春19:甘い女
机の上にあったお菓子をいったんどけると、凛音さんがあやみ先輩の座った席に紙コップを置いてオレンジジュースを注いだ。
「朝比奈先輩、どうぞ」
「ありがとう。一応部活の時間だから、あんまり長居するつもりはないんだけどね」
あやみ先輩は紙コップを取ると、オレンジジュースを軽く一口だけ飲んだ。
「ラブレターの代筆って、雅臣をアテにして来たのかな」
おれは教室の隅に立って、目の前にいる夏希の耳もとに向かってこそこそと小さい声で言った。あいにくここ何日かのあいだに起こった事件が理由で、雅臣からは面会謝絶を喰らってる。
「だろうね。アタシらそっち方面はペーペーだし、どうやって断ったもんかな」
「私に言いたいことがあるならハッキリ言ったらどう? 聞こえてるから」
おれが夏希と話していると、席に座ってるあやみ先輩は紙コップを置いておれたちのほうをまっすぐ向いた。先輩の目つきは鋭くて、見られるだけで縮こまりそうになった。
「あなたたち、前もうちの部の陰口叩いてたよね。そうやってこそこそ話すのが趣味なの?」
あやみ先輩がそう言うと、凛音さんがその辺の草むらでトカゲとかヘビに出くわした時みたいな引きつった顔でこっちを見た。
「ふたりとも、そんなことしてたの?」
「いや? そんなことしたっけ?」
おれは頭にはてなマークを浮かべながら、横にいる夏希に言った。
「ちっとも覚えてない」
夏希が肩をすくめて答えた次の瞬間、あやみ先輩は呆れた顔をして席から立ち上がった。
「もういいわ。これ以上ここにいるのはお互い時間のムダね。邪魔したわ」
「あの、ちょっと待ってください」
教室から出て行こうとしたあやみ先輩を引き留めようとしたのは凛音さんだった。
「私でよければ力になります。もう一度座ってお話ししませんか。先輩と先輩の好きな人のコト、教えてください」
凛音さんがあやみ先輩の前まで駆け寄ると、先輩は小さく息を吐いて、さっきまで座っていた椅子に座り直した。
「ありがとうございます。ちょっと準備するので待っててください」
凛音さんは近くの席から椅子を取ると、先輩のいる席の机を挟んだ向かい側へ動かした。
そして教室に置いてあった自分のカバンからルーズリーフと筆箱を出すと、それを先輩の前の机の上に置いた。
「わたしに任せて。わたし、作文とか手紙にはそんなに苦労しないタイプだから」
棒立ちになってたおれたちに凛音さんが笑って言った。
「知ってる。頼りにしてる」
おれがそう返すと、凛音さんが席について筆箱からシャーペンを出した。おれと夏希も近くから椅子を動かして、先輩と向き合う凛音さんの両隣にそれぞれ置いて座った。
「参考にするためにメモを取りたいんですが、大丈夫ですか」
「よそに見せたりしなければ、だけど」
「約束します」
凛音さんはシャーペンを握ると、ルーズリーフにメモを書き始めた。
「最初に、先輩はなぜわたしたちなんでも部に今回の依頼をしたのか教えていただけますか」
おお、質問の内容がそれっぽい。
凛音さんが質問をすると、おれと夏希は先輩のほうに目線を向けた。
「自分が誰かのコトが好きなんて話、親や先生にする気になんかなれないから。クラスや部の友だちに話すのも茶化されたりしたら嫌だし、万が一そこから話が漏れる可能性も考えると、ね。だから本来この件とは無関係なあなたたちのところに来たの」
ふんふん。なるほどね。もっともな理由だ。もう少し友だちのこと信じていい気もするけど。
「わたしたちのコトを頼っていただけて嬉しいです。では本題に移りましょう。先輩の好きな方は、どんな方ですか?」
凛音さんにそう訊かれると、あやみ先輩はおれたちから目をそらして、顔を少し赤くしながら肩を揺らして、もじもじし始めた。
ここが重要だ。今のところおれたちはあやみ先輩が好きな人がどんな人なのか全く知らない。
クラスメイトとか先輩とか後輩とか、同じ部活の人とか。はたまた今は別の学校に通ってる幼なじみ、とか。
「あの人は……意外と可愛いものが好きで、可愛いものを見る目が可愛くて、好き。」
あやみ先輩は顔をりんごみたいに赤くしながらおれたちにそう話した。
そうか、先輩はその人が可愛いものを見る顔が好きなのか。どんな人なのか知らないから意外とって言われてもどう意外なのが全然判らないけど。
「先輩もそうやって意外と可愛い顔するんですねえ。お似合いのカップルかもですよ」
夏希がニマニマした顔でからかうように先輩に言うと、先輩は「なっ!」と声をもらしてさらに顔を赤くした。確かに先輩は胡桃さんとかおれとかへの当たりがちょっとキツい感じがする人だけど、こうやって好きな人の話をしてる顔は超可愛い。
「いてっ! 何するんだよっ」
おれは左のほっぺたが急に痛くなったのを感じて隣を見ると、凛音さんを挟んで隣にいる夏希が笑ったままの顔でおれのいるところまで手を伸ばして、ほっぺたをつねってきていたのが判った。
