第3話(後編)
ドアには『アイドル研究部』と書かれた張り紙がしてあります。
部活棟の一室、そのドアの前で一颯は深呼吸をしました。その様子を見て、通りすがりの生徒たちは驚きました。あのアイドル研究部の前に、一年生がいます。
ノックをするとすぐに「入っていいぞ」と返事がありました。
「失礼します! 芸能科1年A組の烏丸一颯です。ただいまよろしいでしょうか」
「おう、待ってたぞ。烏丸」
夏焼黒嗣はパイプ椅子を引いて、着席を促します。
鳴美瑠璃音もどうぞどうぞと手招きします。
「烏丸くん、よろしくね。顔がいいね。お菓子とか食べる?」
「ありがとうございます。でも大丈夫です」
すとん、と座ると緊張感がさらに増します。
アイドル研究部の部室は壁にも天井にもポスターが貼ってあります。左右の本棚にはすき間がありません。段ボールからはグッズがはみ出ています。研究の二文字に偽りなし、と重く捉えました。
「どーしたよ烏丸、落ち着かないのか?」
「すみません、すごい資料の数だなと……」
この一言に瑠璃音の眼が光ります。
「ち、ちなみになんだけど。……烏丸くんはさ、推しの人とか、いる?」
「推し、というほどのことは。でも先輩たちのことは皆さん尊敬しています」
模範的な回答です。
さらに、
「鳴美先輩は推しの方がいるんですか?」
と逆質問をしました。
このとき、瑠璃音に衝撃が走りました。最近は一周回って誰にも聞かれなくなりました。デビュー後、インタビューで答えたにも関わらず尺の都合でカットされるという悲しい事件を思い出します。
めぐり合わせに感謝しつつ、
「鶯原春音様」
指を組んで、神に祈るかのようなポーズでその名を口にしました。
「そういえば雑誌の表紙になっているのをこの間――」
スッ、とその雑誌が出てきます。目にもとまらぬ速さでした。
「御神体のさぁ、露出がいつもより少し多いんだよ。いや、ユニット衣装とかも多いけどね? でも普段の服はそうじゃないから、拝見したときは眼がつぶれるかと思った。出版社も前もって言って欲しいよね……眩しすぎるからサングラスかけろって」
ファッション誌の表紙を飾る春音は、開襟シャツを着ていました。そこまで露出は多くないように思えますが、いつもは着ないタイプの服です。ファンは喜んだり叫んだりしました。
すごい、と一颯は思いました。
というのも『縁』の結成は昨年度の3学期。結成からデビューまでの期間は過去最短レベルです。つまり、それだけの実力があるということ。にも関わらず他のアイドルのリサーチを欠かさない姿勢は尊敬に値します。
この雑誌についても、一颯はあの先輩の記事を読みたくて目を通しただけです。
「鳴美先輩、もしよければアイドルについて教えていただけませんか? お恥ずかしい話ですが、アイドルを勉強し始めたのは最近でして」
「烏丸」
まずい、と思った黒嗣が止めに入ります。
しかし間に合いませんでした。
「オーケー任せて僕は1人を選べと言われたら春音様なんだけど基本的に箱なんだよね同じ雑誌の特集で陽様とのツーショットが連打されたことがあったんだけどその時の距離感が――」
この日、一颯、瑠璃音、黒嗣の3人は寮の門限に間に合いませんでした。
忠太が向かうのは、温室です。
校舎から寮の方に向かう途中で右に曲がります。手入れされていない道で、しかも林の中を行くので、ちょっと不安になります。夜だったら肝試しに使えそうなぐらいです。
(道、合ってるよな? 一本道だし、最悪引き返すけど……)
数分歩くと、建物が見えました。入り口前に誰かいます。
鶴雅尊が気づきました。
「こんにちは、雀くん」
「お疲れ様です! 鶴雅先輩!」
小走りで駆け寄ります。
「どうぞ中へ。わざわざ来てもらってすみません」
「いえ、おれ歩くの好きなので。……でも、なんで温室集合なんですか?」
「ここは神気煌耀の部室なんです」
(部室?)
