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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
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15/61

襲撃

 






 風の強い放課後だった。

 久しぶりに図書室を訪れた婚約者は、ソファに横になって、ぐっすりと眠っていた。


 今日はいるのか、と思って、つい寝顔をまじまじと見てしまう。

 紺の上着を枕にして、力の抜けた肩は細かった。くたりと左腕は臙脂のソファから投げ出されて、ぴくりとも動かない。青白い顔の目元にうっすらとくまがあるのが気になって、その枕元に腰を下ろす。


 すこし、痩せただろうか。身動きしない身体が肌寒そうで、自分の制服を彼女に掛ける。眠りを邪魔しないように慎重に触れたのに僅かに眉が顰められて、あえなく灰色がヴェルシオを見た。



「…………起き抜けに君の顔は、すごいね」


「なんの感想だ、それ」


 すごいってなにがだ。まだ眠気が強いのか起き上がることはなく、この顔は寿命が延びる、と呟きながら、シャツだけのヴェルシオを眠そうな目で見上げる。


「上着……いつのまに寝てた、ありがとう」


「別に。寒くないか?」


 大丈夫、と応えつつも上着を握りしめるから、他に掛けられるものがないか探して、彼女の頭の下に気づく。


 こんど毛布を持って来て、カトラリーを仕舞う棚にでも入れておこう。そう思いながら頭の下の彼女の上着を引き抜いて、俺の上着の上に重ねる。


「もう一眠りした方がいいぞ、ここなら空気を読んで、お前に用のある女子も来ないだろ」


 あの邪知暴虐のロザリンデでさえ声を掛けに来たとしても、立ち入るのは遠慮するのだから。


 シーリア以外には決して向けない希少な気遣いだったのに、彼女は寝顔を見られるのはちょっと、とかその顔が隣にあると逆に眠れない、とかいろいろ言って、自分の分の上着で顔を隠す。


「もう目が覚めたよ、私は枕がないと眠れないし腕枕はあとでしびれるし―――うわっ」


 そういえば、シーリアはヴェルシオの寝顔などアーデンの屋敷で何百回と見ているのに、ヴェルシオは彼女の寝顔を見たことは数回しかない。

 由々しき事態だ。大変な不公平だと思ったから、灰色の頭を持ち上げてその下のソファに座る。いわゆる、膝枕というやつだ。


「ひぇ…………」


「子守歌でも歌ってやろうか?」


「勘弁して……」


 灰色の瞳がさまよって、けれど身じろぐことすら気恥ずかしいのか、逃げる様子はない。何度か髪を梳くと、あーとかうーとか呟いた後、彼女は大人しくなった。


 膝枕とはいいものだ。

 あの花祭りから味を占めて何度か強請ったし、座っている膝に勝手に頭を置いた。

 されるばかりでするのは初めてだが、これもなかなか悪くないと指先の感触を楽しむ。顔が案外近いのもいいし、髪にいくらでも触れられるのも素晴らしい。

 人の身体で、一番重いのは頭らしい。膝にかかる重さも愛おしい、とうすく血管が浮く瞼を撫でた。


「……起きたらこの顔があるのは本当にまずいって、余計なこと言うから。なにかしゃべろう、話題は何がいい?昔ディリティリオを見たあの酷い劇団がこの間解散したとか―――」


「寝ろ。それとも腕枕でもしてやろうか?」


「む、むり……。ソファから落ちるし……。なんでもいいよ、女子だけで演奏会やった話とか、最近話題のお嬢さんの、得体の知れなさとか」


 髪をなぞっていた指先が止まる。身動きして向きを変えて、顔が見えなくなったシーリアは、口を動かす。


「興味ある?この間ロザリーが主催で、身分を気にせず無礼講をしようって、故郷の音楽を演奏したり、踊ろうっていうのをやってね。学年問わずいろんな子が集まってくれて、お抱えの楽団を連れてきた子も、自分が演奏した子もいたんだ。もう1年以上帰っていないからって、故郷の曲が懐かしくて泣いちゃった子もいたっけ。……気晴らしのつもりだったけど、みんな楽しんでくれて、本当に良かった」


