第5話(前編)
新人戦まであと17日。
旧温室――神気煌耀の部室にて、雀忠太のレッスンが始まります。少し暑いくらいなので、忠太はジャージの半袖短パン姿です。南部の植物が生い茂り、日差しもあるので気分はもう夏でした。
神気煌耀の面々がガーデンテーブルに腰かけています。
さっそく忠太の「加護の能力」を観ようとしましたが――。
「まさか能力を使ったことがないとはのぉ……」
朱凰紅蓮が面白そうに言いました。くっくっくっと喉を鳴らします。忠太と同じく半袖短パンの気の抜けた姿です。椅子の上で胡坐をかいていました。
「お前さん、先祖返りの自覚はあるのかい?」
「あんまり……」
先祖返りのことすら最近知った忠太は、能力を使ったことなどありません。
「そもそもどうやって使うんですか?」
いざ聞かれると困りものです。紅蓮をはじめ、神気煌耀の4人は、能力をあたり前のように使いこなしています。意識していないことを言語化するのは大変です。
よって、
「やってみるのが一番じゃな」
というのが結論でした。紅蓮が立ち上がると、待ったがかかります。
「いやいや何も紅蓮じゃなくても……」
そう言ったのは鶯原春音です。学校指定のものではない、すらっとしたシルエットのジャージ姿です。
「しかしのぉ、では誰をコピーする?」
紅蓮は温室にいるメンバーに目をやります。
うぐっと声に詰まった春音。
その横、背筋をぴんと伸ばして座るのは、静かに「拒否」の微笑みを浮かべる鶴雅尊。チャックを一番上まで上げていますが涼しい顔です。
そしてもう一人。
「……オレも無理」
暁烏陽が一言だけ呟きました。相変わらずの黒いマスク姿。薄手の黒いパーカーを着ています。下はジャージの長ズボンで、靴も運動用です。体を動かすときはマスクを外すのかどうか、忠太は気になりました。
紅蓮が顎をかきます。
「おぬしたちでは使ったあとの言い訳が面倒じゃろう? ではワシしかおらん」
忠太の能力が「共鳴」である以上は「コピー先」が必要です。さりとて「能力の私的利用」に大きな制限がかかっているのも事実。レッスンのお題目があるとはいえ、難癖をつけられてはたまりません。
となれば、朱凰紅蓮という「例外」が適任でしょう。
「朱凰先輩の能力って――」
「実演しよう――」
すると、紅蓮の歌声が響きます。ある意味イメージ通りの歌声でした。快活で、楽し気で、どこか時代掛っているような。そんなことを考えていると。
ばちん、と。
忠太の頭に蘇る記憶。
地元の記憶でした。
遠くに見えるのは山と空だけで、あたりは田畑のみ。ひび割れたアスファルトの道路は熱く、パンクした自転車を押していると、汗がぼたぼたと落ちていきます。都会に比べて視界は広いはずです。空気だって澄んでいるといいます。
(でもどこにも行ける気がしない)
暑い空気を吸い込むと、すぐに吐き出します。
そんな、なんでもない夏の記憶を思い出しました。
「おう、どうじゃった。故郷の記憶を思い出せたかの?」
紅蓮が歌うのをやめ、そう聞きました。
「は、はい! すごかったです!」
あまりにも鮮明な記憶でした。劇的ではないけれど確かにあったある日のこと、はっきりと思い出しました。そして思い出した記憶とはあまりにも違う光景を見やります。温室と、熱帯植物群と、4人の先輩たち。
「これが朱凰先輩の……」
「そうじゃ。ワシの能力『記憶の想起』じゃ」
どんな記憶でも思い出せますし、どんな記憶を思い出させるか、も決めることができます。勉強でも探し物でも便利に使うことができます。
たとえどれほど古い記憶だったとしても、思い出すことができます。
「では、次はお前さんの番じゃな」
「でも、やり方が」
戸惑う忠太に、紅蓮が問います。
「この場には何人いる?」
雀忠太(本人)、神気煌耀の4人(先輩)の合計5人。
「もう1人おると思え」
「も、もう1人?」
怖い話でしょうか? 忠太は少し構えました。
「そうじゃ。……そこの木にでも腰掛けて、少し高いところから見守っている」
紅蓮が木を指さします。南国風の木、もしそこに誰かいたとしたら?
