春22:うそつき
「ええっと、おれたちは演劇部に頼まれてこの機械の調整を……」
おれが突然目の前に現れたあやみ先輩に言い訳を始めようとすると、横から凛音さんにガッ! とヒジを入れられた。
「うぐッ!」
じんじんとした痛みが来る脇腹を押さえて前かがみになりながら、おれは凛音さんの顔を見上げた。凛音さんはおれを見下ろしながら冬の吹雪のような冷たい目をしていた。
そんなにダメ? ウソついてやりすごそうとするの……
「見えていましたか、わたしたちのこと」
おれがもだえている横で凛音さんがあやみ先輩に訊いた。
「逆に見えてないとでも思ったの? こんなところから双眼鏡を使って私たちのこと監視するなんて、完全に不審者の類でしょ」
あやみ先輩は片方の手を腰に当てて、もう片方の手をぶらんとぶら下げると、ため息をついて一瞬だけ床に目線を向けて、もう一度おれたちのほうを見た。
「昨日のコトは、無しにするんじゃなかったの?」
先輩はどうしておれたちがここにいるのか、その理由に気づいているみたいだった。
「正直に言いましょう」
夏希は両手を身体の前で組んだ。
「アタシとここにいる凛さんは昨日の件は、無しにするべきだと思ってます。望み薄だし、もし告白がうまくいく見込みがあったとしても、相手が教師で、そのうえ家庭がある人を寝取る手伝いをする気はさらさらありません。アタシらはトラブルメーカーかもしれないけど、そこまで無責任じゃない」
夏希は落ち着いた態度であやみ先輩と向き合った。
あやみ先輩はじっと黙って、夏希に何も言い返そうとしなかった。もしかしたら、先輩も心のなかでは夏希が今言ったコトと同じコトを思っているのかもしれない。
それでもやっぱり先生のことが好きだっていう気持ちと、諦めきれないって気持ちがあるから、昨日、おれたちを頼ってきたんだろう。
あやみ先輩がずっと口を閉じていると、夏希が「でも」と言った。
「アタシたちが反対でも、央士は違うと言っています。央士が諦めちゃいけないって言っている以上、アタシは考えてみる価値があると思ってます」
夏希の言葉で、あやみ先輩が夏希からおれに目を向けた。
先輩に刺すような鋭い目で見られて、おれは思わず背すじを伸ばした。
部屋の扉のところにいた先輩が、扉のドアノブに付いているつまみを回してカギをかけると、体育館のスピーカーの音や舞台の照明の調整に使う機械の近くにいるおれのところへ来た。
そして先輩はおれのほうに手を伸ばすと、そのままおれの後ろにある体育館の全体が見える窓に黒いカーテンをかけた。
「さっきから不用心すぎ。絶対他に聞かれちゃいけない話を、こんなみんなから見えるところでペラペラと……」
おれの顔のすぐ横でカーテンをかけながら先輩は言った。
カーテンで部屋の中が外から完璧に隠れると、あやみ先輩はおれの顔を向いた。おれのすぐ近くに先輩の顔があって、先輩の息がおれの顔に当たった気がした。
レバーやスイッチがたくさんあって、アナウンスに使うマイクも付いている機械にもたれかかって、おれはすぐ近くにある先輩の顔を見つめた。
「言っとくけど、私、先生のことはもう諦めたから」
「諦めた?」
おれは先輩の言った言葉をそのまま繰り返した。
「先輩、それ、どういう意味なんですか」
「そのままの意味。あの人のことはもうどうでもいいの」
「どうでもいいって……」
昨日、あんなにうっとりした顔で好きだって言ってた人のコトが、どうでもいいだって?
「昨日その子たちに反対されてやっと気づいた。禁断の愛とか、そういうヤツに憧れてちょっと浮かれてただけ。恋に恋してたんだよ」
先輩はおれに背中を向けると、フッと笑って言葉を続けた。
「だいたいおかしいよね、周りにいるクラスメイトとか先輩後輩じゃなくて、あんなゴツくてむさくて偉そうにしててしょっちゅう怒鳴って、そのうえ怒鳴ると口からツバが出るおじさんのコトを好きになるなんて。本当、どうかしてたんじゃないかな、私」
へらへら笑いながらそう話すあやみ先輩を見て、おれは思わず口の中の奥歯を強く噛みしめた。
あやみ先輩……なんでそんな平気な顔して、そんなコトが言えるんだよ?
