滑稽
国王とエヴァンズ公爵家が手を組んだ、他国まで根回しされた茶番だった。
それを聞かされたのは、オーランドのものだった王太子の部屋を与えられた、次の日のことだった。
今代のラフィンツェ公爵家当主は野心あふれる人物で、20年も昔、国を手中に収めようと、権力に物を言わせて組まれたのが、娘であるレオドーラ・ラフィンツェと国王の婚姻だった。
政略ゆえの愛のない結婚で、けれど無事にオーランドが生まれた。レオドーラは国母、ラフィンツェ当主は国王の祖父になるはずだったのに、2人は欲を出した。
1年と少し前、権力拡大のため外国に嫁に出したレオドーラの姪が、女児を生んだのだ。
その赤子はレオドーラと同じ瞳の色をしていて、面立ちも赤子のころのレオドーラによく似ていたらしい。
同じ血筋の、自分によく似たこの子供を息子の妻にしたい。それは愛が生まれなかった自分と国王の代わりだったのか、次の王妃を幼子にする事で自身の王妃の座を長いものにしたかったのか、単純に息子への愛情、あるいは執着だったのか。
オーランドとロザリンデを引き離すために、王家の魅了耐性や従来の魅了魔法の探知を潜り抜けられるハーピーと人族のハーフの少女を用意し、邪魔が入らないように、学園の人間やマーヤの戸籍を管理する部署を買収した。
計画通り学園中を巻き込んでオーランドとロザリンデは仲違いを起こし、ロザリンデは暴力沙汰すら起こした。この事実があれば、エヴァンズの有責で婚約破棄する事すら可能だろう。気に食わないエヴァンズを没落させることだってできるはずだ。
あと1歩だったのだ。あと少しで、ラフィンツェ公爵家の更なる栄華の道が始まる。
素晴らしい未来を信じていた彼らは、だからロザリンデの怒りに気が付かなかった。
彼女だけではない。大きな野望に焦がれて、欲に目がくらんで、足元を見なかった。ラフィンツェの野望のために息子を魅了で使い物にならなくされて憤る家があることを、娘の婚約を反古にされて激高する家があることを、考えなかったのだ。
ラフィンツェが思うよりずっとロザリンデは優秀で、この国を想っていた。マーヤの正体や正妃の野望に、気が付いていた。
そうしてエヴァンズは、ほとんどラフィンツェの傀儡となっていた国王と、息子を魅了された家と、ロザリンデを追従する娘達の家、すべてに手を回していた。
ロザリンデがオーランドの頬を打って軽い処罰で済んだのは、そのころにはすでに国王の協力を取り付けていたからだ。ラフィンツェとレオドーラの言いなりになっていた国王は、ずっと実権を取り戻す機会を伺っていた。
国一番の商家も、騎士団の長も、教会も、みな王に付いた。
そうして翌朝国中に配られる新聞の内容まで決められたうえで、あの断罪劇は行われたのだ。
マーヤは城の地下牢に拘束されて、いまは魅了の解析を受けている。
魅了の解除についても研究が始まった。いまはマーヤを助け出そうとしないように軟禁・監視されている学園の男たちは、マーヤと離れ、声を聴かない環境にいる。
魅了魔法やハーピーなどの魔族に詳しい人間も次々と国外から集められて、完璧に魅了が解けるように、多くの者が尽力している。それらすべて、ロザリンデが用意したことだ。
圧倒的に不利な状況から、彼女は自分以上の家と正妃相手に、打ち勝って見せたのだ。
「……と、いうのが、ここまでの全てになります。何か質問はありますかな?」
「失せろ」
そうですか、それではまた。黒い服の男を追い出した後、1人の部屋で、ベッドに沈み込む。
どこかで聞いた話だな、あなたには関係のないことと言っていたくせに、やはり俺に関係があるじゃないか、とぼんやりと考えた。
俺の婚約者は嘘こそつかないけれど、ときどき適当なことを言う。