「お前さんがミスをすれば慌てるし、上手くやれば手を叩く。音に合わせて身を揺らし、歌を小さく口ずさむ」
もしそんな観客がいるのなら。
「歌え」
一生懸命、歌わなくては。
忠太が大きく息を吸います。そして歌い始めるのは、まだ練習している途中の課題曲。拙さがある中でも、緊張はなく、のびのびと歌います。
太陽の光じゃない、なにかの光が忠太を照らしました。
スポットライトみたいに、主役を照らすみたいに、力を貸してくれるみたいに。
心強い、と忠太は思いました。光は忠太の血流を巡り、喉を震わせ、歌声となって紅蓮へとまっすぐ向かいます。そして歌声が届くやいなや。
ばちん、と。
紅蓮の記憶が蘇ります。
それは、およそ100年前。
目の前の男は忠太とおなじ「《《共鳴の能力者》》」です。
「ご老体。思えばずいぶんと世話になりました」
「なんじゃあ急に」
ビヤホールに呼び出されたかと思えば、相手は似合いもしない洋装で待ち構えていました。これじゃあ自分が時代遅れみたいじゃないか、とちょっとむかつきました。
「彼岸の頃には軍人です」
淡々と男は言いました。
酒を飲む人々の喧噪が遠ざかったかのように、その言葉が届きます。
「……学生にでもなればよかろうに」
「そうもいきません。わたくし、いやしくもあなた様のご指導ご鞭撻を承った身ですから。お国に返さなくては。ああ、借りたものは返せ、というのもあなた様の教えでしたね」
「ワシに返せ」
「おや、十分返したものとばかり。浅草ではそれはもう――」
「うるさいのぉ!」
「朱凰先輩」
と、声をかけられハッとしました。時は現代、場所は人工島にある部室です。紅蓮は自分が、囀学園芸能科男子3年生であることを思い出しました。
心配そうな忠太を見て、口を開きます。
「うむ……、きちんと思い出せたぞ」
この返事を聞いて忠太はガッツポーズをしました。
「ちなみにお前さん。なにを思い出させようと思った?」
「え、ああ――」
はしゃいだことを恥じるように、忠太が小さくなりながら答えます。
「なんか、こう、気持ちがあったかくなる記憶です!」
「そうかい」
紅蓮がうつむきます。なにかしてしまったかと忠太は不安になりました。しかしすぐに、くっくっくっと紅蓮が笑います。笑い声は次第に大きくなり、最後には大口を開けて笑いました。
「忠太! 能力を使ったとき、光は見えたか?」
光、は確かに見えました。不思議と安心感のある光でした。スポットライトに照らされたような感覚です。あの、光はいったい何なのでしょうか。
「はい! あれは、その――」
「おぬしの先祖。つまり、力の源じゃな」
紅蓮が指さした木、その枝葉が揺れた気がしました。光を見る感覚、光に見守られている感覚を、忠太は思い出します。
「掴んだか?」
「はい。……大丈夫です、もう使えます」
「うむ。……では、今日はここまで」
忠太は大きく礼をしました。
「ありがとうございました!」
忠太が温室を去った後、神気煌耀はスプリングライブに向けてのレッスンを始めます。
「さぁしっかり準備しましょう」
尊が手を叩くと、それぞれ頷きます。
ガーデンテーブルに座ったまま、セットリストや演出などの予定の確認から始めます。テーブルには当日だけでなくここからライブまでの予定(忠太とのレッスンも含む)をまとめたスケジュール表もあります。
囀学園芸能科スプリングライブ「HINAGA」DAY1(男子)まで、あと12日。
「もう2週間ないのか……近いような遠いような」
春音が頬杖をつきながら言いました。
「私たちなら十分な時間でしょう。ですが、油断は禁物ですよ」
「分かってるよ」
2人のやり取りをよそに、陽は紅蓮の半袖を引っ張ります。
