第1話(前編)
3月のまだ肌寒い夜のことです。
雀忠太は東京港のターミナルの一つ、つまり、ふ頭にいます。乗船手続きを終えて、待合室で船に乗れる時間まで待つつもりです。重いリュックサックを降ろして、
(ギリギリだったけど、間に合ってよかった……)
と、ほっとしました。
今朝は早起きして、東北の地元から出発しました。東京についたのは昼前です。そのあと東京のあちこちを見て回りました。
結果、乗船前の手続きに遅れるところでした。
もう夜ですが、待合室にはそれなりに人がいます。疲れからか、眠そうな人ばかりです。なんとなしに窓から外を眺めていると、小学生ぐらいの男の子がひとりぼっちで立っていました。
(あのちっちゃい子、親御さんは……?)
男の子はあちこちを見渡したかと思ったらうずくまってしまいました。一度置いたリュックサックを背負いなおします。
「こんばんは」
忠太はかがんで、男の子の目線に合わせてあいさつしました。
すると男の子は忠太の顔を見てすぐ泣き出しました。
「あー、大丈夫、大丈夫だよ」
とは言うものの、
(たぶん迷子だよなぁ)
保護者が来る気配はありません。
「とりあえず迷子センターみたいなとこに行こうか」
立ち上がろうとしたら、男の子が裾をぎゅっと握ります。どうしたものか。と思いました。このままだと2人とも風邪をひきそうです。この子を探している人も、心配でしょうし、できればはやく動きたいところです。
ふと目を向ければ、待合室から人が出てきています。大きい荷物を持っているので、船に乗るために出てきたのでしょう。時間的に、おなじ船に乗る人たちです。
気持ちが急きました。でも、今は。
「なぁこの歌知ってる?」
休日の朝にやっているヒーロー番組の曲をサビのところだけ歌いました。男の子は泣きながらうなずきました。
「一緒に歌おうぜ」
歌の一番から歌いだすと、男の子もガラガラの声で歌い始めました。ちょっとずつ笑顔になっていきます。
2人の歌声に気づいたのか、男の子のご両親がかけつけました。男の子の無事を確認すると頭を下げます。
「ご迷惑をおかけてして、すみません!」
謝る両親を不思議そうに見たあと、男の子はいっぱいの笑顔で言います。
「ありがとう!」
「おう!」忠太も笑って応えました。
今度こそ立ち上がります。
「じゃあおれはここで」
さっとお辞儀をして、船の方に向かいます。勢いあまってこけそうになりながらも元気に走っていきます。
男の子が大きな声を出します。
「おにいちゃんはどこいくの!?」
振り返って答えます。
「囀学園! 学校だよ!」
船に乗ったころには体がほてっていました。向かう先は田舎にある地元でも、大都会の東京でもない、太平洋の人工島。
その人工島にある国立囀学園が行先です。
乗っている夜行客船は、東京港―人工島間の直通です。電車とだいたいおなじ印象を持ちました。客室で区切られている点を除けば電車のボックス席とおなじです。年齢の近い少年少女がどんどん客室に吸い込まれていきます。
番号を思い出して、部屋の中に入ります。
すでに先客が2人いました。
「よー」
と、間延びした挨拶をしたのは、右目に前髪のかかった男子でした。
「こんばんは……」
もう一人は端正な顔だちですが、眠くて顔をしかめている男子です。
「こんばんはっ」
夜でもいつでも元気いっぱい、という忠太とは印象の違う2人です。
よいしょ、と上の網棚にリュックサックを放りこみ、のんびりした調子の男子の横に座りました。眠そうな方の横だと、うるさくしちゃって迷惑かも、と思ったからです。
にこにこしながら、口を開きます。
「おれは雀忠太です。高校一年生です、芸能科です」
「んー、俺は鳩井朗。おんなじ芸能科一年」朗が返事をすると、
「烏丸一颯。ボクも同学科同学年だ」と、一颯も続けました。
「すっげー、全員タメじゃん!」
「な。気楽で助かる。なんたって島に着くのは、えーっと」
はて、明日の朝に着く、としか覚えていません。見かねた一颯が口を開きました。
「明日朝9時。……なんで覚えてないんだ」
「そうそう。半日かかるもんな。寝ればすぐって思うけど、寝るにはまだ早いし」
「だよな、みんなで話そうぜ」
忠太のことばに、一颯はぎょっとします。
「待て、ボクはもう寝る――」
ぐるる、という音がしました。
動物のうなり声のような――、腹の音です。
「えっと……鳩井だよな?」
「ふっ、大正解」
きりっとした顔で朗が言いました。そのまま窓に寄りかかるようにして目を閉じます。
「ばたり……」
「は、鳩井ー!」
「……夕食を食べてないのか? なにか夜食になるようなものは?」
「もう食べきった」
