第2話(後編)
休日は、やはり羽を伸ばす生徒が多くいます。
ヤドリギ寮も朝から外に出かける生徒で賑わっていました。幸い今日は快晴で、春らしい暖かい日です。
「烏丸くんならもう出かけたよ。レッスンに行くって言ってたけど――」
きみたちは? という204号室の生徒に、忠太はあいまいな返事をしました。
どうしたものか、と自室に戻ります。
「あれ、鳩井は?」
「鳩井なら商店街のチラシもって出てったぞ」
寝っ転がったままの大和が、教えてくれました。
「ええー……。誘ってくれればよかったのに」
「ケンカでもしたのか? アイツやけにコソコソしてたが」
忠太たちの部屋(201号室)と一颯のいる部屋(204号室)は一直線の廊下で繋がっています。204号室の前で話していたのに気づかなかったのは、朗がわざわざ逆側の階段を使ったからでしょう。
(――よくないな)
このまま放っておくという選択はありえません。急いで寮を出ました。
向かう先は――。
「鳩井」
「スズメか……、おっす」
商店街の駄菓子屋で、朗を見つけました。
「何買ったんだ――って」
小さいビニール袋には駄菓子が隙間なく入っています。でも忠太は量の少なさに驚きました。なにせ朗といえば1食で3合は食べます。間食もおやつもかかさない大食漢なのです。
「今日、食欲ない」
(さすがに、昨日のことだよな)
クラスメイトで、ルームメイトで、ユニットメンバーです。生活のほとんどを一緒に過ごしてるので、一颯と別れたあと、ずっとテンションが低かったのも知っています。
「あのさ、鳩井は――」
(勝ちたくないの? は違うし、頑張りたい? も違うな。えっと)
いい感じの言葉が出てきません。
「スズメ、ちょい座るか」
噴水の横にあるベンチに2人で座りました。
「……俺さ。昨日言われたこと、図星やったんよ」
黙って続きを待ちました。
「努力しなくてもってやつ。いやダンス下手だけど、勉強とかさ」
「そっか。おれからすれば、普通に羨ましいけど」
「大したことせんでも点取れた。でもさクラスに1人は勉強めっちゃ頑張ってるやついるじゃん?」
「いたいた。おれは勉強苦手だし、ほんとすごいと思うよ」
そう言う忠太を見ても、朗は笑いませんでした。
「中学で、推薦の話をもらった」
「それって」
「スズメの学校にもあった? 成績いいやつがもらえる推薦で、俺がもらった進学校への推薦は1枠だけ」
学校にもよりますが、この手の推薦は、通常の推薦や受験とは別に合格者を出します。推薦がもらえれば、その分、受かる確率は上がります。
少なくとも、朗の中学校はそうでした。
「さっさと高校決まったら楽だなと思って、考えときますーって言って、そしたら」
少し口を閉ざして、
「クラスのやつ、泣いてた。親と約束してたんだと。推薦取って、奨学金もらって、いい大学入って……」
「――鳩井は悪くないよ」
「ありがとな。うん、俺は悪いことしてない。でもな、そいつ良いやつだったんよ。ほんとに、良いやつだったから」
2人の横を子供たちが通り過ぎました。自転車を漕ぎながら、これから遊びに行くようです。休日をめいいっぱい楽しんでいる最中です。
横目に子供たちを見て、朗はほほえみます。
「次の日、学園から話が来た」
囀学園芸能科は、最初から、鳥の先祖返りしか入れない。かつ学園側からスカウトされなければ受験できません。つまり原則的に、誰かの席を奪うことはありません。
「だから俺はここに来た。でも、そらそうよな。デビューできるかとか、新人戦とか、みんなで奪い合うんよな」
「なるほど……、と、そうだ用事ができた。鳩井は?」
「もうちょい、ぶらついて帰る」
「おっけー、じゃ、また」
忠太が立ち去り、朗は昨日のことを思い出します。
(命がかかってるわけじゃなしに――、なんて)
最悪だ、と思いました。大切なものなら他にいくらでもあります。
(あれじゃまるで。いや、お前と話すことなんてないって言ったのと同じだ)
