春7:別れの言葉
二月の終わりになって、卒業式の日が近づくにつれて学校では卒業式の練習の時間が日に日に増えていった。
私立、公立の高校入試が終わり、私立の高校に受かって公立高校の合格発表を待っていたわたしに対して、一ヶ月も前に高専の推薦面接を受けた渚のもとには、もうすでに合格通知が届いていて、わたしたちのクラスの中で一番早く進学先が決まった生徒になっていた。
「卒業生の答辞で話すこと、まだ考えてるの?」
帰り道で、わたしは隣でリュックサックを背負って歩いている渚に話しかけた。
リュックサックの中には、授業の時間が減って使う量の減った教科書の代わりに、図書室で借りた本がたくさん入っている。中学を卒業して図書室が使えなくなる前に、一冊でもたくさん蔵書を読みたいみたいだ。
「どんな話をすればいいのかちょっと困ってるんだ。大勢で話すのにはいつまでたっても慣れないから。元生徒会長だっていうのにね」
渚は困った顔を浮かべてわたしに言った。
中学に入って色々と進路について考えていくなかで、どこの部活にも入らないという選択をしたわたしたちは内申点がちょっと弱くなることに気がついて、学校の課外活動に参加することにした。
生徒会選挙に立候補したのはそのためだった。渚が会長で、わたしが副会長に立候補した。どっちの役職も相手候補が出なかったから、信任投票でわたしたちはあっさりと生徒会役員になった。
生徒会の仕事では運動会や合唱コンクールといった学校の行事を取り仕切ったり、学校の外で地域のごみ拾いやスポーツイベントのお手伝いといったボランティア活動をしたり、よその学校の生徒会との交流会に出たりした。
わたしも渚も、表に出るのは苦手な性格だったけれど、それでもふたりでいればなんとかなるって感じていたし、実際なんとかなってきた。
小学校の高学年のころから、渚に対してぼんやりと恋心を感じていた。修学旅行の夜に宿の部屋で恋の話題が出た時はすぐに渚の顔が浮かんでいたし、周りにいた同じ部屋の子達もそれをすぐに見破っていた。
そしてそれは中学二年生の間、生徒会にいた丸一年間で一緒に過ごしてきた中で、確信に変わっていった。
この人とだったらうまくやっていける。この人と以外なんて考えられない──
入試が終わってから、学校や帰り道で渚と二人きりになるたびに、今日こそ渚に自分の気持ちを伝えなきゃと思いながら、いつも言い出す前になって怖気ついて、告白できないままでいた。
「もう! うかうかしてたらすぐ卒業だよ? 好きなら、好きだって言えるうちに言わなきゃ……」
生徒会に入って知りあって仲良くなった胡桃にそう励まされても、やっぱり怖いものは怖い。
でも胡桃の言っていることは本当だ。進学先が別になるわたしと渚が、こうして帰り道に一緒にいられるチャンスも、あと僅かしかないのだから。
「ねえ、ちょっととんでもない話、していい?」
わたしはつばを飲み込むと、両手を握りしめながら渚に言った。落ち着いて、何でもないような、平然とした態度を装いながら。
「へえ、とんでもない話って、どんな話なの?」
渚はわたしが何を言い出そうとしているのか、まったく判っていない様子だった。十何年も続いてきた自分たちの関係が大きく変わってしまうのも知らずに。
もう引き返すことはできない。息を吸って「渚」とわたしは呼びかけた。
「好きなの、渚のことが。友だちとして、男として。だから、ずっと一緒にいて。お願い」
それがわたしに言える精一杯だった。わたしはぎゅっと目を瞑ると、もう一度両手を硬く握った。
顔が一気に熱くなって、ただでさえうるさく鳴っていた胸のなかの音が、渚に聞こえてしまうんじゃないかってくらい、さらに大きくなる。
やっとそれが落ち着くと、わたしは瞼を開けた。そして、自分の思いのありったけをぶつけた人の顔を見た。
渚がどんな表情を浮かべるのか、考えていなかったわけじゃない。自分への告白を聞いて照れて恥ずかしくなって、さくらんぼみたいに顔を真っ赤に染めるのかな、とか、わたしにはそんなことしか想像できなかった。
だけど渚の顔を見た瞬間、わたしは全身から熱が一気に抜けて行ったのを感じた。
わたしに告白された渚の顔は、青白くなって、どこか怯えているようだったからだ。
たくさんの複雑に絡み合った歯車が突然、今までと違う動きかたを始めたような感じがした。
何かが間違っていると思った。でも何が間違っているのかは判らなかった。
しばらく、お互い固まったように口を閉ざしていた。
長く続いた沈黙を破ったのは、渚のほうだった。渚はぎこちなく口を開くと、震えた声を発した。
「僕は凛音のこと、友だちだと思ってた」
その一言だけで、わたしはすべてを悟った。
告白することを怖がってはいたけれど、きっと渚もわたしと同じ気持ちだと、心のどこかで思っていた。渚も、わたしのことを好きでいるはずだって。
でもそれはすべて、わたしの思い上がりだったのだ。
もうこれ以上、渚の返事を聞きたくはなかった。
でも、渚は続けてわたしにこう言ったのだった。
「付き合うとか、恋人とか、凛音にそういうの考えられないから……ごめん」
渚のこの言葉で、わたしの心はバラバラに砕け散った。
わたしは渚のことを完璧に理解していると思ってた。
一心同体だと思ってた。
渚も、わたしと同じことを考えていると思ってた。
わたしが望む未来を、渚も望んでいると思っていた。
何かが間違っていたんじゃない。何もかもが間違っていたんだ。
それを思い知った時、わたしは渚との今までの思い出も、自分の女としてのプライドも、なにもかもすべてが壊れてしまったのを感じた。
そのあと、どうやって家に帰ったのか判らない。家族は覚えているかもしれないけれど、一生その時のことを訊くことはないだろう。
次の日、ひどい熱を出した。一日じゅう家にこもってベットに横になっていたけど、次の日はもっとひどい熱を出した。
三日目になってようやく熱が下がり始めて、卒業式の日には学校に出られるようになった。
でもわたしは学校に行かなかった。
わたしは卒業式の日、仮病を使って式を欠席した。
だから卒業式で渚が答辞で何を話したのか、わたしは知らない。
こうしてわたしは考えうる限り最低な形で、中学校を卒業した。