王太子の部屋のベッドはヴェルシオのそれよりずっと質が良くて、逆に眠れないほどだった。
最近は特に図書室のソファで眠っていたから、沈み込む感覚が慣れない。
文句を言ってやりたい。そうして悪いとまったく思っていなさそうな軽い謝罪を受けて、そのことにも文句を言いたかった。
「……シーリア」
腕で顔を隠して、いまはいない彼女に思いをはせる。
もうずいぶんと、顔を見ていない気がする。マーヤとラフィンツェ公爵家はいなくなって、もう学園でおかしな騒動が起こることも、正妃に嫌がらせされることもない。
そうだ、ドレスを贈ろう。いい1着を見つけたんだ。
薄青の、柔らかいドレープの、裾の広がったドレスを。
次の舞踏会はいつだっただろうか。そんなものがなくとも、着ているところを見せてほしい。
諸悪の根源はいなくなって、もうお前を傷つけるものはない。だからどうか、
どうか。
∮
「お久しぶりです。お元気そうで安心しました……と言いたいところですが、眠れていないご様子。いけませんなあ、あなたがそんな姿では民は不満がり、外国には付け込まれます。未来の国王になるのですから、相応しい態度を示していただきませんと」
そんな風ではオーランド様以下と思われてしまいますよ、と嘯くエヴァンズ公爵家当主は、死神のような男だった。
昨日追い出したのにまた王太子の部屋を訪れた男は、今日も喪服にも似た黒い装いを纏っていた。ロザリンデとは似ても似つかない、闇から抜け出したような漆黒の髪と瞳。整った顔立ちすら、気味の悪さを感じさせる。
「……未来の、国王?」
「ええ。陛下とお約束しましてな。ラフィンツェを蹴落とすために手をお貸し頂く、代わりにあなたが王になるために、協力は惜しまない、と。もうこの部屋が、あなたの部屋です。あなたの書斎も用意させていただいたので、これからはそこで書類に目を通し、判を捺し、必要な時に民の前に出て頂きます。昨日オーランド元王子の廃籍がなされましたから、王位継承権2位のあなたが名実ともに、王太子となります」
おめでとうございます、と全く祝っていない仕草で、男は唇を吊り上げる。
つうと上がったそれは、なるほど断罪劇の夜のロザリンデの表情と、よく似ていた。
「……傀儡を動かす主が、ラフィンツェからエヴァンズに変わっただけか」
「この忠義の一族に、なんという言い草。傷付きましたぞ。我が家はなによりもこの国の幸福と繁栄を願い、可愛い娘のためあなたに良き王になってほしいと、当然のことを申しているだけなのに」
「娘?」
ほんの少しも傷ついていない顔だった。
エヴァンズ公爵には、2人の息子と、1人の娘がいるはずだった。娘と指すのは、たった1人。
「―――相変わらずの間抜けづらね、このろくでなしの無能王子」
刺々しい声だった。敵意を隠そうともしない。
燃えるような赤髪に、同じ色の瞳。宝石のようなそれに敵意と嫌悪を隠すことなく、今この国で1番注目を集める女の姿が、そこにあった。
「はは、次期国王に対する口調ではないな。勧めはしないが、彼は君の夫になりえる人間だろう?」
「は?」
夫?この女と結婚?確かにこいつは王太子の婚約者で、オーランドを追い落としたことで、その隣は空席になった。
けれどどんな悪夢なら、そんなおぞましい未来を思い描けるのか。
「おや、ご不満ですか?あなたが王になるうえで、課題となるのは後ろ盾がないことです。あんなことがあったのですから、どうしたってこの国の後継は、今後注目されるでしょう。陛下の望む完璧な王位継承のためにはあなたとわが娘が婚姻を結び、エヴァンズが後ろ盾になるのが最善と、そんなことも分からないのですか?」
