第4話(後編)
昨年度の新人戦のことです。
大いに騒がれたニュースがありました。新人王に輝いたString Blueの荒鳶可弦と鳴美瑠璃音の――、コンビ解散。
そんな新人戦が終わった5月。
ヤドリギ寮の廊下は、春の日差しに照らされていました。ライブ後の解放感に、1年生の多くは羽を伸ばしています。それと同時に、正式なユニットを組み、親睦を深めようとする生徒もいました。
これから誘おう、という生徒もいます。
瑠璃音もその1人です。
「と、というわけで夏焼くん。ぼ、僕とユニット組まない?」
「なにがというわけで、だ。いい加減しつけーんだよ。4月からずっと」
黒嗣はそう言うと部屋のドアを閉めようとしました。
が、瑠璃音の足がガッと差し込まれます。気弱そうな態度とは裏腹に、強情です。最近は一日に一回は勧誘されます。二、三十回以上は断っているはずですが退きません。
「えへへ、それだけ一途ということで……」
入学前からずっと黒嗣をユニットに誘っています。可弦とのコンビに関しても解散すると言い張っていました。
(……まさかマジだったとはな)
「毎度思うが何が良いんだ」
「顔」
急に真顔になって即答されます。さすがに呆れました。
「……思っても言わねーほうがいいんじゃねーか」
「えっとね? 一番は顔。二番はビジュ、三番は――」
「いい、興味ねぇーから……」
なぜこうも執着されるのか。瑠璃音にしても、教師にしても、うっとうしいことこの上ありません。アイドルになりたくてこの学園に来たわけじゃないのに。
(どいつもこいつも)
すると、もう一人。廊下の向こうから歩いてくる生徒がいます。銀髪でガタイのいい2年生、あのうっとうしい人です。
「はぁ……」
「おいおい、あんまり嫌わないでくれ」
あんまりだな、と宇留鷲統は笑いました。
「宇留鷲先輩も夏焼くんに用事ですか?」
「ああ、山吹先生に伝言を頼まれてな」
(あいつっ……)
厄日だと思いました。瑠璃音に勧誘されるわ、統に会うわ、挙句の果てには教員にも呼び出されるなんて。
さっさと済ませるに限ります。話を切り上げる口実を考えておきましょう。
「あざす。どこすか?」
「進路指導室だ」
「んじゃ行ってきます。……鳴美」
じろっと眼を向けると、瑠璃音はどきました。
「近所の公園で練習してるから! き、気が向いたら寄ってね!」
「一回でもオレが行ったことがあったか……」
「きょ、今日が記念日に」
「ならねー」
ふふっと笑いながら統が言います。
「夏焼。……なんでも相談してくれて構わないからな」
背中を向けたまま応えます。
「生徒会長様はさすがっスね。……よけーなお世話っスけど」
(どいつもこいつも)
イライラして歩調が早くなります。
(このクソ能力さえどーにかなりゃ、こんなとこに用はねぇんだよっ)
「キミの力は特別だ」
「そりゃどうも」
山吹教員の言葉を、こともなげに流します。
進路指導室には黒嗣と山吹教員しかいません。一般的な高校とは違い、進路のための資料などはなく、ただただ生徒と教員が話すための部屋です。狭い部屋に、ソファと低い机があるだけ。
遮光カーテンのせいで薄暗く、なんとも居心地の悪い場所となっています。
(帰りてぇ)
「いやいや、大したものだと思わないか? 声の届く範囲なら攻撃できる。しかも文字通りの音速だ! キミの力は風紀委員会でこそ活かされる!」
「それで? オレみてぇなヤツをボコれって話ですか?」
「はは……いやぁ、キミとは違うよ。力をコントロールできないクズだよ、相手は」
少なからず、怒りを感じました。
(能力のコントロールを教えるのも、テメェらの仕事だろうが……クズはどっちだ)
「それだけじゃない。最近は、生徒を誘拐しようとする輩も出てきてるからねぇ」
人工島には多くの先祖返りが集まっています。身の安全を守るため、この島に来る者もいます。相手もそれを分かっていて上陸します。誘拐などを目的として。
風紀委員会の裏の顔は、生徒による自衛組織です。
「オレはビビりなんで向かないっスよ」
できるだけ早く帰りたくてそう言いました。
「はっはっは、何を言うかと思えば」
すでに席を立った黒嗣に、山吹教員は言いました。
「キミは――、すでに何人も病院送りにしてるじゃないか」
瞬間。
「オイ」
怒気を含んだ声が響きます。
「アンタも、今、オレの声が届くとこにいるんだぜ?」
もはや山吹教員は声も出せず、震えるばかりでした。
振り返らずに、部屋を出ます。
