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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
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20/61

相対

 





 日常は続いていく。弟やその友人たちと学園街1番の商会に行ってマーヤに似合うドレスやアクセサリーを買い漁ったり、彼女の歌を皆で聞いて、賞賛したり。

 マーヤは驚くほどに歌が上手くて、甘く蕩けるようなこの声に、誰もが思わず聞き惚れた。お礼に、と宝石などを仲間達が贈るたびに、マーヤは満足そうに笑っていた。



「ヴェルシオ殿下!最近のあなたはいくら何でも目に余りますわ、これではシーリアが可哀想です!」


  そう女生徒達に詰め寄られたのは、マーヤの歌を皆で聴いた後に茶会をしようと、中庭の東屋に集まった時だった。


 脳裏に心地良い歌声が残っていたから、つんざくような女の怒声は、ひどく耳障りだった。睨みつけたヴェルシオに女は一瞬怯えた顔をして、けれどきっ、と東屋の面子を睨み返す。


「あなただけは……あなただけはと、思っていたのに!」


 強く握りしめられて、女のスカートにはしわが出来ていた。血管の浮いた手の青白さが、どうしてか伏せられたまつ毛や、眠そうな瞳を思い起こさせた。

 けれどこちらをねめつける爛々とした瞳にくまはなくて、怒りと悔しさ、そうして何故か悲しみが、浮かんでいた。


 こいつは、何を言っているのだろう。

 いやだわこわぁい、とマーヤが身をすくめて、大丈夫だよ俺たちがいるからね、と友人達がマーヤを守る。


 今日も意中の少女の隣に座れなかったジャックが、女生徒に厳しい目を向けた。


「お前、何家の女だ?可哀想に、マーヤはすっかり怯えているじゃないか。俺達の時間を邪魔するとは何様のつもりだ、腹立たしい……あぁ、丁度良い。今お前が怒鳴ったその男は、お飾りだがこの国の王子だ。これが国に知れたら、お前と、お前の家はどうなるだろうな?」


 怒りを込めた視線は、言葉を重ねるにつれてにやにやと、猫がネズミを甚振るような残酷な笑みを含んでいく。勝手に立場を利用されたことは腹が立ったものの、血相を変えたこの女が邪魔なことには変わりはない。とっとといなくなればいいと思いつつ否定も肯定もせずにいれば、女の怒りに燃える顔は、蒼白になった。


 以前も同じ顔を見たことがあったな、と思い出す。容貌ではなく、この追い詰められた、焦燥と失意の合間の表情を。


 たしか、東屋ではなくて食堂のカフェテラスだった。女じゃなくて男で、安っぽい茶髪のそいつはオレンジの髪の女に何かを言って、それを庇って凛と立つ彼女に、見事に言い負かされていた。


 誰だっただろうか。陽を反射する、手触りの良いあの髪は。

 誰のものだっただろうか。



 分からない。どうしてそんなものが気になることすら。

 わずかな魔法の気配を感じた次の瞬間に、蒼白な女の後ろに、同じく女生徒が現れた。

 上級魔法。転移。そんな言葉が、頭に浮かんだ。




「…………またやっているの。懲りないね、ジャック」


「またお前か。これで何度目だ?気安く話しかけるなと、何度も言っただろう。伯爵家の分際で調子に乗るなよ」


「君こそ下級生なんだから、先輩には敬語を使おうか。年功序列を徹底しろというつもりはないけれど、君が入りたがっているこの国の騎士団は、年上の者へ敬意を持つことと、騎士心得に載っていたよね。騎士団長の父を持つ君が、まさか忘れてしまったの?」


「減らず口を……!」


 灰色の髪と目をした、印象に残りにくい容姿の女だった。

 ふわり、と髪をわずかに揺らして着地して、彼女はまず女生徒に微笑みかけた。そうして女を庇うように数歩前に進んで、周囲の面子におびえることもなく、悠然と大柄な男に相対する。ジャックに言葉を掛けるときも、うすく笑みを浮かべていた。


 凡庸な女だった。大きくも小さくも、つぶらでも切れ長でもない瞳に、同じくどうと言って特徴のない鼻や唇のかたち。決して醜くはないが、特別美しくもない、そんな女だ。


 どこか懐かしい、気がする。

 きっと、気のせいなのだろうが。



 それでも視線を外せずにいると、女の灰色の瞳が、ヴェルシオを見る。

 一瞬の間。色の薄い唇が何かを放とうとした瞬間、後ろに庇った女がシーリア、と名を呼びながら、彼女に抱き着いた。



「ごめんなさいシーリア、でもこんなの絶対おかしいわ。彼があなたをこんな目で見るはずがないもの、ねえ、そうでしょう?」


「謝らないで。私こそ、心配させてごめんね。大丈夫だから、寮に戻っていてくれる?あとで、すぐに行くから」


「おい、逃げる気か?その生意気な女はこの国の王子に不敬を働いたわけだが、この不始末はどう付けるんだ。お前が地に頭を擦り付けて謝罪するか?ヴェルシオに捨てられた、お前が!」