忠太に対しても、へらへら適当な言い訳をしただけだと思いました。自分が勝ったとき、負けることになる人たちがいる。その人たちの気持ちを受け止められないだけです。自分が勝者にふさわしいのか、みんな納得するのか。
さらに考えると、アイドルがやりたい、と純粋に思ってる人がやるべきではないでしょうか。あるいは自分よりもずっと才能のある――、千呼のような人が勝つほうが――。
(俺は、臆病者だ)
噴水の音を聞きながら、朗は浮かない顔のままです。
しかしどたばたと騒がしい足音が聞こえました。
「鳩井ー! デビューって別に人数制限ないって!」
「……え?」
さっきそこにいた先輩に聞いてきた、と忠太は言います。
「だから、鳩井は頑張れる!」
屈託のない笑顔でした。
忠太は言い切ります。朗は努力できると。
「――なんでそう思うん?」
「鳩井は――、いろんな人のためにって考えてるんだろ? だから、おれと一緒に、烏丸のためにも頑張ろうぜ!」
もう全部解決だな、と笑う忠太を見て、笑いました。
「なんじゃそりゃ」
人のためを考えた結果、朗は頑張りづらくなっているのだから、誰の邪魔にもならないなら、問題ないと忠太は考えています。そうはいっても、新人王の称号は1人ないし1ユニットだけに与えられるのですが、それはもう忘れました。
このポジティブさは新鮮で、劇的でした。
(俺は――、頑張れない理由を探してばっかりで、頑張る理由を探したことはなかったかもな)
「朗」
「ん?」
いつも通りのへらっとした笑顔で言います。
「朗でいいぞ、スズメ」
「おう! 分かった!」
そして翌日の日曜日。
一颯はオーバーワークで寝込んでいました。朝から晩までというのは、忠太の言う通りやりすぎでした。
寝込んでいることは他言無用だとルームメイトには頼んであります。ほら見ろ言った通りだ、と言われたくないからです。
(もっとも、口止めはいらないだろうが)
もう食堂での夕飯の時間も過ぎました。昨日の朝には忠太が来た、と聞きましたが、今日は誰も訪ねてきません。布団をかぶりながら一颯は今後のことを考えます。
しかし5秒と考えられませんでした。
ドンドンと大きくドアが叩かれたからです。
「烏丸ー!」
「カラスー、出てこーい」
幸いというべきか、ルームメイトは今部屋にいないので、彼らに迷惑はかかりません。しかし、隣の部屋の住人はうるさく感じていることでしょう。
「何の用だ」
仕方がないのでドアを開けました。
すぐに忠太の顔が近づきます。後ろには朗が控えていました。2人ともなんだか疲れているみたいでしたが、一颯はもっと疲れていました。
「庭に行こうぜ!」
「練習の成果を見せたる」
「はぁ……、ん? 練習?」
2人はなんだかにやにやしていました。
ヤドリギ寮の裏庭に来ました。
夕日が沈みかけ、電灯が光ります。その灯の下で、
「どうだ!」
見せられたのは、2人の練習の成果でした。忠太はステージパフォーマンスを、朗はダンスを重点的に練習したかいあって、目に見えて成長しています。それも、一颯のイメージしていた通りに。
「カラス、スケジュールにこの時間にはこれをやるって細かく書いたろ。それ見ながらやってみた」
「でさ、どうだった?」
「……保護者はこういう気持ちなんだろうな」
2人は「うへー」「けっこういい感じだと思ったんだけどな」と座り込みました。
幼稚園での劇を思い出しました。
(あの日は、母さんが見に来てくれて――)
「一颯すごいっ!」
「でも、うた。まちがえちゃった……」
一颯は、白雪姫に出てくる7人の小人の役でした。
見せ場は、目を覚ました白雪姫のための合唱シーンです。
「気にしなくていいの」
「でも」
「お姫様に喜んでほしくて、小人さんたちは歌ったでしょう? 喜んでほしいって気持ちがいっぱい伝わってきたわよ」
ほら見て、と母親はカメラで撮った写真を見せました。
白雪姫役の女の子は、心から笑っていました。
「ね? だから一颯も、誰かに優しい気持ちを伝えてもらったら、ちゃんと受け取ってあげて」
へたり込んだ2人に近づきます。
