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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
陽だまりに手を引く
38/61

拒絶






 綺麗な女の子が泣いている。止め方を忘れたように、見開いた瞳から大粒の涙をこぼして。

 おねえさまと掠れた、悲鳴のような声が漏れた。

 美しい子だった。気高い子だった。誰よりも誇り高い彼女がぺたりと床に膝をついて、顔を歪めて泣きじゃくっている。


 扉を蹴破るようにしてロザリーが現れたのは、空の色が橙に差し掛かろうかという頃だった。 

 迷惑をかけないように、生きていると知らせないようにしよう。それがどれだけ愚かな考えだったか、思い知った。

 妹のようなこの子を、大切な友人を、私はどれだけ傷つけた。



「……ごめん。ごめんね、ロザリー」


 膝をついて抱きしめる。細い身体はひどく震えていた。


 うつくしい君。天性の才も美貌も持つ、誰よりも努力家な君。嗚咽が止まるまで、ずっと細い背を撫でていた。


 彼女が泣き止んでからやっと、ぽつぽつと、今までの話をした。

 3ヶ月の監禁や、その後の村を逃れた先の森での生活を。


「……お姉さまを探すとき、近くの村に聞いて回りこそすれ、立ち入ることはなかったの。村という村の草の根を掘り返していれば良かったなんて……」


 とびきり苦いコーヒーにニガイラクサの粉を混ぜたものを一気飲みしたってこうはならないだろう、と思うほど眉をしかめて、地を這うような声で呟かれる。



「ごめんね。……新聞を読んだよ。私が居なくなったあと、フィレンツェ公爵家の企みを暴いて、皆に掛けられた魅了を解いたって。1人で頑張ったね」


 ありがとう。1人にして、ごめんね。


 頭が肩に押し付けられて、またくぐもった嗚咽が聞こえた。  

 救国と持て囃されて、賞賛のなかで、ずっと、ずっと気を張っていたのだろう。安物の服の肩が濡れる。


「良いんです。……あなたが生きているなら、それだけで良いんです。だからもう、とおくに……どこにも、行かないでください」


 悲鳴のような声だった。赤い髪を撫でることしか出来なかった。

 泣かれて宥めて、嗚咽の中で言葉を交わして。また泣かれて、慰めて。少しだけ私も泣いて。やっと呼吸が落ち着いたなと思った時には、目尻は瞳と変わらないほどに真っ赤に染まっていた。


「アーデン伯爵家にも、お父様が知らせを送っているそうです。一族中の転移魔法を使い潰してでも、すぐに向かうと言っていました。……お姉さまが居なくなってから、皆さん酷く憔悴していました。早く、元気な顔を見せてあげてください」


 もうすぐ着くと思います。そういわれた時には、すっかり夜も更けて、闇の中で星がほのかに瞬いていた。


「本当に、何から何までありがとう。あと、1つだけお願いしてもいい?クロル……村から連れてきた狼の獣人が、多分君の父君のところに居ると思うんだけれど、彼は同胞の元に行きたがっていて。協力してもらってもいいかな。難しければ、アーデンにつないでくれるだけでもいいから」


「分かりました。彼は―――お姉さまと、なにかあったりはしなかったのですか?」


 ひそめられた声、彼女らしくはない遠回しな物言い。疑問の答えにすぐに思い至った。3か月と王都に着くまで、異性の彼とともに旅をしていたのだ。恋愛とか恋人とか、そういうものを懸念されている。


「君が思うようなものは何もないよ。私も彼も、それどころじゃなかったしね」


「そうですか。少しだけ安心しました。もしそうだったら、あれをどう黙らせるか考えるべきでしたから」


「あれって……ヴェルシオの事?」


 いまだベッドで眠る彼に、初めてロザリーは顔を向ける。その瞳の鋭さに驚いた。


「ええ。正気の沙汰とは思えませんが、陛下はあの男を王にと、まだ願っているのです。愛国心のないものに国を治めさせても、荒れるに決まっているのに。お姉さまの家族が此処に着くまでに、別室に連れて行きましょう。今なら抵抗もしなさそうだもの」


「抵抗って……彼に、何があったの」


 死んだ、それもだいぶひどい方法で居なくなった筈の人間が生きていた。心底後悔はしているけれど、驚かれるのも、泣かれるのも自然なことだ。

 けれど再会からずっと、彼はあまりにも記憶と違っていた。

 絶望を越えたようなうつろな瞳も、慟哭も、まだ鈍く痛む、腕をつかむ力の強さも。

 今も目を覚まさないほどに眠れていなかったのかとか、痩せてしまったこととか、目の下のくまの濃さとか。


「……本気で、そう思っていますか?襲撃以前で記憶の混濁や、覚えていないことは?」


「特にないと思う、けれど」


 熱で朦朧としていた1月はともかく、その前は覚えている。本当に、いやになるくらい。


「それなら……いえ、やめておきましょう。お姉さまを責めたいわけじゃないんです。少なくとも食事を摂らなかったのも、眠らなかったのも、あの無様な部屋も、すべてあの男が自分で招いたことです」



