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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
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18/61

衣装

 







 あの婚約者脳の引きこもり王子が、マーヤ・マリットに陥落した。

 不敬かつ不名誉な二つ名とともにそのニュースが学園を飛び回って、少女たちの耳に入ったのであろうその日のうちに、ヴェルシオは女子達に詰められていた。


「殿下はまさか、アーデン伯爵令嬢を裏切るおつもりですか?!彼女がどれだけ殿下のことを―――」「泣かないでリリアンヌ、そんなことより今はシーリアのそばにいてあげましょう?」「やったわ、ついにこれでシーリア様がフリーに……殿方なんかに、わたくし絶対負けないわ!」


 放課後まで待っていたのは、せめてもの情けのつもりだろうか。同級生、特に同じクラスの女子に窓際に追い込まれて、キャンキャンとわめかれる。

 最後の紛れ込んでいる下級生はいい度胸だ表に出ろ。他の奴らもなにも知らないくせに勝手なことばかり言う、と辟易して、言葉を交わすのも面倒だと、立ち去ることに決めた。


「お待ちになって、殿下!まだ話は『お取込み中失礼。―――ヴェルシオ、少しいい?』」


 割り込んだにしては穏やかに掛けられた声に、騒がしかった女子達は皆動きを止めた。当然だ。彼女たちにとっては、渦中の片割れ、裏切られたばかりの令嬢が、裏切った男の元を訪ねているのだから。


 あれだけ分厚く通り抜けづらそうだった人の壁は、動かないことで意味を失い、やすやすと彼女の元にたどり着けた。

 保健室ぶりのシーリアは、変わらず落ち着いた、涼やかな声をしていた。気分が悪くなるような甘ったるい声や先ほどまでの怒れるキンキン声を聴いたばかりの耳に染みるな、と考えながら灰色を映す。


 もちろん、と答えながら転移魔法の為に手を差し出す。久しぶりに重なった指先は、わずかに温度が低かった。




   ∮




「あぁうん、そんなところだよね。君が悪者にならないように、彼女達には私からフォローを入れておくから。……大丈夫?」


「途轍もなく不快なことを除けばな。今のところ俺に魅了がかかった様子はないし、馬鹿どもをマーヤが操っている証拠も見つけられていない。……まだ3日だしな。それにしてもお前は本当に、よく慕われている」


 図書室にソファを置く時に2人掛けをテーブルを挟むように配置したけれど、すっかり向かい合う席が定位置になってしまった。1台にしておけば良かった、と幾度となく後悔している。そうすればこの婚約者は、何も言わずとも隣に座っただろうに。


 ちょいちょい、と手招いてやっと隣に座る、婚約者の頬に触れる。女子達の前では普段通り振舞っているが、相も変わらず顔色は悪い。先程詰め寄られた少女達は裏切りと憤るくせに、不調にはどうして気付かないんだと、それもまた腹だたしかった。


「みんないい子だからね。同級生も、下の子も。大変じゃないといえば嘘になるけれど、この事がなければ関わらなかっただろう子とも仲良くなれたから、そこは良かったかな。……正直ロザリー以外の子達に、お姉さまって呼ばれる日が来るとは思わなかったけれど」


 ヴェルシオの指に摺り寄るように、シーリアの頭がわずかに傾く。

 褒められたかのようにうれしそうな顔をするけれど、ほんの少しも褒めていない。お前に好意を抱くのは、この世界で俺だけでいい。さっきもお姉さまと呼ぶ奴がいたな、と思い返して、殿方には負けないと宣戦布告されていたのを思い出す。

 ろくに顔も覚えていないが、たしか背の低い女だった。シーリアと関わった所を見たこともない。恋愛なのか憧憬なのかは知らないがヴェルシオが離れることを喜ぶようなやつで、しかも達と云うなら複数人いるのか。


「……さっきクラスにいた、茶髪で背の低い下級生の名前は何だ。あとお前をお姉さま呼びする奴は何人いて、その中に恋愛感情を向ける奴は何人いる?」


 この婚約者の事で売られた喧嘩は、全て買おうと決めている。

 貶す奴には殺意を抱くが、好意を抱かれるのも酷く気に食わない。

 自分が、常人よりはるかに嫉妬深い自覚はある。大抵のことに冷静だよねと婚約者は言うけれど、どうでもいいものはどうでもいいだけで、毎日顔を合わせられない生活が不満なくらいには、数少ない大切なものには執念深い人間だ。



 伯爵領にいない間は2週間に1度しか与えられなかったから、学園に入って、放課後も休日も、顔を見ない日はないほど共に過ごして、枷が外れた。第2王子の逆鱗に触れると分かっていて彼女を望むのも、ロザリンデくらいしかいなかった。だから、どうにか悋気が抑えられていただけだ。

 ヴェルシオの婚約者は、ロザリンデのように大きな華があるわけでも、マーヤのように怪しい術を使えるわけでもない。人当たりがよくて、顔が広くて、誰かが悲しんでいれば手を差し出さずにはいられないだけだ。だからこんな異常な事態では1人でも取りこぼさないように奔走するし、助けられた側は簡単に彼女に好意を抱く。



