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1.パパ活すればいい


【浮世 凪】



 私は今から、今日初めて会った男とラブホテルに入る。


 いわゆるパパ活というやつだ。私はこれが初めてだけど、周りの子達は結構やってるし、なかなかいいお金になるって聞いた。


 まあ、つまりお金だ。お金欲しさに、私は今からこの気だるげな男と人生初のラブホテルに入るのだ。


「──カナコちゃん、だっけ? もしかしてこういう所に来るの初めて?」


 フロントで周りを見回していると、部屋の鍵を手に持った男がそう言った。


「……別に、慣れてますから」


 もちろん真っ赤な嘘だ。実際は物珍しくて仕方ないし、めちゃくちゃに緊張している。けど、こういうのって舐められたらダメって聞くし、毅然とした態度で居ないとダメよね。


「部屋、ここだね。なんか緊張してきちゃったな」


「……ふん、こういうとこ初めてなんですか?」


「うん。初めてだよ。こういうとこも、こいうことも」


「……え」


 さっきのお返しのつもりだった。けど、男はけろりとした顔で答えた。少し以外だったけど、まあ、彼女がいる人ならそもそもこんな事しないだろうし、さもありなんってところなのかしら。


『妖精のお兄さんとホ別イチゴで魔法少女やってくれる女の子募集。(処女限定)』


 パパ活専用のアプリで目に止まった文章だった。私の聞きかじった知識で解釈すると、妖精のお兄さんとはつまり……童貞の男という意味。

 

 そしてホ別イチゴとは、ホテル代は別で1万5000円の報酬があるということ。


 魔法少女やってくれる……というのは、つまりコスプレのことだろう。


 最後の処女限定という文字が、震え上がるほど気持ち悪かったけど、私の方で設定した会って食事する以外の要求をほぼ完全に封鎖したプロフィールに、しかしこの男は返信してきたのだ。


 私も知らない男と出かけて何時間も食事に連れ回されるよりは、誰にも見られない個室でコスプレする方がマシに思えた。


 そういうわけで、私はとうとうラブホテルの部屋に入ってしまった。


「……うわ、思ってたよりも広いんだ。変な匂いもしない……」


「ほんとだね。もっと小汚くて生臭いのかと」


「……な、ちが、今のはアレよ! ここのホテルは初めて使うからっ、その、良くないレビューを前に見た気がしてたのよ!」


「別に、何も言ってないけど?」


 私は恥ずかしくなってズカズカと部屋の奥へと進んで、大きなサイズのベッドに乱暴に腰を下ろした。


「もしかして怒っちゃったかな。ごめんねカナコちゃん。だけど凄くいいね……君」


「……嘘でしょ、気持ち悪すぎるんだけど」


 この男、会ってみたら思っていたよりも遥かに若いし、よく見るとイケメンな気がしなくもないんだけど……言動がキモすぎる。たぶん、だから彼女とかいないんだわ。間違いない。


