完璧
「オーランドがヴェルシオ殿下の優秀さに気付いているか、ですか?微妙ですね。ヴェルシオ殿下がヴェルシオ殿下であるだけで何もかも完璧、と思っているふしがありますから……」
「ああ、やっぱり?ヴェルシオが何をしてもさすがは兄さま!で済ませそうだもんね」
全くです、と14歳になってさらに美しさに磨きがかかった令嬢は、呆れるように深紅の瞳を細めた。
手紙の回数は増えたけれど、学園に入ってから、年下の友人にして未来の義妹とのお茶会の時間は頻度が減ってしまった。それは少女にとっても、同じく敬愛する兄に会う頻度が減った王太子様にとっても不満だったらしくて、学園について教えてほしいとか舞踏会のための正装を仕立てようとか、色々な理由で共に過ごす時間は何度も作られた。
オーランドのほうはこの間の生地選びの時に、学園に入ったら兄弟らしく過ごそうと約束をしたらしくご満悦だったから、今日は私とロザリー、2人だけのお茶会だった。
変わらず今シーズン最高の紅茶を出してくれる公爵家のテラスで、うつくしい水色に口を付ける。近況から始まった話題はやはり、学園の試験とか、授業とかに移った。
「やっぱりお姉さまは文章に関わる科目が1番得意なんですね!今度是非、教えていただきたいわ!」
「ロザリーに教えられることはないと思うけれど……一緒に解くのは面白そうだから、次は問題を持ってくるよ」
「ふふ、嬉しいわ。楽しみにしています」
そう言って本当に嬉しそうに、彼女はマカロンを、花染めした爪でつまむ。
薔薇の髪と瞳に、雪のように白い肌。愛らしさを残す少女の、作り物めいた完璧な顔立ち。
婚約者や友人の贔屓目もあるけれど、ヴェルシオとロザリー以上に美しい人間を、私は見たことがない。
オーランドも遜色なく整った見目をしているけれど、彼は明るく華やかな空気や快活な笑顔の方が印象的で、親しみやすさやとっつきやすさがある分、目が合うだけで緊張するほどの美貌、と感じさせるのは、この2人だった。
領地でも王都でも顔は広い方で、それでも特別うつくしい2人と特別仲がいいのだから、まったく人生とは何が起こるか分からない。しかも特別うつくしくて、身分もあって、ありとあらゆる才能にあふれた2人だ。
「……私こそ、勉強を教えてほしいくらいだけれどね。聞いたよ。この間ごく小さな媒体から媒体に情報を転送させる魔法を発明して、学会で表彰を受けたんだって?最年少の受賞で稀代の天才、飛び級で大学院からお誘いも受けているって」
「あのカードの開発は、お姉さまがいらっしゃったから出来たことですよ?確かに学会長から直接勧誘はありましたが……嫌ですわ。せっかくあと1年と少しで、お姉さまと同じ学園に入れるのに。研究設備は魅力的ですから、学園を卒業して王妃になったあと、在籍するだけならとお答えしました。お姉さまが学園を卒業後に大学に入るようでしたら、わたしもご一緒しますが」
「それはないかなぁ。大学に入れるほど優秀じゃないよ」
謙遜に苦笑する。国に幾つかある学園を優秀な成績で卒業した生徒だけが入れる大学は、平民でも入れる代わりにそのハードルはとても高く、私には縁遠い話だった。
たしかに転移魔法を応用したい、と言われて彼女と手を繋いで転移したり1人で転移したりあちこち転移したり魔術陣の中を転移したことはあったが、上位魔法を誰でも使えるように、と応用した技術を開発したのは彼女の才と、努力の成果にほかならない。
それにしてもこの年下の友人は、本当にすごい。
次期王妃として行うようになった公務でも堂々とした立ち振る舞いから、アウディスクの赤薔薇と呼ばれ始めたらしい。
緊張しないのかと聞いたら、国を背負うものとして誇れる振る舞いをするだけですわ、と胸を張る。当然王妃教育もとうの昔に終わらせて、女性騎士に混じって鍛錬する剣術も、14才と思えない腕前だという。
それでも、彼女の持つ才で一際素晴らしいのは、その向上心だろう。
王太子の婚約者、次期王妃の立場に相応しくあろうと何ひとつ諦めることなく、完璧であり続ける姿を知っている。
国の為に、賞賛される以上に努力出来る。地位に相応しくあろうと研鑽を重ね、素晴らしい成果を出し続けている。それはどれだけ眩く、美しい意思なのだろう。
そんな凄い子がどうしてこんなに慕ってくれるのか、と何度も考えた。
