9.交点
■
涼やかな風が頬を撫でる。
王子はサンドウィッチを頬張り、微笑を保ったままの婚約者殿の顔を見る。王子が口をつけたのを見て相手もサンドウィッチを咀嚼する。
「ダメでしたね」
王子の物言いたげな態度を察したのか最初に口を開いのはレテシーだった。
レテシーは落胆な顔を見せない。その微笑も嘲笑うごとくでもなく平静のものだった。公式の場で魅せるものと一緒。なにがどうなってもさも当然という個性のない笑顔。
王子は、厳重な警備を抜けられることなく宮を出る前に騎士に捕まってしまった。誰一人としてレテシーが唆したと疑うことなく、王子が鬱屈していたから抜け出そうとしたと思っていた。王子よりも一介の令嬢を信頼するのはどうとは思うがそれだけ少女の努力は根を張っていた。
「君、すごいね」
王子は様々な皮肉を乗せたが相手には届いていなかった。
「真面目に生きる方が、利便が多いのでしょうね」
上品に手元で口元を隠して笑っている。これくらい上手く切り抜けられなくてどうすると言われているような気もするし、何も感情を籠もってないように王子には見えた。とても同年代とは思えなかった。
王子が自分の立場を考えて、レテシーに言われたから無許可で出てこようとした!という度胸や品のない言動をしないとレテシーが考えていたのだと思うとぞっとする。
信用は嬉しいけど、それを隠れ蓑にされて悔しい気もある。
レテシーは自分だけは事前に許可をとり、王子が抜け出せれば合流という手筈を整えていた。保身をかけているあたり、認識の齟齬があった。一緒に冒険しようではなかったのか。
下町へ抜け出すことを咎められて、敷地外ではある区域への許可がおりた。しばしの息抜きと交流を兼ねてという名目だ。
形だけではあるが二人は華美な服装はしておらず平民を模した服装である。他貴族を威圧しないためとかなんとか言っていたが、レテシー側がうまく言いくるめたらしい。レテシーは目深な帽子をかぶり、その印象的な朱い髪は隠されている。平民によく見る黒髪が覗いているのでウィッグをつけていると王子は踏む。上品な仕草が若干浮いていた。
メイドも少年の恰好をしているため、三人は仲良し三人組の平民、ただし豪華な弁当箱を持つというちぐはぐさがあった。
「それにしても似合うね」
「光栄ですわ。殿下は高貴な方なのであまりお似合いではありませんね。魔石でも隠れようもない気品が満ちております」
王子は立場上、認識阻害の魔石を携帯し城下に出るという条件がある。とても貴重なものでいくら地位の高い貴族でも安々と携帯は許されない。とはいえスカーレットの家門なら調達はなんとか出来そうなものだがレテシーは使おうとしなかった。それは家門のものだからと、少女は意固地になっていたのかもしれない。せめての抵抗なのだとこのときの王子は知る由もない。
「失礼した。レテシー嬢にももっとお似合いの恰好があると見える」
「ありがとうございます」
レテシーは恭しく礼をする。美しい姿勢と平民の恰好がなんとも言えないちぐはぐさを助長させていた。平民もどきの恰好が似合うと言われてカウンターをくらったが、レテシー自身は特に悪いとも思っていないらしい。一応、礼儀として言葉を返しただけなのだろう。表情がいつもより柔らかい気がすると王子は思う。柔らかい表情をあまり見たことがないので、陽射しからの錯覚かもしれないとも思った。
「息抜きになりますか?」
「どうだろうね。新鮮で面白いかな」
主に婚約者の姿のことである。
「それは良かったです。散歩でもしましょうか」
「そうだね」
王子は立ち上がってエスコートしようとするが、レテシーは自分で立ち上がり首を横に振る。
「今日は平民の……レーナとでもお呼びください」
「そうか。じゃあ、僕はレオにでもしておこうかな」
「はい。………じゃあ!レオ、行くか」
さっきまでの貴族の威厳はどこへやら。すぐに気安く口調になるとレテシーはレテシーでなくなった。
手を引っ込めてあとを追う。その後ろ姿、黒い髪が揺れる等身大の人間が眩しく見えた。
「変わり身早いな……」
王子はレテシー面白い側面を知り戸惑ったがいい関係になれそうだと思う。
