第7話(前編)
新人戦まであと1日。
SPARCRO VISION のレッスンも、今日ばかりは早めに終わりました。明日の本番に備えて、心身を休めるためです。夕食後の、夜の談話室に1年生が多いのは、みんな同じことを考えたからでしょう。
高いところにある壁掛けの大きなテレビに映っているのは、ゴールデンウィークの特集です。おでかけスポットや名物料理、おすすめのお土産などが紹介されています。しかし、明日のことを考えると頭に入ってきません。生徒たちは、木製のシンプルな椅子や赤い三人掛けのソファ、人をダメにするクッションなどに腰かけながら、ぼーっとテレビを眺めています。
「もう明日かぁ」
いつも以上に気の抜けた声でした。朗は座布団の上で胡坐をかいています。視線はテレビに向いていますが、まるで意識していません。食べ物が出てこない限り。
「準備万端だ」
涼しい顔で一颯は言いました。ダイニングチェアに座り、紅茶を飲んでいます。手にはタブレットがあり、明日の細かいタイムテーブルが表示されていました。
「ようやくステージに立てる……」
忠太は、こぶしを震わせます。朗と一颯の間にパイプ椅子を持ってきました。朗が土足禁止の畳コーナーに座り、一颯がダイニングテーブルの方に座ったからです。
「よかったなぁ、スズメ」
「すげぇ他人事だけど、朗も立つからね? ステージ」
「そうだぞ鳩井。あまり気を抜くな」
とは言いつつも、緊張するよりは―いと思う一颯です。もともと朗はマイペースですし、忠太も楽しみといった様子。この調子なら、練習してきたパフォーマンスを発揮できない、といった事態はなさそうです。
「へーい」
生返事をしながら、朗は大きく伸びをしました。
そんなときです。テレビに有名なアイドルが出てきました。
「なぁカラス、あの人って学園出身?」
「ああ、芸能科OBだな。小鳥遊家の当主でもある」
「じゃあおれ達の先輩ってこと!? すげぇ~」
テレビに映るアイドル、小鳥遊無垢は柔和な笑みを浮かべながら番組MCと会話していました。地方ロケで、城下町を歩くという企画のようです。
「おれ達もテレビに出たりするのかなぁ」
「……新人戦で勝てば、可能性は上がる」
一颯の言葉で、談話室がぴりっとした空気になりました。誰もが同意する言葉だったからです。テレビに映る先輩も、デビュー組最強の神気煌耀も、新人王を手にしています。昨年の王者も、荒鳶可弦と鳴美瑠璃音というデビュー組の2人。
新人戦での勝利は、デビューに至る王道です。
それはそれとして、朗はつぶやきました。
「めっちゃ人気で、名家の出で、なんかワシ先輩みたいだなぁ、この人」
「言われとておるぞ、統」
紅蓮はいじわるそうに笑いかけます。2人は畳に座っています。紅蓮は制服のしわも気にせずに胡坐をかき、統はぴしっと正座をしていました。SPARCRO VISION の3人からはさして離れておらず、聞き耳を立てずとも会話が聞こえました。
湯呑をちゃぶ台に置きながら、統は言います。
「ま、経歴は似てるかもな。今のところ」
テレビに映る小鳥遊無垢も、談話室にいる宇留鷲統も、在学中にデビューし、生徒会長にもなりました。無垢は七大名家の現当主ですし、統もいずれは七大名家・宇留鷲家を継ぎます。しかし未来のことは誰にも分かりません。なにより、統本人に与えられた道を辿るつもりはありません。
苦難も覚悟のうえで、新しい道を作り上げていくつもりです。
そんな覚悟を知ってか知らずか、
「かかっ、今のところか。それはよい」
と、皮肉めいた物言いをされました。
「……朱凰からすれば、俺も無垢さんも子供じみて見えるのか?」
「はて? ワシもおぬしもまだ未成年の小僧っ子じゃろうて。小鳥遊のにしたって、せいぜい三十路じゃろ。人生の折り返しにすら立っとらん」
今世の朱凰紅蓮はまだ17歳です。壁に耳あり障子に目ありとはよく言ったもので、紅蓮はそのあたりの警戒を怠りません。と、いうのも建前で、実際は統をからかっただけです。年寄にとって悩める若者をからかうのは無上の楽しみだと言ってはばかりません。
