幕間
世の中には美味いものがたらふくある。クロルが外に出て気づいた中でも、とても大事なことだ。
揚げて酸味のあるタレに漬けた魚や、骨が外れるほど柔らかくなるまで野菜と煮込んだでかい鶏肉。
小麦を捏ねて揚げて砂糖とはちみつを掛けた菓子は、頬張れば小麦の香ばしさと濃厚な甘さが口に広がる。
かつてを考えれば、到底考えられない暮らしと美味い飯だ。素晴らしい。
昨日も一昨日も美味いものを食ったし、今日訪れたこの店も、たいへん美味いものを出す店だった。肉を焼いて塩と胡椒だけの味付けも美味いし、香辛料をたくさん使った凝った料理も美味い。次々と空になる皿に周りの客はどよめきの声をあげたり、良いぞにいちゃんと囃し立てたりしていたが、気にせず骨つき肉に齧り付く。
向かいの席の奴は鹿をトマトで煮込んだやつ一皿で満腹らしく、あとは新聞を読みながら小皿に乗った焼き菓子をちまちまと食べている。
こんなに美味いものを食えているのもこいつのおかげなのだから、もっと食えば良いのに。そう思って手をつけていない皿を差し出したが、見ているだけで満腹だ、と首を振られた。
仕方がないので素晴らしい皿を味わうことに集中する。ちょうど4つめのバゲットの籠を空にした時、あいつが読み終わった新聞を机に置いて、でかでかと書かれた文字が目に入った。
この店に入る前に、確か銅貨2枚で買ったそれ。表紙を飾るのは、王都で1番騒がれているらしい、誰かのニュースだった。
「王子……結婚…………パレード?ロザリンデ、は人間の名前か?」
「うん。本当に覚えがいいね」
そうだろうそうだろう。村にいた頃は理解できなかった文字の羅列は、こいつに意味を教えられてから頭に入るようになった。
知識は力だよとこいつも言って、色々なことを教えてくれる。そろそろ子供向けの本でも買ってみようかと言っていたから、帰りには本を売る店に寄るかもしれない。
楽しみだから、ふさりと自分の茶色い、村を出てから大分毛艶の良くなった尻尾を揺らした。
俺の様子の何がおかしかったのか、こいつも髪を揺らして、軽く笑った。
∮
何もない村で育った。クロルと呼ばれていて、それが俺の名前だ。
名前の由来も、誰が名付けたのかも知らない。村に他の獣人はいなかったから、家族がいないのはわかるけれど、生みの親がどこにいるのかは知らない。
全力で走れば3刻ほどで一周できてしまう村と、鬱蒼とした、くろぐろと陰る森。ついこの間まで森を抜けた先には他の村とか街とか、もっと広い世界があることすら知らなかった。
村には何十も家があって、他の家の3倍ほどでかい村長の家の納屋が、俺の住処だった。この村では村長が一番偉くて、大昔俺を買ったのもそいつだ。
その日のパンを腹に収める為に、村では朝から晩まで仕事をしていた。朝起きて水を汲み、薪を割り、運べと言われれば物を運び、耕せと言われれば畑を耕した。村の人間よりずっと重いものが持てて、早く畑仕事が出来たから彼らの何倍も働いて、それでも仕事が遅いと怒鳴られることは多くあった。
生まれた時からそうだったから、働く事にも、される事にも文句はなかった。足元を知らなければ、不幸も知らなくて済む。
あの日川でこいつを拾うまで、ずっと、そうやって生きてきた。
何か月も前の事だ。こいつは川を流れていた。籠を編む蔦を集めるために森に入って、水辺でさぼろうと川に足をぶらつかせていた時に、ぷかぷかと流れてきたのがこいつだった。
服はべちゃべちゃに濡れて川の色に交じっていたから、最初獣の死骸が流れてきたのか、と思った。それならぜひ持って帰って村の人間に見せよう、色の悪い部分なら久しぶりに肉にありつけるかもしれない―――そう思って腿の辺りが浸かるまで近づいて、やっと人間だと気が付いた。
そいつの性別は、女のようだった。髪が長い。全身冷え切っていて、唇は白を通り越して紫だ。
思わず水から上げたけれど、これからどうしたものか。
