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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
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9/61

落下

 








 舞踏会までに日はあまりなかったが、王家と公爵家お抱えのテーラーの努力もあって、当日の朝には、なんとか仕立ては間に合った。

 デザイナーとオーランドにどんな服になるかはほとんど任せて、白熱したらしいデザイン決めにも仮縫いの着せ付けにもされるがままだったから、自分の分の色や形は知っていても、シ-リアが何色を着るかやどんなドレスにするのかは、知らずにその日が来てしまった。


 だから、当日アーデン伯爵家の王都のタウン・ハウスに彼女を迎えに行って、応接間で唖然とした。



「早かったね。……すごいな、これが美形の本気、いや全力か」


 シーリアがまじまじとヴェルシオを見て、容姿に感嘆の声を漏らす、その姿。

 着飾ったその姿こそ、問題だった。


 ヴェルシオは見目麗しい。それは学園に入って騒がれるようになった、当然の事実だ。

 シーリアは醜くはないが釣り合う容姿ではない、というのは大半の貴族やら学園の生徒やら節穴な有象無象どもの馬鹿げた見解で、シーリアがそのことでいやな思いをしていないか、と気にかけては、いやまったく気にしてないな、と安心するやら呆れるやら、という日々だった。



 なのに、これは、なんだ。


「ヴェルシオ?おーい」


 ひらひらと目の前で手を振る、レースの手袋を蝶のようだなんて、そんな。


「………………………………似合っている」


「は?このお姉さまを前にそんな凡庸な言葉で済ますつもりですか?その口は飾りなのかしら」


「君たちもしかしてとても仲が悪い?」


 なぜかいる赤髪の少女を、睨みつける余裕すら無かった。

 代わりに振り返って、シーリアが困ったように首を傾げる。つられて編み込まれた髪を彩る、金の髪飾りが揺れる。


 現れた彼女は、とんでもなく可愛かった。こんなに可愛かっただろうか。あまりの可愛さに唖然として思考が白に染まる。困ったように首をかしげるその目元は、銀色の粉で縁取られている。そんなことすら言葉に出来ないほどに、ひたすらに可愛かった。




 §




 いつぞやの白いドレスの彼女は心臓に悪かったが、そもそもヴェルシオは、シーリアの容姿にたいして興味がない。

 そんなことよりも本だけに意識を向ける瞳の静謐とか、観劇で場の盛り上がりに合わせてくるくると変える表情とか、公の場はまだ慣れなくて、大人に囲まれているときにヴェルシオが助け舟を出すと、安心したように指先の力を抜くところとか、たかが顔の皮一枚の造形よりもずっと、そういうところの方が大事だった。



 なのに、これは、なんだ。


 予想通り、公爵邸で手に取っていた紺のレースを彼女は生地に選んでいた。落ち着いた色合いになるだろう、と思っていたのに、予想は大きく裏切られる。

 シルクの紺地にレースが重ねられたそれは右肩から裾、袖に至るまで大きく金糸の花の刺繍が施されて、暗いという印象はほんの少しも感じさせない。

 銀の目元は勿論、普段薄い化粧で終わらせる顔はしっかりと彩られて、清潔な愛らしさに目が眩む。こんな可愛かっただろうか可愛かったな誰だよ皮一枚の造形って言った奴は、いやでもこの顔が彼女のものだからこそこんなに……と、語彙は多いのに発言が少ないヴェルシオの言語化能力は、もはや0になる。



 さあ素敵でしょうお姉さまを褒め称えなさい、とロザリンデに視線を向けられるが、飾りと馬鹿にされたばかりの口は、素直に動いてはくれない。


「…………赤にしなかったのか」


「一緒に行くのは君だから。ロザリーとお揃いは、ロザリーと一緒に出かけたり、いつか舞踏会に出たらねって話になったんだ。……だからこれは君の色だよ、とか言った方が良い?」


「やめろ死ぬ」


 なんで?と婚約者には首を傾げられたし隣の少女にはなんだこのヘタレ野郎が城の下水にぶち込んでやろうか、と凄い目を向けられたが、それどころではない。

 とりあえずヴェルシオの髪や瞳を連想させる色との言葉はとても良くないことなのでやめて欲しい。何が良くないってヴェルシオの心臓に良くないし赤と比べてなお金色を選んだと言う事実がさらに良くない何が良くないって以下略以下略。



「にしても君はなんでも似合うね。男前に拍車が掛かってる、オーランドも喜んだでしょ?」


 返事がない事をまあ良いかで流して、彼女のレースで飾られた指が、正装の襟に触れた。

 初代国王が戦勝によってこの国を立ち上げたこともあり、この国の王や王子の正装は、騎士団の制服に似ている。

 シンプルで良いと言ったのに、怜悧だが華やかなお顔立ちとかなんとか言って弟とテーラーがごりごりに装飾を増やしたから、ヴェルシオの今着ている服は、かつてない程豪華で、それでいて金の房飾りの一つに至るまで、計算され尽くしている。