聞こえた言葉を想像しても、温室とは結びつきませんでした。ガーデニング部とかでしょうか。
「デビューするとユニット用の部屋がもらえるんですよ。生徒はみな、部室と呼びます」
「すげー……」
子供部屋を兄弟で使っていた忠太にとって、羨ましい限りでした。それも温室のような大きな部屋、というか建物をゲットできるなんて。
わくわくしながら歩いていると、先輩たちが見えました。
「お疲れ様です! 朱凰先輩! 鶯原先輩! 暁烏先輩!」
朱凰紅蓮はあくび交じりに、鶯原春音は手を軽く振りながら、暁烏陽は小声でそれぞれ返事をしました。
「おう。元気じゃの~」
「こんにちは」
「……お疲れ」
正方形のテーブルを二人掛けのベンチが囲っています。机の向こう側のベンチに紅蓮が寝転がり、向かって左のベンチに陽と春音が、右のベンチに尊が座りました。
手前の席に座ります。
「今日からよろしくお願いします!」
「ええ、こちらこそ。……紅蓮、だらしないですよ」
「別に、今日は顔合わせじゃろ。そもそも寮で何度も見かけとるし」
いわれてみれば、と忠太は不思議がります。
「確かに……寮で顔合わせじゃダメだったんですか?」
尊の視線がちょっと泳ぎ、春音と目が合いました。
思わず、春音は笑ってしまいます。
「なんていうか、意外に鋭いタイプなんだね」
寮で顔合わせも、ダメではないですが。あけすけなのはちょっと、という事情があります。一応の気遣いとして、部室に来てもらうことになったのでした。縁の黒嗣も、部室を使うと言っていたので、尊もそれに倣う形です。
紅蓮がむにゃむにゃと眼をこすります。
「まぁ、ワシみたいな人気者は大変なんじゃ」
「なるほど」
雑な言葉に頷く忠太を見て、春音は少し不安に思います。
(素直で元気でいい子なんだろうけど、このじじいとの相性はどうなんだろう)
尊を通して、話は聞いています。確かに鳥の先祖返りについて教えるのであれば、朱凰紅蓮が最も詳しいでしょう。しかし忠太は一般家庭の出身です。『朱凰紅蓮』について知ったとき、どうリアクションするやら。
(じじいはある意味、この学校で一番人間離れしてるしなぁ)
「レッスンって何するんですか? 歌とかダンスとかですか?」
「そうですね。ただそれ以外も教えるように、統から頼まれてます」
この言葉に、むくりと紅蓮が起き上がります。
眠そうなのは変わらずですが雰囲気が変わっています。忠太の背筋がなんとなく伸びました。しゃんとしないといけない、そう感じたのかもしれません。
「お前さんは自分の『加護の能力』を知っとるか?」
「共鳴、です」
「ん。では使うとどうなる?」
「他の『能力』をコピーできます」
紅蓮が頭をかきます。
「なるほどのぉ……。お前さんはまず、己が何者かを知らねばならんな」
この後、詳しい話は長くなるので明日から、ということになりました。ついでに軽く歌やダンスを見てもらってアドバイスをもらいました。
紅蓮の言葉が、忠太の頭にずっと残っていました。
朗の息はもう上がっています。
(なんで初日からランニング……?)
ジャージに着替えてこい、と可弦に言われた瞬間、諦めがつきました。できるだけゆっくり着替えて寮を出るとRap Bellusの3人がいて……。やたら入念なストレッチの後、ランニングがスタート。
「タカ、いつもこのペースなん……?」
「ええ。……あっ、慣れるまでペースを落としてもいいと思います。あとから追いつけば大丈夫ですから」
走らないという選択肢はないようです。
「おい鳩ポッポ」
先行していた可弦が横に来ます。
「お前何センチだ」
「27です」
「靴じゃねーよっ! 身長!」
もちろん分かっていましたが、わざとごまかしました。猫背がちの朗は、自分と可弦の身長が近いのが分かっています。うっかり自分の方が大きかったら面倒くさそうです。さばを読もうかと本気で考えました。あとはインチで答えるとか。
(でも逆にめんどいか)
正直に答えます。
「173です」
可弦が鼻で笑います。彼の身長は175センチです。
「トンビ先輩は大きいですね~」
「ったりめーだ。つーかチビよりでけぇんだから、お前の方が歩幅あるだろ。ちゃっちゃっと走れ」
はっと千呼が気づきます。
「もしかして、僕に合わせて……? 鳩井君、遠慮はいらないよ。全力で走ろう」
千呼がペースアップしました。それにつられて可弦もペースを上げます。
「タカ……、俺のこと嫌いなんかな」
朗はまぁまぁ体力のある方です。普段から鍛えているRap Bellusの3人や運動部だった忠太ほどではないですが、ちゃんと走れます。ただ、完走した後のことを考えると別です。なにより動くとおなかが減ります。
