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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
扉はまだ開かない
19/61

魅了

 





 腹立たしさすら滑稽なほどに、何の収穫もない一月だった。

 あれからも雨粒で地面に水玉が出来るようにぽつぽつと婚約破棄や痴情のもつれによる男同士の大喧嘩が起こって、腑抜けた王太子に代わって対処に駆け回るロザリンデのサポートや女子の緩衝役をするシーリアとは、顔を見ることすらできない日々。

 あの女はべたべたとヴェルシオにへばりついて、吐き気のするような甘い言葉を囁き続けるばかりだった。

 好きなのはお前ではない、と何度怒鳴りつけそうになったか。婚約者とは2週間に半日も隣にいられないし、学園に入る前の方がまだマシだ。




 夜更けの事だった。ギイギイと、蝙蝠か鳥かも分からない、獣の鳴き声がしていた。

 大理石の廊下を、魔法で磨いた革靴で進む。

 正妃に呼ばれた王城で、晩餐会のホールに進む足取りは泥にぬかるむ道を歩くようにひどく重かった。


 オーランドが、というよりも普段マーヤに傅くいつもの男どもが試験で軒並み大きく成績を落として、普段のオーランド以下になるように調整したヴェルシオの基礎科目の点数が弟を大きく上回ったのは、つい先日の話だ。

 最上級生と下級生、受ける科目も内容も違うのにその事実は正妃の自尊心を傷つけたらしく、わざわざ学園に送り付けられた招待状によって、嫌々ここに来させられている。



 幕の張られたその場所に、王やオーランドはいなかった。

 20人は座れる長卓を埋め尽くすように豪勢な料理が並べられて、けれど両端にしか、席とカトラリーは置かれていない。


 上座に着く髪を結いあげた女を一瞥して、丁度向かい、遠く対面する席に腰を下ろした。




 相変わらず気に食わない瞳ですこと、と正妃は言った。


「あの女と同じ下賤の髪に、わらわのオーランドと同じ金の瞳が揃っている。……忌々しい」


 後ろに立つ使用人が、琥珀色の液体をグラスに注ぐ。促されて口を付けるとむせるほど甘ったるくて、グラスをテーブルに戻した。

 いつもの嫌がらせだろうか。顔をしかめるのも癪で、眉1つ動かさずグラスに手を付けない女を見る。国中、あるいは外国の魔法に頼って若い美貌を保ち続けているらしい女は、けれど眼だけはぎらぎらと、年を取ることでしか身につかない老獪さを備えていた。


「その冷めた表情も気に食わないわ。地に頭を付け平伏して、自らの生まれの卑しさを詫びるならばまだ、王の子の肩書を持つことを許せたのに」


「……話がそれだけならば、退席させていただきます。あなたも、俺の顔など見たくないはずだ」


 食前酒に口を付けても、ヴェルシオのカトラリーに大皿から料理が取り分けられる様子はない。当然と思うと同時に、違和感を感じた。幕で隠れたホールも、仮面を貼り付けたように表情を変えない使用人も、ヴェルシオを視界に入れているくせに、うっすらと笑みを浮かべる正妃も。


 耳の裏で、心臓の音が鳴っている。

 紅を塗りたくった毒のように朱い唇が、明確に弧を描いた。


「うぬぼれないで。わらわが卑しい側妃の子を、わざわざ呼ぶはずがないでしょう。

 ……そなたに用があるのはその娘、おなじ下賤の者よ」




 女が促してはじめて、かつん、とヒールが床を叩く、音が聞こえた。




「ふふ、下賤の娘だなんでひどおい。わたしは、あなたの義娘になるんですよ?」




 その、耳に残る声は。



「………………っ?!?!」


 なぜ、ここに、王城にマーヤがいる?!

 驚愕のなかで、それでも椅子を蹴って立とうとして、ぐらり、と視界が回った。


 ヴェルシオに、毒は効かない。王家の人間に与えられるギフトの一つに、毒の無効化があるからだ。

 食事で体調を崩したことは一度もなかったし、だから正妃から出されるものに口を付けた。なのに。

 食前酒の甘ったるさを思い出して、そんなはずがない、と選択肢を打ち消した。自らの意思でオンオフを切り替えられないそれは確かに今も発動しているはずで、けれどならば、この酩酊はなんだ?