レテシーも案外ノリのいい王子への好感度が上がる。
お互い情愛はないが、敬愛は育めそうな予感を覚えていた。
しばらく花などを眺めていると、離れたところから叫び声が聞こえた。
「様子を見てこよう」
「そうですね。──アリアナ」
レテシーが手を叩く。
「御意に」
さきほどまで砕けた口調だったレテシーがメイドを呼びつけるとメイドは自分たちより先に声の主のほうへ走る。そのあとを追う。近衛騎士は同行していなかった。荷物置き場の方で待機している。こちらの気配に気づく様子はない。
なだらかな丘をくだるとそこに落とし穴のような深めの穴がある。覗き込むと二人の平民が助かったという顔をしてこちらを見上げている。
王子は思わず身を乗り出し少女の方へ手を出す。もう一人の少年は自分より体格があり少女が出れば狭さが解消され自力で起き上がれそうだと思ったのだ。
この場で男性は王子だけだったので、平民とはいえ婚約者ではない女性の手のを握るのは躊躇われたが仕方ないと思った。レテシーに頼りがいのあるところをアピールする機会にもあると考える。
「ありがとうございます」
泥にまみれたその少女にアリアナがハンカチを渡す。
顔をぬぐっているその姿は可愛らしく貴族でもそうそうみないほどだと王子は思った。紫がかった髪がある家門を想起させた。もしかして、……とは思うが砂が気管に入ったのか咳き込む
姿は貴族教育を受けた姿ではないので、………平民だろう。
着飾っていないのに綺麗というのはすごいとも思う。レテシーが気後れしてしまわないかと心配になる。そう易々と感情を見せないのでその心配は全くの虚無だと王子は分かっていたが一応だ。その方をみるとレテシーは穴倉に顔を向けていた。
無言で手を出している。
折れそうな腕。
少女は少女で自分のできることを全うしようとしていた。
そこにいるのは平民ではなくスカーレット家の令嬢なのだと再認識させられる。
「自分で行ける」
手を貸す必要はないと険のある声で少年が叫んだ。そうだろう。と王子も思う。しかし放っておくことも出来ないだろう。
「足を怪我している」
レテシーの声は可愛げのあるものではなく淡々としている。口調は男児を模しているのか硬い。敬服するべき身分の者ではないからこその態度なのかもしれない。
相手は助けを不要としており手を出しても無駄ではと思う。レテシーに引っ張り上げられる腕力はないだろう。
「アリアナ、手伝って。二人で引き上げましょう。あなた、そこの子落ちるときに庇ったんでしょう。いい。そういうの。騎士らしい」
その横顔はいつになく輝いている。王子はそんなレテシーの表情を本当に初めてみた。まるで好物のデザートを目の前にした弟みたいな瞳。
アリアナは少女から離れてすぐレテシーの傍に向かう。
少女は泣き始めた。
「私だけ助かって、ガリ…、ごめ、んねええ」
泣いている子を放ってはおけないので背をなでてやる。ひくひくとしているか細い肩。王子は、立場が逆だと狼狽えていた。
少女の泣き声を聞いて考えを改めた少年はレテシーの重いものも持ったことのないような手を掴む。アリアナが更に支え引っ張り出す。少年はレテシーが少女なのだとこのとき認識した。
なんとか助け出した少年は足を怪我しているように見えなかったが服をめくると大きく腫れていた。
「二人で支え合ってもう帰りなさい。アリアナ。お弁当の残りを包んで」
「御意に」
アリアナはその場をすぐ離れた。入れ替わりに護衛騎士が寄ってきた。アリアナは平民の子どもたちの刺激にならないようにと制止していた。
「うう、カリオ、ごめんねえ」
少年の怪我をみて更に泣きじゃくりを強める少女にレテシーは冷たい言葉をかけた。
「やめなさい。みっともない。しゃきっとして。彼に罪悪感を抱かせないで」
珍しくきつい言葉だ。少年は責められていないのにむっとして何か言いたげだ。
「助けてもらって言うことじゃないけど、俺が悪いんだ」
もっと奥まで見てみようといったのはカリオンだった。泣きじゃくるサラを責める人間を初めてみたカリオンはサラをかばいたくなる。
