春12:ランナウェイ
「ああ、君か。うちに入部届を出しに──おい、どうしてお前たちが一緒にいる」
文芸部の部室にやってきた凛音さんを部屋の扉を開けて出迎えた雅臣は、凛音さんの後ろに控えていたおれと夏希のことが目に入った瞬間、露骨にイヤな顔をしだした。
「雅臣の助けがいるんだ」
おれが凛音さんの肩越しに雅臣に向かってそう言うと、雅臣は部室の中を一瞬だけ振り向くと、もう一度おれたちを見てため息をついた。
「それで、鵜野森の妹の行方が判らなくなったのは何時のことだ」
文芸部の部室の近くにあったガラ空きの教室に場所を移したおれたちは、凛音さんから彼女の妹さんが行方不明になったことについて、詳しく訊くことにした。
「今朝は部活の朝練で早く家を出て学校に行ったはずなんだけど……さっき妹が通ってる中学から、妹が朝から無断欠席しているって連絡が来たの」
椅子に座っている凛音さんは、自分の席の隣に立っている雅臣の質問に答えた。
「鵜野森の妹が通ってる中学は?」
「三ツ谷中」
「家の場所は?」
「谷賀原町だ」
きのうバスで一緒に凛音さんの家まで行ったおれが代わりに答えた。
「谷賀原町か。三ツ谷中は目と鼻の先だ。もし失踪したのが始業前だとしたら、朝早くにこんな短い距離を移動している間に人攫いにあったとは考えにくいな」
雅臣はほんの少しの質問とその答えだけで推理を組み立てていった。
「だとすると自ら行方をくらましたという可能性がある。ようは家出だな」
家出、という言葉が出た瞬間、凛音さんの肩がびくっと大きく震えたのが見えた。
「家出……」
「立ち入ったことを訊くが、最近家庭内でトラブルがあったりしたか?」
雅臣にそう訊かれると、凛音さんは机の上を向いてうつむいて、近くの机にもたれかかっているおれたちから表情が見えなくなった。
「……昨日、妹と喧嘩をしたの」
凛音さんはぼそっとつぶやくように言った。
「もしかして、おれが家に送っていった後に聞こえた……」
おれがそこまで言うと、凛音さんは小さく顔を上げて頷いた。凛音さんの表情は暗かった。
「長い間好きだった幼馴染に失恋したばかりなのに、わたしがすぐ別の男子とふたりっきりで出かけたことに妹はものすごく嫌悪感があったみたい。軽蔑されたの」
「おれとのデートは自分から望んだコトじゃないだろ」
おれが凛音さんに言うと、凛音さんは首を横に振った。
「胡桃や黛くんのことは言わなかった。結局、最後にそうするって決めたのはわたしだから」
「メンドーな人らだねえ。姉妹揃って」
おれのいる隣の席で、おれと同じように机に腰を軽く乗せていた夏希が言った。
「しかしまあ、これで決まりだな」
雅臣が自分の頭をかきながら言った。
「もし失踪の理由が家出だとしたら、動機はこれだろうな。姉に対する行き場のない感情の暴走が招いた出奔といったところか」
「やっぱり……」
凛音さんは小さく言葉を漏らした。
もしかしたら、凛音さんも妹さんがいなくなった理由に薄々勘付いていたんだろう。だけど自分のせいだとハッキリしてしまうのが怖くて……
「それでどうする、雅臣。おれたちに何かできることはあるかな」
おれがそう訊くと、雅臣は「そうだな」と言って腕を組んだ。
「俺がアドバイスできることは一つ。警察に頼れ」
「そんな」
「そんなもこんなもないだろ。公的機関に任せるのが一番だ。警察には行方不明者届を出したのか」
雅臣が凛音さんに向かって訊くと、凛音さんは顔を上げた。
「妹の学校から連絡を受けて、お母さんが警察に相談に行ってる」
「じゃあやるべきことは終わった。あとは警察が全部やってくれる。俺たちがすべきことは何もない。俺は部室に戻るからな」
「待てよ、雅臣」
おれはさっさとこの教室から出ていこうとする雅臣を引き留めようとした。
「警察に任せて、おれたちは何もしないでいいって言うのか」
「そうだ、その通りだ。代わりにやってくれるプロがいるのに、俺たちが出しゃばる必要がどこにある」
「でも、そんなの冷たいだろ……!」
おれはこっちに背中をむける雅臣に向かって言葉を投げかけた。
「凛音さんのこと考えろよ。自分の妹が心配でいてもたってもいられない。なのにじっと待っているだけなんて、そんなことできるわけないだろ。おれたちにやれることがあるなら、」
「鵜野森には気の毒だが、俺には関係ない話だ。俺はこの件から手を引かせてもらう。妹さんの無事を祈ってるよ。それじゃあな」
「雅臣!」
おれが引き留めようとしても、雅臣は教室の扉に足を向けたまま、振り返ってくれなかった。
そして雅臣が教室の引き戸に手をかけた時……教室のなかで、誰かがすすり泣く音が聞こえた。
声の主を向くと、泣いているのは凛音さんだった。
「あーあ、泣―かした、泣―かした」
夏希が凛音さんのそばに立って彼女の頭を撫でながら、雅臣に言った。
「見損なったね。女の子を泣かして、その上その子を放って帰っちゃうなんて」
「待てよ……俺は泣かせるつもりなんて」
雅臣は夏希と凛音さんのいるほうに振り返って言った。
「俺はただ、警察に任せておけば何とかなるって言おうとしただけで」
そう弁解しようとする雅臣だったけど、夏希はそんな雅臣に向かって追い払うようにひらひらと手を振った。
「いいよ、マサがいなくたってあとはアタシらが何とかするから。マサは帰っていいよ。それじゃバイバイ、また明日」