「鳩井、少し息が上がってるぞ。キツイか?」
しかし後ろにいる統の存在が、手抜きを許しません。
「ワシ先輩……こんなに鍛える必要あります?」
「はっはっは。そう言いたくなる気持ちも分かるよ。だが実際のライブでは歌って踊るんだぞ。これぐらいのペースなら、それこそ鼻歌を歌うぐらいの余裕がないと、自分がしんどくなる」
「自分が?」
統は、ずいぶん先を走る2人の仲間に目を向けました。
「仲間の力になれないのはしんどいさ――、いつか分かるよ」
似つかわしくない、なんて思いました。とてもじゃないですが、この先輩が力になれないことなんてないでしょう。逆ならまだありそうですが。そのメンバーも千呼と可弦という隙の無さ。
知ったようなことを言うのも気が引けます。別のことを口にしました。
「あの2人とは長いんですか?」
「お、余裕が出てきたか?」
いっちゃう? みたいな感じでペースを上げられそうだったので、慌てて言葉を続けます。
「しんどさを紛らわせたくて……」
「そうか? ああ、そうだよ。あの2人とは小さいころから友だちで、兄弟で、仲間だ」
ランニングのあと、筋トレしたり、プロテイン飲んだり、ステップを叩き込まれたり、楽譜の読み方を教えられたり、色々ありました。
この日、朗は死んだように眠りました。
少し時を遡り、お昼休みの生徒会室でのこと。
部屋の中には、統のほかに、黒嗣と尊がいました。応接用の机を囲んでいます。お弁当を食べ終わり、統から頼みごとを聞きました。
『SPARCRO VISIONのメンバー1人1人に先輩ユニットをつけ、育成する』
という頼みでした。
「宇留鷲サン、理由だけ聞いていいっスか」
「ですね。一年生の子たちを手伝うのはもちろん構いませんが……、あなたの案だと、このユニットを優遇してると思われてしまいますよ」
二人の言葉を受け、頷きます。
「責任は俺が取る。もちろん理由も全部話すさ」
もちろんSPARCRO VISIONやこの2人にさっき伝えた理由も本当です。つまり『入学式やレッスンで鷹峰千呼の実力を目の当たりにし、一年生の間で新人戦を辞退したいという声がある』とか『一年生をサポートするのが上級生の役割』とか。
嘘はつきません。
「宇留鷲サンとこのヤツは確かにやばかったっスもんね」
「黒嗣にそう言ってもらえると俺も鼻が高いよ。チコにも伝えていいか? きっと喜ぶ」
「別に、いいっスけど」
こほん。
尊が咳払いをしました。
「普通に考えれば気落ちした一年生こそ手伝うべきでしょう。前向きに、それこそ路上ライブするような子たちは心配ないのでは?」
「もちろん、一年生全体をサポートするさ。でもこのユニットはお前たちに頼みたいんだ。そして、できれば本人たちには事情を伝えたくない」
そう伝えると、2人は目を合わせました。
「というと?」
「学園側からの期待値だよ。特に雀忠太は、スキルや性格よりも『能力』だけ見られてるフシがある」
「……あんま言いたくねーっスけど。多かれ少なかれ、誰でもそうなんじゃ」
「雀の場合、スカウトされたのは3月だ」
ぎょっとした尊が言います。
「いくらなんでも遅すぎるでしょう。下手をすれば進路がもう決まっていたのでは?」
統が目を伏せます。
「幸い、なんて言いたくないが。芸能科男子は定員割れしていたし、雀も滑り止めの受験が終わって、本命の受験勉強をしてる途中だった」
なので忠太のせいで誰かが落ちた、ということはありません。
「そんなにすげー『能力』なんスか」
「共鳴、と呼ばれる。コピー能力だ。ほとんどの場合『能力強化』より重宝される。……なにせどんな希少な能力でも、頭数を増やせるわけだからな」
黒嗣の顔が曇ります。『能力』に対する特別扱いが、良いものばかりではないことを、黒嗣がよく知っているからでしょう。
「で、あれば。雀くん以外の2人は――」
「ある種の引き立て役だろうな。コピー先にしては、あの2人の『能力』査定は低いからな」
学園側にとって本命は忠太、ほかの2人は本命のための人材。
そういう考えがあるのは間違いないでしょう。
「新人戦での成果、上級生とのつながり、そういうものが彼らを守る盾になる」
黒嗣が応えます。
「やりますよ。オレ自身、そういうのはうんざりなんで。ルリも、なんだったら喜びそうだ」
続いて尊も、
「そうですね。上級生の務めを果たしましょう。特に、紅蓮や陽ならほかの方よりも力になってくれるかもしれませんし」
と承諾しました。
「ありがとう。……ほかのみんなにも伝えてくれ」
こうして上級生の思惑を知らないまま、SPARCRO VISIONの修行が始まったのです。