墓標
もっこもこの毛布に、包まれている。
「お姉さま!ごめんなさい、カードが気づかれていたなんて……。ご無事で、本当に良かった」
泣きそうな顔のロザリーに両手を握られて、大丈夫だよ、と返す。
お淑やかでうつくしい所作で、淑女の鑑と名高い彼女は、そういえば女性騎士たちに混じって鍛錬をしていたり、オーランドとも剣術で互角なのだった。
いや、それでも強すぎなかったか?とは思う。レイピア片手に扉を吹き飛ばして、家具も吹き飛ばしながら、彼を吹っ飛ばした。多分一撃だった。多分が付くのは、その瞬間、私も気を失ったからだ。
彼女好みの赤い調度品がさりげなく置かれているここは、王城のロザリーに用意された部屋だ。
クロルにカップを手渡されて、受けとった。湯気をたてるミルクが入っていて、彼も同じものを飲みながら、少し離れたソファに座る。
「……つよかったね」
「あいつが弱っていただけですわ」
「本当か?」
クロルが入れた茶々に、なによ文句?とロザリーは目を細める。つねに貴族としての振る舞いを、と心がける彼女の珍しい言葉と態度に、彼らはいつのまにこんなに親しくなったのか、とすこし驚いた。
「彼は……ヴェルシオは?」
問いに、紅い瞳が伏せられる。
「あの後、王族専用の牢の、1つに拘束しました」
「牢……拘束って」
「牢の1つにっていくつもあるのか。物騒だな」
呑気にクロルは呟くけれど、そっかそうなんだ、で流せる話ではなかった。
「彼はいま、この国の王太子でしょう?そんなことが」
「あなたを攫い監禁していた危険な、です。ずっと障壁魔法で閉じこもっていたんだもの、それがこの国の拘束魔法と檻にかわっても、大差ないと思いませんか?」
変わるだろ多分、と返事をしたのもクロルだった。
それには応えず、ロザリーは瞳を挙げる。
「お姉さまが崖から落ちた後の話を、お伝えできていませんね。―――長くなります。それでも、聞いていただけますか?」
∮
ヴェルシオが、マーヤを殺した。
彼女の罪はエヴァンズが明らかにして、王城の地下牢に閉じ込めた。脱獄したマーヤを彼が見つけ、首を刎ね、身体を切り刻んだ。
あの日遠目で見た可愛い少女と囲む少年たち、その結末。ロザリーは色付く彼女の爪先に視線を落としながら、相応しい末路です、と呟いた。
「あの男が何もしなくとも、結局マーヤは処刑されていました。多くの貴族を巻き添えに王家の人間を魅了し、王妃になろうとした。10度首を斬られても、その罪は償えないでしょう」
マーヤを殺した後、あの男はただ王太子としての勤めをこなし続けました。マーヤに言及したことはありません。
「笑いも、泣きも、憤ることも、城の人間が見る限り、1度も。あれは生きる骸でした。……お姉さまが、戻られるまでは」
淡々とした口調から、感情は伺えない。言葉を引き継いだのはクロルだった。
「それであの日パレードで再会して、そのままお前を閉じ込めた、って感じらしいぞ。ロザリンデは学園とか大事な用事がない日はずっと城にいて、なにかあったらすぐ障壁を壊せるように待ってた。そんでさっきすごい魔力が乱れて、障壁魔法が壊せるぐらいガタガタになったから壊したんだと」
俺も外から見てたけどなんかグァって感じだった、いったいなにがあったんだ?と首を傾げる。
もう飲み終わったらしく、のんきに説明してくれる彼の手の中では、カップは空になっていた。
様を付けなさい、長いからいやだこいつとロザリンデだけなんだから良いだろ、と2人は慣れた口調で言いあう。
「…………マーヤが死んだっていうのは、新聞で読んで知ってた。裁かれたんだって、あれだけのことをしたんだから、正直驚きはなかった。でも、彼がっていうのは予想外でーーーごめん」
「当然です。あの男のせいで、何も分からないまま閉じ込められてしまったんだもの。……忌々しい」
口を付けない、私のカップの中身は、すっかり冷えてしまっていた。言葉が上手く見つからない手に、ロザリーは触れる。
手のひらは暖かいのに、彼を思い返す眼も口調も、ひどく厳しかった。
「今、君たちの婚約はどうなったの?破棄されたって、エヴァンズ公爵は言っていたのだけれど」
「民を混乱させないために公にしていないだけで、とっくの昔に破棄をしています。そもそも嫌がらせのようなものだったもの。あの男と結婚するくらいなら、犬と契りを交わす方がよっぽどマシだわ」
チリ、と彼女の表情に走ったのは、多分、本当の嫌悪だった。
とっくの昔に。それを私は喜んで良いのだろうか。
2人が想いあっておらず、失恋にロザリーが傷ついていないことに。彼が私を閉じ込めたことが、浮気と呼べる行為ではなかったことに。
それともまだ、彼が好きな私のために?