網棚にある朗のボストンバックには、パンやお菓子の袋が入っています。もちろん、袋の中身は空っぽです。
慌ててポケットの中から、チョコレート味のカロリーバーを出しました。
「ほらこれ」
「ありがとな……はぁ、生き返る」
全員なんだか安心しました。
視線が、朗から、その先の窓に移りました。もう船が動いてることに気づきました。でも光がまだ近くに見えるので、出発してすぐみたいです。
「東京って明るいよな……。おれ、田舎の出身でさ」
「思った。地元じゃありえんよな、コンビニの明かりだって遠いし」
窓からの景色を観たまま、一颯に笑いかけました。
「あ、烏丸は都会っぽいよな」
「……きみたちの話を聞く限り、そうかもしれないな。これぐらいの明るさは珍しくないからな」
朗も窓の外をぼんやりと眺めます。
「島はどんな感じなんかな」
「やっぱさ、すっげーでかいビルとかばっかなんじゃない? 東京だし!」
「……だから、きみたちはなんで知らないんだ」
一颯がポケットから人工島のパンフレットを取り出しました。公式ホームページから印刷してきたものです。点線に沿って、丁寧に3つ折りにされています。さっと開くと、2人に見やすいように向きを変えました。
「人工島といっても、自然が多いのが学園島の特徴だ。古いだけじゃなく、植林なんかの緑化活動も盛んだし、農業にも力を入れてる」
「東京ってビルしかないと思ってた」
「俺もそうだなー」
こんな忠太と朗に、あきれたような声色で一颯が言います。
「離島に、生徒だけで約3万人いるんだぞ。生活を考えれば、田んぼや畑だって必要だ」
パンフレットでも言及されていて、海運だけに頼らない食料自給率や工場の生産ラインによって、島の生活が快適であることが強調されています。
「あ、ここ。遊園地あるって!」
「俺、きょうだい連れてきたいな」
「鳩井も思った? おれも弟呼んでやりたいなー」
こほん、と一颯が咳ばらいをしました。
「……ご家族の方が来やすいタイミングは、秋の文化祭だな。生徒の家族が優先される日が設けられているから――」
結局、話が盛り上がり、3人が寝たのは日付が変わったあとのことでした。
忠太たち3人は、予定通り朝の9時に人工島の港に到着しました。一颯の案内に従って、事務局にタクシーで移動し、手続きを済ませました(一颯いわく港からのバスは非常に混むそうです)。その後はバスに乗って、寮の最寄りのバス停で降りました。
バス停から数分歩きます。
向かう先、高等部芸能科男子寮は、小高い丘にあるので、坂を通らなくてはいけません。長旅に疲れた一颯は、もうすぐ見ごろを迎える桜に目もくれず、粛々と登っていきます。
「この坂を、これから毎日、登るのか……」
「頑張ろうな。もうちょっとなんだろ」
「ふぁいとふぁいと」
そうして、坂を上りきると、
「あれだっ!」
少し古風な建物が見えました。3階建てで、扇状のような形をしています。高等部芸能科男子寮こと、ヤドリギ寮です。
正面の入り口には「新入生歓迎」と書かれたのぼり旗があります。そのすぐ横には長机とパイプ椅子があり、2人の生徒が座っていました。
ちょいちょいと手招きされたので、近づきます。
「よぉ、一年坊。全員名前言え」
目つきの鋭い生徒に、3人はそれぞれ名前を伝えました。座っているもう1人の、前髪の長い生徒が、名簿を確認します。
「えっとね、雀忠太くんと鳩井朗くんが201号室。烏丸一颯くんが204号室だね」
「鳩井とおなじなのは嬉しいけど、烏丸とは別かー」
「泣くなよ、カラス」
朗が置いた手を、うっとうしそうに一颯が払います。
そんな3人を見て、前髪の長い生徒が言います。
「仲良しさんだ……。み、みんな同じ中学だったりするのかな?」
「船で会って、友だちになりました!」
「いいね……。すごく、いい」
「ルリ」
と、目つきの鋭い生徒が言いました。
「おっと、いけない。寮長の鳴美瑠璃音です。これからよろしくね」
「夏焼黒嗣。オレらはどっちも2年」
「と、こ、ろ、で。みんなは推しとか、いる?」
「いやー、おれ、アイドル詳しくなくて」
「そっかそっか、推せるアイドル様に巡り合えるといいね!」
こんな会話が行われる中、
「あ、あの」
栗色の長い髪をした生徒が話しかけてきました。
「あ、鷹峰くん」
瑠璃音を見て、忠太たちを見て、その生徒はうつむきがちに話しはじめます。
「先輩、さっきはありがとうございました。それと、はじめまして、201号室の鷹峰千呼です。その……」
美人なやつだな、と忠太は思いました。なんか心配になる、と朗は思いました。そして一颯は「鷹峰」と聞いて、もしかしてあの鷹峰家か、と思いました。