「……私、忙しいし延長とかするつもりないから。コスプレだかなんだか、やるならさっさと準備してよね」


「ああ、うん俺も忙しいからそのつもり。じゃあ注文するから待っててね」


 男はそう言って壁にかけてあった電話から何か番号を言って戻ってきた。荷物とか持って無かったし、コスプレの衣装でも頼んだのかしら。


 こういう所の貸衣装って、ちゃんと洗ってあるんでしょうね……。


 しばらくすると、扉がノックされた。届け物を取りに行った男は、何故かテーブルにイチゴのパフェを置いた。


「……なにそれ」


「イチゴのパフェだけど、もしかしてこういうの見るの初めて?」


「バカにしてんじゃないわよ。あんまりふざけてると帰るわよ私」


「別にふざけてるつもりないんだけど、ほらこれ食べてよ」


 男はフォークでパフェにトッピングされていたイチゴを突き刺して、私へ差し出した。


「いらないわよそんなの」


「あれ、イチゴ嫌いだった?」


「たった今からね」


「そう。けど嫌いでも食べてもらわないと。そういう約束だよね?」


「……はぁ、マジでキモイんだけど……」


 こいつが最低最悪にキモイのはマジで最悪だけど、けどまあ確かにご飯くらい食べてあげないと……1万5000円貰えるわけだしね。マジでキモイけど。


 私はベッドから腰を上げて、テーブルの前のソファに腰掛けた。キモイ男の右隣に。


「……ん」


 ラブホテルのパフェなんて……と侮っていたけど、以外と結構悪くないイチゴを使っているみたいで、思わず「美味しい」とこぼしそうになった。


「ちゃんと飲み込んだ? 口開けて見せてみて?」


「あんたなんでそんなにキモイの?」


 イチゴの美味しさがキモさで消し飛んだ。なんなのよこのイカレ野郎は……。


 ドン引きの極致だったけど、1万5000円が頭をチラついたので控えめに口を開けた。


「んーよく見えないな。もっと大きく開けれないの?」


「……死ね!」


 私はヤケクソになって大きく口を開いた。ホントに最悪だこいつ。


「あーいいね。よく見える……うん。ちゃんと飲み込んでるね。で、最後に確認したいんだけど」


「嘘でしょ、このキモイやり取りまだ続くわけ?」


「君、ほんとに処女?」


「もうマジで無理」


「君のために聞いてあげてるんだよ? 処女って事でいいの?」


「そうよ! あんたには一切関係ないけど私は処女よ! これで満足した!? あんたには一切関係ないけどね!!」


 たった今頭の中で1万5000円が塵と化した。もう嫌だ。1万5000円程度でこのイカレ童貞キモ男とこれ以上一緒に居たくない。


 キモ男がテーブルになにやら紙みたいなのを広げ始めたから、私はその隙に帰ろうとソファから立ち上がった……けど、男に左手を掴み止められた。


「……ちょ、離しなさいよ!! 身体に触るとかあんたいよいよ──」


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。それはあまりにも唐突に、なんの迷いもなく、予めこうするつもりだったのかと思うほどに鮮やかに行われた。


 男は掴んだ私の左手を、そのままテーブルに押し付けてフォークで突き刺したのだ。ゴリッと不気味な音が、手の甲から腕まで伝ってきた。


「……ひ、きゃあああああああああああああああああああああ!!!!!????」


 私は叫んだ。叫ぼうとして叫んだ訳じゃない。自分の手にフォークが深々と突き刺さったのを見た瞬間に、反射で叫んだ。痺れる感じはあるけれど、不思議と叫ぶほどの痛みはまだないのだ。


……いや、だめだ……やっぱり痛い──


「いだぁいぃ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいあぁうぅううやめてぇええ、おねが、い、いだいの、やめ、やめてぇ!!!」


 男はフォークをグリグリと抉るように動かした。手の甲から電流が走ったように全身が痺れる。


「……うるせぇなぁ。もしかしてこういう事すんの、初めてだったのか?」


「……んんん、ゆ、ゆるしてっ、お願いしますっ、な、なんでもするから……お願い、ころさないれぇえええ……お、お願いしますぅ……」


「マジかよお前、漏らしてんじゃねえよ汚ぇな……小便臭い女(物理)とか、マジ勘弁だわ」


「……うええぇぇ! いだいよぉぉ、だ、だれか助けてぇぇぇ!!!!」


「うるせぇっつってんだろ小便女!!」


 男が私の左手からフォークを引き抜いて、その手で私の顔面を殴った。私の意識は、そこで途絶えた──






* * *





「……」


 目が覚めると、見慣れた天井が目に入った。私の部屋の天井だ。

 なんだか物凄く嫌な夢を見ていた気がして、身体を起こすのが億劫だ。


「……っ!!」


 急に左手をフォークで刺されたような気がして、私は飛び起きて左手を確認した。手は何ともなかった。


「……もう、勘弁してよ」


 いつも枕元に置いてあるスマホが見当たらない。リビングの机か、脱衣所にでも置き忘れたのかもしれない。

 というか、今何時? 私なんで寝てたんだっけ──


 寝ぼけた頭でふわふわ考えながら、1階への階段を降りた。なんだか酷く喉が乾いている気がする。階段を降りきって、リビングへの扉を開けた。


「──よう、お早いお目覚めじゃねぇか」


「……は?」


 見知らぬ男が居た。私と同い年か、少し上くらいの、気だるげな感じのイケメンが……テーブルに肘をつきながら、私のスマホをいじっていた。


「……は? じゃねぇよ小便女。この俺が汚ぇお前を綺麗に洗って、わざわざここまで運んでやったんだぞ。礼も言えねぇのかこら」


「……え、ちょ……なに?……え??」


 途端に、ラブホテルでの記憶がフラッシュバックした。そうだ、私は今日パパ活してて、思ったよりも若い奴が来て、どこがパパなんだよって心の中でツッコミを入れて……そしてフォークで手を刺されたんだ……このイカレサイコパス男に!!


