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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
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屋敷




 近い領の人間と顔合わせをしたり、伯爵家に縁ある人間と食事をしたり。想像よりずっと穏やかに、アーデンでの日々は過ぎていった。


 柔らかな目元をしたシーリアの母は、初めからヴェルシオに好意的だった。シーリアと共におやつ時に茶会に誘われて、段々とそれに彼女の兄も加わるようになった。

 シーリアは容姿も性格も母親似だけれど、彼女はあまり本を読まないこととか、ケヴィンという名のシーリアの兄はチェスをはじめとしたボードゲームに目がないけれど下手なこととか、そんな彼らについての話を聞いたり、口下手に自分のことを話して、シーリアに茶化されたり。


 夫と娘は普段タウン・ハウスで過ごすから久しぶりにみんなで過ごせてうれしいわ、しかもこんなに可愛い王子様まで連れて帰ってくるなんて。王都でのシーリアの様子も聞かせて頂戴ね、代わりにこの子の小さい頃の話なんてどうかしら。そんな取引を持ち掛けられて身を乗り出したら見たことがないほど焦ったシーリアに羽交い絞めにされて引き留められたり、義弟になるんだから大人の楽しみを教えてやろう、と大衆の酒場で賭けに使われるようなトランプやサイコロを使ったゲームを教えられて、ヴェルシオに女神がほほ笑んだのかケヴィンがツキに見放されているのか、初めての遊戯で見事に10連勝したり。

 夕方になってもあと1回!と縋られてついに母親の雷が落ちて、シーリアに足を引きずられて夕食に連れていかれる未来の義兄を見送ったり。


 愉快な日々だったし、4人でボードゲーム大会をしている時にアーデン当主も加わるようになってからは、ヴェルシオが馴染むのは、あっという間だった。


 山に行った。虫の多さには閉口したが、木の根と岩のゴツゴツとした感触も、足元が沈む柔らかな土も、緑を透かす木漏れ日の眩しさも新鮮だった。シーリアは鳥を見つけるのが上手くて、見慣れない小鳥を見つけるたびに、双眼鏡をヴェルシオに手渡して方向を指さした。

 アーデンの使用人のメリーも同行したが、いつもの仕着せの袖を捲り上げ、頑丈そうなブーツを履いた彼女は凄かった。すいすいと我が物のように山道を進み、キノコや果実などを目敏く見つけては背負った籠に放り込む。

 こんなのもあった、と後ろを歩くヴェルシオが足元のキノコを見つけて手を伸ばそうとしたら、一切振り向かずに毒があるから触らないように、と嗜められたこともあった。

「メリーは背中に目がついているから」―――そう言って、シーリアは笑っていた。


 海にも行った。潮風に変色した馬車に乗って、潮の香りに自分でも驚くほど心が浮きたった。

 羽織るものがぎりぎり必要なくらい涼しい季節だったから泳ごうとは思わなかったけれど、くるぶしから下を冷たい水に浸して、波打つ澄んだ水の中で、小魚を探した。

 小さな蟹を見つけたシーリアがヴェルシオに見せようと手に掬ってやってきて、鋏に指を挟まれたり、怪我はないと確認している所を同行していたケヴィンに向かい合って手を繋いでいると誤解されて、慌てて離れたりもした。

 彼にもメリーにも含み笑いをされて、あの小蟹のせいだ素揚げにしてやる、と睨むように砂茶色の生き物を探した。保護色の小さな1匹は浜にまぎれて、もちろん見つからなかった。


「もう海の中じゃない?」


「砂の中だろ、砂蟹っぽかったし」


「すべての生き物は海から生まれたからね、還ったんだよ」


「適当すぎる」



 そうして日が暮れる間際まで戯けるか砂浜を歩いて、遊び疲れたころに、近くのレストランに案内された。

 ケヴィン行きつけのそこは採れたばかりの海の幸が売りで、正直なところ魔法で保存されて王都で提供されるものと大きく違いは分からなかったけれど、人々の喧騒や店員の明るい声は好ましいものだった。王都で見ることの無い獣人が丁度隣のテーブルにいて、シーリアの兄の友人だったことから、彼とテーブルをつなげてトランプをした。人の頭にうずまきの角がついた羊の獣人は物珍し気なヴェルシオに気が付いたのか、自分は旅人、いや旅獣人なのだと自己紹介をする。


「あんたこの国の王子だろ?あんたが俺たちを知らなくても、俺たちはあんたを知っているのさ。……それが、吟遊詩人だからね!」


 持っていたリュートの弦をはじいて、にぎやかしいレストランは一層の喧騒に包まれる。料理を乗せたまま机は壁に寄せられて、傷だらけの床はダンスホールに早変わりする。長い髭の老人が白い髪の妻の手を取って体を揺らして、妙齢の、友人らしい女二人がバラバラなステップを踏みながら笑いあう。


 シーリアはいつも夕暮れまでには帰って、共に夕食をとったことはなかったから、生まれてからこれまでで一番楽しい夕食だった。どんな舞踏会よりも騒がしくて目まぐるしい、鮮烈な夜だった。




 アーデンを訪れてすぐは、そんなふうに王太子の務めの間を縫って遊び暮らしていた。だから、その場所に案内されたのは、この賑やかな日々が始まって、予定されたひと月の半分が過ぎたころだった。


 斬新で、鮮烈な日々だった。太陽が昇って服を着替えてすぐにシーリアが訪れて、どこに連れて行く、と言う話を聴きながらカーテンが開かれるのを眺める。朝食を食べた後は馬車に乗ったり、近い場所なら転移魔法で向かったりして、日が暮れるまで、灰色の髪の揺れを、瞳の瞬きを追いかけていた。


