第6話(後編)
新人戦まであと7日。
囀学園芸能科スプリングライブ「HINAGA」が開幕します。
「デビュー済みユニットのみが出演する春の祭典……」
忠太は手元のフライヤーをさらに読み上げます。
「DAY1は男子、DAY2は女子。男子からは神気煌耀、Rap Bellus、縁の3ユニット。女子からは――」
「スズメ、カラス。屋台が出るらしいねんけど……小銭は持ってきたか?」
のん気な朗に、一颯が溜息をつきます。
「遊びに行くんじゃない」
まぁまぁ、と忠太は2人をなだめます。
学園ドームに向かうバスの最後列で、3人は今日のライブについておさらいしています。いかにもローカルっぽい緑の椅子にちょこんと座っています。右端の窓際から朗、一颯、忠太の順に並び、さらにその横には名前も知らない先輩2人組が座っていました。
「1年生くんたちは元気だねぇ」
「おれっちたちもフレッシュさなら負けないぜ?」
「はいはい……」
5人座れる最後列はもちろん、通路の補助席もすべて埋まっています。
「芸能科はすし詰めにされる運命なんか?」
「座れるだけましだと思うことにしよう」
「カラスも前向きになったなぁ……」
朗は窓の外を眺めます。街路樹を照らす日の光、道のはき掃除をする島民、ランニング中のグループ、友だち同士でふざけあう子供たち。平和を絵に描いたような光景が目に映ります。
「今日までの10日間は無駄じゃない。ここからの1週間でさらに勝つためのプランを明確にする。そのためにも今日は――」
「タカをよく観る」
「そうだ」
新人戦を目前にライバルの「本番」を観られるのは幸運なことです。鷹峰千呼というアイドルの特性を理解すれば、少なくとも被りは避けられる。と、一颯は考えました。
「今日のおれたちはスパイってことだな」
なぜか楽しそうな忠太です。
「しかしなぁ、カラスよ。タカに実際勝てると思うん?」
「なんだ、レッスンの成果に自信がないのか」
「そのレッスンが問題なんよ」
朗はここ10日間、Rap Bellusとともにレッスンをともにしてきました。だからこそ分かったのは圧倒的な基礎スペックの差。体力も、技術も、そして学習スピードも違いました。
「ダンスの振りひとつとっても覚えが早い。んで、その分余った時間をクオリティアップに使う。しかも、あの人たちは人一倍練習する」
「……早々に鷹峰に敵わないと思うのも仕方ない、か」
生来の才能に加え、環境や努力によっても磨き上げられた実力者3人です。
スタートの差は圧倒的だと言えるでしょう。
「でもだから勝てないってわけじゃないじゃん?」
けろりと言ってのける忠太に、2人は苦笑するばかりです。
「スズメはそういうとこあるよな」
「言っておくが、Rap Bellusは全員が10年は芸を磨いてきてるんだぞ。対するボクたちは1か月程度。単純に考えても、その差は100倍以上だ」
忠太の顔が青ざめます。
「100倍……」
どう考えても不利、ですが。
「ま、今更か」
千呼はもちろん、可弦や統がすごいのは入学式のライブでもう知っています。びびるを通り越して尊敬ですし、だからこそ競えるのが嬉しい。
「今日のライブも楽しみだなぁ」
忠太のつぶやきに、朗と一颯は目を合わせます。
「スズメって」
「こういうところがあるな」
2人のつぶやきは、再びフライヤーに目を落とした忠太には届きませんでした。
縁の楽屋では、2人が膝を突き合わせて座っていました。その横にはドレッサーやマガジンラック、観葉植物などがあります。居心地の良さそうな空間ですが、瑠璃音は妙なオーラを発しています。
「推しと、同じ、ステージに……」
「昨日から言ってるけどよぉ……デビューした時点で分かってただろ?」