「そう。では、この子を守れなかったのはあなたの責任ね。二人して落ちるなんて」
「………」
何も言えない。
アリアナが弁当の残りを持ってくるとレテシーはそれを二人に一つずつ渡す。アリアナは分かっていたかのように二つの袋に包んでいたのだ。
「キツく言ってごめんなさい。気が動転していたの。せめてのお詫び。あなたとても可愛いわね。これはあなただけで食べなさい」
「ありがとうございます」
レテシーはいつもの微笑をもってサラに包みを渡し目線を合わせる。サラは小さくうなずいた。まるでサラがこの中身を他の小さな子にすべて配ると予期したような発言だ。しかし本人にそんな意図はなくて、言い過ぎたから、黙っておけくらいのものである。誤解するのは自由だ。
その後、カリオンにも向き直ると同じものを渡す。
「けがを隠すよう踏ん張るとは見どころがあるわ。ご縁があれば良いけれど」
「ありがとう」
カリオンは一人で食べそうなのでレテシーは特段何も言わなかった。可憐な少女を守る護衛騎士、物語の登場人物のようだと思っていた。
カリオンとサラは、助けてくれた人物たちがみな平民の服装をしているが、絶対平民じゃないと分かった。またレテシーが少年の姿をしているが性別が違うことも気づいたがあえて口にはしない。
分かったがそれを言ったら、いけないのだと理解する。お忍びというやつだろう。
その様子を王子は見ていて、なんだか居づらくなる。
レテシーは、てきぱきと言葉にせず事を荒立てないよう処理している。王子の手を煩わせないようにしていると理解はできるが、何も出来ないと言われているようだった。
そんな無力感を味わっているときにカリオンが近づいてきた。
「あの、サラを救ってくださり、ありがとうございました」
「いや、大したことはしていない」
カリオンを救ったのはレテシーのため王子の心は複雑だった。
「力もちですね。さきほどの方と違って穏やかそうなのにサラを軽々と、すごいなと思いました。ありがとうございましたえーっときつくなくて、綺麗な瞳だし、いい匂いもします。勿体ないですがお嫁さんにしたいくらいです」
「………!!??」
王子は意味不明になる。
カリオンは少年の恰好をしていたレテシーの口調から女の子と断定。アリアナの名称として女性。もう一人も少年の恰好をしているが少女だろうと踏んでいた。そしてさきほど王子には聞こえないようにレテシーから「ボスのレオにきちんとお礼を言って褒めるべきところをしっかり褒めて」と言われたので、全力で褒めに行ったのだ。全身全霊の語彙力をもって臨み、それはまるで口説いているかのようだ。カリオンにはそれほどの語彙力はなかったのである。
カリオンも貴族のかたがたのように着飾ってはいないものの見た目はよかった。大きく成長すればサラほどではなくても美形になるだろう。
「………あ、ありがとう」
王子は初めて言われた言葉に胸の高鳴りを覚えていた。意味不明である。落ち込んだときに褒め殺しにされたからかもしれない。思った以上に近くで見上げるカリオンの顔が好みであったからかもしれない。
レテシーは、ちょっと言葉の選択肢が間違っているが平民のワードセンスにしては悪くないと思っていた。市政の教育が行き届いていれば未来も明るいとまで考えていた。
また嬉しそうにクッキーを食べるサラの頭を撫でながら
──この穴に王子を落としていたらあやうく足を怪我するところだった。危なかったわ。
と思っていた。ちょっとしたサプライスをしかけようとしていたが、こちらがハプニングに見舞われたという具合である。
城下町への許可が降りて、王子の脱走が失敗に終わったとき、アリアナとともにここで落とし穴でも仕掛けるかと拵えたものだった。吊り橋効果を狙ったのである。
これを家に知られたら一家離散にもなりかねない。
そのため全責任を感じていた。
冷や汗をアリアナがそっと拭う。
カリオンの足のけがをみて、かなりの罪悪感を覚えて帰り際に教会の名前をアリアナに聞くよう指示しておく。
こうして、少年少女らに接点ができた。
サラの髪色が聖女のごとく変化するのは誰もまだ知らない。
誰もが自身に焦燥感を課していた過去のお話。