いやさすがに言い過ぎだろ犬と結婚は嫌だろ、憎んでいない分良いでしょう?とまた言葉の応酬を交わす2人を傍目に、カップを握りしめる。
私の表情を見て、ロザリーは大きな瞳を一度、ゆっくりと瞬く。
「現在とこれからと、備えの話をしましょう。
あの男は牢に閉じ込めました。けれど今、あの場所にいません。……あなたが目覚めるより早く意識を取り戻して、幾十の拘束魔法を壊し、いなくなりました。行方は、分かりません」
「え」
牢にいると、ならばどうやって会おうかと、ロザリーは良しとしてくれるかと、そればかりだった。
そうなのか?とクロルも驚きの声を出す。
「牢の管理者から連絡があり、わたしが駆けつけたときには、完膚なきまでに檻も魔法も壊されていました。決して容易に破れるものではありませんでしたが……。捜索はしていますが、魔力がほぼ残っていない状態であれを壊せる人間ならば、見つけるのは難しいと想います」
「凄い奴なのか?」
「さあね。あの男の本当の実力を、わたしは知らないもの。学園にいたころはオーランド以下になるように抑えるか、魅了された腑抜けだったのだし。……けれど正直並の騎士や魔術師では、相手にすらならないと思うわ。最悪、わたししか互角に戦える人間はいないかもしれない」
心底忌々しい、という顔で、彼女は答えた。
「お姉さまのご家族にあなたが解放されたことをお伝えはしますが、アーデンに戻るのは難しいと思います。皆さんにも城に来て頂きたいけれど、あなたの大切な人間はみんな身の危険があるし、最悪、人質になりえるわ」
「人質?そんなことは」
酷く静かに、赤が、私を見た。
「あいつはお姉さまを……あなただけを望んでいます。そうしてもう、人を殺しているんです。事情をしれば皆さんは、お姉さまを守ろうとされるでしょう。転移は強力な魔法ですが、絶対ではありません。邪魔をしたと見做されて、あなたの家族があの男の手に掛かることすら、ありえます。
お姉さまがご家族を想っていることも、想われていることも知っています。だからこそ、可能性すら許したくないんです」
これ以上、あなたに傷ついてほしくないんです。そう、言葉を続けられる。
まさかと指が震える。けれど数時間前の言葉と表情を思えば、なにも言えなかった。
あの方々にはメッセージカードをお渡ししておきます、いつでも連絡は取れるし、水鏡魔法で顔も見られるように手配しましょう。つらつらと、これからが言葉にされる。
ヴェルシオが私をもう一度望んで、また閉じ込めたりしようとする前提で、ロザリーは対策を考えている。
「学園の女子たちには、お姉さまのことはまだ伏せておきましょう。下手に手を出そうとする娘がいれば危ないのはもちろん、説明するのに王太子による監禁や、失踪を省くのは難しいもの。わたしが彼女達の立場だったら納得しないし、どうして黙っていたのと憎むかもしれないけれど。話せる時がきたら、彼女達に謝罪しましょう」
「……その時は、一緒に謝らせてね」
ええ、とロザリーは、やっと少し笑った。
∮
新しく渡されたカードで、家族と話をした。
ロザリーから王太子の失踪や、まだ私が城にいた方がいいこと、領にもどるのは難しいのも聞いていたらしい。無事を喜んでくれながらも少し悲しそうに、けれどエヴァンズ公爵令嬢は信用できるから、と父は綴った。
『シーリアがいなくなったあとにずっと探し続けてくれたのも、ラフィンツェとマーヤという魅了の使い手を裁いたのも、今あの王子から救出してくれたのもロザリンデ様だ。あの方がその方が良いと仰るならば、そうなのだろう。
……無力を情けなく思うが、だからこそ足を引っ張ってはいけない。それくらいの分別は、弁えているつもりだ』
王城にはメリーだけ来てくれることになって、毎日連絡するからね、とカードの文字でも、家族みんなの言葉を受け取った。ロザリーが用意してくれた私の部屋は侵入者への検知や防衛魔法がたくさん掛かっているらしくて、基本はこの部屋にいてください、と説明された。
前の部屋と大きく広さは変わらない、もとはゲストルームらしい、品の良い部屋。変わったのは、出歩けるようになったことだろう。
∮
「……ここが、マーヤの亡骸もある、囚人用の墓地です」
「ありがとう、ロザリー」
