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10.他人の幸せ


 金曜日の18時を少し回った時分。


 四季という居酒屋はカウンターとテーブル席。そして二階の五部屋の屋敷席から構成されている。二階は障子を除けば宴会席になれるよう工夫もなされているがあまり障子を取り払う宴は催されていないらしい。

 花咲のアパートから近いここは、花咲との打ち合わせでよく使用する。

 個人的に飲みに来たりする。その時は一人だ。他の同僚にこの店のことは教えていない。

 料理も美味しいうえに値段設定や店の雰囲気という敷居の高さから大衆居酒屋とは違って過度に騒ぐ客は集まらないからだ。作家と担当編集が密談するにはうってつけなのだ。


 「糸魚川さん、いらっしゃい。今日はこれから花咲くんも来るよ」


 「そうですか。……ここにですか?」


 当てが外れたと思う。舌打ちしたくなる衝動を抑える。

 まさかここで飲み会とやらが開催されるとは思わなかった。同年代の学生の飲み会で四季を利用するとは。

 あてつけのように電話してきたのはそういうことかと納得する。

 花咲は一体、自分と綿貫にどうなってほしいのか。

 いや、魚住と自分を近づけたくないとばかり思っていたが、そうやって計っているのだろうか。

 本当に。本当に、俺には関係ないのだ。決して、あの頃を引きずることなどあり得ない。あり得てはいけない。あの時の自分と今の自分を投影するなんて馬鹿馬鹿しいと思う。

 たかだかの平民出身の護衛騎士が、大貴族の令嬢と結婚した前世を引きずるなんて、頭がお花畑過ぎる。しても、魚住は全くレテシー様に似ていない。全然違う人物だ。間違いない。多少は、所作も似ているし、話の間も通う部分はある。決して、あの頃に……戻れはしない。戻ったとしても、あの温度に俺はもう慣れたくない。焦がれたくなどない。

 七福神の一人を想起させそうな大将がおしぼりとお冷、お通しを目の前に広げる。


 「糸魚川さん、百面相だね。今日はかみさんも居なくてね」


 「失礼しました。大学生の飲み会をここでとは、予想外でして。今日、おひとりでということは、予約はそこまで入っていない感じですか」


 「予約というか今日は半貸し切りって状態。いけない。札立てるの忘れていた。カノちゃんがいないと僕はダメだな」

 カノさんは、大将の奥さんで、みんなからは女将さんと言われている。

 自分はお呼ばれしていないので場違いの客であったのかと思い「では、私はこれで」というと「いいよ~。お通しも出したし、暇なら付き合ってよ。今日は若い子ばかりくるからさ」と引き留められる。でも気まずい。ほぼ全員顔見知りである。


 「花咲、学友と来るということでしょうか」

 「僕の義弟と気になる女の子とその友達とね」

 「そうでしたか。義弟さん。お会いしたことありませんでした」

 そいつ主催なのかと気が付く。ついでにまた舌打ちもしたくなる。

 菅沼とここの店主の名前は一致していないので、気づかなかった。気づけと言われても無理な話だ。

 「座敷に行くと思うけど」

 大将は二階を指さすよう。

 「それがいい。花咲もそちらの方が気兼ねしないでしょうから」

 「僕は心配だな。花咲くんがいると、義弟そっちのけで花咲くんが惚れられちゃうんじゃないかなって……うちの、顔もいいんだよ?」

 「大丈夫ですよ。会ったことはないですが。女将さんの実弟さんならきれいな御顔も十分想像出来ちゃいます」

 「まあね。カノちゃんそれはそれはモテてていたからなあ。ありがとう糸魚川さん。よかったら新作も食べてってよ。フードカメラマンの方きれいな方でね。糸魚川さんに紹介するよ」

 「あはは。綺麗な方と出会えるのは光栄です」

 「糸魚川さんは何人も女性を泣かせてそうだね」

 「泣かされてばかりです。本当に好きな人には気づいていただけないんですよ。なんででしょう」

 「胡散臭いのかもね」

 「なるほど。これから参考にしてみます」

 

 他愛ない話をしつつ刺身の盛り合わせと枝豆を注文する。ないかもしれないと思ったらすんなり出てきた。実は、来る気がしていたんだよねと言われた。侮れない人物である。

 日本酒を飲んでいると、二階から音を立てて慌ただしく降りてくる音がする。


 「セッティング終わった。義兄さん、今日はよろしく、……いらっしゃいませ」

 黒髪の背は花咲と同じくらいで、どちらかというと可愛らしい愛嬌のある顔立ちをしている。女子にも男子にも愛されそうな顔で、美人系の女将とは系統が違う。女装したら映えそうだと不躾に思う。


 「噂の義弟さんでしょうか」


 「噂?変なこと言わないでよ義兄さん。その、今日は上が煩くなったらすみません」

 律儀に挨拶される。よく出来た義弟さんだ。


 「こちら、花咲くんとよく来る糸魚川さん」

 「えっ。花咲と?」

 「はい。仲良くさせてもらっています」

 笑顔を保ちつつ挨拶すると菅沼は目を見開いている。表情が豊かな子だ。花咲にもいい刺激になりそうだ。

 「花咲のアルバイト関係ですか?」

 花咲は作家のことを友人に話していないらしい。菅沼にも言っていないということは、こちらから開示するのは止めたほうがいいだろう。

 「そうですね。花咲は使えるから」

 「み、水商売とか?で、……いや、すみません。糸魚川さんかっこいいから。そんな風に見えないけど、けど」

 「こらこら。糸魚川さんは、なんかこうすごい企業の人だよ」

 「あはは。しがない出版社の社員です」

 大将も無暗にお客の情報を言えないとボカシてくれたが変な誤解を与えたくないのでそこは正直に話す。

 「あー、糸魚川って聞き覚えがある。……出版社のアルバイト。花咲、その方が似合うな」

 何かを察した菅沼が頷くのをみて俺もうなずく。すると自己都合で相手が解釈をしてくれた。

 花咲は文芸サークルに所属しているので、菅沼のなかで合点する理由を勝手に見出してもらえらようだ。なにか付け加えてボロが出ても困るので曖昧に笑っておく。相手が自己解釈してもそれはそちらの勝手なのであえて何も言わず余白を残していく。


 「コピーが早くて丁寧で助かっています」

 「花咲はコピーが得意なんですね」


 嘘八百である。

 コピーに得意も丁寧もねえだろうと思うが目の前の菅沼は、とても素直な子なのだろう。事情を知っている大将は口を挟まずウチの義弟可愛いでしょ?

と言いたげである。笑顔でうなずいておく。確かに最近の若者としては純粋過ぎる気がする。大切に育てられ周りによく恵まれた子なのだろう。

 菅沼のスマホが振動したようで、「連絡だ~」と嬉しそうに画面を開こうとする。「あ、すみません。失礼します」と言って二階に上がっていった。


 「礼儀正しい子ですね」


 「上手くいくといいなあ」


 「そうですね」


 自分のことが好きだとアピールしてきた綿貫を思い浮かべる。

 その実、ああいうタイプといるほうが似合うし、愛されるほうが幸せになれると思う。

 身分にとらわれ過ぎていただろう王様くらい、前世と全く関係なく幸せになりゃあいいと思った。



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