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陽だまりに手を引く  作者: 真昼
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12/61

花祭

 





 何年も訪れているその祭りは、今年も魚屋も肉屋もどの出店にも軒先に花が飾られて、花屋は人が切れない大盛況だった。

 かつては豊作の感謝祭だったらしいが、思い人に花を贈る習慣だけを残して領民が心待ちにする祝い事になったこの日は、街中が出店や広場の出し物に熱狂して、雨が降るように、誰かが放った花びらが宙を舞う。



 午前中こそフリーマーケットや蚤の市に並べられた古書を物色したり揃いのペンレストを買ったりと楽しんだが、この容姿と領民に慕われる婚約者のせいで1歩進むと花を差し出されることに辟易して、1人になりたくて、礼拝堂の裏庭に足は向かった。

 先ほどまでともに頭に花弁をつけていた婚約者は、領主の家としての用があるとかで、転移魔法で一人屋敷に飛んでしまったからなおのこと、人ごみに向かう気は起きなかった。


 近所に新しい教会があるせいで今はほどんど見向きもされないこの礼拝堂は、街の中心と立地がいいわりに、人はほとんど訪れることはない。なかでも生垣に囲まれた裏庭の、風にそよぐ白い花を付ける木が一番好ましかった。


 青々とした木の根元に寝転がって、陽に温まった芝生の上で息をつく。緑のにおいも髪をわずかに揺らす風も、彼女に教えられた、好ましいものだ。


 王城や学園であれば王子がそんなことをするなんて、と見とがめられて、格好の噂、ひいては悪評になるだろう。王族とはそういうもので、オーランドなどは芝生に寝転がるなど、考えもしないに違いない。

 良い悪いではなく、弟の生きるのはそういう場所だ。そういう生き方が望まれて、あれも王になることを当然と思っているのだから、それが常識なのだ。


 そんなものは知ったことではないから、あいつの誘いを蹴ってここにきて良かったと、改めて思う。

 昨晩だって十分に眠ったのに、穏やかな日差しは眠りのふちに誘い込む。遠くで聞こえる楽団の音色や人の喧騒だって、風の中では眠る間際の子守歌に聞こえた。


 弟は弟らしく次の王として振舞って、国を導けばいい。

 自分ならば、と思って、卒業後に思いをはせる。

 王にならない、なりたくもないヴェルシオは、継ぐ領をどうしたいと思っているのだろう。




   ∮




 自分が、国にも王家にも、親にすら愛着を持っていないと知っている。

 大切なものなど片手で数えるほどしかなくて、それは地図に載る形をしていない。他人が栄えようが富もうが困窮しようが飢えようが、正直どうでもいいのだ。ヴェルシオほど人の上に立つに向いていない人間はいないと、心底思う。


 まどろみのなかで、手の甲で瞼を覆う。

 もうすぐ卒業して、領地を任される。いっそシーリアに兄がおらず、アーデン伯爵家に婿入りするのであれば、こんなに悩まなかったのに。ケヴィンにはとても言えないが、シーリアが愛し、彼女をはぐくんだ領地であれば、ヴェルシオはその発展に努めて、良い領主となろうとしただろうから。


 愛着も思い入れもないものなら、どうにでもしてしまえる。自分がそういう人間だと知っている。


 そうして押し付けられた土地を滅茶苦茶にしたときに、その先に待つものは。



 シーリアにどんな領地にしたいか聞く前に、ヴェルシオ自身が考えるべきだったのだ。

 その矛盾に気付いて、彼女はヴェルシオに添う、などと言って見せたのかもしれない。


 彼女に悪いことをした、とめったにない自己嫌悪をわずかに思い浮かべて、そのまま眠りのふちに陥ろうとした時―――風が吹いた。



「……シーリア?」


 目はとうに閉じていて、物音があったわけでもない。気が抜けた身体では魔力の気配も探れない。それでも、彼女と分かる。


「やっぱりここにいた。……眠い?寝ていていいよ」


 そういえば別れるまえ、すぐに終わる用事だからね、と言っていた。喧騒はうるさいし差し出される花が邪魔をして、おざなりに聞いていた。



 彼女の声は、眠りを誘う。歌は上手くないからと聞かせてくれたことほとんどないけれど、ヴェルシオがうたた寝から覚める間際とかに、微妙に音の外れた鼻歌を、まどろみの中で耳にしたことがあった。母の声も乳母のぬくもりも知らないけれど、子守唄を知る理由を思い出す。