「なぁに気にせずとも。人の道は、その者だけの道じゃ。多少似ても、同じにゃならぬ」
そもそも紅蓮に言わせれば、今世の七大名家に連なる者はみな、個性的です。先祖返りに関する権謀術数は世の常ですが、そのような因果を断ち切らんとする者もいれば、自ら従いつつも飲み込もうとする者もいます。かと思えば、閉じた世界の中で頂点を目指す者、一切合切を無視し我が道を行く者など。
「ありがたいことで、退屈とは縁遠いのぉ」
「俺としては重なりすぎていて困りものだけどな」
直近で言えば、雀忠太の入学は寝耳に水でした。かくも大きな力を持つ生徒が現れては、自家に引き込もうとする者の絶えないこと。裏であれこれ根回しをしなければ、忠太の平穏な生活はなかったでしょう。
「男子寮に来てくれたのがせめてもの救いだったか……」
遠い目をする統に、紅蓮が吹き出します。
「かっかっかっ、女子寮じゃったら鴻戯のが我さきにと手元に置いたじゃろうな!」
「だろうとも。はぁ、本当によかった……」
統と紅蓮の話を聞いていたわけでもなく、
「七大名家はさすがだねぇ」
と瑠璃音は言いました。
「はっ、別に俺にとっちゃどうってこともねぇけどな」
可弦は鼻で笑います。
ダイニングテーブルを囲むのは瑠璃音、可弦、黒嗣、千呼の4人です。それぞれ手元のスマホやタブレットで自分たちのライブ映像を観ています。先日のライブの反省会をしよう、と瑠璃音が提案した結果、談話室に集まりました。
「七大名家の英才教育がやべぇってのは知ってるが、荒鳶家、鷹峰家も大概だな」
話題は七大名家やそれに連なる家の教育についてです。一般家庭出身の瑠璃音や黒嗣からすれば、幼少のころから追い込んで芸事を身に着けさせるというのは尋常じゃありません。
「つーか、滝行って実在するのか……」
レッスン用の山があることも、その山の滝に打たれる修行があることも信じられませんでした。何時代?
「おいおい、滝に打たれたこともねぇのか?」
「なにそのマウント」
瑠璃音が突っ込みをしました。珍しいことです。
「僕としては、入学してからレッスンを始めたお二人のほうがよっぽどすごいと思います」
千呼が可弦を完全にスルーしました。それに乗っかり、
「そう言われると照れくさい気もすんな」
と黒嗣も可弦を無視しました。よくあることです。可弦も気にせずに、手元のタブレットを観ています。ちょうど、黒嗣とのダンスバトル(台本無視)のシーンです。技の冴えは自分の勝ちですが、勢いは限りなく少しだけあれなのかもしれません。内心ですら断ずることができないので、言葉にすることはありませんでした。
「こういうユニット合同ライブまたやりたいなぁ……」
「夏合宿でやんだろ、どうせ」
縁のこんなやり取りも何度目でしょう。
「全員俺がぶっ飛ばしてやるぜ」
「カ、カイトくん……、そんな言い方」
Rap Bellusの2人もいつも通りのやり取りです。
先日のライブの話をしたり、今後のライブについて盛り上がったりした4人でした。しかし不思議と明日の新人戦の話題はありませんでした。それぞれ思うところがあったのか、それとも結果についてもう予想ができているからなのか。
本人たちしか知りえないことです。
紅蓮を除く神気煌耀の3人は、カウンター席から談話室全体を眺めていました。
「前日はいつもこんな空気だね」
と春音が言いました。
新人戦の前日、談話室には1年生が多くいます。部屋にいても明日のことを考えると落ち着けません。それにルームメイトがライバルであることも多く、ちょっぴり気まずいのです。さりとてユニットだけでどこかに集まると、やっぱり明日のことを考えずにはいられない。
結果として、談話室という「関係ない人もいるところ」にみんな集まります。他愛のない話し声や興味のないテレビの音が、緊張をほぐしてくれると信じているのです。
「分かります。ほのぼのしてるようで、全員よそよそしいと言いますか……」
尊の発言に、陽が頷きます。
「全員、固い」
リラックスしようとすると返って緊張してしまうというのは誰でも経験のあることでしょう。1年生の多くはまさにそうでした。新人戦以外のことを考えようとするあまり、新人戦のことばかり頭に思い浮かんでいます。