 同性だからと許せるほど、ヴェルシオは心が広くない。 

 彼女の唯一は、特別は、俺だけのものだ。


 どうしたの?怖い顔して、と何も分かってなさそうに、シーリアは頬に触れる。きょとりとした目に警戒心は少しもなくて、声は変わらず柔らかい。


「そんなにいないよ。それも多分、男子達への反発とかが大きいんだと思う。……この状況で男子だけが悪いとはとても思えないし、男女で諍いが起きるのは避けたいんだけどね」


 マーヤや男子と関わることが多いから、象徴というか、旗印というか、まあそんな感じ。いくつもの家を助けているロザリンデは、私よりずっとキャーキャー言われているよ。


 うっすらと笑う彼女に、唇を引き結んだ。

 そうやって好意を拒絶しないから、女どもがつけ上がるのだ。ロザリンデの方がずっと、というが、あの女にもあんなに慕われ執着されている癖に、自覚すらしていないのか。


 いままでは懐の広さを好ましい個性と思えていたのに、寝不足からか青白い顔をして、それでも男どもすら気遣う善良が気に食わない。

 たしかに男共が骨抜きになっているのは、魅了などの外的要因に間違いないだろう。国が静観しているのもおかしく、素性のしれないマーヤを含めて何か、陰謀めいたものがあるのだろう。


 それでも、感情と理屈は別物だ。納得出来ても許容出来ない事など、この世に幾らでもある。

 俺が彼女の余所見を気に食わないと思うように、女生徒が男子に憤って、反感を抱くように。

 多分魅了などで強制的に虜になっていて、だからほかの女に焦がれても、裏切って婚約を破棄すると言い出しても仕方ない。そう物分かり良く、彼女が馬鹿どもを想いやる必要は、欠片もないのに。


 まったくもってあの見た目も頭もピンク女は、余計なことをしてくれる。


「……早くあの女を蹴落とさないとな。次に騒動が起きたら、教えてくれ」


 離れる指が名残惜しかった。それでも今日の放課後は、マーヤの望み通り観劇に誘われている。退屈極まりないだろうが、劇を見るだけならあの女と話す必要がないだけまだマシだ。そうしてソファから降りて、ちょん、と袖をつままれていることに気がつく。


「どうした?」


「あ、いや……気を付けてね」


 自分でもなぜ触れたのかわからない、という顔をして、ぱ、と手が離される。

 まさか、他の女のところに行くことを嫌がっているのか。だとしたらとんでもなく可愛いな、と思わず抱き寄せそうになって、いやあのシーリアだぞと思い直した。

 舞踏会では他の女と踊る事を勧めるような、そんな婚約者だ。マーヤについて話す時すら穏やかな口調なのだから、嫉妬を期待するだけ徒労に終わる。


 灰色の頭を撫でて、障壁魔法を解いた。

 待っているのはあの女の甘ったるい声だと思うと辟易したが、それでも足は、女の元に向かった。




  ∮




「兄上、流石にそのドレスはどうかと……」


 目の前にドレスを掲げて、どれが良いか決めさせるお前達の滑稽さの方がどうかと思うぞ、とは言わなかった。


 その日は、いつか言っていたマーヤのファーストダンスの権利のための、ドレスのお披露目会が行われていた。オーランドやその友人たちは、家の権力で手に入れたとっておきを片手に、阿保らしい緊張した面持ちで、サロンに集まっている。

 ヴェルシオもオーランドとマーヤによって参加させられたが、このピンク女の相手など務めたいはずがない。デビュタントしてすぐの頃に正妃に用意されて、ロザリンデがシーリアのドレスを準備したことで日の目を見なかった、シーリアが着るはずだったコーラルピンクの型落ちドレスを同じピンクだしこれで良いだろうと持ってきたところ、待っていたのは非難の嵐だった。


「なんだ?そのひしゃげて潰れた花の装飾は。そんなドレスがマーヤにふさわしいと、本当に思っているのか、全く話にならないな。……最下位は決まったな、1位も俺に決まっているが。どうだ?マーヤ。この東国からとり寄せたシャンタンに銀糸のドレスは。このヴァイオレットこそ、君を一番優雅かつ華やかに飾るだろう?」


「そんなお粗末な刺繍で、本当に彼女の気が引けると思っているんですか?舶来の珍しいだけの凡庸な品を掴ませられるなんて、戦いと剣の振り方しか考えていない野蛮人はこれだから。マーヤ、このドレスの意匠を見てください。聡明な君なら、僕の伝えたいことが分かるはずだ。この古き良きドレスの文様は、聖教会に伝わる高貴な花嫁のための祝福です。このドレスで僕のとなりに立つ貴女は国で一番、いや世界で一番美しい!」


「もうプロポーズのつもりか?気の早い男は嫌われると、聖書は教えてくれなかったらしいな。ああマーヤ、俺は君に選ばれるのを希うだけの、君に焦がれる愚かな男だ。誰より魅力的で価値ある品こそが、君の気を引けると信じているだけの……ね。ごらん。君のためなら、俺は侯爵家もロベラ商会も、何もかもを動かせるよ。どんな生地でも宝石でも、腕よりのテイラーだって用意するさ。ほら、この眩いばかりのドレスもティアラもネックレスも、すべてが君のためのものだよ」



 なんだここは、地獄か?