スプリングライブは毎年のイベントで、新年度になった時点で、出演者が決まります。昨年度にデビューした縁が出演するのは当然のことです。黒嗣は何度も、この当たり前の説明を繰り返しましたが、ついに届くことはありませんでした。
「許されることなのか、それは……」
「いいんじゃねーか。同じアイドルなんだし」
「そう、僕はアイドル」
「ああ」
「クロくんもアイドル……あと顔がいい」
「……ありがとな」
「じゃあいったんセーフか……」
「……そうだな」
理解はできませんでしたが、セーフならいいか、と思いました。
神気煌耀の楽屋では紅蓮が正座していました。土足で入って、少し高い畳がある、いわゆる小上がり和室です。紅蓮の前には仁王立ちしている尊の姿があります。
「おやつぐらいええじゃろ!」
との言葉に尊が静かに怒ります。
「もう少しで衣装にこぼすところでしたよ」
横で、まったく興味がなさそうに春音が言います。
「子供じゃないんだから我慢しなよ……」
さらに陽も。
「紅蓮、スタッフの人が困る」
と苦言を呈しました。
「う、うぐぅ」
もはや尊や春音に叱られることに慣れ切った紅蓮ですが、陽に言われると効きます。
「あいわかった! もう楽屋で、きな粉餅は食わぬ!」
そりゃそうだろ、春音は心の中で突っ込みました。
Rap Bellusの楽屋。
「細かい修正点は以上だ。質問は?」
ライブの演出等に関する修正点を一気に説明し、統は2人を見やりました。さっきまではメイクや衣装のスタッフさんがいましたが、今この部屋にはユニットだけ。ただ鏡と椅子、机があるだけの静かな空間に、自信に溢れた声が響きます。
「あるわけねぇ、そうだろチビ?」
年上の幼馴染からの問いに、千呼は答えます。
「うん、大丈夫」
可弦が満足げに頷くと、楽屋には静寂が訪れます。そして可弦は軽くストレッチをして、衣装を体に馴染ませます。千呼は目をつぶったまま、息を整えて集中します。
統は鏡に映る自分と目を合わせました。
(俺は今日も、宇留鷲統だ)
仲間からの期待にも、家族からの期待にも、ファンからの期待にも、そしてなにより。
(俺自身の期待にも絶対に応える)
それが宇留鷲統です。
学園ドームはアイドルの登場を待ちわびる観客のざわめきに包まれています。
暗転。
ざわめきが歓声、絶叫、拍手に変わり、すぐにライトが9人のアイドルを照らします。
流れる音楽は校歌とも称されることのある楽曲。
『さえずり』
共通衣装に身を包んだアイドル達が、歌い、踊り、ファンたちを歓喜の渦に誘います。縁の2人に加え、1年生の千呼も今年が初出演のスプリングライブ。春らしく、新しいアイドルとの出会いを観客に届けます。
「みんなおなじ衣装だ! いいなぁ~」
「よく見ろ、それぞれ違う装飾が施されている」
「マイナーチェンジで個性だしてんねぇ」
続けて披露されたのは『第77期新人戦課題曲』と『第76期新人戦課題曲』。
前者は、2年生(77期生)に1年生の千呼を加えた4人で披露しました。String Blue(可弦と瑠璃音が新人戦のとき組んでいたユニット)の復活を喜ぶファンもちらほら。可弦と黒嗣のダンスバトルも大きな喝采を浴びました。
後者は、3年生(76期生)の5人。4人組の神気煌耀がどうしても中心になるかと思いきや、センターは統でした。フォーメーションの大胆なアレンジにより、威厳ある指導者とそれに仕える騎士のようにさえ感じられました。
「トンビ先輩とクロツグ先輩ほぼ喧嘩しとらんか?」
「鳴美先輩と鷹峰の愛嬌でうまく相殺してるな」
「3年生ってやっぱすごいなぁ~」
そしてMCを挟んでユニット楽曲へ――。
「他のユニットと一緒にステージ立つのすっげえ楽しそうじゃない?」
ライブが終わり、忠太は興奮していました。
