プロローグ1:エンゲージリングを君に
澄み切った湖のように曇り一つない青空のもと、生き生きとした鮮やかな緑色に染まった草原をおれは地面を踏むたび足もとの草々のやわらかさを感じながら、太陽の輝くほうに向かって歩いていた。
先にある丘の向こう側から次第にひとりの女性の影が現れてくるのが見えると、おれはさらに先へ、彼女にいるところまで向かって走り出した。
おれは彼女の近くまで行ってその姿をはっきりと見ようとしたけれど、眩い太陽の光を浴びた彼女の姿は完全にここからは影で暗くなって見えなくなっていた。
ただ、麦わら帽子にワンピースをまとい、長い髪をなびかせていることだけは、その黒いシルエットからもはっきりと判った。
おれに背を向けていた彼女は、おれの姿が見えているわけでもないのにその存在を感じ取ったようだった。
「待っていたよ、王子様」
彼女は水晶玉のように透明で綺麗な声でおれに呼びかけた。その一言だけでおれの胸はドキリと鳴って、全身に血液が強く押し流された感じがした。
「約束、ちゃんと覚えていたんだね」
おれは、今目の前にいる女性が誰なのか知っていた。
ずっと忘れられずにいた、おれの人生を変えた思い出の人。おれはそんな彼女の名前を口に出そうとした。
だけど、言葉が出なかった。なにか言葉を発しようとしても、穴の空いたチューブのように息が抜けて、声に言い表すことができない。
どうして。おれが彼女に言いたいことは、たくさんあるのに。すると彼女は、笑んでおれに向かって口を開いた。
「判ってる」
判ってる? 判ってるって、何が? 彼女がおれの何を判っているのか、おれにはさっぱり判らなかった。
それなのに、彼女の話す言葉の一つ一つを聞くだけで、彼女の何もかもがおれのなかに流れ込んでくるかのような感じがして、胸の中が温かくなった。
ふと、おれは着ていた上着のポケットの何に手を突っ込んだ。何が入っているのかも判らない、それどころか何も入っていないはずのポケットの中を弄ると、中に小さなリングが入っているのを指先で感じた。
おれは顔を上げて彼女の左手を取った。そして彼女の左手の薬指に、ポケットから取り出した銀色のリングを、ゆっくりと嵌めた。
おれが手を離すと、彼女は左手に嵌められたリングとそこにある宝石を、太陽の光にかざしてきらりと輝かせた。
そしてまなざしをリングからおれの顔に向けると、彼女は両腕でおれの身体を抱きしめた。
「もう離さない。私と、ずっと一緒だからね」
おれの耳元で彼女は震えるような声で言った。
そしておれは彼女に応えるように、両腕を広げて彼女の背中に手を回して、大好きな人の身体の温もりを受け止めた。
少し腕の力を緩めて、おれたちは互いに見つめ合った。今まで影になって見えなかった顔の表情が、かすかに見えてきた。
もっと彼女の顔をしっかり見ようと、おれは顔を近づけた。すると彼女はゆっくりとまぶたを閉じたのが判った。
それを見て、おれも同じように瞼を閉じた。
そして彼女の唇に──




