春28:消えた未来
「きょう手紙を渡すつもり」
お昼休みの時間、校舎の屋上につながる階段でおれと夏希と凛音さんはあやみ先輩と会った。
「手紙の清書も終わって準備は整ったし、先延ばしにしていつまでも怖気ついて出せないままでいるより、思い切って実行に移すのが一番だと思って。きょうの部活が終わったら渡そうと思う」
あやみ先輩は手を突っ込んでいた制服のポケットから手を出すと、そこから四葉のクローバーのシールで閉じてある封筒を出した。
封筒のあて名の部分には”藤堂先生へ”と、緑色のペンできれいな字で書かれている。
きのう、公園であやみ先輩から聞いた話をもとに凛音さんがまとめたラブレターの内容を、昨晩の間にあやみ先輩があらためて自分の字で書いて仕上げたらしい。
それがいま、先輩が指で挟んで持っている封筒の中に入っているってことだろう。
「ずっとそれポッケに入れてたんですか、先輩」
壁にもたれかかりながら夏希が先輩に言った。
「落としたり、何かのはずみでほかのダレかに見られたりでもしたら大問題でしょ。部活で着替える前に自分のロッカーにカギかけて入れるまでは、自分で持っておくつもり」
「その手紙と一緒に持ってる紙も?」
夏希は先輩が封筒と一緒にポケットから出した四つ折りの紙に目をつけた。
あやみ先輩が折りたたんであった紙を広げると、先輩が立っている段の数段下に座っていたおれは立ち上がって、先輩の手もとをのぞき込んだ。
「あやみ先輩、それって」
先輩が手紙と一緒に持っていたのは、部活の退部届だった。
退部する部の名前としてバレーボール部と、先輩の名前が書いてあって、保護者の名前と、退部する部の顧問の名前を書き込む欄が空欄になっている。
「もしうまくいったら、関係を持ったままみんなに内緒で部に居続けることはできるかもしれない。でもうまくいかなかったら、もう私はバレーボール部には居られない。判るでしょ、私の言ってる意味」
わざわざ細かく説明されなくっても、おれはあやみ先輩の言ってることが理解できた。
自分に告白してきた教え子に、今までのように他の部員と同じようにバレーを教えることなんてできるわけがない。絶対にぎくしゃくするに決まってる。
あやみ先輩だって、藤堂先生がそうなるコトに耐えられるわけないはずだ。
「先輩はこれからどうするんですか」
階段の前に立っていた凛音さんが見上げながらあやみ先輩に訊いた。
「何も考えてない。とりあえず今日やることが終わって、返事をもらってからかな。告白する前に振られた後のコトとか考えたくないし」
あやみ先輩はそう言って小さく笑うと、封筒とたたみ直した退部届をポケットの中にしまった。
「あ、凛音、こんなところにいた」
遠くから足音が聞こえてきたかと思うと、凛音さんに呼びかける女子の声がおれの耳に届いた。
階段から廊下のほうを見ると、凛音さんの友だちの胡桃さんが駆け足で凛音さんのいるところにやってきたのに気がついた。
「購買でふたつ買ってきたよー、アセロラフレンチトースト。明日は凛音が買いにいく番だからね」
胡桃さんが手に持っていたパンを凛音さんに渡すと、おれたちのほうをちらっと向いた。
「あれ、黛くんと奥寺さんもいたんだ……あ」
胡桃さんにおれたちと一緒にあやみ先輩がいたのに気がついてか、慌ててもう一度凛音さんの顔からこっちを向いた。
あやみ先輩の顔を見て、なぜか胡桃さんは照れくさそうに笑った。
「どうも。お疲れ様です、先輩」
「……お疲れ様」
あやみ先輩はぼそっと言って胡桃さんに返事すると、制服の中のポケットに手を突っ込んだまま階段を降りてそのまま廊下を歩いていってどこかに行ってしまった。
「朝比奈先輩と一緒にいたのって、もしかして昨日やってた話の続きしてた?」
あやみ先輩が目に見えるところから完全にいなくなると、胡桃さんが目をキラキラ輝かせながらおれに訊いてきた。
「まあ、そんなとこ。昨日の話、知ってたの?」
「体育館で流れたって話を直接聞いたわけじゃないけど、もうあたしら女バレの一年の間じゃ超話題だよ。朝比奈先輩、いつもアタシたち一年生の練習見てるから」
「部活してる時のあやみ先輩、どんな感じなの? おれたちあんまりその辺知らないんだけど」
「超厳しい。オニだよ。悪魔」
胡桃さんは階段に座ると、自分のぶんのパンのビニールの包みを開いて、その中なかのンにかぶりついた。
「学校の外周走ってランニングしてる間はずっと横で一緒に走りながら『かけ声小さい!』『ペース落とすな』とか締め付けてくるし、それ以外でも筋トレとかひたすらレシーブの練習してすんごく頑張ってるのに、ちょっと一休みすると『あなたたち、やる気あるの?』とかネチネチ言ってきてさ」
「それは……だいぶキツいかも」
胡桃さんから部活のあいだのあやみ先輩の話を聞いて、おれはちょっと引いてしまった。あの人、部活じゃそんな感じの人なんだ……
「ほんっっとキッツイよー。近くにいるだけでプレッシャーだもん」
「バレー部入らなくてよかった。もともと入るつもりもなかったけど」
夏希が階段の手すりに持たれかかったまま気だるげな笑みを浮かべた。
「それで先輩は誰のコトが好きなの? 先輩から聞いてるんでしょ、恋愛相談に乗ってたってコトはさ。凛音、教えてくれなくって」
「話すわけないでしょ。人様の個人的な話なんだから」
おれに質問してきた胡桃さんに、凛音さんはあきれた顔をした。
「知ってるよ。今朝訊いた時に言ったのと同じじゃん。でも誰が好きだろうとさ、あの先輩がぐちゃぐちゃに泣いちゃうまで好きな人がいるって、なんか先輩に親近感わいていいな」
胡桃さんはもしゃもしゃとパンと食べ進めながらおれたちに言った。
「ヘンな言いかただけど、あの人もあたしたちと同じ人間なんだなって。今は正直ちょっと、いやけっこう苦手な先輩だけどさ、それでも、いつか仲良くなって恋バナとかできるようになったら、それってなんかいいなって気がする。黛くんは判る? この感じ」
パンの耳の最後のところを口に入れてもごもごさせながら、胡桃さんはおれに向かって言った。
「……なんとなくね」
おれは胡桃さんにほほえみながらそう答えたけど、胡桃さんが言ってるようなそんな時が来ることは、もうないんだろうなと思った。




