春29:君には秘密
授業が終わって、おれと夏希は教室で凛音さんが来るのを待っていた。窓の外からは校舎の周りをランニングしている運動部員たちのかけ声が聞こえる。
「落ち着きないね。凛さんが来るの、待ち遠しい?」
教室の中を歩いて行ったり来たりしているおれに、椅子に座っている夏希がこっちを見上げた。
「……凛音さんもだけど、あやみ先輩のコトだよ」
今日の部活が終わったあと、あやみ先輩は藤堂先生にラブレターを渡す。先輩の告白がうまくいくのか、おれは気になってしょうがなかった。
たとえ99パーセント、どんな結果になるのか目に見えていたとしても……
「手紙を渡すのが今日の帰りなら、先生から先輩に返事が来るのは早くたって今夜じゅう、でなきゃ明日ってトコじゃない? 今日は別のコトするしかないでしょ」
「別のコトするにしたって、凛音さんが来ないと動けないんだけどな」
おれは近くにあった誰かの席に座って、足を伸ばして組んだ。
「気にしてる?」
夏希が不意におれに声をかけた。
「何を」
「昼に聞いた胡桃ちゃんの話。もしここで先輩が部活を辞めるコトになったら、あの子、どう思うんだろうねー」
夏希はおれが内心思っていたコトを言い当てて、そのまま口に出した。
胡桃さんの話を聞いて、このまま先輩を最後まで行かせていいのか、悩まなかったわけじゃない。
もしあやみ先輩がバレー部からいなくなるようなコトがあったら、胡桃さんたち一年生の部員と先輩が分かり合えることなんて、もう二度とないかもしれない。いや、かもじゃなくって、絶対になくなってしまうんだろう。
そんなコトになって、本当にいいんだろうか?
……でも。
「今さら止められるワケないだろ。さんざん振り回しておいて、ここに来てまた先輩に考えなおせって言うのかよ。言えるワケないだろ、そんなの」
おれと夏希が話していると、後ろのほうから教室の扉が開く音が聞こえてきた。
振り向くと、凛音さんがカバンを持って教室の中に入ってきた。
「お待たせ」
「凛さん遅かったね。どっか寄り道した?」
「胡桃が教室に忘れ物したから、バレー部のロッカーに届けに行ってたの」
凛音さんは肩から下ろしているカバンのストラップを外すと、おれたちの近くにある机の上にカバンを置いた。
「それにしてもあそこは不用心だね」
「バレー部のロッカーのこと?」
おれが訊くと、凛音さんは「そう」と言って話を続けた。
「部屋の扉にカギがないから誰でも入りたい放題だし、ロッカー自体も鍵はあるけど、そもそものロッカーが古いから鍵口のところも古くて、もしヘアピンとか細い針金でいじったら簡単に開けられちゃう」
「へえ……それは本当に危ないな」
「ダメだよ、黛くん。警備がゆるいからって女子のロッカーに忍び込んだりしちゃ」
「しないよ!」
なんでイキナリこんな言いがかり言われなきゃいけないんだ! 凛音さん、意外とヒドいな!
「アタシもイヤだからねー。テレビのニュースで”あんなことするヒトとは思いませんでした”とか言うの」
「夏希も乗っかるな!」
こっちだってイヤだよ! 忍び魔になって逮捕されるの!
