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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
陽だまりに手を引く
46/61

獣性

 







 もう少しです、とロザリーは文字を浮かべる。

 あと少しで、お姉さまを助けることが出来ます。そうしたら何をして、どこに行きましょうか。楽しいことを考えましょう?もうその男に、2度と傷つけさせませんから。


 家族の、友人たちの、クロルの様子を伝えてくれながら、あと少しで彼らの顔を見せられますと、私が被害者であるかのように。





 ∮





 私から彼に触れることが増えた。頭を乗せられたときに撫でるとか、その程度だけれども。

 雨の日だった。外は暗い。白のベッドシーツに、なんとなく選んだ白いワンピース。紺色の髪が、視界でなによりあざやかだ。

 この日々にほんの少し慣れてしまった、自分が恐ろしい。


 それにしても、彼は本当によく眠った。魔力の回復と理由は聞いたが、ぴくりとも動かない目元に触れる。

 うつくしい容貌はつくりものめいて、いっそ人ではないと言われた方が納得できるほどだった。人間に似た、人間よりうつくしいいきもの。時代や生まれた場所が違えば、あるいは今でも顔だけで信奉者が集っていたに違いない。


 ぼんやり眺めていれば、音もなく金色が開かれる。完璧な造形の薄い唇は動かずに、また胸元に頭が押し付けられた。頭の中だけで、寝起きでこの顔かと呟く。

 昔なら、―――1年も経っていないけれど、昔なら容姿の良さを茶化すような言葉を、思いうかぶまま口にしただろう。今の彼に軽口を叩けるのか、それが許されるのかは分からない。

 かつてよりよほど距離は近いくせに、言葉を選びつづけないと、と気を張るのは少し疲れる。







 予兆は、特になかったように思う。 


 明確に変化があるものは窓の外の天気だけだったから、部屋に時計はないけれど、なるべく規則正しい行動を心がけていた。その日太陽は1日見えなかったけれど部屋は随分と暗くなったから、着替えたくてクローゼットに向かう。不満そうな顔はされたけれど、腕は外された。



 用意された服はいつの間にか浄化魔法を掛けて、クローゼットに仕舞われるようになっていた。

 2つ並ぶそれには、1度も袖を通していない、夜会でないと用がないようなドレスもある。例えば薄青の、柔らかいドレープの一着。装飾が少ないそれは、一目で質がいいと分かる美しいものだった。シンプルなワンピースもきらびやかなものもどれも好みに合って、どうやって、どんな気持ちで彼が集めたのかと悲しくなる。