 払った腕で青磁の皿が投げ出されて、けたたましい音が鳴る。

 つんざくようなその音は、誰の耳にも入らない。


「ふふ、くらくらしてる?毒は効かないはずなのに、って。……王家のギフトは何百年も昔のものだから、植物とか魔法とか、初代の王様の時代に在った毒は打ち消せるけど、そこから新しく人に精製された毒は効くの。それにこれ、毒じゃないもの。歴代の王様にお酒を好きな人は沢山いるでしょう?あれだってたくさん飲めば毒になるけど、普通の量なら気持ちいいだけ。―――大丈夫、苦しまないし死にもしないわ、ただ、わたしを好きになるだけ」


「義娘ですって?次にふざけたことを抜かすなら、その首を刎ねてやるわ。下民以下の分際で、調子に乗っているようね。……お前が醜い顔で嬉しそうに語っていることだって、わらわに教えられたことばかりじゃない」


 女達の言葉を聞き取れない。気持ち悪い。

 逃げ出したい、とぐるぐると回る視界の中で、ピンクの髪が近づく。

 ヴェルシオ、と名を呼ばれる。気持ち悪い。いやだ。此処にいたら、俺は。


 シーリア。







 ∮







 目を覚ます。寒かった。

 見慣れた学園の寮の一室、窓枠の向こうのうっすらとした朝日。


 まだ、普段目覚める時間には早いらしい。

 ぼやける頭をそのままに、鈍痛を訴える節々を動かしてベッドから降りる。


 軋む身体を動かして、幼い頃からそうだったように、クローゼットにかけられた服に袖を通す。


 愛しい彼女は、いまどうしているだろうか。人気者の彼女のことだ、この時間でも他人に囲まれているのか、それともまだ夢の中にいるのだろうか。

 思考を巡らせながら、人気の全くない廊下に出る。


 そうだ、と週末の予定を思い出す。

 全校生徒が参加するダンスパーティ、そのファーストダンスを頼まれていたのだった。


 ヴェルシオの分の正装は用意できている。どんなドレスでも可愛い彼女には似合うだろうけれど、それでも週末までに近い色の物が見つかったら、着るのはそっちにしてくれ、と彼女に願ってみようか。



 たとえ弟だとしても、オーランドの贈ったドレスを身に着けたマーヤは、嫉妬に焦がれるだろうから。



 そうしよう、と納得して寮を出ようとして、足を止める。



 たしか図書室に向かおうとして……けれどどうして、図書室に行こうと思ったのだろうか。





 よく、分からなかった。











 マーヤと出会う前、ファーストダンスは誰と踊っていたのだったか。


「ふふ、ヴェルシオはリードがとっても上手なのね。今までの誰よりも踊りやすいわ!」


「そうか。なら、良かった」


 それはそうだろう。彼女は社交的なのに大勢の前に出るのが苦手だったから、大衆に注目されるダンスもまた、得意ではなかった。足元を見がちだったから上を向いて顔を見るようになんども促して、それはそれで刺激が強いから、とタイの辺りをずっと凝視されていた。


 いつのまに、その癖は治ったのだろうか。


「顔は一番ヴェルシオが格好いいから、あの女にお願いして本当によかった!あいつらがどんな顔をするかが楽しみだったから、ここにいないのはとっても残念だけど。まあ、ヴェルシオはもう私の物だから、お披露目は後でもいいわよね。……ふふ、何でもないわ。ただの独り言よ」


 気にしないでといわれて、頷いた。彼女が言うなら、きっとその通りなのだろう。


 赤薔薇のドレスを身にまとった彼女のステップに、周囲からは感嘆と、ヴェルシオへの羨望の言葉がこぼれる。時折もの言いたげな視線を向けられたが、すぐに意識から外す。

 彼女が一番目立つための添え物になることが、ヴェルシオの役割なのだから。


 曲が終わって、彼女の元に次を願う男が群がる。

 じゃあねヴェルシオ、わたし、次はオーランドと踊るから。それだけ言って、弟に笑顔を向ける彼女を視界の端から外す。役目は終わった。



 もうこの場所に用はない。自室に戻ってもいいが、変な心地がして、眠れそうにもない。

 時間をつぶすために図書室で、本でも読もうか。


 思い付きはいいものに思えて、足取りは軽くなった。

 それにしよう。たしか本は好きだったはずだし―――だれかと、まちあわせをしていたきがする。



 たどり着いた図書室は談話用なのか奥にスペースがあって、ソファは一つでいいのに、と思いながら、好みの本ばかりが収められた棚を物色する。

 この場所を訪れたのは初めてなようにも、久しぶりなようにも、ずっといたような気もした。

 窓際の小さな棚には茶器や茶葉、毛布まで揃えられていて、何もかも好みの場所だと驚く。一番手前の茶葉を手に取って、夜明け近くまで好みの香りとともに、手元のランプの光源だけで本を読む。



 期待した誰かは、結局姿を現さなかった。









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