 君も来る?女の子ばっかりで敷居が高いなら女装してさ、と笑うから、揺れる肩で膝が震えた。お断りだし、聞きたいのはそっちじゃない。


「絶対行かない。それより、得体が知れない女とはなんだ」


 最近話題のお嬢さん、など1人しかいない。


「そのままの意味だよ。マーヤについて何も分からないし、退学にするのは難しいって話」


 またもぞもぞと、頭が動く。居心地のいい場所を見つけたのか、細まった横目が向けられた。


「オーランドが高価なものをマーヤに贈り始めた段階でエヴァンズ公爵家もマーヤを調べているんだけれど、全然分からないの。妻が居ないマリット男爵が、遠縁らしいマーヤをどうして養女にしたのかが分からない。母親似の隠し子にしても、引き取られるまでの経緯も分からない。親が官僚の子が調べたら、居たことになっている孤児院の記録が不自然に抜けているらしくて。ロザリーのお父さんが学園長に入学に纏わる書類の提出を求めたら、突っぱねられたって言ってたよ。まるで他から圧が掛けられているような態度だった、って。そんなこと、この国の貴族のどれだけが出来るんだろうね?」


「やばいな」


 マーヤも、そんな女に貢物をしているオーランドも、公爵家の権力を振りかざすロザリンデも、いつのまにそんなことをしている女子達も。


「正直女の子達に関しては、3分の2くらいは謎解き感覚で楽しんでるよね」



 最初は結構刺々しい空気もあったけれど、みんなでやってるっていうのも大きいのかも。ギスギスするよりは、よっぽど良いけどね。

 薄い笑みが、ふいに掻き消える。灰色は、どこか遠くを見ていた。


 ダニエルは分かる?1年生なんだけど。彼なんて、一度マーヤの落としたプリントを拾っただけなのに、彼女に一目惚れしたらしくてね。マーヤと同じクラスになりたいからって、この間のテストは殆ど空欄で出したらしいよ。そうすればおんなじ、Cクラスになれるからって。成績優秀なのにね。

 ―――異常だよ。いくらマリット男爵令嬢が可愛くったってみんなここまで骨抜きになるのも、この事態に教師や国が、何もしないのも。

 だからあの子たちも、憤ってマーヤに嫌がらせをしたり魔法を放ったらどうなるかって、警戒しているんだよ。強いものより、分からないもののほうが怖いから。



「……少なくともあの女のあれは、魔法でも、魔族の魅了でもないことは確かだ」


 言葉に出してから、彼女に漏らしていい情報ではないことを思い出した。一瞬後悔したがまあいいかと思い直す。

 シーリアが俺だからマーヤについて話したように、彼女もうかつに吹聴しないだろう。王族のみ知ることが望ましい情報というのなら、彼女も来年には俺の妻になっているのだし。


「俺やオーランド……王族の適正魔法が、複数の攻撃魔法や、戦闘に関わるギフトであることは知っているな?そのうちの一つに、魅了魔法への耐性がある。建国記2部3章、アイリスの街」


「……なるほど。やっぱりとんでもないね、王家の血は」



 獣人や魔族など様々な種族が生きるこの世界で、世界有数の大国であるアウディスク王国。王家に連なる者であれば、アウディスクの建国者にして初代王の軌跡と偉大さは、それこそ物心つく前から叩き込まれている。

 云百年の昔の精霊がまだ人に姿を見せていたといわれる時代、魔族や魔獣、人族が争っていたさなかに生まれ、そのどれもを斃し人間の国を作った王として、彼はまだ、伝説の英雄なのだ。

 歴史は勝者が決めるものだ。後世に残された建国記が事実だったのかを知るすべはもうないが、辞書より分厚い数十冊の本の、王が外国を巡っている最中に、その場面はある。


 夢の中で人間をたぶらかすサキュバスをはじめとして、半身は魚、海で男を魅了するセイレーンや歌声に魅了の力があるハーピーなど、誘惑によって人間をたぶらかす魔物や魔獣は、枚挙にいとまがない。


 そんな魔物たちによって支配された姦淫の街、アイリスで王が臣下である仲間たちと苦しむ人間たちを助け出す、というのが建国記2部3章で、最終的に誘惑に打ち勝ち大淫魔を斃すことで、王はどんな欲にも負けない、高潔な精神を手に入れる。