お前こそ、なにを訳の分からないことをのたまうのか。了承していない玉座を押し付けられて、挙句伴侶がこの女とは、本気で喜ぶと思っているのか。
ロザリンデも拒否するに決まっている、と視線を向けた先にあったのは、純度の高い敵意だった。
「わたしは別に構わないわよ?どうしても国に王妃が必要だとしても、あなたの妻になる誰かがかわいそうだもの。不幸になると決まっているのだから、あなたを憎むわたしが仮面夫婦になる方が、ずっといいわ」
もう恋は嫌気がさしたもの、と首をふる仕草。ロザリンデが良くても、俺はほんの少しも良くない。
脳裏でまた、灰色の髪が揺れる。
「俺にはシーリアが……婚約者がいる。だから、お前と結婚することはできない」
「はぁ?……あなたまさか、本気で言っているの?」
酷く、冷めた瞳だった。唇は、歪に弧を描いていた。
けれど嫌悪と軽蔑の中に、数日前と同じ、殺意に似た激情があった。
「あの人を探そうともしなかったのに、いまさら?望まない玉座を押し付けられそうになって、都合が悪くなったらあの人にすがるの?現実すら認識できないくせに、あの人を婚約者なんて呼ばないで!」
ロザリンデに何が分かるのだろう。現実とはなんだ。だってシーリアはずっとヴェルシオの婚約者で、ただひとり大切だった人間で、ならばなぜ、ここにいない?
もう何か月、顔を見ていないのだろう。
「あいつは、いま、どこにいるんだ?」
「…………ふふ。あなた本当に、そこまで狂っていたの。知らないわ、自分で探せば?」
返ってきたのは、嘲笑だった。怖気だつほどうつくしく、鮮烈な。
「玉座やわたしとの結婚を喜ぶようなら殺してやろうと思ったけど、やめたわ。あなたが何をしようと殺してなんてやらない。お姉さまのそばに、いかせてなんてやらない。真実に気付いてもずっと、あの人の居ない世界で生きればいい。
……あの日あの人を一人で行かせてしまったことを、何千何万回、毎日毎秒後悔しているわ。ああなるより早く、マーヤを殺しておけば良かったって。もう、何をしたって、あの人は戻ってこないのにね」
その瞳が、初めて揺れる。人形めいた容貌が崩れる。
泣き出す寸前の子供のようだと、なぜか思った。
―――国に向けるとも、わたし自身に向けるのとも違う愛で、お姉さまのことが本当に好きだった。周囲がわたしの優秀さや成果を称賛する中で、あの人はわたしの努力を褒めてくれた。それがどれだけ嬉しかったか分かる?もしわたしにお姉さまがいらっしゃったら、お母様が生きてらっしゃたらこんなふうに頭を撫ででくれたのかしらって、そう思っていたの。
透明な魂だった。怒りで、悲しみで、喚き叫ぶような後悔で、恐ろしいほどの殺意だった。
それら全てを人のかたちに捻じ伏せて、女は、瞳を細めた。
ヴェルシオ殿下、あなたが王太子になることを、心の底から祝福します。
そうして夢が覚めたあなたが、どんな顔をするかも、楽しみにしているわ。
∮
ずっと母を愛していたのだと、国王は言った。
政略で妻を押しつけられ、ラフィンツェの思い通りに動く中で、舞踏会で出会った彼女との恋だけが、重い王冠を支えた。正妃の嫌がらせから共に過ごせる時間は多くなかったけれど、それでも子が生まれた時は心から嬉しく、跡継ぎはヴェルシオにしようと誓ったという。
「長く不遇を強いたが、お前のことも、ずっと愛していた。……カメリアと同じ、美しい髪だ」
初めて父である男に頭を撫でられて、けれどなにも浮かばなかった。
ヴェルシオは母ではない。彼女がなくなったのは物心つくまえで、顔も覚えていないのだから、男が懐かしむ記憶の共有者にもなれない。
ただ、もう失われた愛に焦がれて、残滓に縋りつく男の姿が、いやに滑稽だった。