 歌詞のない、歌とも呼べないそれを、子守歌のようだ、と思ったのだ。



「待たせてごめんね。大体片付いたからあとは最後まで、一緒に居られると思う」


 花の甘い匂いと、膝をつく気配。音とも呼べない衣擦れとともに、頬に何かが触れた。


「動かないで。……本当に、君は」


 小さくわらう声がした。


 髪に、耳に、何かが触れる。陽も風も、指先も心地よくてまどろんだ。

 しばしそれが続けられて、ふと目を開けると予想通り、婚約者が膝をついてヴェルシオの首元に何かを置いている最中で。傍らには花が盛られた、麻のバスケットが置かれている。


「……なにを、しているんだ」


「似合うと思ったら、つい」



 本当に何をやっているんだ。

 いつの間に、こんなに花を持っていたのか。一抱えできそうな量の色とりどりの花をバスケットに押し込んで、婚約者は大樹の根元に寝転がるヴェルシオの顔の横に座り込んで、周りを花で飾り立てていた。

 棺の中のような有り様だった。目が合っても薄い笑みを絶やさず、またひとつ、バスケットから花を取り出す。いたずらのようなものだろうか。こういった婚約者の突拍子の無いところは気に入っているが、それでも。


「死人の棺に供えるみたいだな」


「物騒なたとえだなあ」


 今日は葬式じゃなくて花祭りだよ、と応えながら、白いイキシアの花が、また一輪ヴェルシオの髪に飾られる。


「うわっ本当に顔がいい……芸術品の才能がある……」


 うわっとはなんだ、うわとは。そうして芸術品の才能とはなんだ。

 白、いや黄色?青い花少ないな、薔薇はこの色は合わないし……と彼女なりの審美眼でヴェルシオを飾り立てようとする婚約者は、呆れる目線にも気づかない。


「この花は買ったのか?」


「うん?それもあるし、さっき貰ってきたのもあるよ」


 家でも、街でもね。君すぐに逃げちゃうから、渡しておいてくれって言われたのも、こんなにたくさん。バスケットの中の1掴みに、そっと白い指が触れる。花を贈る人々を思い出しているのであろう、愛おしそうな目線。

 その灰色は常になく優しくて、花弁を撫でる姿にぞわりと胸が粟立った。

 預かったというけれど、大きなバスケットにも収まらない花々の大半は、彼女のためだと分かったからだ。


 想いを籠めて、花を渡すこの祭り。

 挨拶のように、色も種類も問わずに花を配るし受け取るけれど、家族や恋人、恋い慕う相手にはとっておきの花を手渡すのが、昔からのならわしだった。


 領民想いの善い領主の、優しく朗らかな娘。誰もが感謝や親しみを込めて花を渡し、これからもよろしくと伝えたのだろうけれど、こんなに慕われる彼女だ、親愛の花だけのはずがない。


 シーリアの手の中で居場所を探す、白く小さな花弁をにらむ。

 イキシアの花言葉は、秘めた恋。



 彼女が恋しくてものにしたくて、俺が婚約者でどうしたって叶わないから、祭りにかこつけて花を贈る誰かがいるならば。

 どうやってこの花は手渡されたのだろうか。親しげに話しかけて挨拶のようにか、それとも気付いてほしいと願われながら、跪いて捧げられたのか。花祭りだからと冗談めかして、告白の振りだってされたかもしれない。



 機嫌が急降下するのが分かる。アーデンで過ごせるのは残り僅かだからと、聞き分けの良い振りをしていた独占欲が顔を出す。



 俺のだ。それは、俺だけが持っていていいものだ。

 俺が婚約者なのだから、なにもかも、望むことだって許さない。



「うわ!」


 彼女以外からの花はいらない。彼女が手に取るのも飾るのも、俺の花だけでいい。

 燃やしてしまおうか。祭りが始まって真っ先にお互い渡し、ヴェルシオは胸ポケットに、シーリアは髪に飾っている、1輪以外の全て。


 身を起こす。そうして空いている、無防備な膝に頭を押し付けた。

 花が舞う。勢いが強くて、柔らかな絹の裾が揺れる。


「ヴェルシオ、君……ああもう、花がぐちゃぐちゃ」


 急にどうしたの、と甘い香りのする手が、ヴェルシオの髪を撫でた。


 眠気は去って、強く目をつぶる。驚かれはしても拒否されないのを良いことに、手元の花を握りつぶした。

 これでもずっと、未婚の男女としての距離感を守ってきた。もう7年近く婚約しているけれど、膝枕をしたことなんて一度もない。いつになく距離が近いのに、高揚したり浮かれる余裕もない。