 遠くなる意識は、思い出せいつもこいつらはこうだっただろ、という嫌な慣れがかろうじて引き留めた。

 恐ろしいことに、ヴェルシオがこの集いに参加してからずっと、こいつらはマーヤマーヤマーヤと、頭の悪いオウムのように、一人の女を囲んで薄っぺらい美辞麗句を喚くことしか頭にないのだ。


「そんな、皆素晴らしいドレスばかりだ……でもマーヤ、このとっておきのドレスを見てくれ!この真紅の生地も、薔薇の飾りも、何もかもマーヤにぴったりだと思わないか?君に相応しいものをって、城の人間総出で探させたんだ!」



 お前もか、オーランド。

 いつかと同じ台詞を頭の中で転がして、指先でこめかみを揉んだ。

 馬鹿はするけれどおおよそ優秀な王太子だったのに、そんな事に城の人材を使うようになるとは。1億歩譲ってそれが許されるのは婚約者であるロザリンデの為だろう。手にある赤薔薇のドレスはかの赤髪の令嬢を彷彿とさせることに、王太子に用意した使用人達の無言の抗議を感じて、頭が痛くなる。


 正妃はこの体たらくを、本当に良しとしているのだろうか。あの息子になにもかもを用意することに腐心する女が、沈黙を守っていることも気味が悪い。


 考えたくはないが、王太子の交代も視野に入れておいた方がいいかもしれない。脳みそをかき混ぜて人格を変えるような魔法が掛かっているとか、目の前にいるのが同じ顔をした別人とかいうなら同情の余地があるが、本気でマーヤを望んでいるなら、こいつはもう王族として使い物にならない。

 ヴェルシオがマーヤのハーレムに加わったふりをしているのは賢い選択だったかもしれない。王太子が駄目で、王位継承権2位もピンク女に尻尾を振っていたなら、3位以降に順番が回るだろうから。国王に期待されておらず、正妃にも嫌われている事だし。


 アウディスクの王位継承権は、公爵家を治める30半ばの王弟が3位だが、彼は酷く体が弱い。

 まだ10歳と若いが金の瞳を持ち、ヴェルシオも何度か交友を持ったことがあるその息子にでも、オーランドが駄目になったら玉座を押し付けよう、と決める。

 若いが利発そうだったし、国王だって老いたがまだ現役なのだ。玉座が空になることはない。そうして彼らが中枢で忙しくしている間、多少の後ろ指をさされながら妻になった婚約者と辺境に逃げて、穏やかな生涯を過ごす。完璧な計画だ。


 そんな妄想をしていないと、本当にやっていられない。現実逃避に未来に想いを馳せている間も、醜い言い争いは続いていた。

 恋敵なのは間違い無いが、本物の仇に相対するかのように、言い争いは激化していく。男同士特有の気安さはあったが、こんな風に憎悪一歩手前の言葉や視線を吐く連中ではなかったのに、とどうでもいい事を考えた。


 この状況を終わらせたのは、女の1声だった。


「皆、私のために争わないで!私はオーランドのドレスで、ファーストダンスはヴェルシオと踊るから!」


「?!」


「なっ……?!」


「?!?!?!」


「なるほど、それは良いな!流石マーヤだ!」


「あ゛?」


 驚く男達、何が流石なのか全く分からない弟、思わずドスの効いた声が出たヴェルシオを置いて、マーヤは言葉を続ける。


「わたし、ヴェルシオとお話しするようになったばかりだから、もっと仲良くなりたいの!でもこんなドレスは嫌だし……。なら、オーランドが選んだドレスを着れば解決でしょう?ヴェルシオもオーランドも、おんなじ王子様だもの!」


 なにがおんなじだ、と吐き捨てそうになった。

 ヴェルシオの境遇も、過去も知らない癖に。素晴らしいな、と賛同する弟も気味が悪く、自分が転移魔法を持たないことが、心底腹立たしい。どこまでこの女は、人の神経を逆撫ですれば気が済むのだろうか。

 マーヤがそういうなら、と分かったような顔をする奴らも含めて全員吹き飛ばしてやりたいと考えた瞬間、ピンクの女に、肩にしがみつかれた。


 流行りの甘ったるい香水と、それよりずっと、溶けるような桃色の声。

 重みが掛かって、ぞわりと空気が揺れた気がした。



「ヴェルシオ、嬉しくないの?……でもヴェルシオは、絶対に私が好きになるわ。そう、決まってるもの」




 ヴェルシオが王城に呼び出されたのは、その1月後の事だった。










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