 師のもとで鍛錬を積んだことから剣の腕と武具の強化魔法、雷竜を倒した事から雷魔法など、王族が持つ適正魔法は、建国記の中で王が得た物ばかりなのだ。

 この戦争もない時代に役に立つかはさておき、普通なら1つの適正魔法が20以上、というのは馬鹿げていると、ヴェルシオも思う。そんな王族のオーランドを叩きのめすロザリンデはもはや化け物だとも。


 ちらつく赤髪はさておき、人間の使う魅了魔法は魔力から生じ、魔族や魔獣の魅了は種族の血から生じる。

 別物ではあるのだが、魔法耐性の高さも魔族を斃した初代王の血は今も王族に受け継がれている。だから王族は、人間だろうが魔族だろうが、魅了が効くはずがないのだ。

 今もマーヤに脂下がった顔を晒している、オーランドだって。


「……頭が痛くなってきた。本当に何者なのあの子は、あれが魅了じゃないなんてことある?」


 次期王妃であるロザリンデがそれを知らないはずがないし、シーリアも当然、魅了の可能性は考えていたのだろう。眉を寄せる表情も可愛いなと思いつつ、こめかみを揉んでやる。


「振る舞いは馬鹿っぽいけどな」


 成績は1番下のクラスで、テストの順位表にも1番下に名前が張り出されていた。なにより気安く男どもに触れあったり、偶然を装って抱き着いたりすると聞く。

 よくもまああんなに異性とベタベタしたがるものだ恥という概念はないのか、婚約者の耳のかたちを、指先でなぞりながら考えた。未婚の男女の距離じゃないので、3歳児からやり直した方がいい。


 くすぐったい、とシーリアが嫌がるから髪を撫でるだけにして、しばらく沈黙が続いた。

 いくばくかの思案の後、それにしても本当に君たちはすごいね、と独り言めいた声を聞く。


「数百年もむかしの魔法が受け継がれているのも、その数も。建国記に出てくる魔法っていうなら、霧雲の丘で王が覚えた障壁魔法とかも、もしかして使えるの?」


 もっと早く言ってよ、あの章が一番好きだから是非あの魔法を見てみたい、ちょっとここでやってくれる?きらきらと灰色に好奇心と期待を込めて、つれなかった頭は俺を見る。


 現金な奴だと思いながら、さあ、と答えた。


「何十も適正魔法があれば、当然そのなかでも得手不得手が出来る。オーランドなら定期的にどの魔法をどれだけ使えるかの記録を取っているんだろうが、俺だからな。正直一度も使ったことがない魔法もある」


 王族は複数の適正魔法を持つことだけが知られて詳細は秘されているせいでも、鍛錬では弟以下になるように手を抜いているせいでもある。


 使おうとも思わなかったし、そもそも王族のこれは、そんなに良い物ではない。


「王とその後継に与えられるのは適正魔法だけじゃない。建国記に出てきた初代王の特性

 ―――ギフトも、後継と定められた瞬間に身につくようになっている。自殺を妨げるものとかな」


 魔法とギフトの境目は曖昧だから、本人の意思に関係なく発動する魅了耐性も、ギフトの1つと言えるだろう。

 戦いでアウディスクを興し、老年戦いの中で死んだ王の生き様を表すようなギフトの数々は、適正魔法に負けないほどに多い。

 そのなかの1つは自殺禁止の縛りで、いかなる状況でも王とその後継が自死することを良しとしない、というものだ。どんなに劣勢でも誇り高き自害よりも戦って死んで死骸を荒らされろと言わんばかりに、毒でも刃でも、自らの手で選んだ死は、その身を貫くことはないらしい。


 ここ十何代の王の死因に戦死はないし、なにより後継ではなくそのスペアであるヴェルシオにギフトは適用されないけれど、それでも血筋に生き様や死に様を決められるというのはゾッとしない話だ、と思う。あの能天気で最近はさらに腑抜けた弟に自害する繊細さがあるとは思わないし、父親についてはもはや知ったことですらないが。