「…………これ」


 次着るものはどれにしよう、と探す手が、それを見つけて止まった。あまり開かない方のクローゼットで、その隅にあったから、今まで気が付かなかった。


 置かれていたのは靴だった。クッションの台座の上に鎮座する、上品なデザインの、薄青のハイヒール。さっきの薄青のドレスに似合うような、とてもきれいな一足だ。

 サイズも丁度いいだろうとおもって、けれどヒールの高さに伸ばしかけた手を止める。昔から、かかとの高いパンプスは苦手だった。とても、とても可愛いけれど。

 何よりも、ずっとベッドかソファに寝転んでいるようなこの生活に靴は不向きだし、細いヒールは危ない。今だって素足なのだしと下を見た瞬間、声が掛けられた。




「……気に入ったのか?」


 影が差す。

 いつの間にか、後ろに立たれていた。私に代わるように長い腕が伸びる。



 繊細な靴は、彼の手の中だとより華奢に見えた。僅かな光源の中でも、動きに合わせて薄青がつるりと光る。


「でも、これはもう、必要ないな」


 うつくしい指が、ヒールを掴む。そうしてそのまま、バキリと音がした。



「え」


 一瞬で、大して力を込めているようにも見えなかった。ヒールが折れて、美しいそれは呆気なく元の形を失う。



「な、んで」


「もう出さないから、必要無い」


 唐突だった。

 薄暗い中で、金色の瞳だけが、爛々とひかって見えた。淡々と、雨が降っているとか、それくらい当然のことを言うような口調に、心臓が嫌な音を立てる。



「服も要らないとおもったが、1度は着せたいものもあったからな。……思ったとおり、良く似合っている」


 でも、もういいだろう。



「急、に」


「だってお前、逃げようとしているだろう?」



 ヒュ、と喉が鳴った。

 一切の感情を削ぎ落とされた、障壁魔法で閉じ込められた、最初の日のような声だった。




「紙切れを手放さないだろう」




 壊れたハイヒールが床を叩く音は、絨毯に吸われて、酷く鈍く耳に届いた。

 クローゼットが閉められる。何か言うより早く、その扉に背を押し付けられた。やっと気づいた。交わす言葉が増えたのは、寛容になったからではない。ずっと掌の上で私を泳がせていただけた。彼はずっとカードの存在を知っていて、私が持っていることに憤っていて、いま見限られた。


 

 言い聞かせるように、色のない唇が動く。



「―――目を、離さなかったのにこれだ。つねに隣においても、余所に行こうとする。よくわかった、もう、お前に意思は必要ない」



 嬉しそうに、諦めたように、金色は鈍く色を変える。泣いているようにも、嗤っているようにも見えた。冷たい指先に耳朶をなぞられて、背筋が震えた。

 可愛いな、と彼は呟いた。


「俺はずっと、お前だけが可愛いよ。好きだといったな。願いが叶えばいい、だったか。

……思い知った。俺の幸福は全てお前がいたからだと、お前がいなければ価値がないと。だからお前も、そろそろ、俺だけになるべきだ」



 カーテンが揺れている。デスクの上の紙束が崩れた。不快な音を立てながら、シャンデリアのガラスの破片がぶつかり合う。

 風魔法、ですらない。魔力が、それだけで、部屋そのものが揺れている。

 手が下りて、服の襟にふれた。指がねじ込まれて、胸元に隠した紙を探り当てる。ロザリーと、外とつながる唯一の手段が。



「かえし―――」


 言いきるより早く、紙がひしゃげて、黒く染まった。そうしてぼろぼろと、燃えカスのように崩れ落ちる。彼はひどくゆっくりと、口角をあげた。


「まだ言うのか?安心しろ、ちゃんと壊してやるから。目が覚めたら俺だけのお前になって、そうして、やっと」


 居るだけで目が眩むような、壮絶な魔力。

 酩酊。ひどい船酔いのように上下も、立つこともおぼつかなくなる。崩れ落ちそうな身体を、彼の力強い腕が抱き寄せる。嫌だ。気持ちが悪い。分からなくて怖い。放っておいてほしい。いちど、捨てたくせに。



「……いやだ」


「はは。諦めてくれ」



 懇願で、命令だった。

 酷く優しく、壊れ物を扱うように、頭に手が触れた。子供にするように撫でられている。あるいは、愛しい恋人にそうするように。


 楽しそうに、幸せであるかのように、彼はくつくつと、私の肩で笑う。

 ガンガンと頭が鳴る。怖かった。逃げ出して深呼吸がしたい。何も言わなかったくせに、ずっと閉じ込めて、挙げ句の果てがこれか。


 もう嫌だ君なんて。うんざりだ大嫌い。そう思えたら、どれだけ良かったか。


 

 意識が霞む。言葉にしなければ、無かったことにできる。けれど、これで最後だというのなら。



「―――いらないって、いったくせに」


「は?」


「最初に要らないって言ったのは君なのに、だから、諦めたのに」



 どうして今更、もう、遅いのに。

 頬を涙が伝って、床に落ちた。泣きたくなかった。彼の前でも誰の前でも。

 虚勢でも嘘でも、貫けるなら真実になる気がしていた。大丈夫と呟きながら膝を抱えたあの夜、君はいなかったくせに。


 

 気持ち悪さが薄れる。離してと前を向いて、息をのんだ。



 ひどく美しいいきものが、表情も、感情も、一切をそぎ落として、私を見ていた。



「……………………捨てた?」


 激情を押し殺した、怜悧な声。



「その程度か?最初から、お前は」




 空気が膨れ上がる。うごめく、なんてものではない。視認できるほどの、圧倒的な魔力。


 バン、と、破裂音。交差。なにか壊れる音。

 ヴェルシオが?違う。扉の外からだ。

 

 彼の指が私を掴む、より早く。新しく、光がさす。

 あの、懐かしい、赤髪は。











「お姉さまから離れなさいこの野獣!!!!」










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