 花言葉を思い出した瞬間から湧き上がるこれは、焦燥だろうか。

 去年だってともに祭りに繰り出して、年の近い男から花を受け取る婚約者を見たのに、その時はさすが人気者だ、と大衆から逃げることばかり考えていた。



 大切にしたい。俺のなのに。思い知らせてやりたい。拒否されたくない許せない。

 花を搔き分けて、ワンピースに頭を摺り寄せる。

 嫌がるそぶりがないことだけが、醜い感情の慰めだった。


 執着まみれの告白をしそうな口を押しとどめて深呼吸して、指先でワンピースの裾をなぞった。

 あの日から贈るようになった服を、休日よく、シーリアは身に着けてくれる。

 寮やタウン・ハウスにおいてあるうちお気に入りを長期休暇でも持ってきたらしく、丈の長い水色に精密な黄色の花が刺繍されたワンピースは、良い色ね、とシーリアの母にも褒められた一着だ。


 服など贈らなければよかったという子供じみた嫉妬と、彼女の可愛いのは俺が贈った服だからだ、という虚栄心は、どちらがましなのか。


 眠いの?と婚約者の勘違いをいいことに、足がしびれたから終わり、と肩をゆすられるまでずっと、花の香りがうつった膝に、頭を押し付けていた。




   ∮




 空は薄青から橙に、淡く変化していた。


「ほら早く行こう、もう祭りもたけなわだ。せっかくハーヴェストの音楽隊を呼べたんだから、聞かないともったいないよ」


 夕暮れのなかで、婚約者に手を引かれる。体力だけなら間違いなく男のヴェルシオの方があるのに、転移で飛び回っていたシーリアの方が元気なのは生まれ持った活力の差だろうか。

 この足取りの軽さは、目当ての楽団のせいもあるのだろうが。人間も獣人も、何なら魔族すら在籍するという世界中を旅する楽団。大陸中を駆け巡る彼らの演奏など、確かに人間以外が排斥される王都では、決して聞けなかっただろう。


 腕前が広く知れ渡っているその楽隊に演奏しないかと声をかけることができたのも、アーデン伯爵領が外国との交易を活発に行っているゆえの顔の広さと、たまたま彼らが近くにいた幸運からだ。

 たどり着いた広場はにぎわっていたけれどステージの前の席はまばらに空いていて、こんなに急ぐ必要はなかっただろ、という意味も込めて彼女を見ると、分かってないなと首を振られた。


「先に席を取っておいて、何か食べておかないと。ここらへんなら出店もいっぱいあるし、君、まだ食べてないでしょ」


 食べたいのはある?ないなら座ってて、適当に買ってくるというから、羽織っていた上着だけかけて、俺が行くと席を立った。どんなに世界が広くても王子に席取りをさせようとするのはシーリアだけだし、俺が給仕めいたことをするのも彼女だけだ。


 昼食を摂れていないのは彼女もだし、少しぐらい休めばいい。薄手とはいえ男物の上着を羽織っている彼女に、下心をもって声をかける人間も居ないだろうし。

 あれでシーリアは口を大きく開けて肉に食らいつくような料理が好きだから、がっつりした物がいい。広場の入り口に薄焼きのパン生地に肉を挟んだ出店があった、それとゼリーを混ぜた果実水も買えば十分なはずだ。


 昼間は陽気が心地よかったのに日が傾いたことでかすかに肌寒くて、肉の焼けるにおいを嗅ぎながら、なおの事上着を渡しておいてよかったと考えた。人々の喧騒の中で、たった数時間前に膝枕をねだった事実と、もう終わりと引き離されるまでずっと撫でられた頭の、指先の感触を思い返していた。




 シーリアの読み通り、ヴェルシオが彼女の元に戻った時には、観客席は埋まってベンチの後ろに観客が立ち並んでいた。空の淡さは琥珀に色を変えつつあって、着々と見覚えのあるものもないものも、楽器が人の手や魔法によって準備されている。