「お疲れ、ヤッキ―」
「……おう」
公園で待ち合わせてたルームメイトに返事をすると、ベンチに座ります。にやけ面が腹立たしいので背中合わせになるように座りました。ゴールデンウィーク中ですが大きな通りからは離れている公園です。人影はありません。
(ったくよぉ)
瑠璃音をあしらったり、休みなのに校舎に行ったり、そうこうしている間に、日が少し傾いています。せっかくの休日も楽しむ暇がありません。
「ヘイヘイ、またご機嫌斜めかい、ヤッキー。聞いたよ、なるみんに誘われ、わしわしパイセンに気遣われ、山吹のカスに呼び出されたんでしょー」
「うるせぇ」
「モテモテで羨ましいねぇ、まったく」
「はぁ……」
軽薄なルームメイトがけらけらと笑っています。
「まぁヤッキーの能力は風紀委員会向きだとは思うけども、実際」
リアクションを待たずに、ルームメイト――早座居早輔は続けます。
「ぶっちゃけデビューするなり島から出るなりしない限り、山吹のカスに限らず、いろーんな人たちにモテちゃうからねぇ」
「訳知り顔だな」
「そりゃあ実体験ですから。おれっち、これでもモテモテよ?」
早輔の能力は『能力弱化』で、名前通りの効果です。だから黒嗣と同室になりました。抑止力として、です。
(能力、能力、うっせーな)
「大体さぁ、ヤッキーはコントロールのために来たんでしょ? だったら実践するのが一番早いと思うけどなぁ」
「……他人を巻き込むのはガラじゃねぇ」
「いや、おれっちっつー他人が手伝ってんだが」
「うっ……」
予定が合うときに能力の訓練に付き合わせています。
「ま、ジュースでも奢ってくれし。それか商店街のパフェでもオケ」
「……分かった」
「んじゃ、今日も盛り上がって行きましょ~」
能力の細かいコントロールをするために『能力弱化』を使ってもらい、感覚を覚えます。そして徐々に『能力弱化』を弱める、つまり枷がどんどんなくなります。それでも出力が低い状態を保つ。そのために黒嗣自身が『物理攻撃』の出力を絞ります。
(くそっ)
早輔の抑えがなくては、能力がコントロールできません。
「ストップ、ストォープ!」
「おい、始めたばっかだろ」
「能力の前に、感情をコントロールしないと……。そうムカついてちゃ、力加減もなにもないよん」
「……ああ、そうだな」
能力も、気持ちも。自分が器用じゃないことは、誰よりも分かっていました。
季節は流れ、冬のこと。
能力の訓練を続けつつも、芸能科ということでアイドルとしてのレッスンもこなします。やってみて分かったことは案外面白い、ということです。ダンス、ボーカル、ビジュアルとどの項目でも結果が出ました。
クラスメイトやルームメイトともうまくやれています。瑠璃音は相変わらずしつこいですし、統はお節介ですが、ムカつくというほどでもない、というところ。
(今日は風が気持ちいいな)
海沿いをランニングしながら、思い出します。
(2年の朱凰サンが言ってた通りだな)
『芸事に乗せるのが加護じゃからなぁ。レッスンも真面目にやった方がよいぞ』
アイドルとしての成長が、能力のコントロールにも繋がっている実感があります。確かな手ごたえがあればこそ、厳しいレッスンにも耐えられます。
冬のランニングだってへっちゃらです。軽快なテンポでどんどん進みます。
(このままやっていけば大丈夫だ)
そうして走っていると、海岸に人影が見えました。
(珍しいな)
海岸沿いのこの道はあまり人がいません。人工島の港は逆方向ですし、海水浴場もありません。釣りも禁止ですし、学生がたまにランニングに使う程度です。
人影は三つほどです。
少年と目が合いました。
「助けてっ!」
残りの2人がぎょっとした顔でこちらを見ます。黒服で、マスクで顔を隠していて――、手にはロープを持っていました。
先祖返りの誘拐事件――、現行犯――、すぐ理解しました。
瞬間、
「――ね」
黒嗣は大きな声で言いました。
「死ね!」
自分だけは――、声で人を殺せる自分だけは、絶対に言ってはならないと決めた言葉を。
夜、男子寮近くのバス停のベンチで、黒嗣はただ一人座っていました。すでにバスはなく、通りすがる人も車もありません。
(オレは何も変われなかった)
黒嗣の能力によって、2人の誘拐犯は重症を負いました。そして、被害者の少年も、腕に大きな裂傷ができました。能力の、感情のコントロールができなかったからです。
(このまま一生――)
口を開かずに生きていけばいいのでしょうか?
