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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
扉はまだ開かない
23/61

距離

 





 ヴェルシオが無事で良かったわ、とマーヤは言った。

 襲撃の1時間後には馬車の異変を察知した公爵家の人間が崖道に向かったけれど、壊れる寸前の馬車しか残っていなかったという。

 あの日から1週間、結局襲撃者たちは捕まらなかったし、婚約者の行方不明に対して、国や学園からヴェルシオがなにかを聞かれることも無かった。

 王家の人間の婚約者がいなくなったのに、権力が働いているかのように、国は沈黙を守っている。圧力でも掛かっているのか、新聞の記事にシーリアの名前が載ることも、大掛かりに捜索の手が伸びることもない。


 遅々として進まない彼女の捜索を、代わりに行なったのはエヴァンズ公爵家だった。ヴェルシオも彼女を探そうとしたけれど、正妃に嫌われ、使えるものを増やす努力すらしなかったお飾りの第2王子に出来ることなどたかが知れている。何度か崖道を訪れて、すでに公爵家が調べつくした場所を後追いして。その虚しさを悟って、けれどほかの方法は、1つだって思い浮かばなかった。


 そういえば、ロザリンデの姿も、ずっとみていない。




   ∮




 あの日から、どれだけ経っているのだろうか。雨が降っていた。敷き詰められた煉瓦の床が、泥色の雨水で重い靴をさらに汚す。


 どうしてあの日自分は泣いたのだろうと、最近はよく考える。

 昔から泣かない子供だった。強がりではなく、涙腺が死んでいるかのように、感情を動かされることは殆どない、哀れで、つまらないいきものだった。

 それなのに一体なにが、そんなに悲しかったのか、それとも悔しかったのか。わからない。馬車の中、2人で大切なことを話していた気がする。けれどその輪郭すら、よく思い出せなかった。



 世界は回る。陽は沈む。誰かが泣いて、誰かは笑う。そのすべて、水の膜が張られているようだった。

 淡々と用意された食事を咀嚼し、掛けられた言葉に返答し、時計の針に合わせて目を閉じる。

 彼女が居なくても、世界は回っている。


 それをおかしなことと思うのは、それこそおかしなことだった。

 だって、シーリア・アーデンについて、ヴェルシオはなにも知らない。どうでもいい人間がいなくなったって、どうでもいいはずだ。

 あの日の涙の理由だって、分からないのに。




   ∮




 エヴァンズ公爵家の掌中の珠にして、アウディスクの誇る赤薔薇。1000年に1人の天才ともてはやされる、完全無欠の完璧令嬢。

 国に数台しかない魔導馬車を貸したことから分かるように、ロザリンデ・エヴァンズは彼女と親しくしていたらしい。最近ようやく見かけるようになった赤髪はいつも切羽詰まった表情で、公爵家の人間や街の警備隊と、頻繁にやりとりしているようだった。


 それを邪魔する女子生徒は、誰一人としていなかった。邪魔どころか騒ぐものも、ヴェルシオを問い詰めるものもいない。


 だれもが沈痛な、世界が終わる前日のような顔をしていた。

 沈黙の中で、選ぶ言葉を失ったような空白。

 あの日から彼女たちは、張り詰めた糸のような静寂の中にいる。

 ほんのなにかで決壊しそうな薄氷のうえで、決定的ななにかに耐えている。


 ヴェルシオはなにもしなかった。

 なにもする必要はないはずで、女どもがどうなろうとどうでも良い。


 けれど、彼女は見つかればいいと思った。

 どうしてそう思うのかも、なにを話していたかも覚えていないけれど、彼女とまた、言葉を交わしたかった。




 決別は、呆気なかった。


 リュシアン―――国1番の商家の長男が、マーヤや仲間たちを後ろに婚約者に婚約破棄を告げて、その場にロザリンデをはじめとする、高位貴族の娘達が相対したのは、あの日から1月ほどたった時だった。


 国を動かす立場の人間たちが睨みあう中で、最初に口火を切ったのはリュシアンだった。

 婚約者を家柄だけと罵り、多くの生徒がいる中で態度を非難し、こんな女と添い遂げることはできない、と食堂のテーブルを殴る。

 その言葉に憤ったのは、友人らしい、これまた高位貴族の令嬢だった。


 多分、限界だったのだ。

 感情を素直に表に出すなと言い聞かせられた彼女たちは、けれど蔑む言葉に、感情を噴出させた。


「……態度がなってない、ですって?貴族どころか人間としての礼儀もわきまえない相手に、払う敬意なんてないわ。私の親友があなたのような屑と結婚しなくて済んで、心の底から安心してる。リリアンナだって、あなたと結婚なんて嫌に決まっているじゃない!」


