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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
陽だまりに手を引く
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傷痕

 








 ロザリーが用意してくれた部屋では、家事の殆どを魔法で代替しているから警備の兵士などはいなくて、主に話し相手を務めてくれるのが、あれからすぐに来てくれたメリーだった。

 王太子の婚約者の部屋にいたころは、彼の一挙一動やあまりに整った容姿とかに気を取られて、退屈だけれど気を抜く事も出来なかった。

 メリーは王都のタウンハウスや領にいた頃と全く同じように私に接してくれている。彼女には本当に助けられているけれど、申し訳なさも感じている。




 手持ち無沙汰に本を読んで、ふと瞬間に彼を思い浮かべる。そんな日々だった。




 ロザリーは学園に、たまに訪れるクロルも城下街に遊びに行った日だった。

 半月近く経ってもヴェルシオが私の前に現れることはなく、けれど当然好きに出歩いて良い、とはならなかった。刺繍とか本とか暇を潰すものはいくらでも揃えられて、何もしていないのに美味しい食事や質の良い服も準備される。


 暇潰しにも飽きて、かつての自分はこんな時になにをしていたのだったかと思い起こすのも何度目だろう。

 学園の友人に手紙、ふらふらと散歩、そうして彼と本を読むだけの時間。

 そのどれも、今は出来ないことだった。



 今日はこの茶葉にしましょうか、エヴァンズ公爵令嬢様にいただいたのですが薔薇の花びらが入っているそうです。とても良い香りですよと言いながら、メリーは今日も紅茶を用意してくれた。

 王城に相応しい、滑らかで白い磁器が彼女に操られるのを眺めながら口を開く。



「……メリーは、いいの?」


 私の言葉に、彼女の手が止まった。


 王城の使用人のための一室を彼女に開けてもらって、もちろん休日もあるけれど、メリーは朝から夕まで私と過ごしてくれている。

 彼女が王城に滞在する必要はなかった。身の回りの全て、ロザリーと魔法がどうにかしてくれるから。

 もしかしたら身の危険さえあるかもしれないのに、あなたの侍女ですからと1人でこの城に来てくれた。孤独を紛らわせる嬉しさよりずっと、本当に良いのかと思う。


 メリーはアーデンと同じ仕着せを身につけて、いつもと同じように黒い髪をひとつに纏めている。母と年の近い彼女。乳母では無いけれどずっと世話になった、もはや家族と呼べる人。



 私の言葉に、紅を塗らない唇がわなないた。


「……どうか、そんなことをおっしゃらないでください。私は」


「家族の、両親とか兄のことを考えてくれているなら、他に連絡手段もあるから」


「あなたの、空の棺をみました」




 ヒュ、と喉の音が鳴った。


 強かな人だった。人生の終わりまでにアーデンの全ての山を網羅します、そう言って休日の度に遠出をして、なんならアーデンの誰かの転移魔法を山に行くための馬車代わりに使っていた彼女。いまその瞳は脆く、いまにも壊れそうなものに見えた。



「あなたが亡くなったと聞いた時、私たちは初めて絶望を知りました。呆然としている間に時間は過ぎて、アーデン伯爵領で、あなたの葬儀を行いました。ご学友と領の者達が参列して、棺に白と、薄い青の花を詰めました。本と、手紙と、他にも色々な、好きだったものも。崖から落ちたと聞いたから、身体が無かったから、空っぽの棺に入れたんです」



 そんなもの、代わりにすらならないのに。



 父が教えてくれた。メリーは私がいなくなったあと、長い休暇を取っていたのだと。最初は退職すると言われたけれど、給金はそのままに休職という形にしたのだと。



「誰もが泣いていました。なにも、残らなかったから。せめて、せめて棺に入れるものを、見つけようと、そう思って。奥様とあなたの部屋で、なにかないか泣きながら、現実を受け止められないままに探して。だからどうか私に悪いなど、思わないでください」



 ご存知でしょうが、私には身寄りがありません。アーデン伯爵家に勤めさせて頂くようになり、最初の仕事があなたの身の回りのお世話でした。まだ3歳だったあなたがブランコを漕ぐときには背を押して、転んだ時には擦りむいた膝に薬を塗りました。

 ……恋愛も、結婚も、出産も、私は望みません。そういう人生にすると、私が決めました。けれどあなたにお仕えすることは、私の人生で有数の僥倖でした。母のように思っているなんて烏滸がましいことは、もちろん言いません。けれどほんとうに、あなたの幸福を、未来を願っていた。