取り調べは筆談で済ませました。家族への連絡もメールにしました。かかってきた電話は出ずに切りました。
寮に戻らなくてはなりません。
でも足は動きません。
(共同生活なんてできるわけねぇ)
能力発現時を思い出します。
中学生らしい、くだらない言い争いでした。きっかけすら覚えてません。2つのグループに分かれていて、どんどんヒートアップしていきました。小さな悪口から、過激な言葉を使うように。
ついに、死ねとまで言ってしまい、能力が発現しました。
怪我をさせたのは全員、友達でした。すぐに救急車に運ばれていきました。そのあと、黒嗣とは一度も会っていません。夏焼一家が引っ越したからです。とてもじゃないですが、地元に残れませんでした。
(どうすりゃいいんだ……)
「あ、夏焼くんだ」
何度も聞いた声でした。
「帰らないの?」
不思議そうに瑠璃音が言いました。
「……」
「今日は尊様が手作りのお菓子を振る舞う日だよ? ゆえに聖夜だよ?」
(なわけあるか。ただのクリスマスイブだ)
そういえば神気煌耀の鶴雅尊がクッキーを配るとかなんとか。寮から出かけるときも聞いた気がします。ライブも控えているのにご苦労なことだと思いました。
「……」
「だ、大丈夫だよ。尊様は気配りの神だから、甘さ控えめのもあるよ」
(……そう言うお前は気遣いのかけらもないな)
頭痛がしてきました。
瑠璃音のずれた発言も、いつもなら気になりませんが、今はそれどころじゃないです。これからどうすればいいのか、考えなくてはなりません。
「なんで喋らないの?」
「――っ」
(こいつ、知らないのか?)
けげんな表情を読み取って、瑠璃音が言います。
「だ、だって逮捕できたんでしょ? 捕まりそうだった子も無事だって聞いたけど……」
(違う!)
顔が上げられなくなって、下を向いてしまいます。
(無事じゃない! オレが、怪我させたんだっ! それに、もしかしたら、もっと酷い怪我させたかもしれねぇ。犯人の方が重症になったのは偶々だっ……)
「みんな知ってるよ?」
(だったら――)
「声、聞きたいな」
「嘘だ」
思わず、言葉が漏れました。
「オレは、二度と喋らねぇほうがいい」
「助けるためだったんでしょ?」
あくまで落ち着いた声でした。
「分かってるよ。最近妹からアイドル様のサイン頼まれたとか、みんなでホラー映画観た時びくっとしたとか――」
ちょっと待て、と思いました。
どっちも自室でのことです。瑠璃音は別の部屋ですし、招いた覚えもありません。
「な、なんで――、まさか隠しカメラ……?」
「早座居くんが中継してくれた。カメラ通話で」
「あんのバカがっ!」
どおりで行く先々で瑠璃音に会うと思いました。ルームメイトと予定を共有していたのが裏目に出る結果に。まさか内通者が出るとは。
「なんなんだよ……」
うなだれる黒嗣とは対照的に、瑠璃音は笑います。
「みんな、君がいい人だってことぐらい分かってるから――」
風が吹いて、瑠璃音の目が見えます。
まっすぐに黒嗣を見つめていました。
「早く帰ろう。風邪引くよ?」
すっかり暗くなった坂を登っていきます。その先には温かい光が見えました。ヤドリギ寮からは、楽しげな声が聞こえてきます。クリスマスイブのパーティをみんなで楽しんでいるのでしょう。
「ほら、行こう?」
しかし、踏ん切りがつきません。なにせドアを開ければ、すぐに談話室が見えます。
(オレは、やっぱり)
「開けるよ~」
「っ!? おいっ――」
がちゃりと大きな音がして、ドアが開きます。冷気も入ってくるので、すぐに視線が集まりました。芸能科男子全員の目が向けられます。
「あ、夏焼だ」
名前を言われただけで、体が震えました。
なにも言えずにいると――、
「今日の主役の登場だっ!」
やかましい足音を響かせながら、何人も駆け寄ってきました。
「誘拐犯ボコったんだって?」
「やるなぁ夏焼!」
「いやまじでかっけぇわ」
「中学生の妄想みたいじゃない?」
「教室に来たテロリストを颯爽と倒す的な?」
「それ」