面倒なことも、文句を言われるのも嫌いだ。置いて帰ろうか、まで考えたところで、指がぴくりと動いた。
い、生きている。なおの事どうしよう。そう思う間にも、そいつの瞼が開く。ぼんやりと空を見て、川を見て、濡れた自分の手のひらや服を見て、それからやっと、俺を見た。
「た……けほっ」
俺になにか言おうとして、そいつは見事にむせ込んだ。震えながら体を2つに折って、飲んだ水を吐き出したいのか、しばらくごほごほやっていた。
若い女に見えた。年は俺と同じくらいだろうか。青白い顔が赤くなるまでずっとそうして水を吐いて、荒い息が落ち着いてから、もういちど女は俺を見た。
「君が、助けてくれたの?……ありがとう」
「…………別に。浮かんでたのを拾っただけだ」
そんなことよりお前誰だ、なんなんだ。
「おい、こんなところに居やがったぞ!クロル手前この野郎、さぼってていいと思ってんのか!」
言葉をかけるより早く村長の声がしたから、面倒なことになったと舌を打つ。顔を真っ赤にして、ドスドスとハゲた髭面がこちらに来ている。
しまった、サボり過ぎたか。
「その籠6つ分集めてくるまで帰ってくんなって言っただろ、そんなペースで間に合うと思ってんのか?今晩はメシ抜きだ。あとてめえはなんだ!?」
「彼は……どうして獣人が、こんなところにいるの?」
「あぁ?!お前には関係ねぇだろ、……ここまで旅したがもう手持ちがねえ、路銀を稼ぎたいってんで、働かせてやってんだよ!」
「は?最初に金で買ったんだからお前に払うもんはない、飯をくれてやるだけありがたく思えって、いつも言ってるだろ」
クロル手前!と怒鳴られるが、どうしてそんなにでかい声を出すのか。お前の値段は銀貨何枚だったとか、今日のお前の働きは銅貨以下だとか、3日に1度は言うくせに。
眼を見開いた女が、言葉を漏らした。
「……獣人の売買は、違法のはずだけれど」
村長の顔色が変わる。でかい声が聞こえたからか、副村長とかも集まってくる。
そうして俺が引き上げたばかりのそいつは、閉じ込められることになった。
俺も何度も入れられた、窓がなくて土と黴臭い村長の家の地下牢にそいつは放りこまれた。何枚かの扉や階段の向こうでは、村長やその妻やその身内が、こいつをどうするかで怒鳴りあっている。
もう一回川に捨てて、いやそんなことをしてあの女の言っていた魔法が発動したら、ああ本当にあいつは面倒なものを拾ってきやがった!どうすんのよあいつのことが国にばれたら―――
堂々巡りの話は、つまりこいつが邪魔で、どうにかしたくて、どうしようもないらしい。階段につながる扉にもたれかかりながら、どんどんでかくなる声を聴く。こんなにでかい声なのに、女は耳を澄ませようともしない。どうやら、人間の耳ではまだ聞き取れないらしい。
どうしたものか、面倒なことになった。まあどうでもいいか、と思いながら、とんでもなく顔色の悪いそいつに背を向けて、地下を出た。
∮
あんな濡れていたのだから当然かもしれないが、あいつは熱を出したらしく、暫くはぜえぜえと呼吸と、ベッドの上でわずかに身動きしかできなくなった。
死ぬかと思ったけれど荒い呼吸は続いていたから、それを村長の妻に報告した。そうしたら日に1度か2度食事を渡されたから、檻の外、手を伸ばせば届く机に置いた。
どうやらこいつは、飯は与えられるらしい。
1月経って、多分奇跡的に、こいつは回復した。ものを話せるようになった。
そうして、俺に話しかけるようになった。
こいつは王都、その前はある伯爵領にいたのだとか、この村はアウディスクという国にある村であるとか、俺は狼の獣人なのだ、とか。この国では殆ど獣人はいないとか、そんな話を。
法律とやらも聞いた。この国の初代の王は人間だけの国を作りたかったから獣人も魔族も馴染みがないのだとか、それでもアウディスクにある村の1つである限り、人族も獣人も同じ権利を有しているから、俺を買うことも引き取っておきながら学ばせないことも本人の意思に反して働かせることも、十分な報酬を与えないことも違法なのだとか。