 紺を基調にしたそれは確かに良く身体に馴染むし、見た目からは予想できないほど動きやすいが、いやそれどころではなく。

 内心の高揚にも気付かず、婚約者は口角を上げる。


「それじゃ行こうか。ロザリー、本当にありがとう。

 ―――お手を取っていただけますか、ヴェルシオ殿下?」


 膝を曲げてカーテシー、ではなく、まるでエスコートするように手のひらを上にして、ダンスに誘う真似をする彼女の手に、自分のそれをそっと重ねた。触れた指先が冷たく感じるのは布越しだからか、自分が指先まで、火照ったように熱を持っているからか。 



 普段と同じ笑みでさえ、こんなにも。

 エスコートの作法は骨の髄まで叩き込んであるから、心在らずとも無作法にはなってなかったと思う。それでも馬車と向かいに座る彼女とどんな話をしたかは、全く覚えていない。





 ∮





 何度も踊った王城の大広間で、楽団の演奏に身を任せながらすごい見られてる、といささか緊張した面持ちで、シーリアは肩に回した手に力を込める。緊張のさなかの彼女には悪いが、触れる腰はこんなに細かっただろうかとか、こんな片手で掴めてしまえそうな腕だっただろうかとか、完璧に身体に沿うよう仕立てられたドレスのせいで、周囲の視線も雑音も、全く頭に入らない。


 与えられた3回が終わって、今度はちゃんとカーテシーした彼女の首筋が白くて。これを次に彼女と踊る誰かも見るのか、と思うと駄目だった。


「書庫に。―――俺もすぐに行く」


 離れてしまう前に、耳元で囁く。普段はつけない香水は、脳が溶けるように甘いかおりがした。




  ∮





 普段より色めきたった令嬢や婦人達を相手に踊っている間も、魅入られたように彼女の余韻に浸っていた。どうにか王子として最低限の社交を終えて、慣れた道を進む。


「…………待たせた、シーリア」


 深夜に近い時間。魔法灯の切られた書庫で、彼女は手元のランプの光源だけで、本を読んでいた。毎日入り浸っていた書庫は、夜闇に雰囲気を変える。静けさが積み重なるなかで、紙のめくる音だけが空気を揺らしていた。


 暗闇の中、わずかに身動きするたびに時折瞬く金糸。宵に溶ける濃紺のドレスの少女は、この空間の為だけの生き物のようだった。

 ぱちりと俺を見た、円い瞳。


「目を悪くするぞ」

「慣れてるって。楽しめた?大人気だったでしょ」


 それが笑みに細まるのを見て、お前こそ、と考える。ヴェルシオの手が離れてすぐに同年代の少女に囲まれた彼女は、服装について言及されたり何かを囁かれたり、本当に楽しそうだった。


「皆君のことを噂してたよ。元から素敵だと思っていたけれどこんなに格好良かったなんて、だって。どうか一度踊って頂きたいわ、お誘い頂けないかしらって言っていたから、後で是非どうぞ」


「断る」


 どうして婚約者でもない奴を、わざわざ誘わないといけないのか。当然のことを言ったのに、なぜか不思議そうに灰色の瞳は瞬いた。


「駄目なの?折角の機会なのに。こんなこと、多分何度もないよ?」


 折角の機会。揺れる灯火に照らされ色づく唇は、あっけらかんと何度もない、と言い放つ。

 事実に、胸は重くなる。


 アーデン伯爵家は、貧しい家ではない。今着ているものより豪華は難しくても、舞踏会の度に似合うドレスを用意することくらい、簡単にできた。ヴェルシオにだって王子として自由に出来る金はあるし、婚約者の為に遣うならそれは何より有意義だと思う。それでも彼女が型落ちを着せられていたのは正妃の嫌がらせで、ヴェルシオが婚約者だからだ。

 それについて一度も文句を言われた事はないし、これから聞く事もないのだろう。それでも。



 この間ロザリンデに園遊会のためのドレスを選んだんです、と俺に語ったオーランドを思い出す。生地とか色とか色々あって選ぶのが面倒……大変でした、と他意なく放った言葉が、この間何処にいつもの仲間たちで行ったとか、今年の誕生日プレゼントが何十個でとか、そんな他の話題よりずっと、何倍も癪に障った。


 あくまでこの一晩は特別、公爵家の令嬢であるロザリンデの好意によるものだからと考える、物分かりの良すぎるシーリアも嫌だ。妹のように可愛がるロザリンデに甘え頼り切る事を、彼女は良しとしない。これから先、一緒に社交会に出たらと約束した一回以外、ロザリンデからドレスを受け取る事もないのだろう。