「だらしねえ顔してたからだよ」
「いや、先輩のこと可愛いと思ったのはそうだけど、夏希から始めた話なのにそれはないだろ!」
「ふたりとも、ちょっと静かにしてくれる?」
おれたちが騒いでいると、間にいる凛音さんが落ち着いた声色で言った。怒ってる感じを前に出さないのが逆に怖い。
はい、すみません。静かにします。おれたちはしゅんとして手を膝の上に置いて縮こまった。
「先輩がその方のどんな点に惹かれるのは判りました。今回先輩はラブレターの代筆をわたしたちに依頼したいとのことでしたが、面と向かって話すのではなく、あえて手紙で自らの想いを伝えるという手段を選んだ理由もお聞かせ願いたいのですが」
凛音さんがそう訊くと、あやみ先輩の顔からさっきまでの熱が抜けたみたいだった。
先輩はうつむいて机の上に目線を向けると、小さく口を開いてぼそぼそした声で話し始めた。
「私、口下手だし、あの人に言葉でなんて伝えればいいのか判らない。文を書くセンスもないし、それに好きな理由が可愛いものを見る顔が好きだからってだけなのも、バカっぽいじゃない。その程度の理由であなたを好きになったなんて、書けない……」
「いいじゃないですか、それで!」
凛音さんは目をキラキラさせながら、先輩に明るい声で言った。
「わたしはとっても素敵だと思います! それに、そうやって自分の好きに対して真剣に悩めるってことは、先輩は本当にその人のことが好きでたまらないってことの何よりの証明じゃないですか」
凛音さんは一気にそう言うと、ペンを置いてあやみ先輩の手を両手で握った。
「わたし、先輩のこと全力でサポートします。だから先輩もわたしたちのこと、全力で頼ってください。先輩の恋が成就できるように頑張りますから!」
手を握られながら凛音さんにまっすぐ見つめられて、あやみ先輩はあっけにとられてるみたいだった。
「……本当に私の恋、成就できる?」
先輩が不安そうに言うと、凛音さんは首を縦に大きく振った。
「できます! わたしたちのこと、信じてください!」
凛音さんの張り切りぶりに先輩だけじゃなくって、おれと夏希も少し圧倒されてた。
どうして凛音さんはここまであやみ先輩のために頑張ろうとできるんだろう?
もしかしたら、自分の失恋のキズを癒すために……自分はダメだったけれど、それでも他の誰かの恋を助けることができるなら……そう思って、先輩を支えようとしているのかもしれない。おれの勝手な思い込みかもしれないけど。
でも理由がなんであれ、それがプラスのパワーになるんだったら、おれは凛音さんの力になりたいと思う。
「おれも先輩のこと、支えますよ」
おれは手を膝の上に置いたまま向かいの席にいる先輩に向かって身を乗り出した。
「不安に思うことがあったらなんでも言ってください。おれたちができる限りなんとかしますから」
先輩はおれと凛音さんの顔を交互に見た。
するとずっと強張っていた先輩の顔が、すこし緩んだように見えた気がした。
「自分が恥ずかしいな。一度突っぱねて帰ろうとした私に、ここまでしてくれるなんて……よろしくお願いします」
「はい! 任せてくださいっ」
凛音さんはもう一度机の上にある自分のシャーペンを手に取ると、メモを再びとり始めた。
「ではラブレターを書くためにその方がどんな方のか、もっと詳しく教えていただけませんか? どの学年のクラスの人なのかとか、その方とはどのくらい親しいのか、関係性を教えていただければと思うのですが」
「そうね……その人は厳しい人で怒ると怖いけど、でも褒めてくれる時の顔が見たくていつも頑張りたくなって……」
あやみ先輩がまたもじもじし始めながら話し始めた。
相変わらずどんなの人なのかハッキリ見えてこないけど、でも怒ると怖いとか褒められたいとかの話を聞く感じ、部活の先輩とかかな?
「だからいつも私頭がいっぱいなの。藤堂先生のことが……」
「そうですか、藤堂先生のことが……先生?」
凛音さんのメモを取る手がピタッと止まった。
怖い女神にニラまれたみたいに、おれと凛音さんは石みたいにぴたっと固まった。
「えーっと、あの……いま、誰って言いました?」
ようやく凛音さんが口を開くと、あやみ先輩は甘いものでも食べたみたいにうっとりとした顔をした。
「藤堂先生。私のいるバレー部の顧問の先生。先生のためなら、私、なんでもできる……」
凛音さんがおれの顔を向いた。
おれは何も答えられなかった。
おれと凛音さんはすがるように夏希の顔を見た。
夏希は目を閉じたまま、首を横に振るだけだった。
どっちも頼りにならないと判ったのか、目を閉じて凛音さんはすーっと息を吸うと、前を向いて目を開けて、あやみ先輩の顔を見た。
「すみませんが、先輩、今回のご依頼、少し考え直してもよろしいでしょうか……」




