6.すきな味を覚えている?
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部屋に入ってきた糸魚川は、上質なハンカチで汗を拭いている。涼しい部屋、おそらく花咲さんの部屋にいたであろう彼に外の空気は暑かったのだろう。座布団を敷いて「どうぞ」といえば借りてきた猫みたいな感じでそこに座る。年上の男性に対して失礼な目線だ。
「いい部屋ですね」
座布団に背筋を伸ばして正座する姿は様になっている。知らないところで知らない人になっていたと感慨深くなった。息を一つ漏らすとそこで肝が据わったらしい。力み過ぎたものが抜けたというのが見ていて分かった。
「変に褒めようとしなくていいよ。殺風景でしょ」
周りを見渡して笑顔で言ってはいるが、首を傾げる仕草から花咲さんのお部屋の配置とは似て非なるものだったことを悟る。あまり物は置いていない。しかし綿貫の私物も転がっているので、部屋のものに統一感がないのも奇異に映ったのかもしれない。
「花咲の部屋は座布団はなくて。魚住さんのお宅もそういうものかと思っていました」
「そうなんだ。知らなかった」
アイスの入った袋を冷凍庫の前に下ろしてアイスをいれる。そこからお客さんに出すものを吟味する。味に幅はない。
食べやすいのはカップだろうか。とそれをもって糸魚川の対面に座る。
「レモンでいい?」
「あ、はい」
レモン氷とイチゴ氷が一つずつしかなかった。どっちがいい?と聞こうと思ったが糸魚川の目線がレモンに行ったので、そちらを渡すとあまり反応が芳しくない。嫌なものを押し付けるような形にはなりたくないので再度問うことにする。糸魚川はきっと私がこうと言ったら従う気質が抜けきっていないのではと思ったのだ。いや、万人に対して優しい人間なのかもしれない。
「イチゴの方がよかった?こっち見ていたから。私はどっちも好きだけど」
「レモン、さっぱりしていて好きです」
「そう。ならいいけど」
使い捨てのプラスチックスプーンをあけてカップの蓋をとる。しゃりしゃりと何度か表面をならして口に入れる。冷たい。美味しい。至福である。糸魚川も同じようにして食べている。
「感心しませんよ。俺なんか部屋に入れて」
声は真剣さをはらんだものではなくお道化たような茶化したようなものだ。冗談半ばというところだろうか。
「うん。まあね」
自然こちらも聞き流すような返事になる。
「まあねって全然返事になっていません」
「糸魚川さー」
「はい」
糸魚川はこちらを見ようともせずアイスを咀嚼している。その顔を盗み見る。自分より大分年上の糸魚川。これまたカッコいい面になったものだ。綿貫が一目惚れするのも分からなくはない。分からなくはないけれど、自分好みのイケメンというわけではない。
「自分を犠牲にして、他人の幸せを助けていたってどう思う」
自分はこう在りたくないなと思ったあの小説の令嬢。花咲さんの描いたレテシーは糸魚川と作り上げたものだろう。あのレテシーは少なくとも泣くほどの悲しみを持たず、護衛騎士に愛され世話係とも仲良く過ごしていた。花咲さんが現在執筆しているのはその物語の番外編で令嬢と護衛騎士周りの恋愛模様だと聞く。
私にはどうもあれが、カリオンに重なって見えた。美術館で綿貫が言っていた言葉が喉に刺さる魚の小骨のような気持ち悪さを残していた。私は思うように生きてこられたというよりも、目の前の人物の幸せを食潰してきたともいえる。
「俺には出来ない変人の所業だと思いますよ」
糸魚川の声のトーンは全く変わらない。感情が乗ってるのか乗ってないのか。ふざけているような声音。
シャリシャリと氷をほぐす音が響く。
「そう。私もそう思う。今、恋人は?」
「いませんね。綿貫さんにもそんなつもりありません」
すぐさま牽制された。取り付く島もないとはまさにこのことだ。
「そうか」
「無理強いできないでしょう。あなたには」
「……そうだね」
綿貫を応援したいけれど、私はどうしても糸魚川の意思の方を尊重してしまうだろう。あの頃、わたしは随分と彼に支えられてしまった。もうそこまで無理強いは出来ない。
「魚住さんが泣いて、花咲は無理って言ったら高い指輪持ってとびきり素敵な花束を持ってプロポーズしますよ」
「まじで?」
「してほしいですか?」
「全然」
「じゃあ、しません」
「糸魚川が幸せになればと思うよ」
「もう幸せにしてくれませんか?」
「無理だよ」
「さいですか」
「さいです」
そのあとは無言で氷を食べ続ける。会話を続けられなかったのは糸魚川の口調がさっきと変わっていたからだ。わざと言葉に温度を入れないようにしている、そんな風に感じた。
「ごちそうさまでした」
その声音は通常のモノに戻っている。通常を知るほど糸魚川と仲を深めてはいないが先ほどの異常な空気感はなくなった。
「うん。ごめんね。大した用事もなかったのに引き留めて」
結局、ただ変な問答をしただけになった。糸魚川は笑顔のままで、顔を横に振った。
「いいえ。美味しくてうれしかったです。レモンいいですね」
「よかったよかった」
呼び鈴が鳴る。例のごとくドア前のものだ。
二人で顔を見合わせた。糸魚川も予期していなかったらしい。
おそらくこれは花咲さんだ。綿貫なら事前に連絡が来る。それ以外にここを鳴らせるのは彼だけだ。
なんか気まずい。悪いことはしていないし、やましいことも起きていない。
モニターには案の定、花咲がいる。
「あー、これは、どうします?」
糸魚川が困った顔をみせた。居留守を使うのも、やましいことをしていないのに気が引ける。
「はい」
そのまま声を出す。
『こんにちは。そちらに糸魚川、います?』
バレとるやないかい、という顔で糸魚川を見ると顔をぶんぶん振っている。私はそのまま開錠して扉を開く。糸魚川は咄嗟に隠れようとはせず堂々と私の後ろに立ったままだ。
「いたー。糸魚川さん、データ送りましたよ!」
額には汗をにじませやりきった顔をしている花咲さん。その目線では私ではなく真っすぐ後ろの糸魚川に向いている。
「おう。確認するわ」
毒気を抜かれたような声で糸魚川さんは鞄から端末を出して確認しだす。
「うん。いいな。うん」
「よかったー。魚住さん失礼いたしましたうちの糸魚川が」
「いえいえ。こちらこそ糸魚川さん、とってもいい子ちゃんでしたよ」
「俺はお前のペットじゃねえぞ。あー……魚住さんごちそうさまですレモン味のアイス」
「イチゴじゃなかったんだ?いつもイチゴ味なのに」
花咲さんが意外そうな顔をする。選択ミスをしていたらしいと思ったが糸魚川は首を横に振る。
「さっぱりした味のが好きって気づかせてもらえたよ」
糸魚川はそういうとすり抜けて靴をはき外に出ていった。
「じゃあ」
そういって扉は閉められたのだった。
本当に何事もなくあっさりと帰っていった。
私の傍にいた心地の良い護衛騎士は、もう自分の居場所はここではないと言っているような気がする。なんだかんだ今の私の傍にいるべき親友は、振動するスマホに映っている人物なのだろう。
『やっほー。家行っていい?アイス買った!あのね!レモン!魚住好きでしょレモン。今日は暑いから絶対レモン気分だろうと綿貫先生の名推理。わたしはイチゴ』
「あはは。大当たり」




