらしてうつむいた。
「……あんた、私にはやらなきゃいけないコトがあるって言ったよね」
先輩は床から目線を上げると、凛音さんに向かって訊いた。
「でまかせじゃないよね」
「でまかせじゃありません。もし先輩がそれに自分で気がついて、きちんと成し遂げたら、手紙はお返しします」
「あ、ちょっと待って」
凛音さんが先輩に話しているところで、夏希が言葉を挟んだ。
「でまかせじゃないってコト証明するために、アタシが今のうちに凛さんから訊いておきますよ。で、先輩がそのやるべきコトをやれたら、アタシが手紙を先輩に返す。それでオッケーですか、先輩」
夏希にそう言われると、あやみ先輩はため息をついて右手で自分の髪をかきあげた。
「……もう勝手にして」
「じゃ、そういうコトで」
夏希は先輩に向かって笑うと、凛音さんのいるところまで走っていった。
「うん、うんうん……オッケー。了解、そういうコトね」
凛音さんに耳打ちされた夏希がこくこくと頷いていると、教室の扉を引く音が聞こえてきた。
「先生……」
自分の前に現れた藤堂先生の姿を見て、あやみ先輩がつぶやいた。
「おう、あやみ。戻ってこえへん思うたら、ここにおったんか」
きのうとは違う柄のポロシャツを着ている藤堂先生は、教室に入るとあやみ先輩に続いておれたちの顔を見た。
「おまえらが一緒におるっちゅうことは、昨日やってた話の続きか?」
「ええ、まあ」
凛音さんが藤堂先生の言葉に答えた。
「悪いなあ、相談に乗ってもらって。あやみ、部活抜け出さなきゃいけないくらいしんどいようやったら、今日は早退するか?」
藤堂先生がズボンのポケットに手を突っ込んだまま、心配そうな顔であやみ先輩を見下ろすと、先輩は「いえ、大丈夫です!」と強く返事した。
「私、ちゃんと部活に戻れます!」
「そうか? まあそこまで大丈夫言うんやったら止めへんけど、無理はすんなよ」
「ありがとうございます、心配してくれて」
「そんじゃ、部活に戻ろか。邪魔したわ」
藤堂先生がおれたちに向かってそう言うと、先生はそのまま教室から出て行こうとした。
そんな先生に、あやみ先輩が後ろから「藤堂先生」と声をかけた。
「私、先生に伝えたいコトがあるんです」
「ん? どしたん? 急に」
藤堂先生は立ち止まると、教室の出口に足を向けたまま、うしろにいるあやみ先輩の顔を向いた。
おれは思わず息を止めた。藤堂先生を見つめるあやみ先輩の横顔から目を離せなかった。
そして先輩の口もとを見つめて、その口が開くのを待った。
「藤堂先生」
あやみ先輩が藤堂先生のすぐ近くまで歩み寄った。そして──
「今後ともバレー部員として、よろしくお願いします」
……あやみ先輩はそう言って、藤堂先生に向かって軽く頭を下げた。
「なんや、いきなり改まって」
先生は困ったように笑うと、足の先を教室の出入り口から先輩のいるほうに向いた。
「んじゃこっちは、顧問としてこれからもよろしくな、あやみ」
「はい!」
あやみ先輩は笑って藤堂先生に返事をすると、ふたりはそのまま教室から出ていった。
そして教室には、おれたち三人だけが残された。
先輩と先生がいなくなって、おれは凛音さんがいるほうを向いた。
「……なんであんなコトしたんだよ。なんでおれの邪魔なんかしたんだよっ」
「“おれ”の邪魔なんだね。”先輩”の邪魔じゃなくて」
おれの声で凛音さんがこっちに振り向いた。凛音さんは寒気がするような冷たい目でおれを見た。
「黛くんに昔どんなコトがあったのかは知らない。好きな人に告白できなくって後悔したコトがあるのかもしれないし、今会いたくても会えなくて告白できない人がいるのかもしれない。だけどね」
凛音さんは両手を後ろで組んで口を開いた。
「先輩は先輩。君は君。先輩に君の願いを押し付けないで」
凛音さんに見つめられながら、おれは両手のこぶしを強く握りしめた。
「よく言うよ。君だって、好きな人に告白して後悔したコトがあるから、先輩を止めたくせに……」
思わずそう口にした次の瞬間、おれは自分の言ったコトの意味に気がついた。
でも、気がついた時にはもう手遅れだった。
「そう、残念。黛くんってそういうコト言う人だったんだね」
凛音さんは机の上に置いてある自分のカバンを取ってひもを肩にかけると、そのまま教室の扉の引き手に手をかけた。
「じゃ、ふたりともお疲れ様。それじゃあね」
おれが止めるひまもないまま、凛音さんが教室から出ていくと、そのまま彼女の足音が遠くへ消えていくのを聞いていることしかできなかった。
「今回のコトはどっちも最低だったね。でもどっちがよりヒドいかってったら、央士のほうかな」
夏希は近くの椅子に座ると足を伸ばして組んだ。
「央士が昔会ったきりのその子に会って、告白したいって気持ちは判るよ。ずっと会えてないから、会って話すチャンスが欲しいって思ってる。でも先輩は違う」
おれは立ち尽くしたまま夏希を見た。夏希はおれを見ずに話を続けた。
「あやみ先輩と藤堂先生は部活で毎日会って顔を合わせてる。だから先輩が先生に告白するってコトは、先輩と先生のその日常を壊すってコト。央士はそこんとこ判ってないんだよ。ケッキョク凛さんの言うとおり、先輩は先輩で、央士は央士なんだよ」
“お前は間違ってる”ってコトを凛音さんに続いて、夏希にも突きつけられたおれは、その場に立ったままどうすることもできなかった。
おれはただ、自分がやりたかったコトを無理やりあやみ先輩にやらせようとしていただけだったんだ。
そして、あやみ先輩の”日常”を平気でぶち壊そうとしたんだ……
「なあ、あやみ先輩がバレー部でやらなきゃいけないコトって、なんなんだよ」
「んー、内緒」
夏希はひざを曲げてかかとを椅子のはじに乗っけると、曲げた両足を両腕で抱えた。
「央士から先輩にタレ込むとも限らないしさ。聞きたかったら凛さんに直接訊きな」
夏希はそっけなくおれに答えると、「あ」と言葉をもらした。
「そういや凛さんと女バレのロッカーの話するの、忘れてた」