「……腹でも痛い?」
「ん? なぁに、元気いっぱいじゃよ」
その声に、尊も春音も怪訝な表情を浮かべます。
「紅蓮、何かあるなら相談してくださいね」
「だね。いい歳なんだからストレス溜めると縮むよ? 寿命」
「なんじゃいなんじゃい。そんなにワシが心配か? 愛いやつらじゃの~、このこの~」
頭を撫でようと身を乗り出しました。伸ばした手を、尊には軽く戻され、春音にはデコピンされました。
「なにをするかっ」
「で、おじいさん。なにを思い出したの?」
春音は、じとっとした目を紅蓮に向けながら、ジャージのポケットに手を突っ込みました。その目には確信がありました。
座りなおして、ふぅむ、と考えました。
(ま、構わぬか)
いずれにせよ忠太とのレッスンは続きます。ならば、なぜ学園が忠太をそこまで特別視するのかは、知っておいてよいでしょう。
「最近のこと、だいたい一〇〇年ぐらい前のことなんじゃが――」
「昔でしょ、おじいちゃん」
出鼻をくじかれ、憤慨しました。
「何を言うか! すでに文明開化しとるんじゃぞ!」
「文明開化って」
「紅蓮、私たちにとっては教科書の話なんですよ……」
これだから、みたいな目を向けられます。いったい生涯で何度この目を向けられなくちゃいけないのか、紅蓮はこぶしを握りしめます。
「うるさいうるさい年寄り扱いするな!」
暴れていると、ぽん、と肩に陽の手が置かれました。
「……まぁよい」
咳ばらいをひとつ。
「よいか。先祖返りの能力には必ず前例がある」
血脈を辿れば「能力をもった先祖」が必ずいます。最初に能力を持った存在、いわば「始祖」だけは例外ですが。
もちろんこのあたりの事情は多くが知るところ。
3人は黙って続きを待ちます。
「ワシが思い出したのは一〇〇年ほど前、直近で『共鳴』の能力を持っていた先祖返りのことじゃ」
この発言には驚きました。
「では雀くんは――」
「うむ。『再来』として期待されていると見て間違いないじゃろう。なにせ――」
紅蓮は椅子の上で胡坐をかきます。
「なにせ、そやつは『歴代最強の先祖返り』とさえ称されたのじゃからな」
春音がひきつった笑みを浮かべます。
「そんな漫画じゃあるまいし」
「事実じゃからのぉ。あやつは『十つの能力を同時に模倣、行使』できたからのぉ」
「じゅ、十個って……」
ひとつの能力でも、内容によっては国を揺るがしかねません。
春音はこの場に揃ったメンバーを見渡します。加えて、この場にいないSPARCRO VISIONの指導をしている縁やRap Bellusの能力を考えます。
それらを忠太1人が使えるようになったとしたら?
「もしかして雀くんの指導が神気煌耀なのって……」
「統の牽制じゃろうなぁ。実際、ワシらの能力をすべてコピーし、使えるなら、おいそれとは手が出せない存在になる」
なるほど、と尊が口を開きます。
「つまり統は、『どうせ目をつけられるなら、手の届かない存在にしてしまえばいい』と考えたわけですね」
「じゃろうなぁ」
春音は思います。
(でも、雀くんはそれでいいのかな?)
もしこのまま能力を伸ばしていけば、しがらみが生まれるでしょう。大きな力に寄せられる期待や関心は、身勝手で無責任なものです。
(こんな考えは嫌だけど……)
いっそ「能力を使いこなせない」ということにすればいいのではないでしょうか。そんな春音の考えを他所に、話題が変わります。
「忠太に関してはそんなところじゃ。それより今は、ライブのことじゃな!」
「今年は男子がDAY1ですし、いいスタートを切らなくては」
「……頑張ろう」
「うん。そうだね」
暗い顔をして考え事をする春音を、紅蓮は横目に見ていました。