 そろそろ着きそうだからわたしは席を外しますわ、この男が暴れても大丈夫です、ちゃんと拘束しますから。そういって魔法でヴェルシオを浮かせたロザリーを引きとめたのは、拘束という単語を恐れたからか、あの腕の強さを覚えていたからか。

 けれど彼と、ちゃんと話をしたかった。




   ∮




 抱きしめられて泣かれて、少しだけ叱られて。ロザリーと相対したときと同じ流れを両親と兄、義姉の4人分繰り返した。両親が泣くところを、初めて見た。


 私の臆病が彼らも悲しませた。何十回も謝って、生きていてよかったと何百回も聞いた。

 頬を噛む。もし失われたのが兄だったら。両親だったら。きっと私は、喪失に関わった全てを憎んで、自分を責めただろう。同じことをしたのだ。


 もう王都を離れて領地で穏やかに暮らそうといわれたのは、何時間も経った後の事だった。


「たくさん傷ついたでしょう。もうあなたに、王都にいてほしくないの」


 涙ながらの母の言葉はしごく真っ当で、返事に困る。

 貴族にとって娘の使い道の1つは、婚姻とそれによる家同士のつながりだ。半年近く失踪した娘など立派な傷物で、もう領地にいたところでまともな縁談は望めない。

 そんなことを気にもされていないのは分かっている。とっくの昔にこの国の王子様と私の婚約は破棄されていて、ロザリーも私と彼が関わることを良しとしなかった。家に戻ればずっとこの家にいていいのよと言われる、彼と関わらない人生が待っている。

 けれど目が覚めてまた何も言わずに私がいなくなっていたら、彼は。



 手を引かれる。とりあえずうちに帰りましょう、と母は言う。

 父も兄もヴェルシオを視界に入れながら、言及しようとはしない。居ないものとして扱うように、私を連れ出すことを優先したようだった。






「――――――どこに、いくつもりだ?」


 まだ彼と話をしていない。あと少しだけ待ってほしい。そう伝えるにはどんな言葉が良いのか考えていたから、返事が遅れた。

 振り向いた先、彼は身を起こして私を見ていた。家族ではなく、部屋を出ようとする私だけを。


「ヴェルシオ、おまっ―――!」


 なにか叫ぼうとした兄の声が、不自然に途切れる。

 風が鳴った。唸る魔力に自分の髪が揺れる。

 一瞬だった。彼が不要と判断したものが、私以外の人間が、突風に吹き飛ばされて、弾き飛ばされるように追い出される。霧色の障壁がつくられて、それも見えなくなって―――部屋が閉じる、音がした。



 これを知っている。王家の多くある適性魔法の1つで、建国の初代王が霧雲の丘で身につけたといわれる、障壁魔法。

 かつて私が、一番好きだといった魔法だ。


 扉の外は音も、声も聞こえない。彼以外誰もいないかのように。

 だらりと足を崩して、肩の力を抜いて。こちらを見る彼以外。



「ヴェルシオ、きみは」


「もういちど」


「え?」


「名を」


 家族は大丈夫だろうか。オーランドとマーヤの時は全く怪我はなかったそうだけれど---そんな思考は、あまりにうつろな瞳の色に途切れる。

 どろりと溶けた金が、私を見ていた。


 パレードの時とも、書庫での瞳とも違う。何も浮かんでいなくて、けれどひどく飢えた獣のようなそれ。背筋が総毛だつ。


 



「ヴェル……シオ」


「もういちど」



 気が付いたときには抱きしめられて引きずられて、ベッドの上だった。

 呼吸も、心臓の音すら聞こえそうな静寂の中で、彼はずっと私に名を呼ばせた。


「ヴェルシオ、君……怪我してるでしょ」


 ひどく熱い腕だった。ずっと眠っていたのも含めて、身体になにかが起こっているのかもしれない。そうでなくともガラスで傷つけたものとか、少なくとも拳には傷がたくさんあった。


「それが?」


「それがって……手当てしないと。救急箱があるから、水も飲む?」



 返事はない。

 会話ができるのに、言葉が通じていない。届いていないかのように、瞬きもなく見下ろされる。

 沈黙が怖かった。どうにか掌の小さな傷に薬を塗って、水差しを差し出す。金色は爛々と狂気めいている。

 名を呼んで、食事を摂れているかとか、ちゃんと眠れているのか聞いて、今まで何があったのかとかマーヤのこととか、彼の返事はほとんど無くて。


 けれどお気に入りのぬいぐるみを抱くように、腕はずっと腰に回されて、決して解かれなかった。






 




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