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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
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銀灰

 



 




 ヴェルシオは、望まれない王子だった。

  獣人や魔族など様々な種族が生きるこの世界で、世界有数の大国であるアウディスク王国。

 国王の第一子として生まれながらその生を喜ばれなかったのは、彼が身分の低い側妃の腹から生まれたからだ。


 母は、美しい人であったらしい。辺境の子爵家の出でありながらその美しさで持て囃された彼女は、ある舞踏会で王に見染められ、周囲の反対を押し切って国王の側妃、2人目の妃となった。国王以外の誰にも望まれない婚姻で、けれど寵愛を受けた彼女は正妃より早く子を孕んだ。


 正妃の実家である公爵家は、アウディスク王国において絶大な権力を持っていた。

 ヴェルシオが男子だったこともあり、喜びもつかの間、後ろ盾のない彼女は正妃に目をつけられて、息を潜め神経をすり減らしながら日陰で暮らすことになる。

 碌に覚えていない母は、ヴェルシオが生まれた2年後心労か毒などによる暗殺かそのまま儚くなり、ちょうどその頃正妃は待望の王子を産んだ。


 正妃の生んだ子が、次の王となる。

 物心つく前にヴェルシオ・ステファノ第1王子の王位継承権は1位から2位になり、長男であるはずの彼は、弟のスペアとして王城の隅で育てられる事になった。


 正妃は生まれた我が子を溺愛し、何もかも最高のものを用意した。質のいい従者や魔法学を含めた最高の教師達は勿論、高位貴族でいつか側近となる友人達、世界中の贅を凝らした服や装飾品、美しい赤髪を持つ宰相の娘、公爵令嬢の婚約者。


 対してヴェルシオに与えられたのは、最低限の世話しかしない使用人、王族として恥ずかしくない程度の服、冷めた食事など弟より数段劣るものばかりだった。扱いを明確にして誰が王太子になるのか、明確に周囲に示すためだ。


 ヴェルシオに婚約者が用意されたのは、弟が婚約する数ヶ月前で、10歳になった時だった。

 弟が兄より先に婚約するのは外聞が悪い、と体裁を保つための婚約と分かっていたから、元から拒否権はなかったけれど、嫌がる気はさらさらなかった。その頃にはすっかりひねくれた少年になっていて、何にも期待しなくなっていた。



 そうして、彼女と出会った。ヴェルシオのなにもかもを塗り替えた彼女に。


 初めて顔を合わせた婚約者は―――アーデン伯爵家の娘、シーリア・アーデンは、灰色の髪と目をした、印象に残りにくい容姿の少女だった。


「はじめまして、ヴェルシオ殿下。アーデン伯爵家が娘、シーリア・アーデンと申します」


 少女らしく、けれど特別高くも低くもない声。小さな手が水色のドレスのスカートをつまむ。王城の庭園、花が咲き誇る東屋で同い年の少女が落ち着いた仕草でカーテシーをするのを、ヴェルシオは冷めた目で眺めていた。

 ヴェルシオは1人で椅子に座っていて、シーリアの隣には彼女の父らしい、壮年の灰髪の男が並んでいた。テーブルには完璧に並べられたティーセットとお菓子があって、これらを準備した王城の侍女は用が済んだら興味なさげに立ち去った後だった。


 季節の花々は色とりどりに風に揺れていて、灰色の彼女の髪をより一層地味に見せた。

 大きくも小さくも、つぶらでも切れ長でもない瞳に、同じくどうと言って特徴のない鼻や唇のかたち。決して醜くはないが、大人になっても特別美しくもならないだろう、という容姿だ。  

 傲慢にも見下すようにそう考える。


 同い年の、国にとって毒にも薬にもならない伯爵家の娘。

 何も優れた所がないから婚約者に据えられたのだ、と口の減らない城の人間が噂していたのを思い出す。

 どうでもいい、と思った。嘲笑混じりの声も、悪意のこもった婚約も、少女の父親の見定めるような視線も。だから挨拶に返事もせず、持ってきた本に視線を落として、そのまま無視をするように本を読むことにした。


「…………!?…………っ!?!?」


 王族とはいえあまりに失礼な態度にアーデン伯爵家当主が物凄い形相でヴェルシオを睨んだが、文字を追うことを優先する。嫌われようが怒鳴られようが、どうでも良かった。少女の存在そのものが正妃の悪意や自分の待遇を象徴するようで、腹立たしく不愉快だったから。