先輩が今言ってるコトは全部ウソだって、おれには判ってた。だって……
「……先輩、そんなコト言って、さっき藤堂先生と話してた時、デレデレしてたじゃないですか」
おれがそう言った瞬間、先輩の肩が電流でも流し込まれたみたいにびくっと震えた。
おれはもたれかかっていた機械から、台の上を手で押して立ち上がった。立ち上がる時、機械に付いている部品が手に当たって少し痛かった。
今はカーテンに隠れて外が見えなくなっているこの窓で、おれたちは藤堂先生と話すあやみ先輩の姿を見た。
あの時、先輩は好きな人と一緒で恥ずかしい気持ちと、すぐ近くで話せて嬉しい気持ちが混ざった、とっても幸せそうな顔をしていた。
だけど今の先輩は違う。
「あやみ先輩……涼しい顔してカッコつけてるつもりかもしれないけど、今の先輩、死ぬほどダサいです」
そうやって先輩に言いながら、おれは自分でも酷いコト言ってるって気づいてた。
だけど、それでもあやみ先輩に言わなきゃダメだって思った。
先輩は自分の気持ちをゴマかしてる。そうすればキズついたり、「絶対に叶っちゃいけない恋」に悩まずに済むって思ってるから……
「先輩の気持ちは判ります。おれだって、叶わない恋には心当たりがあるから。でもだからって、好きな相手のコトを悪く言うなんて絶対間違って──」
「いちいち言われなくてもそんなコト判ってるに決まってるでしょ!」
先輩の声が狭いこの部屋の中に響いた。
おれに背中を向けている先輩の顔はこっちからよく見えないけれど、それでも先輩のほっぺたに涙が流れて、落ちていっているのが見えた。
「ようやく真っ向から否定されて諦めがつくと思ったのに! 何なの!? 諦めろって突き落としたかと思ったら諦めるなって説教してきて! あんたたちは私をどうしたいの!?」
「先輩を困らせてしまったコトは謝ります、本当にごめんなさい。だけどおれ、まだ先輩にはやれるコトがあるって思うんです」
「何なの、やれるコトって」
あやみ先輩は鼻水をズルズルとすすって、涙を手でぬぐった。
「一緒に書きましょう。ラブレターを」
あやみ先輩がおれのほうに振り向いた。目のまわりが赤くはれてて、顔はぐしゃぐしゃになっていた。
それでもおれには、藤堂先生のコトを悪く言ってたあやみ先輩より、いまの先輩のほうが何億倍も綺麗に見えた。
「告白は一回相手に話したらもう戻れないけど、ラブレターなら書いた後、相手に渡すかどうか考えるコトができる。書くだけ書いてみて、自分がどれくらいあの人のことが好きなのかもう一度確かめないと」
先輩は迷ってる。でもラブレターを作って思ってるコトを形にすれば、自分の本当の気持ちがはっきり見えるかもしれないって、おれは思った。
「やっぱり好きじゃなかったとか、気のせいだったとか、そんなコト考えるのはそれからでもいいんじゃないですか?」
先輩がおれのことをじっと見つめた。そして先輩は下を向くと、また小さく泣き声をあげ始めた。
「まあ、おれは手紙書く才能とかないから、凛音さんに手伝ってもらわなきゃいけないんですけど、凛音さん、手伝ってくれるかな……凛音さん?」
おれは頭をかきながら、同じ部屋にいる凛音さんのほうを向いた。
すると凛音さんは、なぜか青白い顔をしておれに向かって人差し指をさしていた。
「え、なに、どうしたの? おれ、どうかした?」
「黛くん、それ……」
震えている凛音さんの指先がおれのいる場所から少しずれているのに気がつくと、おれはその方向に目を向けた。
凛音さんが指していたのはおれの後ろにあった、体育館中のスピーカーの音量を調整する機械だった。
おれは機械の上のレバーやスイッチやらを見た。
するとスイッチのひとつが赤く光っていたのに気がついた。透明なプラスチックでできたスイッチのなかの小さなランプが光っているらしい。
そしてそのスイッチの下にはビニールテープが貼ってあって、テープには名前ペンで”マイク出力ON/OFF”と書かれていた。
マイク? マイクって、この機械に付いているこのマイクのことか?
さらによく見ると、機械に付いているレバーが全部上がっている状態になっていた。
下に付いているビニールテープの説明書きからして、マイクから入った音をスピーカーから出す時の音量調節に使うものらしい。
おかしいぞ、ここにきた時はレバーは全部下がってたはずなのに。
「あー……央士、もしかしてさっき立ち上がった時、それ、触ったりしなかった?」
夏希が機械を見ながら言った。
そういえば機械にもたれかかって、台の上を手で押して立ち上がった時、何かが手に当たった気がする。
え。じゃあ待てよ、マイクのスイッチがオンになってて、スピーカーの音量調節のレバーも上がってるってコトは……
とんでもないコトに気づきはじめたその瞬間、外から部屋の扉を叩く音が聞こえた。
「お前ら、さっきから何を騒いどるんや! 鍵開けて出てこんかい!」
外から男の人の怒鳴り声が聞こえた。少し高くて掠れた声だった。
「藤堂先生」
怒鳴り声を聞いて、あやみ先輩がつぶやいた。じゃあこの人が藤堂先生なのか?
そしてこの人は、今おれたちがしてた話をここにあるマイクを通じて、体育館のスピーカーから聞いて……
「し、しまったああぁーッ!」
「い、いやああああああっ!」
おれとあやみ先輩の叫びが、この部屋どころか体育館中に響いた……