 ジャックの言葉に、こちらを伺っていた周囲の人間が、ざわめいたのを肌で感じる。

 けれど有象無象よりずっと、衝撃を受けていた。


 この灰色の女を―――シーリアを、ヴェルシオは捨てたらしい。


 誰が誰を?どうして、と思う。意味が分からない。この女のことなど知らない。捨てた?そんなはずはない。初めて会った。こいつの事なんて知らない。

 だから、この灰色の女を、捨ててなどいないはずなのに。


 貼り付けたような笑みをすいていた女の瞳が、わずかに揺らいだ。

 けれどすぐに元の表情を取り繕って、ジャックに視線を向けてしまう。ヴェルシオを、見ようとしない。


「彼への言葉を、君が勝手に裁くのはどうかと思うけれど。それともきみたちはそんなにも、仲のいい間柄になったのかな?」


 こんな取り繕った声で、話す人間だったのだろうか。違う。ジャックどころか、テーブルを囲む人間の中に、親しいものなどいない。どうして。こいつは誰だ。誰もがマーヤの愛を望む恋敵で、敵愾心と嫉妬とともに、抜けがけの機会をうかがっている。親しみを感じた事など、一度だってない。仲がいい人間なんてこの世にいない。誰にも心を許したことなどない。何もない。一度だって手を差し出されたことも、連れ出されたこともない。知らない。何も。


 侍り、寵を願うはずのマーヤだって……マーヤだって?

 いま俺は、なにを、かんがえた。



「俺は―――」


「そんなの、当然に決まっている!もともと兄さまはこの国の王子として敬われるのが当然で、お前ではなく、俺たちといるべきだったんだ!婚約者だからと兄さまの時間を奪ったのは、お前だろう!」


 何かを言おうと思ったのに、縫い付けられたように口は固まって動かない。

 代わりに叫んだのは弟で、この女生徒が婚約者だった、という言葉に、思考は混乱の渦に叩き込まれる。この、知らないはずのいきものが婚約者。捨てた?婚約破棄。最近の騒動。泣きはらした目、髪飾りに触れていた掌、白い、メッセージカード。


 困惑と、パズルのピースが嵌ったような、ずっと前からそうだったような納得。

 ならばきっと、俺は




「そうよ。ヴェルシオは本当はずっと私たちと一緒に王子様らしくいたかったのに、あなたのせいで日陰の暮らしを強いられていたの。このファルダ―ニュのティーセットや、王家御用達のスイーツを見て?これこそヴェルシオに相応しいって、そう思うでしょう?あなたのせいで黴の生えそうな図書室にいたヴェルシオを、わたしが連れ出してあげたの。最初から、あなたとヴェルシオじゃ不釣り合いだったもの!」


 それともまだヴェルシオにまとわりつくの?ストーカーってやつ?やだ、こわあい。ねえ、ヴェルシオ。ヴェルシオだって、私に名前を呼ばれるの、好きでしょう?


 女は、口を開いた。

 あまい、あまい声だった。思考も、意思も、悩みも不幸も、幸福も一緒くたになって溶けていくような。

 男たちに囲まれながら、言い聞かせるように、マーヤは声を出した。



「……君も、そう思っているの?」


 沈黙。数拍おいてから聞こえた女生徒の声は無機質で、俺に問うているのか、と理解するのにも数秒を要した。

 視界が揺れる。思考がおぼつかない。なぜか、なにかがひどく恐ろしい。

 だから、多分これは―――苛立ちのはずだ。


「……謝罪も、感謝も求めない。お前に、何も望まない」



 誰かが、息をのむ音がした。

 うそ、とシーリアが後手に庇っていた女が、世界が終わったような顔をして、呟いた。


 なぜか言葉への反応を、灰色の女を、その表情を見たくないと思った。だから同じ色のタイだけ視界に入れていた。

 そっか、と空の声。


「それを君が、……あなたが望むなら」



 失礼しますと女は言って、転移魔法でその姿は搔き消えた。


 ドキドキしちゃった、とマーヤが腕に抱き着いて、でも、ヴェルシオはわたしが一番だものね、とくちびるが触れそうな距離で耳元にささやく。

 当然のことに頷きながらも、どうして最後、彼女は俺相手に敬語など使ったのかと、そんなことが気になった。




 なにかを、失った気がした。









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