 昨日はいくつかのアーデンに関わる貴族と顔を合わせて、彼らの緊張と敬意から、久しぶりに自分が王子であったことを思い出した。仰々しく礼をする貴族たちに王子として言葉を交わして、夕方の晩餐会ではアーデンで採れた食材を用いた料理が、大皿で次々と出た。ヴェルシオよりカトラリーの使いかたがぎこちないシーリアが、心なしか緊張した面持ちで料理を口に運ぶのを見て、見本になるために向かいに座ればよかったな、と考えた。


 客人達が帰った後はキッチンでハーブティーを淹れていた婚約者を見つけて、ガラスのティーポットのなかで揺蕩う茶葉を眺めたり、夕食のときカトラリーの使い方を笑っていたでしょとむくれられたり、王都に戻るまでにマナーを教える約束をした。ティーカップの中の水色を注ぎなおしながら夜更け近くまで話し込んで、彼女の母に見つかって諫められるまで話題は次々と浮かんで、一向に話し終わらなかった。


 そんな日の翌日だったから、馬車で森に向かう道中は、ずっと落ちそうな瞼を擦っていた。

 半日は見ていて欲しい、と彼女に伝えられた通り、朝方出掛けた馬車は市街や畑を超え、涼しい風の中で、車輪の回る音がする。酔わないようにと二人並んで進行方向に向かって座っていたから、眠気に負けて舟をこぎ始めたヴェルシオに、シーリアはすぐに気が付いた。


「寝ていていいよ、着いたら起こすから」


 そのために転移じゃなく馬車にしたから、と膝に置いた本から視線を傾ける婚約者のやわらかい声に、いよいよ重力に勝てなくなる。ぐらり、とシーリアの肩に頭を乗せて、凭れかかった。


 眠い。頬を撫でる空気が涼しくて心地いい。風とは違う、清涼だけれど甘い、好きな匂いがする。なじんだ少女のひそめた笑い声と、ページをめくる、紙のかすれる音。

 どこに行くのだろう。出発の前、荷台に整理といって何冊も本を詰めたトランクを入れていたから、きっと本のあるか、読めるところだ。どこでも良いか、彼女がいるなら。


 日差しをいとうように少し低い肩に頭を押し付けて、文字を泳ぐように、舟をこぐ。

 意識が沈む寸前、おやすみ、と穏やかな声が聞こえた気がした。




 §




「ヴェルシオ?おーい、……あ、起きた。おはよう」


「……おはよう」


 昨晩の睡眠時間はそう変わらないだろうに元気だな、とか、一瞬だったな、とか、いい匂いした、とか。いろいろな感情を、特に最後を押し込んで、もう揺れない馬車を下りる。

 森の中だった。山と違って傾斜のない地面、青々と茂った緑、木の葉をざわめかせる風の音。最低限の舗装がされた道の先には、伯爵邸の半分ほどの規模の屋敷が見える。


 シーリアに初めての場所に連れてこられるのは、もう慣れたものだ。

 彼女にとってもそうなのか、御者にトランクを待たせて、エスコートするように手を引かれる。


「どうしてもここに君を連れて来たかったんだ。―――ようこそ。私の、一番愛する場所に」







「……すごいな」


「気に入ったでしょ?」


 シーリアの知識や話の内容の割にはアーデン伯爵家に本の類が少ない事を、ずっと疑問に思っていた。今、やっとその理由が分かった。


 本。日差しと揺れるカーテン。本。

 その屋敷は玄関の先の廊下、どのドアを開けても、壁の半分以上を覆う本棚に、本がびっしりと並べられていた。


「廊下左手の部屋は小説、右は資料とか図鑑とか、小説以外が主かな。祖父が無類の本好きだった話はしたっけ?好きすぎて書斎じゃ足りないから、この屋敷を建てたんだ。大体内容ごとに部屋が分けられていて、たとえばここは外国の歴史ものの部屋。保管の魔法が使える図書管理人が月に1回魔法を掛けにくる以外は、今は私しか来ないんだけどね」


 リビングと水回り以外、全部の部屋がこうだよ。すごいでしょ。

 次々と扉を開けるその顔は、最初にヴェルシオがアーデンの屋敷を訪れた時以上に楽しげだった。


 たしかに昔、本好きの祖父の影響で本を読むようになったと、聞いたことがある。

 王城の書庫なら、もっと希少な本が多く置かれている。王都の国立図書館に赴けば、十数倍以上の蔵書を閲覧できる。

 けれど、そうではないのだ。ざらついた木目の家具も、薄青が多く選ばれた、部屋によって柄の違うカーテンも、旅行記を集めた部屋に置かれたボトルシップも、まだ使われることのない暖炉も、おそらくすべて、彼女が選んだか、在ることを許したものだった。ここは正しく彼女が愛する、彼女だけの城だ。

 そうしてずっと見せたかったのだと、俺に笑むのは。


「……いいな、凄く」

「でしょ?君が来て初日にここに案内したかったんだけど、入り浸りになって顔なじみに挨拶するのとか、観光すら出来なくなりそうだったからやめたんだ。気に入ったならメリーに食事とかを用意してもらって、残りの2週間をここで過ごすこともできるけど、どうする?」


 慣れた口調は、いつも泊りこみでここを訪れているのだろう、と感じさせた。昨日の顔見せで、やるべき王子としての務めも終わった。そうして彼女はこの屋敷にも、俺のための部屋を用意してくれているのだろう。

 口角が上がった。俺の返事が分かり切っているかのように、婚約者は瞳を細めた。





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