第8話(前編)
新人戦の中盤。
Rap Bellusの期待の新メンバー・鷹峰千呼はアカペラでのパフォーマンスを披露しました。4万人規模の囀ドームで、音楽なし、照明の演出すらなしで、自分の歌とダンスのみで、ただそれだけで観客を沸かせます。この離れ業を成り立たせるのに必要なのは、圧倒的なスキルとカリスマ。
ア・カペラ。元は「礼拝堂風に」や「聖堂風に」という意味を持っています。今日では、無伴奏の「合唱」のことを示すことが多いでしょう。しかしもともとの意味を思わせるほどに、千呼のステージは神聖なもののように感じられます。
救いを求める人々の前に、天使が現れたとしたら。
誰もが歓喜し、大粒の涙を流すでしょう。
そんなことを考えさせるほど、強烈なパフォーマンスです。
高校一年生にして絶対の力を持つ千呼を前に人々はただただ感動するばかり。しかし同じ一年生たちは別でした。もちろん彼らも表現者の卵です。素晴らしいライブに感動もしました。しかしそれ以上に、あきらめの気持ちがあります。
言葉にするなら「敵わない」でしょう。
そう思わなかったのはほんの一握り。
その一人である雀忠太は言います。
「すごい……おれもあんな風に――」
周りの一年生がぎょっとする中で、ユニットメンバーの2人だけが平然としていました。
「あれに勝つのがボクたちの目的だぞ」
「スズメもカラスも強気よなぁ」
烏丸一颯も、鳩井朗も、決して敵わないとは思いませんでした。一颯には勝算があります。今日のためにやってきたことを覚えているからです。朗には恐れがありません。千呼がすごいからといって、自分たちがショボいわけではないと分かっているからです。
SPARCRO VISION の3人を見る一年生の視線はさまざまでした。バカにするものもあれば、期待に満ちたものもあります。いずれにせよ、舞台裏でもっとも注目を集めたのは彼らでしょう。
島外からの入場規制もあり、空席の目立つ囀ドーム。さりとて、五千人がいるドームが文字通り揺れました。千呼のライブパフォーマンスが終わったからです。歓声を一身に受けながら、千呼は舞台裏に戻ってきます。
すぐに、忠太が声をかけます。
「おかえり、鷹峰!」
「……っ! ありがとうございます、雀くん」
ステージ上では目立たなかった汗を拭い、千呼は笑います。年相応のあどけない笑顔でした。
「やっぱり鷹峰はすごいな。お客さんたちみんな夢中になってた」
「――夢中」
驚く千呼に、忠太は首をかしげます。
「ああ、いえ。――僕の能力は『夢中』なんです。誰かに聞いたのかと思って、驚いてしまって」
「初耳」
忠太はそうつぶやくとほへーっと口を開けました。
くすりと千呼が笑います。
教室や寮とおなじ調子で会話をする2人とは違い、舞台裏は緊張感に包まれています。音や光の効果を借りずに、ステージに立つなんて信じられませんでした。これまでのレッスンでは、むしろ音楽や照明との相乗効果を活かすことを教わったのです。そんな彼らにとって千呼のステージは、異文化を通り越して、異次元のライブでした。
どうしようもない敗北感を覚えるのも致し方ないことでしょう。
千呼に続く生徒たちは俯きがちで、動揺し、ミスをしました。みな実力を発揮できず、呆然としたままステージに立ち、そのままパフォーマンスを終えて戻ってきます。
発端が千呼であることは観客も分かっていました。一颯のスマホに映るSNSには多くのコメントがあります。「なんかかわいそう」「ちこちゃんさいこう」「トリにすればこんなことにならなかったのに」「それな、運営バカなん?」無造作なコメントがとめどなく流れていきます。
「やっぱり出るのやめときゃよかった」
と、誰かが言いました。
全員の視線が向く先にいたのはB組の生徒でした。彼もまたアイドル衣装を着て、ステージに立ちました。ちょうど、千呼の次に。
一颯は思い出します。統が言っていた「新人戦を辞退したい一年生」のことです。一度は参加を決めたものの、千呼のステージを観て後悔したということでしょう。
「負けんの分かってて、しかも差を見せつけられて、晒しものにされて、挙句の果てに憐れまれるなんて――、最悪だ」
「そんな言い方……」
「落ち着けって」
わらわらと人だかりができます。
「俺らもよくやったじゃん」
「それにお前は鷹峰の次で一番最悪なタイミングだったんだし」
「実際、アレのあとにやんのはきついよな」
空気は重く、ほとんどの生徒はうつむいています。一度も口を開かない生徒もいますが、内心では共感しています。自分たちはよくやった、順番にも左右される、心がくじけても仕方がない。とにかく、このライブが早く終わることを祈っています。
朗は、こそっと千呼に耳打ちします。
「ちょいちょい、顔色悪いぞ」
千呼の顔は蒼白といってもいいぐらいでした。口を固く結び、押し黙っています。
(僕のパフォーマンスは完璧だったはず……)
しかし現実には、級友たちの落ち込む姿が広がっています。
「……僕は、どうすれば」
小さく漏れたつぶやきに、
「鷹峰がでなきゃよかったんだ」
と、件のB組の生徒が言いました。