私に彼女程の才能があったとしても、地位を持っていても、彼女のようには決してなれない。ここまでひたむきにはなれない。昔似たようなことを聞いた時に、お慕いするのはお姉さまがお姉さまだからですわ、と言われたけれど、その意味は今も分からないままだ。
「……眩しいなぁ」
「あら、確かに陽が差してきましたわね。室内に行きますか?」
そうじゃないよ、と笑った。
格好いいその子は、首を傾げた。
∮
学園の最上級生である3年になって、学園はにわかに慌ただしくなった。
オーランドとロザリー、この国の次期王と王妃、その2人が揃って入学したからだ。
可愛い友人はいつも人に囲まれていたけれど、それでも私と共に過ごしたいと思ってくれた。学園で、放課後で、寮にいる間だって、ここに行こうとか何を食べようとか、色々なことに誘ってくれた。
そうして、あの少女を初めて知ったのは、いつだっただろうか。
目立つピンクの髪だから、大半の下級生よりは早かった気がする。透き通っているのに耳に残る綺麗な声の子と、そう思ったのだ。
寮でも学年が違えば割り当てられる部屋は階が違うから、関わることは殆どなかった。初めて名を聞いたのは、ロザリーに借りた本を返すために、下級生の階に降りた時だった。
「ロザリンデ様はマリット男爵令嬢の振る舞いを良しとするのですか!?あんな男爵家の人間がジャック様に声を掛けられて、食事に誘われるなんて……私、許せません!」
「その通りですわ!わたしたちが何を言っても嫉妬でしょう?ってあの憎たらしい顔で……ロザリンデ様からも、なにか言ってください!」
1年生の階だから当然だけれど、彼女たちは赤いタイをしていた。
「落ち着きなさい。学園の争いごとの解決をわたしに望むのは正しいけれど、あなたたちの言葉には私情が混じっているでしょう?この学び舎での振る舞いは、全て公の場のそれと同じよ。家の名を背負うものとして、恥ずかしくない行動を心がけるべきだわ」
「それが何だっていうんですか!?もういいわ、私が直接あの女に―――」
顔を真っ赤にして憤る少女たちに囲まれたロザリーは、詰め寄られても表情を崩さない。けれどわずかに翳る瞳が気になって、気が付いた時には、声を掛けていた。
「そこまで。初めましてかな?話に割り込んだのは申し訳ないけれど、私も混ぜてくれると嬉しいな。……これでも最上級生だから、君たちの力になれるかもしれない」
お姉さま、とロザリーが呟いた。違うタイの色からか、第2王子の目立たない婚約者の顔を知る子でも居たからか。少女たちはぽつぽつと、渦中の少女について話してくれた。
大半はマーヤ・マリットという、マリット男爵家の養女としてこの学園に入学したその少女の、素行が良くないという話だった。平民かと思うほどマナーがなっていなくて食事どころか紅茶を飲む時ですらカチャカチャと音を立てるのだとか、この国の人間なら知っていて当然の詩歌すら誦じられないのだとか。そんな少女は可愛い顔と愛想の良さで男子からの評判は上々で、ついにこの間、ジャック---騎士科の星と呼ばれて王太子の友人の1人である、騎士団長の息子と仲良く食事をしたらしい。
自分たちより身分が下の少女が大人気の異性と親しくしているのが気に食わないとか、いくら可愛いと言えどマナーのなっていない少女をそろってちやほやする男子たちへの不満とか。学園の平穏を願っていると話す言葉の中には、彼女たちの本心が覗いているように思えた。話してくれてありがとうと感謝を見せて、とりあえずは引いてもらってから、私よりわずかに低い、赤い瞳に目を向ける。
「大丈夫?ロザリー」
「ええ。……最近はいつもこうなんです。彼女達が全て正しいと言うつもりはないけれど、これ以上は対処の必要があるでしょうね」
無理しないでと言葉を続ければ、問題ありませんわ、それよりもこの本はどうでしたか?と赤い唇が綻んだ。
完璧令嬢の名を欲しいままにしている彼女が恋愛小説を愛好していることを知る人は、ヴェルシオの優秀さを知る人より少ないかもしれない。ブックカバーで隠された一冊は彼女のとっておきで、同じ新作が出るたびに侍従を遣わせて手に入れているのだという。
お姉さまにもぜひ読んで欲しいの、どこが好きだったか感想をきかせて下さいねと言われて、断る言葉などある訳がない。
少女は完璧な笑みを浮かべて、彼女の部屋に私を案内する。ロザリーの防音魔法は完璧だから、楽しい時間になることだろう。
その時は本当に、それで終わりだと、そう思っていたのだ。