解放から5日ほど経って、ロザリーに行きたいとお願いしたのは、王都から街を2つ越えた、山のふもとだった。万が一のために転移魔法の魔力はなるべく貯めておいてください、遠出ならわたしが同行しますと言われて、公爵家の馬車で久しぶりに王都を出た。
まだ残るラフィンツェ公爵家にまつわる諸々に、学業に、ヴェルシオの捜索。
忙しい彼女の時間を半日も使わせてしまうのは申し訳ないけれど、目的地は目的地ですが、久しぶりにお出かけできて嬉しいです、と彼女は笑ってくれた。
道中は彼女が持ち込んだお菓子を食べながら、学園や、クロルの話をした。
狼獣人の故郷に行きたがるかと思っていたクロルは私が心配だからと城に残って、でも出来ることは少ないからこの国について色々知りたいと、ロザリーが城にいる時は、大体傍にいたらしい。
案外覚えが良いんですよね、マナーと敬語は覚えようともしないけれど、と言う彼女はお姉さんのようで、少し可愛かった。
ベルベットのソファの座り心地はとてもよかった。いつか公爵家の魔導馬車を壊してしまったことを謝って、ほんの少しもお姉さまは悪くありませんが2度と魔導馬車には乗らないでください、と真顔で言われたりもした。
正直普通の馬車も乗ってほしくはないんです、という彼女の顔色が心配で、また頭を撫でる。
花は持ってこなかった。弔いたいわけでも、失われた命を慰めたいわけでもなかった。
草を刈られた地面に、一定の間隔で並ぶ盛りあがった土と、打ち込まれた杭。100以上は在るだろうそれらの、名も彫られないどれかが彼女の墓だった。
死刑囚の名前すら残さないために、あるいはその人間を神格化する人間がいたときに、死体を掘り起こされないための措置。このどれかに、私を襲った賊と一緒くたに、彼女は埋められている。
「彼女を、憎んでいますか?」
広がる墓標を見回して、同じく花を持たないロザリーが呟いた。
「…………どうだろうね。あまり、関わったわけでもなかったし。他の子達より時間こそ多かったけれど、必要な事以外、本当に話さなかったから。気が強くて、可愛い声の子だった。あの声が魅了を、って思うと複雑だけれどね」
土の匂いがした。湿った風が、彼女の赤髪を揺らした。
「…… 国の、司法の名を借りたというだけで、あいつが殺さなければ、わたしがマーヤを殺していたわ。牢に入れたんだもの、彼女をここに埋めたのはわたしでもある。そうしてその事を、わたしは後悔しません。お姉さまが彼女の死を悼んでいるとしても、わたしは、同じにはなれません」
「悼んでいるわけじゃないよ」
ロザリーが思うほど、私は立派な人間ではない。彼女の死は悲しくも、嘆いてもいない。
「そうですか。……ねぇ、あの男は、お姉さまの元婚約者は、今どこにいると思いますか?」
少女は振り返った。
赤いドレスの裾が、酷くゆっくりと動いた。
「大衆にはまだ病に伏せていると伝えているから、あれはまだ王太子のままです。だから、自害はあり得ません。お姉さまが生きていると知って、そうするはずもないけれど」
あなたを失って、かつてのあいつは死を望むほど絶望したでしょう。そうしてあなたを取り戻して、あなただけに執着して、縋って、閉じ込めて。
けれどまた、今度はわたしに奪われて。
そうしたら、次はなにをするでしょうね?
唇を引き攣らせた、ぎこちない笑み。見たことの無い表情だった。
「きっと、城なんかに閉じ込めたのが悪い、と考えたはずです。国が追わない、手出しできないほど遠くに攫って、閉じ込めればよかったって。あいつにとってこの国は、その程度の価値なんです」
わたしだったらそう思うもの。嫌だけれど、ほんとうに嫌だけれど、わたしはあなたより、あの男に近いのでしょうね。
そんなことはない、とは、もう、言えなかった。
穏やかな男だった。そう思っていた。
無愛想で不機嫌をすぐ態度に出して、けれど図書室のソファで寝ぼけ眼を擦る仕草とか、窓の外の小鳥を眺める瞳とか、そんなことを、よく覚えている。
マーヤを殺したと聞いて、墓を前にした今でも。
「……分からない。どこにいるのか、すこしも」
分かるのは、彼の狂気は私のせいだということだけだ。
壊れているというならば、そうしたのは私だ。
私が彼を壊して、狂わせた。
「本当ですか?あなたは、1番大事なことを、言ってくださらないから」
どうにも寂しそうに、少女は赤い瞳を翳らせる。
「……ごめんね」
何に対する謝罪だろうな、と、自分でも思った。