「ボクは、目的があって入学した。正直……人には言いたくない」
「大切なことなんだろ?」
忠太の言葉に、朗もうんうんと頷きました。
「それが分かってれば、俺は頑張れる」
2人が朝から晩まで練習していたのは、一颯も分かっています。なにせ今日のパフォーマンスは、イメージにぴったりでした。レッスン中に言ったことやチャットで指摘したことを参考にしたのは間違いありません。
「手伝ってよ――、一颯。おれと朗の2人だと、なんか締まんないっていうか」
「カラスはそういうの得意だろ?」
「……いいのか、ボクで」
忠太が立ち上がります。
「おれたちの、プロデュース? みたいな? 任せた!」
万事解決、と言わんばかりの態度でした。能天気としか言いようがないと思います。2人で一緒に練習してきたのは事実です。お見舞いよりもずっと嬉しい思いやりでした。
「ボクと組む以上、勝ってもらうぞ」
まだへたり込んでいる朗に手を差し出しました。
それを手に取って、朗はよっこらしょと立ち上がります。
「そんで、カラス先生。こっからどうするん?」
「基礎練習はもちろん、経験不足を補うためにも手を打たなければ――」
「じゃあさじゃあさ、やってみようぜ!」
2人が首を傾げる中、忠太は笑っています。
翌朝。
天気は晴れです。
ヤドリギ寮に、つんざくような音が響きました。
電子的な音でした。寮がまるごと揺れるような音量です。芸能科の人たちは、何の音なのかすぐ分かりました。スピーカーの音割れです。
誰かが外にスピーカーを持ち出して、うっかり音割れさせたのでしょう。
「しまった」
「一颯!?」
「これはこれでいい客寄せになるだろう。ボクの計算通りだ」
「しまったって言ってたじゃん!」
忠太、朗、一颯たちは、野外ライブ用の設営をしていました。ステージはなく、ケーブルを繋いだりオーディオミキサーの設定をしたりするだけです。どれも倉庫から借りたもので、説明書を片手に準備を進めます。
「スズメ、まずい」
「朗?」
「もう一杯、おかわりするべきだった」
「――っ、あ、と、で!」
3人がいるのはヤドリギ寮から芸能科校舎に続く道です。朝の通行人の数は、200人以上。多くは芸能科の生徒です。当然(芸能科の)先生の多くも、この道を使います
(やっべー。先生来ちゃうって)
こうなっては、やるしかありません。慌てて、メンバーに見やります。
「朗」
「曲が始まれば、そこそこ落ち着くと思うぞ」
「一颯」
「ボクらの『能力』を忘れたのか。ここまで準備できれば十分だ」
「よし、やろう――」
音楽が始まります。『第78期男子新人戦課題曲』。そっけない名前ですが、アイドルの雛鳥たちの良さを引き出そうと作られた1曲です。
披露するのは、仮ユニット7番――、改め。
「『SPARCRO VISION』です! よろしくお願いします!」
太陽を照明に、街路樹をバックに、彼らのライブが始まります。
朗の声が響きます。低くて落ち着いた声色で、安らぎを感じさせます。一方で、ダンスはややスローテンポです。
一颯のパフォーマンスは、本人の性格みたいにメリハリのあるものです。表情もダンスもしっかり魅せます。たまに歌声が硬くなるのもご愛敬です。
忠太のステップを観て、思わず体が動く生徒もいました。元気で、せわしない、忠太らしいダンスです。
3人とも、ミスがたくさんありました。Cパートで音を外したり、転調のとき足がもつれたり。それでも最後まで観ていたいと、何人かの生徒が足を止めました。
SPARCRO VISIONの初ライブは、朝の通学路で行われました。
ライブが終わると、拍手が送られます。
手をたたく人たちは、笑顔でSPARCRO VISIONを見ています。
「ありがとうございました!」
3人で頭を下げます。汗が地面に落ちていきました。
そして、
「いいライブだった。ただ、俺の記憶が正しければ、無申請なんだが……。放課後、生徒会室で話を聞かせてもらっていいかな?」
生徒会長・宇留鷲統は誰よりもさわやかな笑顔で言いました。