面白かったのは、同族である獣人たちの話だった。
蒼穹の下仲間と暮らす彼らは、狩りをし平原を駆け、常に1番強い者が村の長となる。
魔法も武器も使うことはなく、けれど魔法も武器も彼らには勝てはしない。
獣人最強の種族。他種族を襲うことはないが、同胞を傷つけられたなら話は別だ。
魔法も刃物も遅ければ、届かなければ意味はない。狼を怒らせたなら、待つべきものは死しかない。
こいつの故郷はアウディスクでは珍しく外国と多く取引を行っていて、獣人と関わる機会も多かったらしい。生き生きと語る、青空と草原の物語。ひかりの中、悠々と駆ける狼たち。俺も、そうなのだとしたら。
楽しかった。知らないことを知るのは、多分、今までの人生で1番。だから村長達について聞かれたらどんな奴らなのか答えたし、こいつが檻から逃げようとしていると気がついたときも、村長達には言わなかった。
あいつが元気になっても、村の奴らは地下牢に降りるそぶりすら見せなかった。
卵を産まなくなった鶏の屠殺すらびびるから、あいつが殴られたりもう一度川に放りこまれたり、は対して警戒していなかった。けれどずっと食事を与えられているのも、意外だった。
「ちょっと事情があってね。閉じ込められる前、私が死ねば、国に連絡がいくようになっているから―――そういう魔法が掛かっているって、そう言ったから」
その薄い笑みに、初めてああこいつはこの村を出たいのだ、と気が付いたのだ。
こいつについて全然知らない。人間に興味があるかと言われれば、多分ない。それでも、こいつは良いやつだし、ここで生きるべきやつじゃない。戻りたいなら戻るべきだ。
逃がそう。そう鍵を牢に持って行ったのは、こいつを拾って丁度、3か月経ったころだった。そうしてこの日が、俺も含めた脱走計画の実行日になった。
こいつは、魔術師だったのだ。
「うわ飛ばしづら……獣人だから?魔力回路がどうのって昔ロザリーが言ってたなあ、そういえば」
「……?!…………?!?!なんだこれ?!なんで村長の部屋にいるんだ?!?!」
「はは、いい反応。魔法は初めて?」
「魔法……牢にいた時、時々明るかったのも魔法か?」
「そうそう。あれよりだいぶ複雑だけどね」
鍵束を渡した時、わずかに指先が触れたまま、あいつは俺に、外の世界に興味があるか聞いてきた。頷けば、足元がしろい光を放って、気がつけばそこは薄暗い地下ではなかった。
なら君も逃げちゃおう。こいつは平然と、そう言った。
なるべく静かにね。上の階が寝室なんでしょう?迷惑料だ、いろいろ拝借していこう。そうしてにやりと笑って、堂々と、机を漁り始めた。
そのまま村長の部屋から貴重なポーションをごっそりと、地図と方位磁石と、丈夫な服と保存のきく食料と銀貨や銅貨の詰まった革袋と、その他いろいろなものを貰って、村を囲む森に転移した。
そうして俺とこいつの旅が始まった。
こいつは王都に行きたいらしい。
そこに親の家があって、親に頼れば俺も狼獣人の故郷に行けるとかなんとか。転移とかいう便利な魔法があるのだからぱぱっと行けるのかと思ったけれど、移動距離とか消費魔力とか、面倒なことがあるのも聞いた。
獣人はものすごく転移させづらいとか知らない場所は飛びにくいとか、色々聞いたけれどよく分からん。
それでも野宿とかもしながら、地図片手にいくつも森を越えた。
捕まえた鳥を全部食っていいことに感動した。怒鳴られないのもむかつかないから良かった。俺が狼獣人だからか野生の獣に襲われることはなかったし、危ない虫とか食べてはいけない茸とか、あいつはそういうのに詳しかった。
行きたい村が高い崖の下にあるとかで、回り道するかと思ったら、転移で楽に移動できたのも便利だった。
「ちなみに普通に飛び降りても案外どうにかなるよ」
「死ぬだろ」