夏希にバッサリとあしらわれると、雅臣は口を閉じて両手の拳を握った。そしてその拳に力が入ってぷるぷると震え出すと、その震えが腕から肩につたわって、最後は堪えきれなくなったように雅臣は「ああ、もう!」と大きな声をあげた。
「判ったよ! 俺も鵜野森の妹探しに付き合う! その代わり、俺を入れるからにはお前たちは俺の指示にきちんと従え! これでいいな!」
雅臣はおれたちに向かって人差し指を立てながら、叫ぶように言った。
雅臣はいつもこうだ。最初はおれたちのやることにノーと言って猛反対するけど、最後の最後はなんだかんだ言いながら、おれたちに協力してくれる。
そしてそんな雅臣に、おれたちは毎回助けられてる。
「ありがとう。頼りにしてるよ」
おれは雅臣に向かって笑って言った。
「夏希も、それでいいよな」
「央士が言うんならね」
夏希がおれに目配せをすると、続けて凛音さんのほうに目を向けた。
「と、まあ、マサは泣き落としに弱いんだ。覚えとくといいよ、凛音サン」
「は?」
雅臣が夏希の言葉に口をぽかりと開けると、凛音さんの顔を見た。
凛音さんの顔にもう涙はなかった。そして凛音さんのいる机の上には、小さな目薬のボトルが置いてあった。
「おい待てよ、あんた、それは……」
目薬の存在に気がついた雅臣が、わなわなと震えながら言った。
「ええっと、花粉症用の目薬。奥寺さんから、いざというタイミングで使うといいって言われてて……」
凛音さんが雅臣に申し訳なさそうに話した。だけど雅臣の怒りは明らかに凛音さんとは別のところに向かっているみたいだった。
「奥寺ァ! お前、また俺をコケにしてくれたなっ」
夏希にドナり散らかす雅臣だったけれど、夏希のほうは「まあまあ」と落ち着いた様子で雅臣をなだめようとした。
「お説教なら後で聞くからさ、とにかく今は凛音さんの妹ちゃんを探す方法について考えようよ。どう? 何かいいアイデアない?」
自分の怒りを気にもしていない様子の夏希に雅臣は何か言おうとしたみたいだけど、近くにいる凛音さんがじっと自分のことを見つめていることに気がつくと、雅臣は凛音さんのほうを向いた・
「ごめんなさい、騙すようなマネをして。でも、一緒に妹を探して欲しいの。お願い、わたしを助けて」
凛音さんがそう言って頭を下げると、その姿を見た雅臣は深いため息をついて、さっきまで夏希へ向けていた怒りをゆっくりと落ち着かせた。
「……とにかく、人手が必要だ。おれたち四人だけじゃ大した捜査もできない。なるべく大勢を動かして聞き込みをしたい。アテはあるか?」
雅臣がこっちに向かって訊くと、おれは「雅臣も知ってるだろ」と返した。
「アテなら数えきれないくらいあるよ」
◆◆◆
「ん? 黛からラインが来たぞ」
合唱部の部室で、この部に体験入部をしているサブローが制服のポケットの中に入れた携帯に通知が入ったことに気がついた。
「ダメだよー、新入生。部活中にケータイ触っちゃ」
三年生の部員がそう言ってサブローを咎めたが、サブローは携帯の画面に表示されたメッセージに目を通すと、そのまま真剣な眼差しを年長者に向けた。
「すみません、先輩。俺、部活を早退します。行かなきゃいけない用事ができたんです」
◆◆◆
「聞いたか、黛のこと」
合唱部から抜け出したサブローが、英会話部にいるジローを連れ出して訊いた。
「ああ、おれにもラインが入った。イチローは知ってるかな」
「あいつはバスケ部だ。携帯を部室に置いていて、まだ気づいていないかもしれない。伝えに行かないと」
サブローとジローはバスケットボール部のある体育館に向かうと、そこではイチローたちをはじめとする体験入部中の一年生がフリースローの練習をしているところだった。
「どうしたんだ、君たち。こっちは練習中だぞ」
体育館に入ろうとするサブローとジローを、二年生のバスケットボール部員が止めようとした。
「用があるなら練習の後にしてくれないかな」
「待ってください。俺たち、イチローに伝えなきゃいけないことがあるんです。おれたち、黛央士から召集がかかっているんです」
黛央士、と名前が出た瞬間、二年生の部員の顔が固まった。
「黛央士……日暮中の、”なんでも部”の黛か?」
彼がそう言うと、体育館の中で練習をしていたバスケットボール部をはじめとする運動部の部員たちの動きが止まった。
「それなら話は別だ。入ってくれ。おれたちみんな、”なんでも部”には借りがある」
◆◆◆
十数分後。西吾妻高校の自転車置き場には、大勢の生徒たちが集まって自分の自転車を引き出す光景が見えた。
「お前、黛に言われて来たのか」
自分の自転車の鍵を開けて動かそうとしている男子生徒が、隣で自転車を外に出そうとしている別の男子生徒に尋ねた。
「ああ、お前もか?」
「部活中に急に知らされたんだ。先輩たちもいま大急ぎでここに来てる」
そう話すふたりに、横から彼らのクラスメイトの女子生徒が話しかけた。
「君たちも? あたしたちは夏希に頼まれたんだ」
「やっぱり、奥寺からも来てたか。まったく、あの連中は相変わらずだな。まだこの学校で”なんでも部”を立ててないっていうのに!」
男子生徒がそう声をあげると、隣にいた別の男子生徒が既に自転車のサドルにまたがった状態で「行くぞ!」と声をかけた。
そして彼らが自転車乗り場から校門の外へ飛び出していくと、彼らと同じように何十台もの自転車が一斉に学校の表の通りに出て、そして別々の方向へと別れていったのだった。