「なんとかしたいところですが……」
「無理」
きっぱりと陽が言いました。
「僕もそう思う。それこそ、新人王になった先輩からのアドバイスだ……とか思って、みんなもっと緊張するよ」
「そうですよね……お茶を淹れても萎縮されてしまいそうですし……」
溜息交じりの尊を見て、春音は笑います。
「尊が心配性の保護者みたいになるのも毎年恒例だね」
「む、毎年だなんて。2回目ですし、来年はありません」
3年生である以上、新人戦を控えた後輩を見て気をもむのも今年が最後です。
「尊ならOBになっても心配してそうだけどな~」
「うん」
実際、OBによる新人戦ウォッチパーティは人気コンテンツで、来年になれば、神気煌耀から、少なくとも誰か1人は参加することでしょう。それに面倒見の良いことで知られている尊が選ばれる可能性は高そうです。
もし選ばれたら、と思うと、胃痛に苦しむ自分がありありと想像できました。
「ぜひ代わっていただきたく……」
「そう言わずにさ、いいリアクション期待してるよ」
「……オレには無理。任せた」
今年の新人戦のことだけでも気苦労が絶えないのに……と尊はこめかみを押さえました。どうせ鷹峰千呼が優勝するから、今年の新人戦は2位争いに過ぎない、と心無い人が噂しています。悲しいことにこの噂は当の1年生たちにも伝わっていました。
一昨年は神気煌耀が、昨年は可弦と瑠璃音が、下馬評通りに新人王に輝きました。短い準備期間では、ダークホースはなかなか現れません。
(せめて悔いの残らないように……)
談話室から出て、忠太は夜の散歩をしています。
(いよいよ明日)
早く寝なきゃと思いつつ、エネルギー発散のために歩いています。もう暗く、春とはいえ冷えるので、明るい道を選び、しっかり防寒しました。寮から坂道を下り、芸能科校舎の方に向かいます。
月と星と、まばらな街灯が忠太を照らします。車も人通りもなく、少し離れた商店街や住宅街の方から、かすかな生活音が聞こえます。家族でご飯を食べたり、テレビでも観たりしているのでしょう。
3月、人工島に来てから、色んなことがありました。
そのすべてを振り返るには、通学路は短すぎます。
(3人のままやりたいなぁ)
SPARCRO VISION はあくまで新人戦のために、学園の指示に従ってできたユニットです。この先のことは決まっていません。新人戦の結果によっても左右されることでしょう。存続を望むなら、勝った方がいいのは間違いありません。
しかし大きな壁があります。
「雀くん?」
千呼は驚いた様子で、忠太の顔を覗き込みます。
「鷹峰じゃん!」
こっちはこっちで驚きました。千呼はベンチに座っていました。青いペンキで雑に塗られたベンチです。近くにある自動販売機以外に光源はなく、忠太は声をかけられてようやく気づきました。
「何してんの?」
「……少し1人になりたくて」
「そっか」
じゃあ長居はしないほうがいいか、そう思った忠太に、
「少し話しませんか?」
と千呼は言いました。
「おっけー!」
そういうことならお構いなく。忠太は千呼のすぐ隣に座りました。ほんの少し顔を上げれば、星月が見えます。それでも、地元のほうが星はよく見えるなぁと思いました。人工島の端っこですら、地元よりは都会なんだと知りました。
「雀くんは……」
「うん?」
「いえ」
千呼は質問するのをやめました。忠太はたぶん知らないだろうし、知っていても気にしないか、分からないでしょう。先祖返りの名家に生まれることや先祖返りの名家に選ばれることの意味を、重さを知らないでしょう。
きっと「何の先祖返り」なのかも気にしないのでしょう。
純粋さが、無知ゆえならば。
何も語るまいと思いました。
「明日は、お互いがんばりましょうね」
「おう!」
それから2人はとりとめのない話だけをしました。
忠太と千呼、少なくともどちらか一方は新人王にはなれません。それでも互いの健闘を祈るのは、友情か。
それとも、絶対に負けないという自信か。
新人戦まであと1日。
春の夜のことでした。