 詳しく教えておこうかと口を開いたのと、図書室の外に魔力の気配を感じたのは同時だった。

 扉の開く音と、2人分の足音。シーリアも気付いたのか頭を上げようとしたけれど、名残惜しかったので肩を押さえつけておく。

 先程思い浮かんだ顔が本棚の影から出てきたのは、その数秒後だった。


「兄上、やっぱりここにいましたか!紹介するよマーヤ、この人が俺の『きゃあ、初めまして!オーランドのお兄ちゃんってオーランドに似て、とっても格好いいんですね!』」


 久しぶりに見た弟と、先ほどまで話題の渦中に出てきた、マーヤ・マリット男爵令嬢。

 学園で今1番騒がれる2人は、ずかずかとこの場所に入ってくる。


 初めて近くで顔を見たが、距離が近ければ愛らしいと言える少女だった。腰までのピンクブロンドと、ぱっちりとしたピンク色の瞳。華奢で手足は細く、体の隅々まで若々しさが満ちている。けれどやはり、ロザリンデほどではない。

 その女は膝枕も婚約者も気にすることなく、挨拶もそこそこに俺の容姿の感想を述べた。


 一瞬の間をおいて、びく、と膝になつかせた頭が震えた。再度身を起こそうとするから、しろい頬をなでる。逃げるなという意思表示も込めて。こんな来訪者ごときに触れていられる時間を奪われるのは、あまりにも惜しいので。


「……どうしてここに居るんだ?」


「オーランドがお兄さんともっと仲良くなりたいって言うから、おはなしようと思って来たんです。兄弟なんだから、仲よくしなくちゃ!これから皆でお茶会をするんですけど、一緒に行きましょう?難しいことはわたしにはわかんないけど、ちゃんと話せば分かり合えるに決まってるもの!」


 にこにこ、とシーリアが見えていないかのように、女はわらう。

 ヴェルシオが拒むなどあり得ない、膝の女は床に落としてにこやかに感謝を述べるに違いないと言わんばかりに、ビジューのブレスレットを付けた、傷のない手を差し出す。


 これが学園中の男を魅了している女か、と思う。可愛らしくて愛らしい顔で、―――だからこそ、気色悪い。


 壮絶なまでに美しい容姿、というものは存在する。ロザリンデとかがそうだ。

 魔性と呼ばれる、目線一つで誰にでもいうことを聞かせられるような、笑み一つのために全財産投げ出させるような、そんな面立ちは、この世に存在する。

 馬鹿馬鹿しい話だが、たかが皮1枚なのに、いとも簡単に人間は狂う。滑稽に狂わせる。その魅力が、この女にはない。

 それが、それなのに学園中を混乱に陥れているという事実が気味が悪い。魅了が効かないヴェルシオですら、ぞわりと悪寒を感じるほどに。



 まだ起き上がることを諦めない婚約者がついに身を起こしたから、2人を視界に入れないように、庇うように抱きかかえる。ぐぇとか聞こえたが気のせいだろう。

 灰色の頭を肩に押し付けながら、どう考えてもこっちの方がずっと可愛いな、と考えた。こんな頭花畑のピンク頭より、面の皮だけの性格最悪公爵令嬢よりも、世界中の誰よりも可愛い婚約者だ。

 だから、久しぶりの2人の時間を邪魔されたことが、ひどく腹立たしい。



 女の隣に佇むオーランドが、最初こそシーリアの様子に驚いていたものの、期待するようにヴェルシオを見つめるから、それだけでもう、限界だった。




「来た理由を聞いているんじゃない。―――どうして此処に、入って良いと思ったんだ?」



 此処はヴェルシオと、シーリアの場所なのに。

 ああそうだ、さっきまで話していた。


 久々に、魔力を操ることに集中する。やった事はないけれど、方法は血が教えてくれる。俯瞰と排除。


 建国記4部6章、霧雲の丘。

『わたしの敵は失われ、共に歩むもののみ残るだろう。祝福よりも悠久を、平穏よりも安穏を』


 ブォン、と風が鳴った。魔力がうねって、霧色の、あるべき形をつくる。


「えっ……きゃあ!」


 女の笑みが、初めて歪んだ。気にせず吹き飛ばして、ついでに隣のオーランドも吹っ飛ばして。

 2人きりになって、ヴェルシオの魔力が、この場所を守る障壁を作る。



「……出来たな、障壁魔法」


「あっ言ってた王家の……こんな感じ?」


 次にロザリンデが声を掛けてきたときに使おう。魔力によってガタガタと揺れ、棚から落ちた数冊を魔法で戻しながら出た感想に、婚約者は困ったように返した。





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