わいわいと黒嗣本人をそっちのけで話がはずみます。
呆気に取られていると、
「行こう、夏焼くん」
瑠璃音に背中を押されて、談話室の中に進みます。ルームメイトはなんだか誇らしげに笑っていました。尊が「どうぞ」とクッキーをくれました。席に座ると、
「夏焼」
統が2人分のコーヒーを持ってきました。ついでに声をかけられます。
「お前が助けた子からの伝言だ。『ありがとうございました! めっちゃ応援します』だそうだ。……期待に応えなきゃな?」
いたずらっぽく笑うと、統は席を離れました。
「よかったね、夏焼くん」
隣の瑠璃音が言います。
「ね? みんな、君がいい人だって知ってるでしょう?」
この言葉を皮切りに、また盛り上がります。やれ宿題を見せてもらっただの、洗濯物取り込んでもらっただの。半年以上、生活を共にしているだけあって、話題が尽きることがありません。
「つーか武勇伝聞かせろよ」
「だな。今年一番のビッグニュースなんだし」
「そうだそうだ!」
全員が、黒嗣の言葉を待っていました。
「ほら、なつやきくん。……聞かせて」
「仕方ねぇなぁ……」
せめてもの意地で、顔を上げずに口を開きました。それを茶化す人はいません。全員が、静かに耳を傾けています。こうして、ヤドリギ寮の夜は更けていきました。
クリスマスの朝。
くせになっていて早くに目が覚めました。昨日の今日です。ランニングする気になれないので、ぼーっと過ごそうと思います。
(今日ぐらいいいだろ……)
自販機に行くと、先客がいました。
「おはよう。……お前も自主トレか?」
統がいました。
「おはようございます。いやオレは目が冴えちまったんで……。先輩は自主トレすか」
「ん? いや今日は軽いストレッチだけだ。ライブ当日だからな。俺が言ったのは、鳴美のことだよ」
「鳴美……?」
「ああ、なんでも――」
白い息を吐きながら、公園に着きました。
ジャージ姿の瑠璃音がいました。すでに汗をかいていて、運動後なのが分かります。
(クリスマスなのによくやるぜ……)
思えば、瑠璃音は放っておけばいつまでも練習するタイプです。練習し過ぎで、レッスン室から追い出されることもしばしばありました。運動が苦手な割には、ずいぶん踊れるようになったものです。
補水が終わると、タオルで汗を拭き始めました。
(あいつまつ毛長いな…)
普段は見えない瑠璃音の顔がよく見えました。その表情は真剣そのもの。
(顔がいい、か。お前のその顔の方がよっぽど……)
「あれ、夏焼くん?」
思い出すのは統の言葉。
『なんでも――、ずっと待ってるそうだ。相棒になる人を』
堂々と言い切ります。
「待たせたな」
きょとんとした瑠璃音が、すぐ理解して、笑いました。
「いやいや、今来たとこだよ」
あくまでいつもと変わらない様子で、タオルを置きました。まだまだ自主レッスンを続けるようです。
黒嗣も、ジャージの上を脱ぎました。動いていたらどうせ熱くなりますから。
「……しっかし、顔とビジュアルだけのオレでいいのか? 能力も、ライブじゃ使えねーし」
「一番は、顔。二番は、ビジュアル。三番は、君とならできそうだから」
「なにができそうだって?」
「アイドルは世界を救うって証明」
予想外の答えでした。
「そのためにもまずデビューしないとね」
「まさか、笑わせんな。やるからにはテッペンだろ」
瑠璃音は、横に並ぶ黒嗣を見ました。体をほぐしながら、曲がかかるのを待っています。その横顔には、自信と情熱と、優しさがありました。
「やっぱり世界を救うのはアイドルなんだよね」
12月25日。縁という2人組ユニットが結成されました。ここからわずかな期間でデビューを果たし、大きな話題を呼ぶのですが、それはまた別の話。
翌年には後輩もできて、ユニット結成の話をしました。
「なるほど、そのときどんな気持ちでしたか?」
「ところで、他人を巻き込むのはガラじゃねぇとのことですが――」
「テッペンというのは具体的にどういう――」
と、質問攻めにあったので、二度と話さないと決めたそうです。