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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
陽だまりに手を引く
35/61

旅路

 





「おいシーリア、寝てるのか?」


「……………今起きたとこ」


 寝てたな、と濃い茶髪の青年が、パンとシチュー片手に貨物馬車の荷台に寝転ぶ私を見下ろす。開けられた幌から差す日を遮って、同じ茶色の尖った狼耳が、ぴょこぴょこ揺れた。

 床板のささくれが頬を刺すのも気にせず身を起こす。変に丸まったせいで、身体の節々が固まっていた。


「もうすぐ次の街に着くそうだ。予定の行程より3日早く進めているから、上手くいけば王都まではあと1週間だと。着いた後で良いから、帳簿の付け方を教えてくれとさっき親方が言っていた」


「了解。……すごい量だね」


 彼は右手に椀、左手に小ぶりな鍋を持っていた。まだ湯気の立っているそれにはおなじシチューが盛られているが、分けるためではない。椀が私の分、鍋は彼の分だ。


「お前のおかげで肉が手に入る、そうでなくとも3人分働くから5人前食えって渡された。美味いぞ。さっきの湖で獲った水鳥だ」


「食べれるのも凄いよね」


 さっきまでいた湖のほとりで、子供達に囲まれていたのはそれかと納得する。浮いてるやつに石をぶつけるだけだ、飛ぶ鳥を落とすよりずっと楽だぞと平然と話していたが、獣人の身体能力によって次々と仕留められる鳥と、なにより肉を食べれる機会に、皆盛り上がったことだろう。


 王都に行くと決めて、何日経っただろう。

 歩きや馬車、転移を使って少しずつ進んで、村を出るときに失敬した革袋の中身が心もとなくなってからは、目的地が同じ行商人の集団に、働くことを条件に同行を許してもらった。


 あんな村を離れれば、獣人へ向けられる感情は物珍しさが大半だ。彼には獣人ゆえの腕っぷしの強さがあったし、私は多少計算と魔法が出来る。素性の怪しさや身元が保証出来ないからと幾つかの行商には断られたけれど、人の良い親方に同行をゆるされて、その家族や仲間と進む道中はとても賑やかだった。


 獣人ゆえの怪力や並外れた動体視力から荷運びでも道中の小休止の狩りでも大活躍したクロルは食べっぷりも含めて可愛がられて、王都に着いてからの商品である筈の酒や菓子をちょくちょくもらうし、今日も大量に肉入りのシチューをよそわれたらしい。

 貴族の学園では平均以上でも以下でもない算術の腕も、学ぶ機会の少ない彼らにとっては重宝できるものだった。分からないと不評だった帳簿を整理して書式を揃えるだけで、とても感謝された。クロルも含めて、ずっとともにこの行商の一員として働かないかと、まじめな顔で誘われるほどに。



 王都に向かった、その後も。その先は。


「何を考えているんだ?歯の奥に肉のかけらが詰まった顔をしているぞ」


「その例え、どこで覚えたの」


「こないだの俺がそうだった。冷めるぞ」


 もう3分の1ほどシチューを腹に収めて、もうすぐ王都だからと大盤振る舞いのパンも豪快に尖った犬歯で嚙みちぎりながら、青年は私の膝元に置かれた分を、指で差す。


「……美味しいね」


「本当にな。最初の街についてから、大分肉がついた」


 それは君が?それとも私が?と聞き返しそうになってやめた。デリカシーとかを求めたってしょうがないし、2人とも太ったことは間違いない。当然だ。


 ―――あの3か月と最初の村に着くまでは、それくらい、過酷な生活だった。




 ∮




 地下牢に放りこまれて最初の1月は、熱に苦しんだ。初級の浄化魔法で最低限の身体の清潔は保てたけれど、溺れ、濡れて冷えたことで減った体力を、風邪は容赦なく奪っていった。

 何度川とか花畑とか門とか、洒落にならないものを夢に見たか。記憶すら曖昧になるような熱からどうにか生還したあとは、看守であり同じ囚われの彼の篭絡、あるいは攻略にいそしんだ。


 物語を愛している。人間の笑い話も、動物のお伽話も、それ以外の生き物の、不思議な話だって。動物の死骸と思って助けただけだ、仕事をするだけだからお前に用はない、と興味なさげな彼の、なけなしの反応とか揺れる尻尾とか耳からこんな話なら聞いてくれるかな、というのを観察しながら、だんだんと言葉を交わすようになった。


 とくに彼が食いついたのは、同族である獣人たちの話だ。

 外国との交易で多くの利益を得ていたアーデン伯爵領は、そのぶん外国の知識や、人間以外の種族と関わる機会も多い。彼の耳はオオカミのそれに見えたから、昔出会ったオオカミ獣人に教えられた話をした。

 飲み屋で何本も度数の高い酒を開けて、顔を真っ赤に出来上がっていたあの老獣人の言葉は、脚色も多く含まれていただろう。けれど外の世界を知らない彼に効果はてきめんで、1月ほどで、ぎっしり仕事を押し付けられたあと、唯一の自由時間である深夜に、地下を訪れるようになった。


 崖から落ちたあの日から、ちゃんと話せるまで2月が経っていた。クロルにこの村や地下牢のある屋敷の事を聞き出して計画と実行日を決めるまでには、転移魔法のための魔力が最大まで溜まる、3ヶ月が経っていた。


 窓がないから空は見えなかったけれど、逃亡には雨音のない、満月の夜を選んだ。

 クロルも誘う予定だった。死を待つばかりの村を出て広い世界を見ようと、君の望む世界に連れて行くと伝えるつもりだった。

 予想外だったのは彼も鍵を持ってきてくれていたことで、そうして2人の旅が始まった。




 ∮




 最初に隣村ではなく森に飛んだのは、転移魔法が満足に使える保証がないからだ。

 私の転移は転移魔法にしては使い勝手がいい方だけれど、知らない場所から知らない場所、しかも2人だと、着地点の座標が大きくずれる可能性がある。


 せめてともに飛ぶのが魔術師なら相手も慣れている分転移させやすかったが、獣人は魔法が使えない代わりに魔力耐性が高く、魔法が掛かりにくいらしい。

 無理に遠くに飛んで、クロルと別れ、行きたい街にも行けず、見知らぬ森にぽつんとのこされてしまったら?

