第7話(後編)
新人戦当日。
囀ドーム。収容人数約4万人。円形のベーシックなドームで、ライブやスポーツの試合など多様なイベントが行われます。今日の観客席は、C字型にぐるりとステージを囲んでおり、目立たないチャコール色の椅子には学園関係者や島民などが座っています。ドリンクホルダーに何度も手を伸ばす人もいれば、プログラム表から目を離さない人もいます。
開場してすぐ、多くの人がやってきました。もっとも、この新人戦は島外からの観客は招待客のみです。一般の方はいないので、圧倒的に空席が多いです。今日の観客は5千人程度でしょうか。
「すげぇ! めっちゃお客さんいる!」
会場の様子をモニターで見た忠太は、こぶしを握っています。すでにSPARCRO VISION の衣装に着替えています。白を基調としたサイバーチックなアイドル衣装です。忠太のメンバーカラーであるオレンジ色もアクセントとして入っています。活発なスポーツ少年といったテイストもあります。
舞台袖に当たる部分に、芸能科1年男子が集まっています。黒一色の舞台袖にあって、生徒たちの色とりどりの衣装は輝いていました。さらに多くのスタッフさんもいました。衣装直しやメイク直し、照明に音響にとせわしなく動き回ります。
そんな慌ただしい空気もなんのその、いつも通りのテンションで朗は言います。
「お~、俺達まだデビューもしてない新人なのになぁ」
朗もユニットのアイドル衣装を着ていました。忠太とはまた違ったマイナーチェンジをしていて、全体的にゆったりした感じです。メンバーカラーはオリーブ色ですが、サイバーらしく蛍光色風になっていました。
「新人だからこそ観たいという人もいる。オーディション番組なんかと同じだな」
モニターに夢中の2人に一颯はあきれたような声で言いました。彼もまた専用の意匠が施されています。深紫のメンバーカラーと、アシンメトリーなデザインは一颯らしい、理知的な印象を与えます。
「一颯もモニター見てみて」
「めっちゃおるぞ、カラス」
「もう見た……。あと1時間もしないうちに、肉眼で見ることになるんだ。今すべきなのは本番前の確認だ」
と言いながらも、一颯の視線はモニターに向かいます。あそこにいる全員がステージにいる自分たちを観るのだ、と思うと、体がぶるっと震えました。
(今日、決まる)
新人戦で勝つことは、最短でのデビューにつながります。夏季合宿への参加や文化祭でのステージなど、特権を得ることができるからです。そうしてデビューし、1年間で最も輝いたアイドルに選ばれれば……。
学園に入学した目的を果たせることでしょう。
(ボクならできる)
先ほどの震えを振り払うように、一颯はモニターをにらみつけます。
「あの……」
か細い声がかけられました。
SPARCRO VISION の3人が振り返れば、そこには千呼がいました。
千呼もまたアイドル衣装に身を包んでいます。王道の洋装で、上品な青をメインカラーとした衣装です。羽や薄布などの装飾は、貴族然としています。
この衣装は、3人だけでなく、すべての生徒にとって見覚えのあるものです。なにせ先月の入学式で、0日デビューを飾った1年生が着ていた衣装です。
「何か用か?」
新人戦で勝つ、という通常のデビュー最短ルートをぶち破った天才の登場に、一颯の声がワントーン低くなりました。最大のライバルは、間違いなく鷹峰千呼です。
「カラス先生こっわ」
「ごめんな鷹峰、うちの一颯が……」
2人ともちょっと引いてました。一颯には生真面目が過ぎて感じが悪くなるときがあり、2人はユニットで長い間一緒にいて初めて慣れることができました。他所の人には見せない方がいいぞ、と朗にマジのトーンで言われたとき、一颯は深く反省しました。
一度咳ばらいをして気を取り直します。
「それで……どうした?」
その様子に、千呼はにこにこしていました。
「いえ、なんとなく人と話したくって……。相変わらず仲がいいですよね、SPARCRO VISION って」
3人がお互いの顔を見合わせます。船で人工島に来たときに出会い、寮でも教室でも多くの時間を過ごしました。毎日レッスンをして、新人戦に備えてきました。
「仲間だから」
忠太はそう言いました。友だちではなく仲間だと。朗はにやつき、一颯はちょっと目をそらしました。
僕たちとは違う、と思いながらも。
(ハジメくんやカイトくんに会いたいな)