近くまでバスで移動して、そこから歩いて寮に向かっています。日はすでに沈み、町は閑散としていました。商店街の方も店じまいは早めなので、もう静かです。春の夜風に当たりながら、3人はライブの感想を言い合っていました。
「俺たちもデビューしたら機会あるんちゃう?」
「だろうな。デビューすれば『HINAGA』はもちろん、文化祭での『YONAGA』でも共演するだろう」
春のライブイベントとは違い、秋の文化祭では芸能科全員がステージに立ちます。デビュー済みかどうかで見せ場の多さは変わりますが、多くの1年生にとって新人戦に続く大きなチャンスです。
「無論、ボクらはデビュー組として――」
なんて話していると、ヤドリギ寮の坂道に差しかかりました。いつも通りの勾配で、でも最近は登るのも苦じゃなくなってきました。
(慣れるもんだなぁ)
と、朗は思いました。坂道を登るのも、この2人と一緒にいるのも、毎日レッスンに励むのも、この一か月でずいぶんと慣れました。これまでのあたり前が、この島に来てからどんどん変わっていく。それはそれでいいことだと感じました。
「タカは、すごいぞ」
出し抜けに朗が言ったので、2人は目を丸くしました。
「どうしたの、朗?」
「いや、一緒に練習してて思ったんよ。才能とかセンスとかじゃなくて、努力の量も質もハンパじゃない」
正直、朗の千呼に対する印象は「頼りなさそう」でした。入学式のライブを観ても、授業でパフォーマンスを観ても、才能があるだけで、本人は脆いイメージがありました。
しかし実際にRap Bellusのレッスンに混ぜてもらうとどうでしょう。千呼は練習熱心であるばかりか、いっそ苛烈と言っていいほどに、技を磨こうとしました。ほんの1ミリのズレも許す気のないダンス、聴く人すべてを感動させる歌、熱狂を産むためのステージ。完璧を求めて、なんの妥協もしません。
「積み上げてきた物が違うと思った」
「鳩井は、何が言いたいんだ?」
よもやと思いながらの一颯の言葉に、朗は笑います。
「別に諦めたわけじゃないぞ。ただ、タカは世間知らずの坊ちゃんってわけでも、才能だけの軟弱ものでもないってことが改めて分かったって話」
「当たり前だろう、なにを今更」
「そうだよ。千呼は最初っからすごいよ」
あっさり言ってのける2人を見て、朗は笑います。
「せやんなぁ」
鷹峰千呼は世間知らずの坊ちゃんではありません。むしろ鷹峰家の養子になるまでは、貧しい環境でした。
鷹峰千呼は才能だけの軟弱ものではありません。才能がある程度では、彼が自分の未来を守ることはできなかったでしょう。
(何が嫌って)
ほんの2週間近くにいただけで、朗の耳に入ってきたことです。家柄がどうの、先祖返りの種がどうの、うっとおしいことこの上ありません。Rap Bellusの3人はずっと言われ続けてきたのでしょうか。今ではもう、慣れたのでしょうか。
(そんなことに慣れなくていいのに)
寮の扉を開けば、明るい光が3人を出迎えます。それとともに食欲がそそられるにおいもしました。調理スタッフの方たちがご飯を作って待っています。朗は今日もたくさんおかわりするつもりです。気がかりなのは、後から帰ってくるライブ参加組のこと。彼らの分もちゃんとあるのか。
(まぁ、俺が作るか)
よく食べるので、最低限の料理はできます。もっぱら食う専門ですし、その方が好きですが……おなかを空かした弟妹のために作ることもありました。
(外でたくさん疲れても、家に帰ればメシがある。それが一番だよなぁ)
その日、朗は炊かれた米をすべて食べつくしました。帰ってきたライブ組にドン引きされつつ、申し訳なさそうに早炊きの米とおかずを振る舞ったそうです。
ちなみに味は好評でした。