「それで、ロッカールームでもうひとつ気になったコトがあってね。あの部屋、すごく散らかってたんだ」
凛音さんはカバンを置いた机の上にもたれかかって話を続けた。
「タオルとか空になったペットボトルとかが床に転がってて、あと……あ、これは黛くんがいる前じゃ言えないかな。あとで夏希さんにだけ教えてあげる」
「いや、なんでよ」
思わずそう声が出たおれに、夏希がニヤニヤ笑ってきた。
「そんなの女子のエッチな話に決まってるからでしょ。央士に教えるワケないじゃん。だよねー、凛さん」
「ねー」
凛音さんが夏希と息ぴったりに言葉を合わせた。
おれはちょっといじけた。
ふん、いいよーだ。どうせおれは仲間はずれだよ。おれは雅臣がいた頃が恋しくなった。
「でね、部室の話の続きなんだけど、色々なものが床に散らかってて、そのなかで一番多かったのがヘアピンだったんだ」
「ヘアピンって、小さくて細っこいやつ? ちょっと大きくてパチって止めるやつじゃなくて」
おれはよく教室の掃除をしてる時に出てくる、黒くて二つ折りしたみたいな形の細い針金のコトを思い出した。
「そう。小さいからみんなすぐに無くしちゃうんだろうね。安いし替えもきくから、本気になって探したりもしないだろうし。もしかしたら、無くしたコトにすら気づいてないんじゃないかな? ヘアピンの予備なんてたくさん持ってるだろうし」
なるほどねえ。もったいないけど、無くしちゃうのも判る気がする。
おれも小学校の頃はエンピツとか消しゴムとかしょっちゅう無くしたりしたもんな。それで無くすたびにクラスのみんなに一緒に探してもらったりして。
ましてや、それより小さいヘアピンなら当然……
……ヘアピン?
おれは頭の中で何かが引っかかったのを感じた。
ついさっき、同じヘアピンで話が出た気がする。なんの話だったっけ?
そうだ。部屋にあるロッカーが古くて、ヘアピンとか細い針金とかで簡単にカギが開けられそうだって話を……
「……あのさ、凛音さん」
「なに?」
おれが椅子から立ち上がると、それに合わせておれを見下ろしていた凛音さんの目線が上がった。
「なんでおれに女バレのロッカーの話なんかしたの?」
「別に? ここに来るまでに寄ってきたから話しただけだよ」
凛音さんはなんでもないような顔をしておれを見た。
おれはその顔を見て、凛音さんが何を考えているのか、全く判らなかった。
その時、廊下から足音が響いて聞こえてきた。その音が聞こえた瞬間、おれはものすごくいやな予感がした。
そして遠くから聞こえてきた小さい音がだんだん近づいて大きくなると、この部屋の引き戸が大きな音を立てて開けられた。
「あんたたち、どういうつもりっ」
教室の入り口からおれたちに怒鳴りかかってきたのはあやみ先輩だった。
部活のユニフォームを着た先輩は、信じられないぐらい大量の汗をかいて、ぜえぜえと荒い息をしながらおれたちを鬼のような顔で睨みつけてきた。
「あの、先輩、いったい何が……」
「とぼけないでっ」
おれの言葉を自分の声で吹き飛ばすと、あやみ先輩は教室の中にずかずかと入り込むとおれの前まで来て、おれの胸ぐらを両手で掴んでぐっと引き寄せてきた。
「早くあの手紙を返して! 返してよっ」
先輩に胸を揺さぶられながら、おれは今目の前で起こっていることを混乱しながら頭の中で整理しようとした。
手紙を返して? 先輩の手紙がなくなったのか? それもダレかに盗られて……
「待ってください! おれはそんなの知りませんっ。盗んでなんかいません!」
「嘘! あの手紙と置いてある場所のことを教えたのはあんたたちだけ! なんで私の邪魔をするの!? いっから返してよっ」
「本当に判らないんです! 信じて──」
「黛くんを離してあげてください」
悲鳴をあげるおれとあやみ先輩の間に、凛音さんの声が飛び込んできた。
おれと先輩は凛音さんのほうを向くと、凛音さんはおれと先輩のことをじっと見つめていた。
「黛くんは無実です。彼は何も知りません」
凛音さんはそう言って、おれから手を離した先輩のところにきて、自分より少し身長が高い先輩の顔を軽く見上げた。
「先輩のロッカーから手紙を盗んだのはわたしです」
凛音さんのその一言で教室の中が急に静かになって、外からランニングをしている運動部員の掛け声がまた聞こえはじめた。