「地面とか水面に落ちる寸前に、ほんのちょっと転移を使うんだよ。詳しい理屈は分からないけど、転移すると直前に掛かっていた重力とかもなくなるの。100m落ちても、地面に着く10㎝手前で転移すれば地面にぶつかっても10㎝分の衝撃しかない、みたいな。魔力が殆どないときにおすすめ」
「危ない奴だな」
ギリギリすぎる生き方だ。ほんとにね、とそいつは苦笑した。
∮
3つ目の村ではじめて見た商店で、あいつは銅貨2枚で、新聞を買っていた。
受け取るとき、あいつの指は震えていた。ありがとうと新聞売りには言ったけど、新聞の1枚目から、目を離さないままだった。
俺は文字が読めない。宿屋に戻って、ベッドにうずくまって読み終わったあいつが瞳を閉じていても、何を書いてあるのか分からないから、その理由が分からなかった。
「それ、何が書いてあるんだ?」
「……おめでたいニュースだよ。悪いことをした人間が捕まって、頑張った女の子と新しい王子様が婚約したっていう。そっか、もう3ヶ月も経っているのか」
早いなあ、あっという間だ。呟くそいつは、なんというか、初めて見るような顔をしていた。
なんだか、違う話をした方がいい気がする。
「なあ、人間って、いい奴もいるのか?」
曇り空みたいな目が、見開かれた。
あの村じゃない村にたどり着いた時から、ずっと知りたかったことだった。
「この村を含めて、3つの村を通っただろ?俺が獣人って知られれば石でも投げられるかと思っていたけど、そんなことはなかった。珍しそうに見られたけれど、金を払えば飯も宿も、普通の人間と変わらず出された。お前がいないときでも。
……俺が嫌われているのは、獣人だからだと思っていた。あいつらは人間で、俺は獣人で、違うから怒鳴られるし、飯も少ないんだと思っていた。でもお前も、今いる村のやつも、前の村も前の前の村も、俺をじろじろ見る奴はいても、睨みつける奴はいない。獣人って嫌われるんじゃないのか?そうじゃないならあの村のやつらは全員、ずっとただ、俺を嫌っていたのか?」
愛されていない。嫌われている。そんなことはどうでもいい。腹にたまらないものを欲しがるなんて馬鹿らしい。けれど、俺が俺だからずっとそうだったのだとしたら、それなりに生きた自分の人生とかそういうのが、空っぽになったような気分だった。
そいつは目を閉じた。しばらく考えて、顔を伏せたまま、答えた。
「……1つ言えるのは、彼らが君にしたことは、絶対に悪いことだった。君を傷つける権利を、この世の誰も持っていないよ。多分、彼らはどうしようもなく無知だった。だからと言って、決して許される事じゃないけどね」
「よくわからん」
そうだね、とやっとあいつは顔を上げた。
「ぐちゃぐちゃなんだよ、人間って」
∮
こいつは村や町に着くたびに、新聞を買っていた。払う銅貨の数は変わらないのに、国の真ん中に近づくほど新聞は枚数が増えて、1枚目には絵とかも載るようになった。よく見るのは無表情の男と目がでかい長い髪の女で、この国の王子と、そのコンヤクシャらしい。顔が良いから俺でも美化していると分かる絵なのに、実物はもっと格好いいし可愛いよ、とあいつは言う。
村で閉じ込められたとき、こいつが村長達に、自分が死ねば居所が分かる魔法が掛かっている、と言ったのは嘘だったらしい。そうしないと川に放り込まれるでしょ、と言われたのは、7つ目の町に着いた時だった。
こいつの親が王都の屋敷を引き払った、という記事が新聞に載っていたから目的地が変わったり、いくつもでかい問題は起こったけれど、村は町になって、徒歩は乗合馬車になった。
びっくりすることばかりだけれど、文字の勉強をしたり美味いものを食ったり、こうして新聞を読めている。目的地の伯爵領は王都を越えた先に在るけれど、きっとたどり着けるだろう。
あえて疑問を言うならば。
「やっぱり親に、手紙とやらを出すのは駄目なのか?さっきも郵便局とやらがあっただろう。それで迎えを呼ぶんじゃだめなのか」