 ―――使う転移の1度1度、とてつもなく緊張した。




 生きたかった。ここで死ぬわけにはいかなかった。

 だってまだ、彗星のように現れたすごく文章が好みの作家の、最新作を読んでいない。

 来週行きつけのパティスリーの新作が出る、と楽しみにしていたのはもう4ヶ月以上たって終わってしまっただろうけれど、来年にはまた売られるかもしれない。


 そうしてなによりも。私が死んだら、家族が、友人たちが泣く。

 戻らない限り、彼らはずっと悲しんで、苦しむことになる。10年でも20年でも、人によっては彼らの命が終わる今際の際まで、頭の片隅に私を置いてしまう。


 今も、きっと酷く苦しませている。大事にしていた、大事にしてくれた人たちを。

 戻らなければいけない。帰って、ちゃんと叱られないといけない。




 茸の見分け方は分からなかったけれど、毒茸を食べると命の危険があるとか、毒虫の恐ろしさは実家でよく教わっていた。夜は必ず火をつけてクロルと交代で眠ったし、分からない食べ物には口を付けなかったし、水は魔法で出したもののみ口にした。

 クロルがいるからか山の獣が寄ってくることはなかったし、彼は石礫を飛ぶ鳥に当てて仕留めるという離れ技を、当然のように披露してみせた。

 村長の家から塩も貰ってくれば良かったな、と後悔しながら、鳥とか名前が分かる植物を食べるのは、今までにない体験で、とんでもなく過酷だった。


 空を眺めることもできない地下牢での3ヶ月がなければ、心が折れていたかもしれない。クロルは外の世界に瞳を輝かせてばかりだったし、村での生活よりずっと快適だしうまいものが食えるな、と耳をぴょこぴょこして喜んでいたが。

 それでもこんな羽をむしって焼いただけの鳥で申し訳ない、と思いながら、毎晩のように揺れる炎を見ながら、彼の望むままに私の知る限りの話をしたり、文字を教えたりした。


 私一人だったら飢えて弱ったところを獣の餌だったし、彼だけだったら毒に当たってのたれ死んでいただろう。

 そうじゃなくても、孤独は人間を壊す。きっとどこかで、心折れていた。


 どうにかこうにか隣村について、宿屋で出たスープの美味しさに感動した。1泊だけして、村からさらに遠くに行ける、寄り合い馬車を探した。



 行き先は村から町になって、街になった。森ばかりだったのは草原になって、畑になった。

 そうして、もうすぐ、王都に着く。

 8歳から過ごした、彼のいる、あの場所に。


 瞳を閉じる。

 この感情はなんなのだろう。まだ未練でも残しているつもりなのか。


 思考を打ち切って匙を運ぶ。

 皮のついた野菜混じりのそれを、美味しいと素直に思う。あの地下で与えられた黴が生える寸前のパンよりも、ずっと。

 数ヶ月前はもっと美味しいものを毎日のように口にしていたはずだけど、遠い記憶の中の味は、もう思い出せない。



 王子様の婚約者だって出来たくらいだ、貴族の娘にしては適応力が高い自覚はあったけれど、絶え間なく揺れる荷台で眠ることも、馬の世話をすることも、地下牢や森に比べれば、大きな苦痛はなかった。


 ずっとともにこの行商で働かないか―――王都に着いた時、また同じ言葉が掛けられるのだろうか。

 彼らは優しいから、貴族の身分を捨ててともに世界中を回ったとしても、日常に一喜一憂しながら、まるで最初からそうであったかのように、生きていけるだろう。


 最初からなにも、無かったかのように。



「……なんてね」


「ん?なんか言ったか」


 なんでもないよと返す。彼の器はもう、ほとんど空になっていた。

 それでいいわけがない。行商人である彼らの目的地はアーデン伯爵領ではないし、クロルの望みは諸国漫遊ではなく狼獣人の故郷に向かい、同胞たちに出会うことだ。

 王都に着いたら親方たちとは別れて、同じように北東に向かう集団を探すか、王家とロザリーに情報が行くことなく家族と連絡を取れる手段を探すしかない。



 新しい王太子と美しい公爵令嬢の婚約を報じる新聞のすみっこに、アーデン伯爵家はタウン・ハウスを引き払った、と書いてあったのが悔やまれる。

 私が婚約者になったから王都に父も住んでいただけで、そうでないなら領地に戻るのが当然というのも分かるが、それでもあの家がまだあれば、転移するだけで大抵の問題は解決したのに。

 さすがに空き家に行くために残り少ない転移魔法の魔力を使うのも、新しい住人と鉢合わせるかも知れないのもごめんだ。


 喉をそらせて上を見る。

 青空を、雲が泳いでいる。今日は風が強い。

 もうすぐ、王都に着く。








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