「……や、やだ……警察、警察呼ぶからね!! 今すぐ出てってよ!! この犯罪者!! 死ね!! お前なんか死ね、このサイコパス!!」


「マジかよてめぇ。礼を言えっていったら罵倒すんのか? じゃあ罵倒してみろこの俺を」


「な、何言ってんのよあんた……マジでキモイ! ほんとに死ね! このクソサイコパス痴漢男!! あんたみたいな異常者この世に生きてちゃいけないんだからね!!」


「どうなってんだこの世界の女はッ!!」


「ギャーっ!!!!」


 男が私の顔面にスマホを投げつけた。眉間にスマホが激突して、ブチンッと嫌な音がした。


 私は逃げるように洗面所に駆け込んだ。急いで鏡を確認する。


「……い、いや……嘘でしょ」


 眉間がぱっくり割れて血がどくどく溢れていた。こんな傷、痕が残らない訳がない。最悪すぎる……。


「……え? ちょ、なによこれ……」


 絶望して鏡を眺めていると、目に見える速度で眉間の傷が塞がった。恐る恐る指で触れると、やっぱり傷なんてない。ただ血がついているだけ。

 私はリビングに戻った。


「あ、あんた、私に何したの!?」


「契約して魔法少女にした」


「はぁ!? 意味わかんないこと言ってんじゃないわよ!! ほんとに警察呼ぶからね! ちょ、スマホの画面割れてるんですけど!!?」


「起きてても寝ててもうるさいとか最悪だぞお前。あーだから彼氏とか居ないんだな。んで、その結果魔法少女に……自業自得ってやつだ」


「うっさいわよ童貞サイコパス!! さっきから魔法少女ってなによ!!」


「だから、最初にプロフと書き込みに書いただろうが。俺は人間じゃなくて妖精で、契約する魔法少女候補を探してたんだよ。イチゴで」


「……人間じゃないって、人並外れてイカれてるってこと?」


「……へへへ、マジでキレそうだぜ。ちょっと目瞑れ。瞑らなきゃ目を潰す」


 ジロリと睨まれて、私は左手にフォークが突き刺さった時の事を思い出した。思わず目を瞑る。


 しばらくの間そうしていたけど、なんの音沙汰もない。目を開けようかどうか迷いはじめた時──


「……ひっ、なに!?」


 脚になにか触れて、思わず目を開けてしまった。足元には、どこから入り込んだのか黒っぽい猫がいた。なんで猫が? と思うのと、あのサイコパスは? と怯えるのはほとんど同時だった。


 けど、リビングにサイコパスの姿はない。


「……おいで、ここに居たら危ないわ!」


 私は猫を抱き抱えた。ふわふわの感触が、恐怖を少しだけ和らげてくれたような気がする。もっとその恩恵にあやかろうと、私は猫を胸に押し付けて、頭に鼻を埋めた。お日様の匂いがする。


「──おい、苦しいんだよ。もっと丁重にあつかえバカ」


 私は顔を上げた。サイコパス男の声が聞こえたからだ。それも、腕に抱いた猫から。


「聞いてんのかぺちゃぱい」


 間違いなく、猫が私を見て喋っていた。


「……ひ、ひいいいいいいい!!!??」


  私は猫を放り投げて、腰を抜かした。猫は空中で一回転すると、さっきの男になって床に着地した。


「これで分かったか。俺は妖精だ」


「……全部、夢ってこと?」


「もう1回フォークを突き刺せば現実だって信じるか?」


「わか、わかったから!! 信じます、信じますからそれはやめて!!」


 そういうことらしい。私の頭がおかしくなっていなければ、こいつは、このサイコパスは妖精……らしい。そして、だとすれば、私は……。


「あの、魔法少女っていうのは……なに?」


「なにって、魔法少女は妖精と一緒に怪人を殺す……相棒、いや……同僚?……ちがうか。ああ、道具だな!」


「モノ扱いなの!?」


 これが私の最悪な日々の1ページ目。パパ活したら魔法少女になった日──


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