「それが多分一番早いんだけど、エヴァンズ公爵に気付かれそうだからなあ……。こんなのでも前の婚約者だから、私が生きてるって分かったらロザリーに迷惑が掛かるから」
あの人は本当にすごいから。せめて2人が結婚するまでは、音沙汰なくいたいなあ。
「コンヤクシャ?なんだそれ」
「こっちの話。……昔のことだよ」
また変な顔をする。新聞を読むとき、飯屋とかで周りのやつが新しい王太子の話をするとき。いつもこいつは、こんな顔をする。
だから俺も、ちゃんと調べた。この国の王太子は昔は王様になる予定はなくて、けれど国がごたごたしたから、弟に代わって王太子になったらしい。
そのごたごたを解決したのが新聞でよく見るもう一人で、この国でも指折りの偉い女。今までは冴えない成績だった王太子もこの女が婚約者になってからはめきめきと優秀さを示すようになって、悪いことをしていた正妃の邪魔をともに乗り越えた、お似合いの2人としてたくさん褒められている。
目が覚めるような美男美女、とだれもが言う。確かに俺よりもこいつよりも、すれ違う無数の誰よりもこの絵姿は美しい。
ぴんと来た。
こいつの親は国の端っこの方だけれど領地があると言っていたから、その娘のこいつも貴族というやつなのだろう。多分。
こいつはこの2人を見るとき変な顔をする。そうして貴族は、普通の国民より王様と距離が近い。ということはつまり。
「お前、そいつらのファン、ってやつなのか?」
最近知った単語だ。本とか演劇の役者とか、物でも人でも何かがすごく好きなことを、ファンというらしい。ぼんやりしていた目が開かれる。そうして吹き出すように、こいつは笑った。
「そうだね。大好きな2人だよ」
なるほどやっぱり。ならいい情報がある、と目の前の新聞に指をさす。
「だろうな。ならここを見ろ。王太子のお披露目のパレードがあるって書いてある。王都って伯爵領にいく途中にあるんだろ?寄ってもいいぞ」
ファン、は好きなものを手に入れたり、好きな人に会えると嬉しいらしい。昨日の飯屋で、隣の席の女2人がそんなことを言っていた。ならこいつも、その王太子に会えるなら嬉しい。完璧な計画だ。
「それは……多分、よくない、かな」
「どうしてだ?好きなんだろう」
普段世話になっているからな、恩返しってやつだ。多分喜ぶ。―――そう思ったのに、浮かべていた笑顔は消えた。日程とかの都合だろうか。
「そっちは問題ないよ。……好きだから、かなあ。私が彼を好きなうちは、顔を見せるべきじゃない」
「分からん、はっきり言え」
感謝はしているが、遠回しな言い方をするのは困りものだ。癖みたいなものなんだろうが、伝わらないからしっかりしてほしい。
「…………それが、出来なかったからかなあ。ずっと一緒だったから甘えてた。言葉なんてなくても、伝わっていると思ってた」
なるほど全然分からん。ファンって複雑だ。楽しいだけのものじゃないらしい。
まあ、俺の知った事じゃないが。いつまでも辛気臭い顔をするのは良くない。
「行くぞ、シーリア。お前、自分が新聞を読んだり王太子の話を聞くとき、どんな顔をしているのか分かっているのか?そんな心配になるような心配そうな顔するくらいなら、会った方がいいだろ」
こんな迷子みたいな顔しているのに、自覚がないのだろうか。まったく困ったやつだ。
彼女は俯いた。瞳を閉じて、同じ色の髪が揺れる。暫く考えて、灰色を開いた。
「そうだね、……行こうか。ロザリーと彼はもう結ばれた。遠くから彼の幸せそうに笑っている顔を見て、もう大丈夫って安心して、そうしたら私もやっと、終わりにできる気がする」
何の話だかさっぱりだ。でもまあ、王都に寄る気にはなったらしい。
食事は全てたいらげた。金も払った。
行こう。世界は広くて、俺はそれを、もっと知りたい。
シーリアが、ノブに手を掛ける。
外は明るい。何をするにもいい日になるに違いない。
ぎいと音を立てて、扉が開いた。