 1度言葉が放たれれば、あとは枷が外れたようだった。

 予想外だったのだろう。彼女達から湧き出した怒りにこんな筈では、という顔をした男達は、けれどさらに、侮辱を吐いた。


 そこからは見るに醜い、罵倒の応酬だった。

 貶して、蔑んで、言葉を掬いあげる誰かを失ったかのように、醜い感情ばかり撒き散らして。



 それをヴェルシオは、淡々と眺めていた。

 どうでも良かった。弟が、その言葉を放つまでは。


「ロザリンデ、君がそんなに物分かりが悪いと思わなかった!あの女が―――シーリアが死んで、やっとせいせいしたのに!」


  野次馬の生徒達が男女問わず目くばせしあうほど、壮絶な言い争いの末だった。マーヤを侮辱されたオーランドが肩を怒らせて、感情のまま、そう叫んだのは。



 ヒュ、と喉が鳴った。

 駄目だ。それは、駄目だ。


 誰もが黙り込んだ。死という単語に、特に女子は怒りに歪めた容貌を、ぴとりと固めた。

 オーランドすら口を滑らせた、という顔をした瞬間。誰より早く、赤が動いた。



 パン、と音がした。



 頬を張られた男は、なにがなんだかわからない、という表情をしていた。

 少女の顔は、紅髪に負けないほど赤く染まっていた。



「なにも、なにも―――しらないくせに!」



 オーランドがシーリアを侮辱した。それに激高したロザリンデが、平手でオーランドを打ったのだ。

 目尻に浮かんでいたのは、涙だったのだろうか。怒りを込めて、ロザリンデは叫ぶ。王太子への暴力に、突っ立ってなにもしなかった教師達が、慌てて彼女を引き離した。

 暴力におどろく男たち、ロザリンデを庇う女たち。

 怒声や罵倒がやんで、窓枠の向こうのようだった世界に、静寂が戻る。


 ―――知らないうちに、息を詰めていた。集団の数歩後ろで、右手に込めていた魔力をかき消す。

 彼女が、シーリアが死んだ、などと。


 ゆっくりと鼓動が戻る。何をしようとしていたのだろう、と今更思う。

 男達の数歩後ろで、刃のように風魔法を使おうとするなど。


 けれど、ロザリンデがなにもしなければ、教師が来なければ。 

 後ろから金色の、頭を刈り飛ばして。



 きっと俺は、オーランドを殺していた。




   ∮




 ロザリンデは、1週間の謹慎を命じられたらしい。

 王太子への暴力にしては軽すぎる処罰だが、重い処分を下せば女生徒達の家から暴動を起きかねないこと、オーランド自身が厳罰を望まなかったことが、理由にあった。


 婚約者としてはありえないオーランドへの接触禁止も言い渡されたらしいが、そんなものがなくても、ロザリンデはもはや、オーランドと関わろうとはしなかっただろう。


 婚約破棄を告げる必要もないほどに、ふたりの断絶は、決定的なものになっていた。




 数十年も昔の王族が、気に入ったものと過ごすためだけに作った寮がある。


 学生寮とたいして規模の変わらないその建物の使用権をどうやってか得て、ロザリンデを始めとする、女子生徒全員が一晩で引っ越したと聞いたのは、あの騒動から10日も経ってからだった。

 もちろん、マーヤだけを置いて。



「朝起きたら、誰もいなくなっていたの!酷いと思わない?こんなの、いじめよいじめ!」 


 公爵家の人員や魔法を使えば十分可能な所業だろうが、彼女たちのマーヤの顔も見たくない、の意思表示は傍から見ていても明確で、少しだけ愉快だった。

 馬鹿の一つ覚えのように肯定を返す男どもを傍目に、男子寮を出る。


 王太子とその婚約者のトラブルは学園中に瞬く間に広まって、男は男、女は女に味方したことから、対立は学園中に広がっていた。マーヤを崇拝する男子とロザリンデを盲信する女子は、酷いときは授業などの必要最低限を除いて、会話すらしていない。


 ヴェルシオも堂々と男子寮に居座るようになった女の姿を見たくなくて、寮を離れることが増えた。

 どこにも逃げ場も、行き場もない。学園から出るのも億劫で、足が進むことが多いのは図書室だった。


 いつも人気のないこの場所は、眠るにも、何もせずにいるにも良かった。

 適当に選んだ本の頁をめくる。意識が文字の上を空滑る。


 棚の紅茶は無くなって、いつのまにかありふれた品番が補充されるようになっていた。

 微妙に気に食わない味を片手間に流し込んで、濃紺の背表紙を指の腹で擦る。王城の書庫にもあったそれは好きなシリーズの外伝で、何十回も読み返したかのように、続きを思い浮かべることが出来た。


 ぼんやりと箔押しの金字を眺めて、久しぶりに王城の書庫に行こうか、と思い至る。

 王城やそこで暮らす人間に良い思い出はないが、あの希少本の管理庫は、数少ない好ましい場所だった。


 彼女も、あの場所にいるかもしれない。


「…………は?」


 思わず、口から音が漏れた。今、なにを考えた?

 どうして王城の書庫で棚を物色する、灰色の少女など思い浮かんだのだろうか。

 それは、しらないはずのものなのに。


 焦燥と疑問。

 それら全て、胸ポケットの万年筆をなぞることで誤魔化した。









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