「あなたが生きていて良かったと、旦那様も、奥様もお兄様も、私も、それしか思っていないんです。あなたに生きて、そうして、傷つくことなく、幸せになってほしい。ほんとうに、ほんとうに、それだけなんです」



 過ぎたことを申しました、申し訳ありませんと目を伏せて、彼女は部屋を出る。呼び止めることは、出来なかった。







 ∮







 お姉さまに会いたがっている人間がいるんです、と言われて、伝えられた名前に、目を見開いた。

 私が生きていると知る人は多くないけれど、彼であれば当然だ。学園を卒業したあとのヴェルシオの護衛を務めていたのも、彼だと教えられていた。



「ラフィンツェの者ではありましたが、あの男の護衛をやりたがる人間など、誰も居ませんでしたから」


 王太子の騎士になるのは大変な名誉です。けれど、誰もが、1週間も持たず辞めました。それくらい、あの男は異様でした。国のために殉じる覚悟を持つ者すら、或いはだからこそ、耐えられなかったのだと思います。

 そう、ロザリーは言った。


 かろうじて言葉が通じる怪物で、制御出来ない爆弾でした。最初は我こそと護衛を望んだ者達も、その不気味さに、あるいはこれがこの国をこれから統べる者なのかという失意に、その任を外れました。残ったのは、1人しかいなかったんです。彼は何も言わず、ただ背に仕え続けました。それが彼に出来る、唯一の忠誠だったのでしょう。

 赤い瞳には憐憫が浮かんでいた。そうして今、ローガンが、目の前にいる。



「申し訳ありません……申し訳ありません!」


 変わらない黒い瞳。けれど随分とやつれて、心痛に耐えきれなかったように、黒髪には白が混ざっていた。最後に顔を合わせたのは学園に入る前だから3年以上前で、変貌の理由は、時間だけではない。


 入学の前、彼はヴェルシオの護衛を外れた。学園に護衛を連れて行くことを、ヴェルシオが望まなかったからだ。

 書庫の扉の前で今までありがとうと言ったとき、返事をせずに頭だけ下げてくれるローガンも、黙り込むヴェルシオも、似た表情を浮かべていた。君たち親子みたいだよねと思わず言えば、2人ともに変な顔をされた。

 そんな出来事が、ずっと、ずっと昔に感じる。



 私を見て、高い背が、その足が崩れ落ちる。悲痛を貼り付けた顔。

 ローガンは跪いて、床に頭を擦り付ける。


「申し訳ありません……!どうか俺を、罰してください!」


「ローガン」


「あの方を……ヴェルシオ様を、お守りできなかった!ラフィンツェの人間でありながら何も知らず、知ろうともしなかった。そのせいで、あなたを失わせてしまった!この血が憎い、それよりずっと、私自身が憎い。どうか、どうか―――罰して、殺してください!」


 こんなに取り乱した彼を、初めて見る。物静かで、言葉少なな彼が、大声でわめいて、目を見開いて、涙を零して。


 大柄でがっしりして、いかめしい顔。それがかつての印象だった。

 けれどとても優しくて、ヴェルシオを想っている。

 そうだ、彼は正妃様に用意された、ラフィンツェの家の護衛だった。けれど何度も私たちを助けてくれた。それなのに家は、彼の知らないうちに、あんなことをして。



 愛するものが傷つけられたとき、傷つけたのが赤の他人なら、恨むだけで済む。

 けれどそれが自分のせいだったら、関わっていたならば。憎むべき相手に、自分も含まれていると、そう考えてしまったら。



 それは、どれだけの、絶望だろう。



「…………ローガン、あなたは何も悪くない。大丈夫。彼も私も生きているんです。だからどうか、自分を責めないで」



 床に膝を付けて、ぼたぼたと涙が止まらない彼の、肩に触れる。返事はない。きっと本当に彼に言葉を届けられるのは、ヴェルシオしかいないのだとも思う。

 泣いて、泣いて、謝罪の間に罰を望まれて。夕になって立ち去る影が見えなくなっても、悲鳴のような嗚咽は耳にこびりついて、離れなかった。




 心の内で問いかける。

 ねえ、ヴェルシオ。私以外は要らないと言った君。

 けれど不要と切り捨てたって、君はこんなに想われている。私も。



 今どこで、なにを考えているの。








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