 食べ終わった後ぐらいには、演奏は始まるだろう。大きな肉の一切れを咀嚼しているシーリアを眺めていると、その瞳がステージに向いていないことに気が付いた。


「どうした?」


 言葉に気付いて灰色が重なって、白い喉が肉を飲み込んだ。石榴のジュースで口腔を流して、果実の赤が移った唇で、あっち、とシーリアは花壇を示す。


 最初、シーリアが指さすものが何なのか、ヴェルシオには分からなかった。

 がやがやと騒がしい人ごみの中で、ベンチに座れなかった人々が、煉瓦でできた花壇の囲いに腰を下ろして、出店で買ったものを食べている。

 老いも若きも、男も女も。誰かと、あるいは一人で。

 その中にひときわ高い声で、きゃらきゃらと笑う者たちがいた。


「……子供か?」


「うん。あの石鹸玉で遊んでいる子供たち。君が来るまで、平和だなあって思いながら見てた」


 彼女が見ていたのは、4人の遊ぶ子供だったらしい。

 変哲もない、大昔からある市井の遊びだ。筒に石鹸の液をつけて息を吹き込んで、虹色の泡を作って飛ばすだけ。それを心の底から楽しそうに、10にもならない子供は笑顔で空に虹の球を放って、割れるまでを眺めていた。


 誰もかれも服や髪のどこかに花を飾って、穏やかだが賑やかしくこの一時を楽しんでいる。

 婚約者はその光景を、公爵家に用意された豪華なドレスを着た時よりも、王城の舞踏会で踊るときよりも楽しそうに、愛おしそうに眺めている。


「すごくいいなと思って。お祭りでベンチに座って、石鹸玉で遊ぶ子供を眺めているって、それだけの事が。……前に、君が国から領地を任せられたときに、どんな領にしたいかって聞いたでしょ?やっぱり何処を賜るかとか君がどうしたいかが一番大事とは思うけれど、こんな光景が見られるところでありたいって、ただ、それだけなんだけれどね」


 灰色の瞳はどこまでも柔らかくて、優しかった。


 視線の先で、また子供が筒をひと吹きして、虹色を空に放つ。風に揺らぐそれらは四方八方に揺れて、光に滲んで飛んでいく。


 かつてシーリアも、こうやって石鹸玉で遊んだのだろうか。両親と兄に連れられて、街の友達と一緒に、誰が一番大きい球を作れるかを競ったのだろうか。


 かなわないな、と思った。穏やかで優しい、こんなものを幸福と呼べる生き物に、どうやったって勝てる気がしない。

 敵わなくて、だからヴェルシオのお互いだけでいいという矮小な独占欲が叶う日も、永遠に来ない。

 胸が詰まって、うまく言葉を放てなくて困った。悔しいのに、脳裏に映ったいつかの灰色の髪の少女も、この光景を愛おしむ今のシーリアも、ひたすらに愛おしかった。


「……お前が望むなら」


 ヴェルシオは、自分が国にも王家にも、親にすら愛着を持っていないと知っている。

 他人が栄えようが富もうが、困窮しようが飢えようが正直どうでもよくて、大切なものなど片手で数えるほどしかない。

 人の上に立つのに向いていなくて、けれど数少ない大切なものが、その中でも特別大切なひとつが、こんな、ありふれた光景を望むのならば。


「……そんな領にしよう。2人で」


 シーリアの手の中で、果汁に入れられた氷が、カランと音を立てた。

 少し目を見開いた後に、彼女は微笑んだ。


「そうだね」


 僅かに乱れた前髪、映る光に色を変える虹彩、瞳を縁取るまつげは、案外長いところも。

 けれどやはり何よりも、これを愛おしいものと映す、その魂が、一番に好きだった。






 ハーヴェストの楽団は種族も演奏する楽器もバラバラで、ピアノもヴァイオリンも外国の民族楽器も、見たことがないような楽器を手にした人々がステージに上がると、観客席は期待に静まり返った。


 最初はピアノだった。

 時に賑やかに、時に静かに不思議な調和を保って祭りの最後を締めくくるオーケストラを人々は楽しんで、アンコールも終えて演奏が終わった瞬間の人々の拍手喝采は、いつまでも鳴り止まなかった。


 拍手が終わればこの1日が終わってしまうと言わんばかりに、誰もがいつまでもいつまでも、手を叩き続けていた。







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