「だいたい! お前はもうデビューしてんじゃねぇか。なんで比べられなきゃいけねーんだよ。……そっちのが上に決まってんじゃん」
沈黙。
しかし朗が口を開きます。
「タカはめっちゃがんばっとる。一緒にレッスンしてたから分かる。そんで、めっちゃがんばっとる人間が、めっちゃかっこいいってのは、普通のことなんよ」
一颯も続きます。
「そもそも鷹峰が優勝候補筆頭の実力者なのは分かり切っていたことだ。何を今更言っている。まあ、アカペラなんていう飛び道具を使ってくるとは思わなかったが」
諭すような口調の朗はともかく、挑発的な一颯には反感の声が上がります。
「んだとオイ――」
「まぁまぁ」
さすがにまずいと思った忠太が割って入ります。
「とりあえず落ち着こう」
「お前らだって、どうせ敵わないだろ!」
「叶えるよ」
入学式で初めて見たライブ、先輩たちのステージ、ついさっきの千呼のパフォーマンス。
いつかやりたいと思ったそのすべてを。
「叶えるよ、今から」
屈託のない笑顔で、忠太は言い切りました。
「次はSPARCRO VISION ですね」
「委縮してないといいけど」
「せんじゃろ、どうせ。忠太にそんな感性があるとは思わん」
「紅蓮……言い方」
神気煌耀の4人がいるのはVIPルームです。入学式のときはすし詰め状態で最悪の環境でしたが、今日は適性人数に収まっています。簡素なパイプ椅子ではなくゴージャスなソファに腰かけ、人によっては飲み物を片手に、優雅に鑑賞しています。今この部屋にいるのは一部の教職員に加え、デビュー済みのユニットだけ。それぞれ好き勝手に座っています。
最前列のど真ん中に座っているのが神気煌耀です。
「しっかし、鷹のあとはパッとせんかったのぉ」
紅蓮はあくび交じりにそう言いました。途中から飽きて寝っ転がり、せんべいをばりぼり音を立てて食べています。二人掛けのソファを占領しています。その横にあるソファに春音と陽が座り、リクライニングチェアに尊が腰かけています。
遠慮のない紅蓮の物言いに、尊が顔をしかめました。
「やめなさい。あなたにそんなことを言われてはなおさら落ち込むことになるでしょう」
「でもまぁ、悪いけど光るものはなかったよね」
いつもは反目しがちな春音ですが、今回ばかりは違いました。
「実力差があるとはいえ、折れるのはね」
「……ウン」
興味のなさそうな陽も頷きます。神気煌耀の4人組は、1年生のときに新人王を取り、そのままデビューし躍動しました。共感できるのは千呼の方です。傑出した才能で、結果的にほかの人間を挫折させる。何度も経験してきたことです。
自分の輝きが、他人の輝きを奪うこともある、ということに神気煌耀は自覚的です。
そしてその自覚がない2人組、縁は普通にライブを楽しんでいます。
瑠璃音はペンライトにうちわと両手いっぱいのアイテムを持っています。一年生が壇上に現れる度に大声で名前を呼び、感涙するその様子は、教職員一同をドン引きさせました。隣にいる黒嗣が(慣れから)平然としているのも怖かったそうです。
「クロくん、ペンラの色変えとかないと」
瑠璃音から借りたペンライトを黒嗣は慣れない手つきで触ります。ボタンを押すと色が変わる優れものです。瑠璃音からは6本(片手に3本ずつ)渡されました。
「……あいつらって色とか決まってんのか」
「大丈夫、烏丸くんに聞いといたから。デビューしたらメンカラ何にするのって」
いたずらっぽい笑みを浮かべた瑠璃音に、
「デビューしたら、か。いいな、どの色か教えてくれよ」
黒嗣も笑顔を返します。そしてカチカチボタンを押して、ペンライトの色を変えていきます。それぞれの色を2本ずつ、オレンジ色、オリーブ色、そして深い紫色。
「さぁて、踏ん張りどころだぜ。カズサ」
期待に満ち満ちた目をステージへ向けます。
それとは違う、品定めするような目があります。
芸能科男子デビュー組のもう一つのユニット、Rap Bellusの宇留鷲統と荒鳶可弦です。
統は腕組みをし、背筋を伸ばして壁際からステージを観ています。その横には可弦がいます。手にはソーサリーに乗ったカップがあり、コーヒーの香りがします。
ふぅ、と小さく統は溜息をつきました。
「普段の実力の半分も出せてない生徒が多いな。特に、チコのあとは」
「ハッ、そりゃそうだろ。あんだけカマしゃ大抵の連中はついてこれない」
圧倒的な実力者を前にして、自分とは違うと切り離し、諦めるのか。それともなんらかの勝算を見出し、挑むのか。
可弦はコーヒーを飲み、ソーサリーにカップを戻します。
「鳩ポッポがどっち側かは分かんねーけどな」
その言葉に、統は目を伏せます。
「――チコのライブのあと」
思い起こされるのは、劇的なアカペラパフォーマンス。
「ほかの1年生は見所を作れなかった。新人戦の山場は終わった、と。誰もが考えている。感情曲線の谷なんだよ、この時間は」
ライブの山場は終わり、観客の気持ちが昂るのは次の日か、はたまた今日の帰り道の感想会か。すでにピークを超えて、より深く底に向かう観客のボルテージ。
「そこから飛べるか? SPARCRO VISION 」