卒業
鳥のような恋だった。
ずっと、自分の居場所を作りたかった。
母の顔は知らない。誰かに頭を撫でられたこともない。好奇と憐れみと軽蔑の目を向けられる城で唯一安らげるのは本を読むときだけで、誰も来ない希少本の管理庫にいる時だけだった。
同じものを好きといった少女を、唯一大切な場所に連れ込んだ。
気に入るところに気に入りそうなものを足せば、もっと良くなると思ったからだ。
彼女は本が好きで、穏やかで、いつもヴェルシオに優しかった。都合の良いときに隣に置きたいが常に傍にいたいになるのはあっという間で、唯一人に向けることが出来た、色の付いた感情を、恋と呼んだ。
どこまでも自分のためで、自分本位な恋だった。奇跡のように彼女がやさしいから、そうして初めて与えられたものだったから、どれだけ大事なのかも、どうやって大切にすればいいのかも分からなかった。分かろうともしなかった。知らなくても、ずっと在るものだと思っていた。
与えられるものを享受してばかりで、優しさが他者にも向けられることに憤りを覚えた。押し付けるばかりで、何を望んでいるのかも、碌に聞かなかった。
もう並び順で喧嘩することはないから、本を棚の好きな位置における。誰かと待ち合わせもしないし、人ごみに煩わされることもない。雑な脚本の劇を見ることはないし、舌を火傷するほど熱い食べ物を、口に入れることもない。
パウンドケーキのドライフルーツの多い一切れを押し付けあって喧嘩する事もないし、生きたいと思う事もない。
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学園の図書室、その1角はひどい有様だった。
かつては規則正しく並べられていた本は床に撒き散らかされて、足跡の残るものもある。長く人が訪れず、掃除もされていないせいで、ソファにはうっすらと埃が積もっていた。
学園を卒業したばかりの俺は、それをただ見下ろしている。
本当だったら、と考えかけて唇を噛んだ。それはもう、俺には許されていないことだ。同じく卒業した彼女が隣にいるなどと、夢に見ることすら許されていない。
此処を訪れるのは、最後になるだろう。
答辞は何を話したか、もう覚えていない。
チチ、と鳴き声がした。窓の外、橙の差し色が入った羽が動く。見上げれば1羽の小鳥が、かつて見たように巣の周りを跳ねていた。
チチチチチ、チチチチチ。外敵も恐れずに藍色の羽を揺らして、必死に何かを呼ぶように。そういえばあの鳥は、番がいたのではなかったか。そうだ、あんなに痩せぎすではなかったし、茶色く地味な羽の、1回り小柄な鳥が、いつも隣にいたはずだ。
いつか彼女の故郷に行ったとき、この鳥の名を教えられた。
雄が色鮮やかな羽をもち、雌は木々や地面に紛れやすい茶色をしている。
雄は目立つ色あいや小枝などのプレゼントで意中の雌に気に入られようと努力して、巣を用意する。そうして番を手に入れて、跳ねまわって浮かれていた筈なのに。
外敵にでも襲われたのか、愛想をつかされたのか。黒い眼から、伺うすべはない。
チチチチチ、チチチヂチ。
鳥の喉は、枯れるのか。けれどきっと、枯れたってなき続けるのだろう。番が見つかるその日まで、求愛のように、餌や小枝を、探し続けながら。
滑稽だった。
そうして俺は、もっと、ずっと愚かだ。
言葉が無くても伝わっていると思っていた。
特別に酔いしれて、唯一を疑わなかった。
その対価が、これから座る、冷たい玉座だ。
俺が王太子であり、王になる限り。
「…………シーリア」
俺の、可愛い婚約者。
もう何1つ価値はない。彼女の元に行きたい。自死は許されない。ロザリンデの憎悪に塗れた目を思えば、都合よく俺を殺してくれる誰かも存在しない。
だから早く、王にならなければならない。この国で1番の権力を手に入れ、その立場でもって、この位を他の王位継承権を持つものに、渡さなければならない。
誰でもいい。王弟でもその息子でも遠縁でも、善人でも悪人でもどうでもいい。1日でも1秒でも早く王太子でも王でもなくなって、彼女を追うのだ。
その先に彼女が居なかったとしても、死の向こうにあるのがどれだけの苦痛でも地獄でも。
俺の婚約者を殺したヴェルシオ・ステファノを、俺は生涯許さない。
シーリア。俺の、可愛い唯一。
もうすぐ、会いにいく。
ここまで前置き( ✌︎'ω')✌︎