 僅かな沈黙。


 冷え切った空気の中、最初に口を開いたのは灰色の少女だった。

 顎に人差し指を置いて少し考え込んだ後、彼女は伯爵家当主にヴェルシオと2人きりにしてくれないか、と頼む。

 狼狽えためらう父親になおもお願いだからと言葉を重ねて、その場には子供2人だけが残った。


 彼女はまず、ぐるりと東屋を見回した。次にヴェルシオを見て、ヴェルシオの持つ本を見た。

 それからやっとヴェルシオに声をかけた。


「失礼しますね」


「……………」


 視線を落としつつも一体どんな媚びや文句を言われるのか、と身構えたが、彼女はそれだけで向かいの椅子に座った。

 そうしてただ静かに花を眺めながら、用意させていたお茶を飲み始めた。


 どれだけ時間がたっただろうか。

 ヴェルシオに話しかけることも、笑いかけることもなく。ただの花を楽しむように彼女の視線は通りすがりの蝶を追っていた。


 やがて時計の針が1周半すると、彼女はヴェルシオに美しい花を見せてくれてありがとうございました、と礼を述べて、席を立つ。

 シーリアとの最初のお茶会は、そうして終わった。



 §



 王家の人間が皆今までそうしてきたように、ヴェルシオとシーリアは、月に2回のお茶会の時間を義務付けられた。

 シーリアは2回目には花にまつわる詩集片手に花木の色の色合いを楽しんで、3回目には刺繍糸と針と無地のハンカチを持ってきた。



 刺繍は日記になって、手紙になって、ヴェルシオと同じように本にもなった。

 婚約者である王子の反応も言葉も期待していないかのように、彼女は瞳を細めて、2人っきりの1人の時間を楽しんでいた。



 そんな月に2度を繰り返して、ヴェルシオとシーリアが11歳になると、少しずつ貴族社会にも顔を見せる必要が出てきた。


 貴族の学園に入る16歳になるまで、大人の仲間入りとも言えるデビュタントは迎えられない。それでもその練習ともいえる貴族子女が集まってのお茶会や園遊会はさまざまな家が自らの子供の為に催しを開いたり他家の子供を招待していて、王族としてヴェルシオと腹違いの弟がともに招待状を送られることは、とても多かった。


 正妃は、様々な催しにヴェルシオと息子を共に出席させた。そうして愛する我が子の方が優れていると周囲にアピールしたかったからだ。



 側妃であった母に似て、ヴェルシオの容姿は美しかった。濃紺の艶のある髪に王家特有の金色の瞳。振る舞いや態度で陰口を聞くことは多かったが、容姿に関してだけは子供らしからぬ美貌、とどれほどヴェルシオを嫌う周囲からも賞賛以外は聞かないくらいだった。

 ある園遊会に出席した時、周りの少女達はシンプルな正装を着たヴェルシオを見て活気だって―――遅れて弟が現れると、ヴェルシオを見るよりずっと嬉しそうに次の王への感嘆の声を漏らした。


 ありとあらゆる贅で磨き抜かれ、着飾られた弟はヴェルシオに負けず美しかった。

 快活に人の中心にいる幼い次の王を、誰もがほめそやす。

 それをヴェルシオは人の居なくなったテーブルで、ぽつんと眺めていた。


 ―――陰気で人嫌いを隠そうともせず受け答えも碌にしない少年よりも、明るく賛辞を真っ当に受け取る弟に人が集まるのは当然だと、今なら思う。


 ちやほやされたいわけでは全くない。

 それでも当時のヴェルシオにとっては、弟だけが賛美される光景を見ているのは憂鬱だった。だから腹違いの弟と人前に出ることが、この世の何よりも嫌いだった。


 終われ終われとただ時計を睨んでいたこともあって、園遊会は早々に佳境に入り、会の主催者の自慢する馬のお披露目が行われる事になった。息子らしい、成人したばかり位の年ごろの青年が自慢げにふんぞりかえって、美しい馬に乗って現れて―――そこで、事故は起こった。


 調子に乗った青年が大きな音の出る光魔法を放ったせいで、馬がパニックになったのだ。

 勢いよく乗り手を振り落とし、暴走して……馬は子供たちの居る方に向かってきた。


 大慌てで、弟の周りの警備の兵は王太子に防御魔法を張る。咄嗟に貼る物だから小規模だがこども1人を守るには充分だろう。

 周りの子女達も、身分が高い子供達は専属の魔法を使える護衛が前に出る。身分の低い護衛が雇えない子供は手を取り合って、身を寄せ合った。


 そんな光景をヴェルシオは、他人事のように眺めていた。

 ヴェルシオを守る兵士はいない。王子である彼は、身分の低い子供達に混ざることも出来ない。

 暴れ馬は、ヴェルシオに一番近いのに。



 血の味がするほど唇を噛む。

 瞬間、つよく、誰かに抱きしめられた。



「――――は?」



 驚いて身をすくませる、より早く、誰かの放った拘束魔法が馬の動きを止めた。

 だうんと鈍い、大きな獣が倒れ込む音。


 周囲の騒めきが戻って、人が動き始める。

 大丈夫ですか殿下、と今更周囲にかけられた声を無視して、自分と同じくらいの太さの腕が安堵するように解けるのを呆然と眺めた。


 腕の持ち主は―――ヴェルシオを庇ったのは、シーリアだった。


 目があった彼女は1度瞳を大きく瞬いて、びっくりしましたね、とだけ言った。


 確かにシーリアは園遊会にも出席していたが、正妃の嫌がらせか席は離れた所に用意されていた。そうでなくても邪険にしていた自覚はあるから、彼女が手を差し伸べるなんてほんの少しも予想していなかった。

 腕が解けた後も、ぐるぐると思考がまわる。嬉しいと素直に思えない程度にはひねくれていて、けれど覚えている限り、誰かに抱きしめられたのは初めてだった。


「……どうして、助けようとしたんだ。俺は」


 お前になにもしなかったのに。


 そう続く筈の言葉は、いえなかった。けれどそれを察する様子もなく、彼女はほんの少し微笑む。

 首を僅かに傾げたせいで灰色の髪が揺れた。


「あなたが一番、暴れる馬の近くにいたから」


 無事で良かった、ともう一度彼女は繰り返した。

 恐怖を隠しきれていない白い顔で、俺を庇う手は震えていた癖に。


 何も言えなかった。礼を述べることも、労ることも。

 けれどその時初めて、ヴェルシオは自分の婚約者が淡く澄んだ、銀灰色の瞳をしている事に気がついた。








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