自分のユニットのことを千呼は思い出しました。頼れる、尊敬できる、高め合えるそんな素晴らしいメンバーです。歳が違うので、今日は同じステージには立てません。しかしだからこそ、あの2人に相応しいライブをしなければなりません。
それに加えて、
「おれたちで今日のライブ盛り上げようぜ!」
目の前の、どこまでも明るい級友のためにも、最高のパフォーマンスを見せなければならない。あらためて決意しました。
「ありがとうございます。……最高のライブを、共に」
SPARCRO VISION の3人は頷きます。忠太は笑って、朗は気楽そうに、一颯は真剣な面持ちでした。三者三様、しかし決意は一つです。
自分たちが新人王になる、と。
それは千呼に勝つということでしたが、SPARCRO VISION の3人も千呼も口にはしませんでした。分かりきったことだからです。
新人戦は何の問題もなく進行しています。
すでに何組かがパフォーマンスを終えました。汗だくになりながら「緊張したー」とか「めっちゃミスった……」とか喋っています。誰もが満足げな顔をしています。それだけ努力をして今日を迎えたのでしょう。
すでに折り返しに入り、暫定順位も出ています。今のところ順当な結果だと言えるでしょう。前半戦であるということ、注目株がまだということもあり、全体的に審査員票は控えめです。ネットによるファン投票は未公開ですが、審査員票のほうが比重が高いので、大きく覆ることはなさそうです。
そして後半戦。
間違いなく最も注目されている1年生の出番がきました。
「もうすぐタカじゃん」
朗がそう言うと、一颯が頷きました。
忠太の目がモニターに釘付けになります。
奈落、と呼ばれるステージの昇降装置があります。中央の穴から、千呼の姿が徐々に顕になっていきます。響き渡る歓声は、すでに多くのファンがいることを物語っていました。頭から、肩へ、さらに足へ、その全身がより見えるようになるにつれて会場のボルテージは上がっていきます。
「流石だな」
手元のスマートフォンを見ながら一颯が言いました。
「すでにSNSでもトレンドに入ってる」
「まじか、さすタカじゃん」
ネット上のコメントのほとんどは千呼を賛美するものでした。その一方で一部では批判的な声もありました。いわく入学式時点でデビューはおかしい、とか、身内贔屓にすぎないとか。
「タカ本人は見んほうがええな」
「まぁエゴサするタイプにも見えないが」
ステージに立つのは千呼だけ。スポットライトが影をつくり、独りなのがより際立ちました。そして千呼はゆっくりと口を開き、すぅっと息を吸って歌います。
もっとも陳腐な表現をすれば、それは天使の歌声でした。すべての人が夢中になり、微笑みを浮かべずにはいられない。軽やかなステップも相まって目を離すことができません。
とっても素敵なステージです。
「……?」
しかし忠太は違和感を覚えました。
何かが変だと感じました。
「なぁ、2人ともーー」
なんとかモニターから目を離し、横に並ぶ2人に目をやれば。
「……」
「……」
どちらも押し黙って、食い入るようにモニターを見ていました。しかし浮かべる表情は異なりました。朗は引き攣った笑いを浮かべています。一颯は眉間にしわを寄せ険しい表情をしています。
「2人ともどうしたの?」
観客にとってそれは素晴らしいサプライズです。あのRap Bellusの一員なだけあると感心します。なによりパフォーマンスのクオリティの高さは群を抜いていました。
そして、ほぼすべての1年生にとって絶望的なものでした。誰よりも優れたライバルが、本気で叩き潰しにきたのです。ステージは課題発表の場ではなく、エンターテイメント、アート、あるいはアイドルそのものを見せつける場だと思い知らされました。
「スズメ、分からんのか?」
「よく考えろ、今までと明らかに違うだろう」
2人はモニターに目を向けたまま、忠太に問います。
(違う?)
確かに実力の差は感じずにはいられません。千呼の実力は1年生トップです。誰も異論はないでしょう。しかし、それは日頃のレッスンでも十分に理解していることです。今更違和感を覚えることではありません。
(いつもより静かかも? ……あ)
忠太はようやく思い至りました。
そう、静かでした。路上ライブでも、ドームのライブでも日常生活ではまずない爆音が響いていました。それゆえの高揚感を忠太は今でも覚えています。
しかし今、スピーカーから聞こえるのは千呼の歌声のみ。
すなわち。
「アカペラ」
千呼は今、自身の歌声だけで音楽を作り上げていました。