「一緒に部屋に来て欲しくて――」
「おっけー。あ、おれ雀忠太」
「俺は鳩井朗。ほんでこっちは烏丸一颯」
「……よろしく、鷹峰」
ぺこぺことお辞儀をする千呼と一緒に、3人はヤドリギ寮に足を踏み入れます。それを手を振って見送り、瑠璃音が疑問を口にします。
「どうしたんだろうね」
「201号室っていりゃあ、アレじゃねーか。やけに気合の入った……」
「そっか、そういえば」
ヤドリギ寮に入ると、大勢の生徒がいました。久しぶりという声やこれからよろしくという声もありました。1年生から3年生まで交流を深めているとうです。
千呼の先導についていきます。入ってすぐ左に曲がって、階段を上ります。
「せっかくだしカラスも201見にこん?」
「まぁ……まだ時間もあるし構わないが」
というわけで4人全員で一度、201号室に向かいます。一颯の部屋である204号室を通り過ぎて、廊下を奥に進んでいきます。
千呼に声をかけてみます。
「そういえば鷹峰は部屋見た? 広かった?」
「えっと、実は遠目にしか……」
「遠目って」
なんでまた、と聞く前に突き当りの201号室に到着しました。
「こ、ここです」
で、あれば。ためらいなくドアを開けます。
「失礼しまーす」
そこにいたのは不良でした。金髪のリーゼントに、短ラン、腰パンといういかにも、という見た目です。背も高く、ガタイもいいので、喧嘩も強そうです。
朗も一颯もすぐに納得しました。このヤンキーっぽい生徒が部屋番号を聞くところか、部屋に入るところに、千呼は居合わせたのでしょう。ほかの人が来るまで2人っきりになるのが気まずく、それで同室の生徒を待っていた、と思われます。
ヤンキー風の生徒はすぅっと大きく息を吸いました。
「俺ぁ大雁丸大和だ! ヨロシクな!」
「おれは雀忠太! よろしくな、大雁丸っ」
大きな声に、大和は満足げです。
「オウ! んで、残りの3人は? 201号室か? 人数が合わねぇが……」
「鳩井と鷹峰が同じだって。こっちの烏丸は別の部屋」
「そうか、全員これから気合入れてこうぜ」
おー、と忠太と大和が声を出します。
2人を横目に、一颯が言います。
「……じゃあボクはこれで。もうすぐ荷物が届く予定だ」
「荷物?」
と首をかしげました。
もちろん忠太たちも段ボールで荷物を送りました。しかし自分たちよりも先に荷物が着くと聞いていました。実際、201号室にはいくつも段ボールが積んであります。
「先輩に受け取りをお願いするのに、気が引けただけだ」
「オウ、烏丸ぁ。手伝いはいるか?」
大和の言葉に、一颯が驚きます。
「いいのか?」
「ああ、俺は島育ちでな。長旅してねぇ分、体力余ってんだよ」
「……助かる」
と、いうことで、一颯と大和が退室しました。
201号室に残ったのは忠太、朗、千呼の3人です。
「なんか、普通にいーやつだったな、オーガンマル」
「あ、おれも荷物運ぶの手伝ったほうがいいかな?」
「人数多いとむしろジャマかもしらんぞ」
部屋には2段ベッドが2つと、勉強机が4つあります。ドア付近にはトイレと押し入れがあるので、さらに狭く感じます。このままでは寝るのも部屋の中を歩くのも一苦労です。
「さっさと荷ほどきして、スペース作るべ」
たしかに、と思い、忠太はベッドの上に置かれた段ボールに手を伸ばします。
「あ、鳩井と鷹峰ってさ、2段ベッドの上と下、どっちがいい? おれはどっちでもいいんだけど」
「んー、上だと頭ぶつけそうだから、俺は下のがありがたい」
「僕はどちらでも……。でも大雁丸くんも背が高かったから、鳩井くんと同じで、下のほうがいいかもしれませんね……」
「たしかに。ナイス気遣い!」
「……どうでしょうか」
と、重いトーンで千呼が返事をしたので、ほかの2人は顔を見合わせます。
「僕は今朝も、勝手に遠慮してしまいました……。余計なお世話かもしれません」
朗は思いました。
(いや、オーガンマル側に原因があると思うぞ。責められるようなことでもないけど)
「雀くんたちはすごいです。まったく物怖じしていませんでした。……いつか、きちんと、みなさんへのお礼と、大雁丸くんへの謝罪をしますね」
忠太はびっくりしました。
「お礼って、そんな大げさな……」
「スズメ、せっかくの芸能科だしライブでもしてもらおう」
「あ、それは観たいかも……」
千呼がステージに立つなら観てみたい、と確かに思いました。出会ってまだすぐですが、がんばれ、と応援したくなっています。しかし、すごく緊張してしまうんじゃないか、とも思います。
振り返ってみると、
「分かりました」
張り詰めた雰囲気の千呼が言います。
「必ず、完璧なライブをお届けします」