 シーリアの賢さを好ましく思う。自分は差し出すことを躊躇わないのに他人に甘えすぎることを良しとしない、正しさにも惹かれる。

 けれど流石に、潔すぎるのではないだろうか。


「………何度もないのは、あの型落ちのドレスだ。あと2年と少しで、俺は王城を離れる。そうしたらロザリンデと揃いでも好みの色でも、好きなものをいくらでも着れば良い」


 そうだ。この扱いを受け入れているのは、どうせ2年と少しすれば、待ち望んだ平穏が手に入るからだ。側妃の息子が王座に近づく事を許せない正妃と、さっさと王子のスペアの身分を手放したいヴェルシオは、そういう意味では目的が一致している。


 嗜好がはっきりしているから、今まで婚約者に贈ったものは、本とか万年筆とか、確実に喜びそうなものばかりだった。舞踏会のドレスは難しくても、普段着れるようなワンピースとかドレスとか、装飾品の類を贈ろう。

 多少好みではなくても、きっと喜んでくれる。こんなふうに。


 僅かに見開いた淡い灰色が綻んだのを見て、思わず右手を差し出した。


「舞踏会じゃなくても、踊る機会も、好きなだけ。……1曲、お相手願えますか?」


 ページをめくるのに邪魔だったのか、レースで覆われてない手が重なった。少し小さくて、指も細くて、けれど同じ温度をしていた。



「喜んで」


 光源はランプしかなかったからぼんやりと暗くて、窓の外の空を覆う星々は、眩しいほどに煌めいていた。

 視線を気にせず、ただ可愛い人の指を握る。大分昔に面白半分でシーリアが持ち込んだ蓄音魔法の箱が、ヴェルシオの魔力を受けて流れ出す。


 何度も彼女と踊った。運動神経が良いわけではなく公の場で緊張しがちな彼女のために、王城の書庫やアーデン伯爵領で、2人で練習した。



 視界の端で、灰色が橙に染まって揺れる。

 好きだな、と思った。息を吐くより自然に、すとんと胸に落ちた。

 本当に、どうしようもないほどに。


 くるり、くるりと視界が回る。やたら真面目な顔をしたシーリアがしっかり装飾があるのに凄い踊りやすいねこのドレス、と感心するように呟いたから、笑ってしまった。


「笑いごとじゃないよ、本当にすごい。永遠に踊っていられそう。ちょっと君も着てみない?」



 絶対に嫌だし、そもそも入らない。こんな細い腰なのだから、と返事の代わりに腰を支える手に力を込めると、くすぐったかったのか、シーリアは笑い出した。


 何するのと揶揄うように呟きながら、シーリアは俺を見上げる。他の子にはしちゃ駄目だよと続けるから、足を止めた。



「する訳がない。お前の友人を誘うのも御免だ。―――お前以外と、踊りたくない」


「………………人見知りめ」



 諫める言葉は、振りだと分かった。薄暗い中でもその耳が赤かったから。



 シーリア・アーデンが好きだ。このずっと共にいた婚約者に、恋をしている。

 なんてことだ。当然すぎて自覚出来ていなかった。ロザリンデに罵倒されるのも仕方ないかもしれない。


 心臓が脈打つ、と思考が至るより早く、耳の奥で、血潮がドクドクとなっているのに気付く。どうしようもないほどの、初恋だった。


「シーリア」


「うん?」


「…………もう1曲」


 間髪入れず、蚤の市で見つけた魔法は、次のワルツを奏で始める。

 伝えようかと思って口を止めたのは、この場所は相応しいのか、と理性が邪魔をしたからだ。もっと雰囲気のある場所で、言葉を選んで、花の一輪でも差し出しながら告げたい。

 少なくとも他の女にプレゼントされたドレスを着ている彼女では、ロザリンデにお膳立てされている気がして、少し嫌だ。


 ヴェルシオの迷いを気にする様子もなく良いよ、と応えた婚約者は、手を肩に置く。

 その顔があまりにもヴェルシオに優しかったから、やっと落ち着いた。



 シーリアが好きだ。ヴェルシオがそうであるように、シーリアもヴェルシオを好いている。

 当然だ。同じ時間を過ごして、空間を共有して、感情を重ねたのだから。

 だから、焦らなくて良い。ちゃんと伝えて、これからも大事にできれば、それで良い。


 彼女が婚約者でよかったと、何度も思った。

 それを伝えられる機会があることが嬉しい。

 大事にしよう。婚約者なのだから。


 昔からの恋の歌に合わせて、繋いだ手の指を絡める。本来の所作とは違うその行動に、シーリアは笑って応えてくれた。










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